2017年6月1日 2:50
空港はいつも車椅子を頼んでいます
今日ヘルシンキに着きました。空港はいつも車椅子を頼んでいます。荷物は多いけど、軽いのです。ガーゼとか包帯とかが容積の大部分を占めるので。うっかりしてソフラチュールを全部スーツケースに入れて送ってしまったので、昨日は使えないで塗り薬だけにしたら、今日は特に痛みがひどいようでした。カウコが迎えに来てくれて、車でスタディオ・丹田へ。今日はここに一泊して、明日の船でエストニアです。
ソフラチュールというのは四角い、両面をネットに包まれた薬で、今のところ右足に一枚、左足に一枚半使っています。35日分なので、90枚持ってきました。アズノールという青い練り薬でオリーブの粉を溶くのですが、どちらも大変な量です。
手順というと、まず薬を作ります。小さな容器にオリーブを入れ、アズノールを入れてよく練ります。普段はもっと作り置きしていますが、空港の税関で引っかからないように一ケースだけにしたので、一回分で使ってしまい、こちらに来てその七倍くらい作りました。15センチほどの四角いガーゼに六枚ほどオリーブとアズノールを塗ります。ガーゼ一枚を半分にしてそのそれぞれに塗ります。感染症の傷口は右足がふたつ、左足が六ヶ所くらい。ソフラチュールを貼った上にこのカーゼを当てます。ソフラチュールなしのところも何か所かあります。この貼ったガーゼにさらに何枚かガーゼを重ねて、包帯で巻いていきます。薬を作るところから始めたので、二時間くらい。あとは包帯を洗って干す作業が入ります。それも含めて毎日二時間前後時間をとられます。
傷口は少しずつ小さくなっているようですが、きのうのようにソフラチュールを忘れたりすると出血は多くなります。まあ、実にゆっくりとよくなっているという感じ。そのペースに合わせるしかありません。
鈴木先生は日曜日以外の日はずっとこれをていねいに替えてくれていました。時々薬を変化させる必要がないかをチェックするだけで、毎日たんたんとつきあってくれています。こちらが長いこと留守にするので、その分の薬とガーゼとをそろえてくれました。先生とほぼ同じようにしていますが、中のガーゼとかはピンセット二本でつまんでという丁寧な手順は真似ができないで、素手でやってしまいます。傷口をぬぐうのも、薬液をシュッシュとかけてというのは省略してティッシュで軽く拭いてしまいます。この二点を除けば先生と同じようにていねいにしています。30日でどう変化するか、楽しみです。先生は「大きく悪化しなければそれでいいです」と言われるのですが、なにくそ、もう一段治ってやりたいと思います。
先生に泣きついて、痛み止めのロキソニンも300錠用意してもらいました。自分であちこちで買ったのも50錠ほどあります。そんなに飲むはずはありませんが、まあ安心のためです。
京大病院から出ている薬がまた30種類くらいあります。帯津先生に相談したらそれは心臓の手術をしたら医者のいう通りにしないといけませんね、とおっしゃるので仕方なく飲み続けています。鈴木先生に一度Oリングテストをしてもらったら「全部必要な薬です」といわれたので、しょうがないなという感じです。そう先日牛乳だのサバだの牛豚と数十種類の食品のOリングテストをしたのです。何も問題ありません。セシウムも出ていません。食べてはいけないものは何もありませんといわれてしまいました。あれもこれもいけませんと言ってもらって、少し摂食したいと思っていたのに、残念、て本気か。
2017年6月1日 3:50
ヘルシンキのチケットが10万くらい安い
2017年6月1日11:50
もち米を笹の葉でくるんで煮て
北京の粽(ちまき)のことを書き残していました。
粽というのはもち米を笹の葉でくるんで煮て、中に肉や野菜を少し入れたりするものです。食事をしてホテルに帰ったら、服務員さんが大きな粽二つとバナナ二本とどけてくれたのです。そうだ、きょうは端午の節句なのだと思い出しました。旧暦の五月五日です。昔ならば食後の一食も大歓迎だったのですが、さすがに食べられません。しまいこんで持ってきました。粽のことですから、一週間くらいは楽に持ちます。エストニアにもっていって一食分にしましょうか。バナナは一本は翌朝、一本はヘルシンキへの飛行機の中で食べました。
ホテルの食堂が始まる七時半前にタクシーに乗りたいといったので、許さんは街角で豚まんを買ってきてくれました。小さいサイズのを15個ほど。その場で三つほど食べましたが、多すぎます。持っていって、空港や飛行機でたべてくださいと包んでくれます。こういうものが一番おいしい「北京料理」なのですが。普通の北京人は今も街角でねじりパンと豆乳を食べたり、朝からそばを食べたり、豚まんを買って食べたりしています。朝は立ち食いという人が多いです。日本にはない光景てすよね。豚まんの方はヘルシンキの二日目の朝食にやっと食べることになます。エレナに夕食を新しくできたネパール料理店に誘われたのですが、いや今夜はまだお腹が減っていないのでと機内食のせいにしました。
粽のことでしたね。楚の国に屈原という宰相がいまして、秦が楚を滅ぼそうしていろいろ知恵をしぼっている時代なのですが、楚の王様は広い土地を提供するとかのあれこれの誘いに乗って、また秦に行けば若い可愛い女性を紹介するなどの甘言に乗せられて秦に赴き、幽閉されてしまいます。のこった楚の大臣たちも秦に買収された者ばかり。さんざん嫌な目に遭って来た屈原は汨羅(べきら)の河に身を投げて死んでしまいます。屈原だけが真の愛国者であることを知っていた村人たちは、魚が屈原を食べないように、笹の葉にくるんだ餅を投げ入れたといいます。
研究者たちは屈原の残した『楚辞』を中国歴史上第一級の文学として評価しています。これ以前の文学は個性を押し殺して書くものであったのに、『楚辞』で初めて個人の感情と理性が一体のものとなった文学が生じたと言います。テーケイという歴史学者が『中国の悲歌の誕生』という中でこのことを論じました。何度も読んだ本なのにどこかに入ってしまった。古本市場では7000いくらしています。
田中角栄が毛沢東を訪ねた時に、毛がサインをしてくれたのがこの『楚辞』だったのですね。毛は何を言いたかったのか、たくさんの中国研究者はそれに触れていますが誰も解明していません
2017年6月2日 1:10
本を読んだりネットをいじったり
2017年6月2日 12:10
体を痛めている多くの人は
2017年6月2日 14:04
0時から6時まで寝ました
六月二日の朝です。0時から6時まで寝ました。健康なものです。でも日本時間では六時から12時までなのですが。カウコは隣のベッドルームで寝ています。私は寝る時間が彼に比べれば短いので、キッチンのある今のソファで寝ています。鼻の穴に馬油をぬってなかなか快調です。
昨日は智能功をユーチューブであれこれ比較検討してこれはいいというのを見付けました。ほう明先生のしたものではなく、お弟子さんですが、かなり高齢の方で、足腰のしっかりしている、いい表演でした。いつも教えてきた智能功光の瞑想はエストニアの中心メンバーは熟知していますが、今回はその先の捧気貫頂功をしようということになりました。長さも三倍くらいになります。テキストをおいてきてしまったので、きちんと覚えているかどうか、ユーチューブで確認してみたのです。私が習ったのとまったく同じでした。これもやがて上級の課題を加味したいのですが、今回はならったままでいいでしょう。まだこの先に形神椿をやっていく楽しみもあります。
これは日曜日の授業です。今日は夜だけ三時間あるので、易筋洗髄経をやり、易筋外経をやり、易筋外経の第二套路と易筋の膨大な静功の一つをします。静功といっても形のない物ではなく、大きな球を抱いたり両手を左右に伸ばしたりしながら深い「静」の境地に入っていきます。今日はまだ十時間もあるので、これらや郭林気功を研究しましょう。マイケル・コナリーの刑事小説を読みながらですが。
たまった包帯を洗濯してから、フレンチトーストと紅茶の朝食にしましょうか。
2016年6月2日
7月4日までぴったり一ヶ月です
明日フィンランドへ出発です。7月4日までぴったり一ヶ月です。もう少し早く帰って来れるのだけど,チケットがこの日だけばかに安かったので(なぜか周囲の日と五六万違う)この日になりました。ミッドサマーの周辺も仕事が入っていないので,ひたすら部屋にこもって郭林の翻訳を進めたりいろいろ翻訳します。中日大辞典も持って行くつもり。大きな小説も何冊か持って行きます。今回は料理企画がなく、あまり食材も持って行きません。パーティ用に半年持つ豆腐とか高野豆腐とか少し持って行くだけです。自分のためにさばかんと梅干しとか、ふりかけくらい。ゆうべは天満橋の授業の後二駅で行けるので空堀商店街の金時鐘さんの店すかんぽに行って一ヶ月会えない朝鮮料理を満喫しました。でもコチジャンくらい持って行こうかな。豆板醤とか。体調は割合いいですが、春に花粉症かと思っていたじんましんがなかなか収まりません。長い風呂に入ればよくなるがフィンランドにはほとんど湯船がありません。三日くらい断食すればいいのでしょうが、なかなか。ま、楽しんで行ってきます。ついたその日にエストニアに移動です。
・・・HOMEに返る2017年6月2日 18:23
フィンランドからエストニアへ
丁度一年前もフィンランドからエストニアへでしたね。また今度も朝鮮料理をなつかしがっています。モランボン学院をでた料理人と、朝鮮料理の歴史では定評のある鄭大聲さんの本を持ってきましたが、肝心のコチジャンとかニンニクとか胡麻油とかないとしかたありませんね。
・・・HOMEに返る2017年6月3日 10:15
昨日は朝六時に目を覚ますと
六月三日。朝三時。
昨日は朝六時に目を覚ますと、夕方五時半に出かける以外はずっとソファで過ごして、小説を読んでいるかコンピュ―タを見ているかという不健全な生活でした。少し変わったことと言えば包帯の洗濯をすることくらい。洗濯機はありますが手洗いしています。一日三本か四本使います。飛行機に乗る前後四日ほど溜めたので、十五、六本いっぺんに洗いました。またすぐ血まみれの次の四本がスタンバイしています。
あとリンゴを煮ました。リンゴ二個、皮のまま十六個くらいに切って、砂糖と赤ワインを入れた水で煮ていきます。なかなかおいしくできました。デザートがないので手作りです。
カウコは歯医者に行ってまた一本抜かれました。エストニアの廃車の方が安いのでいつもこちらに通っています。
昨日の三時間の授業は、易筋経の坐功と易筋外経の二套で精一杯でした。坐功は数百の候補から私が選び出した八つの方法です。外経の二套はわずか五つですが、全力をあげて掌を返すように想像するが形は変えずに力を入れるというものです。あっという間の三時間。
カウコがピザでもというので賛成しました。いつもの店は閉まっていたのですが、泊まっているところの向かいがVAPIANOという店。カウコはツナとオリーブ、私はイタリアンサラミに野菜あれこれ。8ユーロ前後でかなり質は高い。楽しめました。ドアトゥドアなのがまた好都合です。四時間ほどうとうとしてから、郭林新気功の研究に取り掛かりました。
2017年6月4日 13:15
昨日の授業は午前三時間
六月三日の続き。
昨日の授業は午前三時間、午後四時間でした。
朝のうちに易筋洗髄経のやりなれている六までをしました。易筋外経を今回した分も含めて17動作を通しました。一時間かかります。ずっしりしたボリューム感です。本来は七回ずつでなく、四十九回まで増やします。私は以前二十一回までやりましたが、へとへとになって一日何もできませんでした。七回で一時間かかると七倍では七時間かかります。それだけの体力ができていくという風には考えられませんでした。そのあと、八式の坐功をしていきます。これもけっこうきついものですが、左右に伸ばしたり上に伸ばしたりは自分で調整すればいいでしょう。
一時間半の休憩。四階の階段があるでもう外には出ないで、カウコがパンとサラダ、じゃがいもとミートボールなど買ってきてくれました。美味しかったが四分の三を残しました。また明日食べてもいいな。
午後はまず背骨ゆらしをして、カウコに香功をしてもらって、スワイショウをして、ついでに郭雲深と王郷斎の話をしました。それから郭林にとりかかりました。まずは頭部按摩。ほとんどの人は覚えているだろうと思ったのが誤算で、一から全部伝えなければなりませんでした。基本三動作と、定歩風呼吸、そして自然行功とやってもう六時過ぎでした。珍しく足が激痛で、それに間に合わせるよう痛み止めを飲むのですが、授業中に痛み出してしまいました。カウコに代役をしてもらって、なんとか終えました。
カウコはまた別の店でピザを買っていますが、痛くてそれどころでなかったので、端っこをもらった程度でした。二時間ほどで痛みはなくなりました。しばらくうとうとして、三時まで寝ました。
2017年6月5日 6:15
四日は九時過ぎに迎えが来て
もう六月五日なんだ。
四日は九時過ぎに迎えが来て、九時半からの授業。朝は道教八段筋をする。
一度やって終わりにするつもりだったら、ぜひ覚えたいという人が何人もいて、一動作ずつ解説することになった。のこり一時間というところでほう明さんの生涯を語り「智能功光の瞑想」をした。
昼休みの後は郭林気功。お母さんがガンだというオーストラリアの女性が来た。昨日頼まれていたので郭林で乳がんや子宮がんで全快した人の手記など紹介する。それからもう一度頭部按摩をやり、初歩的な定歩風呼吸をし、後半は吐音気功を去年のような初歩的なものでなく、内臓ごとの音を五臓にそってする。
2017年6月6日 3:52
10時の船でヘルシンキへ
2017年6月6日 15:55
オールナイト・トーク+「津村飯店」
【 津村 喬 物語 その2 オールナイト・トーク+「津村飯店」も開店 】
カウンターカルチャー・アーカイブ「私の青空」 no.11
2017年 7月 29日(土)17:00 ~ 30日sun.05:00 ~?
会場: ほびっと村学校
(ホビット村3F、JR中央線・西荻窪駅南口2分)
お話し: 津村 喬(たかし)
聞き手: 槙田 きこり 但人(ただと)
参加費: 1500円
21時ごろ開店予定の【津村飯店】は別途料金
(12品2000円より、津村さんは27品用意。)
(料理料金を津村さんと相談のうえ設定しましたが、まだ検討の余地がありそうなので、多少変更があるかもしれません)
(my お箸、大きめのmy お皿持参歓迎!)
予約 : 料理の準備があるので早めの ※要予約
TEL : 03-3332-1187 または hobbit@ea.mbn.or.jp
一定の予約に達したところで締め切ります。
参加ボタンを押した上で、主催者側からのメッセ確認で予約完了となります。
注意: 畳の部屋で座布団がありますが、寝袋など必要なモノをお持ちください。
【津村飯店】ご利用には、大皿と箸をご持参ください。
▼ 津村 喬 (つむら たかし、 戸籍名:高野 威 たかの たけし)さんより
西荻ほびっとの予告です。
7月の末の29日(土)ですが、津村=高野の歴史の二回目ということで企画してみました。
しかし前回に話し終えた両親の死のところから前に進もうとすると、著作家としてだけでなく,ロッキード問題の頃、月刊焼酎通信の頃、岡島治夫と組んだ自然健康道場の頃といろいろ話が出てきて、簡単には終わりません。実はまだここまででも気功が始まってないんですね。まあ16歳の時に気功太極拳を初めて習ったというのはありますが、気功の世界に入るとまたこれと同じくらいの目次が立ってしまうので、えー「第二回」は「気功が始まるまで」にさせてもらいました。皆さんと相談して、これはこれで相当長時間じゃないの、たしかに駆け足で話しても全部は行かないでしょう、ということで、午後五時から翌朝午前五時までということにして、まあ夜帰るという人は帰って結構です、眠りながらでも聞く人は朝までどうぞということにしました。
それで津村料理付きということにして、途中からは何を何度食べてもいいことにして、予定メニューはのちほど発表します。
《津村喬物語 2》です。前回は生まれた頃だけでなく、父母やそれぞれの祖父母など家系を遡り、全共闘運動、ロッキード事件での市民共同デスクなどの話を伺いました。項目の多さの上に写真や著書など資料がギョウサンあったこともあり、現在までには至られませんでした。続編です。
今回は津村さん自ら項目立てをしてくれました。その細かいこと。これでは聞き手・引き出し役が要らない。でも2度目でも4時間企画では終わりそうもない。それで、真夏であることもあり12時間「朝まで一人語り」となりました。12時間で終わるのか? 余裕をもってお越しください。
さらに凄いことに【津村飯店】も開店いたします。満腹になって寝ながら聞くのも良しです。講座は畳の部屋で座布団はそれなりに有りますが、オールナイトでお付き合いしてくださる方は寝袋など必要と思うモノをお持ちください。あっ、大きめの取り皿と箸などもね。
2017年6月6日 18:21
家を一軒運営することになる訳だから
しばらくでも家を一軒運営することになる訳だから、鞄の中はいっさい空にして、寝室の戸棚に下着とかシャツとかしまいます。食糧は今回は二袋程度。カウコ好みのカレーを二回くらい作れるとか(カレールーと高野豆腐など)、稲荷は36個作れるとか、その程度の用意です。こちらに来てあれこれ買ったけれど、三四日に足りる程度の物。薬が普段とちょっと違う。ロキソニンは一日10個までですよと30個もらってきたけど、余計に持っていたいという気分の問題で、まだこれは箱に入ったまま。ほかで買いためたものが100余りありますから、そっちを飲んでいる。でもまだ30日あるから、どういう減り方をするかわかりません。ガーゼが450枚。一日15枚勘定で実際には12枚程度使っているからすこし余裕がある程度。ソフラチュールという貼り薬が少し心配。74枚残っていますが2.46枚。厳密に二枚半にしていかないと足りなくなりそう。包帯は日々洗濯しているし50本前後あれば大丈夫です。これらが物置の棚二段になります。
ゆうべは足が痛んで七転八倒するうちにロキソニンが効いてきて電灯をつけたまま寝ました。からだが冷え切っている。手も足もお腹も冷え冷えとしています。朝思いついて、サウナはいらないよなんていっていたが、使ってみることにしました。(カウコはすぐ近くの自宅に帰っています)。さいわいすごく単純で、むろん電気サウナですが加熱するボタンとどのくらいの時間というボタンと、ボタンというか目盛りですな。いやとても温かい。ふるえていたのに、「雪中に炭を送る」です。服を着たまま、汗をあまりかかない程度に入る。サウナのこういう使い方を初めて発見しました。四時間つけておくと当分温かい。また冷めたら少し温める。かじかんでワープロも打てないというのは少しオーバーですが、時々包帯を洗いに行って温まったり、洗濯をしかけて少し温まったり、夏の盛りのサウナを楽しんでいます。
2017年6月7日 2:14
蝋燭の100個いりを買いました
ここに来る途中で蝋燭の100個いりを買いました。どこのスーパーでも基本のこのカップロウソクは売っています。アルミのカップに蝋と芯が入っているだけの簡単なやつで、最近は日本の百円ショップでも見かけるようになりました。ほかに色付きのガラス瓶に入ったものとか、法事用の金色の蓋がついたものとか、いろいろありますが、まあこれだけあれば十分です。カラーの大きめの物はよくプレゼントに使い、時折もらったりしますが、自分で買ったりはあまりしません。
夏は真っ暗にはならないので、すこし間の抜けた感じですが、それでも部屋の中に生きた灯(リビングファイアとこちらでもいいます)があるかどうかではまったく違います。もうひとつ、リビングファイアといえば暖炉ですが、こんな寒い夏でもないとあまりつけません。この家には暖炉がありません。暖炉もまた照明器具として使われるのが普通です。ヘルマン・ヘッセの小説の中で、本を読むように暖炉に語らせる場面があって、暖炉というものを経験しなかった少年時代にはどんなだろうと思ったものでした。
古い家だと、ろうそく、暖炉、サウナ、お湯やシチューをかけるためのストーブが四位一体のリビングファイアになりますが、こういうアパートだと暖炉、ストーブはなく、サウナも電気で、ろうそくが持ち込みです。
灯と共に暮らす生活ではいつも火のことを気にしていなければなりません。部屋の中に常に火と水があってそれが主役をなしているのが、フィンランドに限らず昔の生活そのものだったでしょう。
三度目の蝋燭に点火しました。ここに来てから三個の蝋燭を皿に並べて、これが三度目です。今夕方の七時。目の前の小屋にも木立にもほぼ右手から強い日差しが差し込んでいます。白い雲が並んでいますが、部屋の中は夕方の気配が始まっています。青いお皿に蝋燭三個並べています。燭台がないところでは食器を転用するのが普通です。そろそろワイングラスを出してくるころです。
2017年6月8日 23:59
1990年11月に北京科学技術出版社から
のさまざまなやりかたが図入りで解説してある。十五巻が「増益易筋内壮神勇図説」で陳希夷の十二月功なども含み、やっと十六巻「易筋洗髄支流汇纂」で八段筋や十二段筋、易筋経十二式本体が出てくる。さらに十七巻に至って易筋外経が出てくる。この中で易
筋経十二式は少しも特権化されていないで、簡単な動作と説明だけがある。読みように依っては第三巻から第十四巻までの動作が易筋経の本体で、十二式などはその末端の応用に過ぎないかのような扱いである。
この三から十四の中身を紹介しておくと、正身図説二十七勢、側身図説八勢、半身図説二十七勢、屈身図説八勢、折身図説十六勢、紐身図説十八勢、倒身図説六勢、翻身図説十三勢、行身図説三十四勢、坐身図説四十九勢、定身図説八勢、臥身図説十で、合計で
334の動作がある。これをどう攻略して行こうかというので、まずは坐身図説八勢を功法として取り出した。これはもうエストニアで教えている。全部できるかわからないが正身図説二十七勢はトンミとマッティにだけ伝えて、冬にちゃんと教えられるようにしよ
うか。
・・・HOMEに返る2017年2017年6月9日 2:24
車でエレナとカウコの「別荘」まで来た
てもそれぞれに「別荘」まで来られるようになった。
冬に持って帰る荷物が多すぎて、空港で少し出してカウコに保管しておいてもらった荷物があった。自分で覚えていたのはコンパクトなプリンターである。フィンランドで使うつもりで持っていった。家にはまだ何台かあるし、こちら用に置いて行こうかと思った
。重そうな本を何冊か、すぐに使わないパンフレットや紙類。蜂蜜や食品類は残念だが食べてもらった。それらをエレナが来る時に持ってきてもらおうと思い立ち、カウコから電話してもらった。
エレナからは私が置いて行ったものだけでなく、はしが14セット、刺身包丁、電気がま、しゃもじなどが届いた。箸は毎日自分が使う分でよかったのだが、これから三回もある合宿の中で使えるかもしれない。電気がまも自分では小鍋で焚くので十分だがいること
もあるかも。刺身包丁を使う機会はたぶんない。菜切りならいくらも使うが、刺身と出刃は本格的に魚を裁く時にしか使わない。ここ内陸部ではトナカイか大鹿を調理するときくらいだろうか。一万円くらいのよく切れる小型包丁を何本か買ってきてお土産にしよ
うかなどと考えていたのだが行く暇がなかった。小さい菜きりは小さな魚にも使えて便利なのである。
家にあるつもりで何度も探してしまったのが玉井天碧の『指壓法』だった。こちらにあったとは。これで指圧講座をしたこともあるから、付箋紙が百枚近くもついている。増永静人氏の解説も好きだった。
そういえばこの前東京でした「日本の療術家」の話も聴衆が少なくてもいいから、合宿の間にやろうかという話が出ていた。この本があればまたいろいろ話せる。今回はオランダの学者デ・ホロートの『中国の風水思想』も持ってきている。自分で確かめたいこと
があって持ってきたが、風水講座も面白いかもしれない。
・・・HOMEに返る2017年6月9日 4:29
本格冷麺もマッコリも
2017年6月9日 4:55
気功の集まりなのです
2017年s
初めまで沈黙してしまった
九日から12日の初めまで沈黙してしまった。コンピュータには何も問題がなかったのだが、差し込んでいるインターネットのカードに問題が生じたらしく、止まってしまった。yahooが消え、facebookが消えて、通信が全部だめになってしまった。あれこれいじってみても、まったく反応がない。このかん何度か「入られてますよ」という警告を放っていたので、何かされたのかと思った。カウコに相談すると、期限があるものなので止まったんじゃないかと言った。それにしても一週間の期限は短すぎる。私がフィンランドに着いた日に買ってきてくれたのだ。器械そのものは元気で、文書はちゃんと打てている。しかしネット機能のないワープロに計算機とか音楽は聞けるとか(自分で入力をしたものだけ)があるだけという寂しさは久々に経験した。11日にカウコが新しいカードを買ってくれたがやはり反応なし。いろいろな組み合わせを試してみるうちに、カウコが自分のコンピュータにつけていたのだけがこちらの器械でも反応したので、これを貸してあげる、ぼくは店に行って文句を言ってくるわということにして、貸してもらった。yahooも十件ほどたまっていた。原因はあいかわらず不明だがともかくも回復した。カードもカウコがあとからこのために買ったもののように全然通じないとかならまだ話が分かるが、一週間無事に動いていたものがある晩突如ダメになるというと、なんとも不安だ。毎日facebookでどうでもいいことを書いてそれで読んでくれる人がいるありがたさを痛感した。
2017年6月11日 1:18
三日間の講習が終わった
クオピオでの三日間の講習が終わった。新しいことは易筋外経の追加の五動作と、易筋系統からの静功八式だけで、あとはいつもの易筋洗髄経や外経12式とか背骨ゆらしとか禅密功の築基功とかやりなれたことだけやったが、みんな熱心にやってくれた。
静功はまだ素材はいくらもあるので、二套目三套目と作っていきたい。いろいろなポーズをしていく静功なので、まあ坐式動功であるのだが三呼吸でやってもよし、九呼吸でやってもよしにした。三呼吸でやると一連の流れがはっきり理解出来るし、九呼吸にするといかにもゆったりの静坐になる。また、外経はすでに去年からしている易筋外経12式の続きで、いつつの動作が二つあるのを前半だけにしてみた。これも49呼吸という指定があるのだが、外経12式を21呼吸にしてもへとへとになるので7呼吸にしている。やはり7呼吸がいいところだろう。これが面白いのはたとえば上げた腕を内にひねろうとしてひねらない、ひねったつもりでぎゅーっと力をいれて、吐く息で少し脱力するという具合だ。ひねりたい動きを実際にやってみると普通の運動だが、やらないで「やったつもり」になると物凄い筋力を使ったようになる。これは私も長い経験の中で初めてのことだが、素晴らしく面白い。「シャドウ」の動きの方が何倍も体力を使うのだ。
エレナがいたから、カウコは三日とも飛ぶように帰った。一時間ちょっとの道のりなのだ。ゆうべは雨が降ったが朝になって晴れた。三日間は夏らしい日だった。月曜からは本格的に雨になるらしい。
2017年6月12日 1:34
四年前にもここにいた
2013.06.10の日記だ。四年前にもここにいた。
「クオピオの名物料理と言うとイワシのようなワカサギのような淡水魚である。ワカサギは別にいるので、ざっくり湖のイワシと思ってくれてよい。ムイックという魚である。前回この専門店に行った。立派なレストランでこの小魚のフライを注文したのだが、80匹ほども積みあがってきたのにはびっくりした。おいしいが、さすがに多すぎる。そういえばその前にもスープを注文して、メニューでは様子がわからないものだからスープにも同じ魚が積みあがっていて、たぶん30匹くらいはいた。それなりにおいしかったのだが、日本だともっとあれこれ工夫して二三匹ずつ出してくるだろうなと思った。私ならそうする。三匹ずつの新鮮な感動を十種類のコースにする。ここでこの店に張り合って魚料理店をやってやりたくなった。
ここクオピオのみやげというと、カラクッコである。カラは魚、クッコはおんどりのことだが、なぜ鶏を使っていないのにこの名があるのかわからない。パイの中に小魚が律儀にぎっしりと詰まっている。ムイックだけを使うとムイッククッコという。普通のにはアハベンとかハウキとか使うそうだ。名物にうまいものなしで、最近は土地の人はあまり食べないみたいだ。魚だけが入っているのや豚肉や豚の脂の入っているものや、いろいろ種類があるらしい。すごくボリュームのあるものだから、薄く切って食べるようだ」
このムイック料理屋は一度いけばいいやという感じだが、そのあと二三年、港にテントだけ張ったムイックのフライ専門の店ができて、そこに通った。80匹はないが50匹はいて、値段は三分の一位だし、もともと工夫のある料理でなく新鮮ならばおいしいというものだから、ここに満足していた。ところがこの店が今年はなくなってしまった。しかたなく昨日の帰りに、スーパーに行ってムイックを買った。とれたてで、そのままフライにするだけというものだ。ところが小麦粉を忘れてしまって、楽しみが一日延びた。これから揚げてみようか、というところだ。
・・・HOMEに返る
2017年6月6日
浸しておいた包帯を洗う
朝流しに浸しておいた包帯を洗う。三日溜めると大変になるので、溜めても二日分である。今日は九本あったから三日分だ。サウナが温かい時は速く乾くが、余分はあるのでサウナを焚くまでもない。でもタオルかけに並べるよりサウナに広げたほうが、サウナが冷たくてもそうする。明日はシャツとか靴下とか一杯洗濯して、サウナに入ろう。
少しずつ買っていたのだが、やっぱり買った食料に追われている。魚フライもまだ六切れ残っている。ひき肉もある。ステーキ肉も一枚だけ消費したがもう一枚残っている。鍋にはボルシチもどきが半分残っている。それなのにさっきトマトをかじったりしていたら、おなかがいっぱいになってしまった。ひき肉が急ぐだろうから、キドニービーンズとチレ・コン・カルネにしよう。少し辛めにして。辛い料理で元気を出すから太るんだね。ま、しかたない。自分しかいなくてもついうまいものを作ってしまう。それでなければ命を奪った食材に失礼だもの。あ、忘れていた。ムイックのフライをしなければ。頭も取らずに小麦粉にまぶして。フライ優先でボルシチとチレ・コン・カルネ。変なメニュー。まずはトワイニングで元気を出して。
2017年6月12日 9:15
2015年6月12日
カウコがフィンランド二箇所とエストニアと簡単な禅クッキングのテーブルをしようと言って来た。今回は料理を考えていなかったが、簡単な材料だけ用意して行こうと思った。いつもの「笹の雪」に90日保存の豆腐を頼む。三カ所で12丁もあればいいだろう。あとは高野豆腐、長期保存のおから、車麩、切り干し大根などがあればいい。梅干しにたくわん、米は二キロ。これで現地の野菜だけで、かなり豪華な料理ができる。行ってすぐのエストニアなどは、厚揚げやこんにゃく、ごま豆腐なども使える。二週間持ってあるくのはちょっとつらい。
最後のクオピオなどは、現地の材料に頼ることになる。それでもサラダに小魚を入れるだけで和風の雰囲気になる。「おでん」をじゃがいもとか人参とかズッキーニとか向こうで手に入るものを主に作る。これにチーズを入れる。本来デザート用のジャムをつけて食べるパンチーズというのが、醤油で煮るとすばらしい味になる。サーモンの団子も使える。余裕のある時は魚をつぶして「さつまあげ」もどきを作る。あまり禅クッキングらしくないが、その時はついでに「なまぐさ坊主」の解説もする。たぬきを使わないたぬき汁などは作ってみることもある。
去年は一応永平寺のスタイルで厳格にした。食餌五観の偈も読み上げてもらった。それでも五日ばかりのことであるから、なかなか自分で作る所までは無理だ。せめてご飯とみそ汁が定着してくれればいい。フィンランドはラップランドの隅々までキッコーマンを売っている。しかも環境基準が厳しいので日本よりいい質のものが置いてある。米はほとんどインディカだが、カリフォルニアのジャポニカの一種類はたいていのスーパーにある。ヘルシンキの東京と言う店にはおいしい日本米を売っているが、少し高い。持って行くべきか買うべきか、いつも迷うところだ。
2017年6月12日 10:15
空が一面の朝焼けにそまる
朝三時半。空が一面の朝焼けにそまる。あちこちで鳥のさえずりが始まる。そよ、との風もなく静まり返っている。目の前の湖は、ボートですぐに対岸にいけそうな気がするが、向こう岸と見える物が実は島で、その向こうに更に大きな湖があり、それがまた次々に湖につながっている。とにかく18万8800の湖があって、その多くが互いにつながっているから、急ぐ人には役に立たないが、えんえんと何日もボートやカヌーで旅をしていける。とんでもない離れ小島に、島の半分ほどの小さな小屋とサウナが立っていたりする。あんなところの生活はどんなだろうと想像する。もう一人ではボートに長く乗ることもおぼつかない。でも目の前の水が水路でもあって、とほうもなくあちこちにつながっている感覚はとても開かれたものだ。
ムイックのから揚げと豆のシチューを食べ飽きて10時半頃にソファに座ってそのまま寝てしまった。三時に起きたから、十分のようでもあり、ベッドに寝ていないから、寝たりないようでもある。油の後とか散らかし放題なので、ゆっくりと片づける。アールグレイに生クリームの残りをいれてみたりするが、少しくどい。
きのうもらってきたクオピオの気功講習のチラシをあらためて見る。ここ三年ほどトンミが私の写真を入れてきれいなポスターにしてくれている。今回の写真は去年彼の本のために取ったものの一枚で、グレイの作務衣を着て、禅密功の自発動功をしている。背景が深い森に包まれている。トンミの本はもう二刷りが出たみたいだ。今日からはまた近くの湖畔で禅密功の新しい講習が始まる。
2017年6月12日 21:15
一時間はかかる
いつもながら包帯を替えるのに一時間はかかる。包帯を洗って干すまで入れると一時間半かかる。まあ瞑想のようなもので、その間なるべく心静かにしていようとする。自分で包帯のままでいるのは構わないが、中にはぎょっとする人もいるので、授業のある時は大きめの靴下をはく。これがまた10分くらいはかかる。痛み止めをいつ効かせるかというのはこれだけ熟練しても簡単ではなく、とにかく痛くなってしまえばあわててロキソニンをのんでも二時間くらいは効果が出ない。早めにとりすぎても途中で切れてしまう。薬が切れた状態はそれはそれは言い尽くせないほどで、機嫌よくしているのがむずかしい。だからタイミングを見て早めに飲むしかない。過剰摂取の恐れはあるが、仕事をしに来ているのだから、仕事ができる状態にならないと迷惑をかける。
京大からは20種類くらいの薬が出ている。薬の悪い噂はいくらもあるから、はたして本当に全部いるのか疑いたくなる。鈴木先生のところではOリングで薬も見てくれるから、一応全部チェックしてもらうと、ひとつひとつチェックして、全部体に会いますねえ、しかたないですね、ちゃんと飲まないと、になった。鈴木医院から出ている内服薬はビオチン酸という抗炎症剤だけだ。
あとは馬油。これはOリングで見てもらうと傷口にはよくないと出たが、傷の収まった後の汚い皮膚にはいいようで使っている。炎症で肉の見えている部分が三か所あって、そこはソフラチュールという網の目の抗炎症薬を貼る。ほかにも表れれば小さく切って貼ったりする。その上にオリーブの粉をアズノールという薬で溶いたものをガーゼに塗って貼る。今は右足一枚、左足四枚貼っている。アズノールもオリーブも35日分持ってきた。オリーブは保険がきかず、700円のを30パック買って来た。ソフラチュールも90枚処方してもらって、一日3枚使えば96,7枚になるから、まあ足りるだろうと持ってきた。ただこのところ使う量が増えているので、治って減っていくならよし、このままでいくとすこし足りないかもになってきた。マッティに薬を見せて相談すると、ああこれはあるから持って来ようというので、30枚頼んだ。
あとは日々の食事のことである。10年ほど前には草津の日赤病院に交通事故のためにちょっとチェックで入った時に、糖尿の気配があるといわれ、そうはいってももうすぐドイツに行きますといったら、注射器を上げるから毎日打ちたまえと無茶な話。面白半分でやっていたが、なんとなくやめてしまった。その後京大病院で心臓の手術をしたときに調べて、ちょっと値が高いから薬を出しておくよと言われた。いま飲んでいる薬にも二種類くらい入っている。
それから少しダイエットにとりくまなくちゃということで、当時脚光を浴びはじめた江部式が理論的にもしっかりしているし、病院も遠くないので行って見た。そんな深刻じゃないけど体重はへらしたほうがいいよねと言われた。江部さんのやりかたはごはん、ぱん、甘い物、ようするに炭水化物を取らないで、肉魚野菜なんでもという考えだ。酒や白ワインはだめだが焼酎や赤ワインはいい。苦も無くで来そうだが、やはりごはんやパンに妥協してしまうことは少なくない。
初めて鈴木医院に行ったときに、100種類くらいの素材をOリングにかけて、足の傷とは別に、セシウム中毒があるといわれてびっくりした。何か魚に入っているセシウムで、放射能汚染全般にかかわっているから難しいね、とにかく一時的に近海魚をやめてみてと言われて、イワシやサバと別れた。あとはたいして魚を食べていない。三カ月ほどたってまた調べてもらうと、あ、大丈夫になってますね、食べていけないものはないわ。そこの病院では主として子供の皮膚炎とかに食事をどう変えていくかで指導しているので、非常に細かく見るのだが、その中毒がなくなると、食べていけない物はないと断言された。
今度フィンランドに来る前に、もう一度100何十種かの食品をチェックしてもらったが、ダメなものはないと断言された。しかしもちろん江部さんの主張するように、糖分はなるべくとらないほうがいい、米やパンもなるべくやめたほうがいいと言われた。パンやコメの全廃はなかなかできないが、なるべくその方向で、ボルシチを作ったり魚フライを作ったりしているというわけなのだ。
2017年6月12日 21:15
二人申し込んでいた
2017年6月12日 21:15
気功をしたことのない人が二人申し込んでいた。あとはマッティにトンミ、トンミの彼女、ㇸイッキにアルシカとカウコだけである。その二人も、一人はシックス・センスの指導者で、もう一人はチベット密教をしている人だ。二人ともボディ・ワークが足りないと自覚していた。気功のボディ・ワークは精神世界と一体のものだから、彼らはいい選択をしたことになる。
きのうは背骨ゆらしをしてから、カウコは友達を迎えに出かけたので、マッティの解説で禅密功をした。今日はカウコがいたから光の瞑想付の禅密功をした。これはなかなかよかった。背骨を上げていくひとつひとつの背骨が光っているとイメージする。そうすると、ふだん「腰椎の一番まで挙げて」とことばでいうよりも、「一番が光っている」というほうがはるかに背骨と一体になれるのである。頭まで行くと頸椎一番を持って振るのだが、頭蓋骨から足の骨までを具体的にイメージして「骨が光っている」としてやっていく。三回、前後動で、左右動で、ひねりで往復した後で、あとは全身の骨が光って自由に踊り出す。長年禅密功をしているトンミにどうですかと聞いたところ、「すごい。感動してる」と言葉もない。このやりかたはもともと動きのほとんどない「光の瞑想」をひとつの源泉とするものだが、「智能功・光の瞑想」で背骨中心ではなく、内分泌器官中心で作ったことがある。
そのあと静功八式をやって昼休みにした。
カウコがまた遅れるというので波動功をやった。これは見よう見まねでかなりできる。二回やり、マッティのリードで一度やってから、湖のほとりで各自でやってもらった。
カウコが帰って来た。声の気功をする。
ひとつめは一本調子のソーンでリラックスを目的にしたもの。
二番目は声の高低で分けていくガン患者のための方法。普通の人は一本調子で声を出し、高血圧とか指標の高い人は上から下げていく。低脂血症とか低い人は上げていく。ハーとウォでやってみた。
三番目はひとつひとつの声が特定の内臓に響く六字訣として知られている方法だ。これも健身気功で作られたもの以外に四つ知っているが、今日はその中一番古い形のない物をした。本来は坐って声だけ出していくものだが、いちばん簡単な形をつけた。四番目はいわゆるマントラ。中国のチベット密教のやりかたのオン・アー・ホンをやった。話がはずんで、インド経由でフィンランドにもつたわっているチベット密教と中国経由のチベット密教の比較のことになった。トンミやマッティもずっとチベット密教をしているので、今日ははじめてその話をした。最後に十五分余ったので南無神変大菩薩、南無大師遍照金剛、おんそらそばていえいそわかだけやった。
教えた方も、習った方も大満足。初めての二人も溶け込んできてくれているようだ。
2017年6月14日 14:14
お互いマッサージすることになっている
今日の授業はお互いマッサージすることになっている。私はアドバイサーでカウコが自分の指圧やポラリティなどの経験にもとづいて指導する。私もこちらでは特に指圧の源流である玉井天碧の指圧法の教科書を持ってきて一緒にやったりしてきたので、どんな授業でもできるが、カウコからは時間の半分使って先日の「日本の靈術・療術と現代の健康法」の話をしてくれとの要望があった。もちろん一度話したことだからどのようにでもアレンジできるが、通訳が入ると話は半分になるから、焦点を決めなければならない。田中守平、岡田虎二郎などの中国とのつながりは面白い。出口王仁三郎もモンゴル遠征が面白かった。大正年代までは日本の気功のほうが中国よりずっと盛り上がっていた。
2017年6月15日 4:39
10時半から12時半まで話した
日本の療術については10時半から12時半まで話した。浜口熊獄、田中守平、岡田虎二郎、野口晴哉のことを主として話した。やはり細かいニュアンスを伝えにくいので難しい。
午後は郭林の頭部按摩をし、それから周稔豊の十二段錦をした。周の十二段錦は非常に単純で古代の導引が多く含まれてとてもいい。一回しかできなかった。波動功など私と二度やり、マッティと一度やり、湖畔で一度、合計四回している。四回くらいはしないと一人でできるようにはならないだろう。
今日は買い物しないで、残り物をあれこれ処理した。明日は一日さまざまなタッチングを教える。
2017年6月16日 2:15
四日目は健身気功の易筋経とか
四日間の授業がすみました。四日目は健身気功の易筋経とかカウコにやってもらったあと、終日マッサージの講習でした。カウコのやって来た指圧や私も七歳から近所の牧師さんに教えてもらった指圧でなく、今日は中国推拿から六つの技を伝えました。「さすり」「たたき」「つかみ」「ゆすり1(平面こすり)」「ゆすり2(回転ゆすり)」「ゆすり3(肘ゆすり)」の六通りです。これまで「ゆすりタッチとたんとん叩き」を入門の二枚看板にしてきたのですが、ここにきて六つにしました。まず「たたき」とか「ゆすり」とかいう日本語を覚えてもらう所からです。
午前中に「さすり」「たたき」「つかみ」を二時間かけてしました。最初に椅子に坐った患者役を背中からさすったりたたいたりの練習です。それで交代。次にうつ伏せになってもらって。頭から足まで。普通こういう時は仰向けは家族か親しい仲間とやってくださいと言って避けます。初対面の男女が組む場合がありますから。たたきは梅花掌という特殊技術で、中に深く入ります。
午後は「さすり」に対して皮膚の一点をずらせるようにして行く技法です。回転ゆすりは小指側を当てて手首を回転しながら刺激していく方法。3は肘を当てて手首をゆする方法です。
みんな楽しくやってくれたようです。表情がとても柔らかくなっていました。
7人のうち2人は今日で帰ります。あとの人は週末の樹林気功合宿にも残ります。週末は20人くらいになる予定です。
2017年6月16日 03:15
最初は初めて参加された
皆に感想を言ってもらった。最初は初めて参加されたシックス・センスのワークの指導者。「いろいろやって、何も覚えていないが、とても気持ちのいい時空間を共有できた気がする。きっとまた習いに来ると思う」。へイッキは「ぼくのマッサージはいやらしくなかったですか」と笑わせた。彼はずっとその彼女をマッサージしていて、露骨に好意を示していた。彼女は「ちょっと二回くらいあぶなかったかも。でも気持ちよかったわ」と返した。ヘィッキはいくつかの気功から深い感銘を受けた。リラックスと平和を受け取った、とのべた。マッティは「ひさびさに波動功をやってよかった。ここにいるだけで幸せだったが、時々ほかのところへもいっていた」といった。トンミは「この場所によって癒された。この春はストレスを抱えてめったになくつらかった」といった。トンミの彼女は(ごめん。まだ名前を憶えていない)「気功をある程度深くやったのははじめて。みんなよかったが郭林の頭部按摩がとくによかった」。アルシカは「もう30年も津村さんとの時間を共有している。来るたびによかったと思って帰れる。今回は禅密功を光の瞑想としてやったのが圧倒的だった」
トンミやマッティが「そうだ。そのことを言い忘れていた。あれはすごかった」と同調した。もう一人名前を知らないチベット密教をやっている人も「あれは圧倒的だった。ぼくのこの合宿への印象はあれだけでいい」と言った。
2017年6月16日 9:15
パーティをすることになった
明日土曜日の夜にパーティをすることになった。一人25ユーロだから粗末なことはできない。しかも、カウコと同じヴェジタリアンが多いから、肉料理ですますわけにいかない。きのう一通り買い物をして、Sマートの貧しい野菜コーナーからいろいろ選んだ。肉と加工品の棚にくらべて四分の一なのである。今回の津村マジックは韓国調である。多少の調味料を持ってきた。これでヤンニョムもどきを作って、野菜料理はほとんどそのヴァリエーションである。今回『朝鮮の料理』『ヴェジコリアン』を持ってきているからいろいろ研究してみる。
三つのコンセプト。ひとつはオープンサンド三種類。ふたつは韓国野菜料理、もうひとつはカレーと稲荷。日本から持ってきたものはほとんど放出してしまう。パーティやるなら一回きりしかできないよとカウコに言っていた。メニューはこんな具合。
サンドイッチ三趣
サーモンと菜っ葉、きゅうり
海老とサーモン、くりーむ、
サーモンペーストにトマト、
赤唐辛子の炒めナムル
きゅうりの炒めナム
塩、ごま油、にんにく、すりごま
蒸し茄子の甘酢
砂糖塩赤唐辛子酢
トマトのセンチュ
長ねぎ、酢塩サラダ油醤油
おろしにんにく
アボカドとリンゴのサラダ
赤黃緑ピーマンのナムル
ごま油すりごまおろしにんに
なすとブロッコリーのナムル
醤油酢すりごま砂糖おろしにんにく粉唐辛子ねぎみじん
ズッキーニのジョン
小麦粉と卵
チャプチェ
ピーマン、なす、ブロッコリ、胡瓜、ズッキーニ
カレー
高野豆腐、ポテト、チーズ、トマト、りんご、アボカド
ライス
稲荷ずし
これで一応20人前を作る。
2017年6月16日 18:15
無理に訳せば「チーズパン」
カレーに入れるチーズはユーストレイパと言って無理に訳せば「チーズパン」になるがパンらしいところはまったくない。普通はジャムなどを添えてデザートとして出すのである。これを醤油味で煮てみたらどうかと試してみて、大成功だった。とろっとしているが弾力があり、はごたえがあるが、とてもなめらかである。日本では似たものがない。わたし流のフィンランド料理の定番になった。おでん入れてもよく調和する。長く煮込まないで、火が通ったくらいがおいしい。
今回のカレーはじゃがいもにんじんは世界標準(?)ではいっているが(本場のインドでは入っていないかも)、ズッキーニ、アボカド、赤ピーマン、リンゴ、トマトが入りそれに日本から持っていったとっておきの高野豆腐が入る。戻してしぼり、切って少し油に通す。食べる直前にユーストレイパが入る。こくまろだかなんだか、100円ショップのルーを三つ入れる。こちらではカレー用の生クリームを売っているのでそれを入れ、塩、ガーリックパウダー、胡椒などで調味する。大鍋にルー三つだと少し薄めなので片栗粉を入れそのぶんあご(飛び魚)の出しを入れる。日本からもっていったものはルーと高野豆腐だけである。ルーももちろんこちらで売っているミックススパイスで代用できる。ただ粘りのないさらっとしたカレーになる。今回は二回三回とできない。これで終わりである。あ、ヘルシンキの東京館でルーを売っているかも知れない。でもまあおおがかりなパーティはこんどかぎりだ。
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2017年6月17日 4:55
と言っても普通の小屋なのだが
パーティ会場で、と言っても普通の小屋なのだが、夜を明かすことにした。いまは六品ほど仕上がっていて、まだ十品くらいある。人数が増えて21人になり、まだ増えるかもしれない。実は薬を忘れて取りに行った。へイッキのクライスラーで送ってもらったのだ。薬と包帯を替えるならその関連と、夜は寒いかもしれないからセーターと、取って来た。ついでにKマートに寄ってもらって野菜売り場を見る。いつも行くSマートの斜め向かいにあるのだが、野菜売り場はSマートよりもっと狭くてがっくり。それでもセロリとかキャベツとかなすももう一つとか買って来た。紙皿が心配だったので見に来た。うーむ。四角い紙皿はよかったがもう少し大きいのを期待していた。一応買っておく。普通のキャベツ炒めに朝鮮風の味付けをしたものと、セロリはただ切ってこれも唐辛子を聞かせたソースをそえよう。一度目のご飯が炊きあがると稲荷ずしができる。64個作れるのかな。
・・・HOMEに返る2017年 6月17日 5:11
イナリに行ったときだけ作っていた
稲荷ずしはもともとはラップランドの北の町、イナリに行ったときだけ作っていた。余分に作ってみんながたむろするバーで日本のイナリっていうんだと披露したこともあった。ウコンサーリという聖なる島にモーターボートで行くのはいつものことだったが、そこに稲荷寿司の弁当を持っていったりした。イナリで必要な量より余分に持ってってヘルシンキで披露したら、すっかり人気になった。自分の好みからいうと、市販の稲荷用揚げはあますぎる。煮直せばいいのだが面倒でつい甘い物を出してしまう。それが評判がいいので困ってしまう。中には紅ショウガを刻んだものや、ラッキョウのみじん切り、ゆかりをいれたりもする。今夜はわかめのふりかけかな。
・・・HOMEに返る2017年6月17日 20:01
時間が暇なので
煮えたりさましたりの時間が暇なのでついface bookに投稿したくなる。あとはトマトのサラダ、サラダ菜のチヂミ、ズッキーニのジョン、チャプチェだけだ。チャプチェの用意とズッキーニだけを休み時間にしよう。七時半からだから直前の時間もたっぷりある。本当は韓国ではズッキーニも小さい別の品種でこちらのを輪切りにしたら大きいのだが半分にするとかっこ悪いな。薄めにする手かな。卵と小麦粉をつけて焼く。チャプチェの春雨は湯で一瞬戻して冷やしておく。残り野菜と炒める。トマトはずっと冷やしてあって、並べてから薄切りにして真ん中にソースをかける。長ねぎ、酢、塩、サラダ油、醤油、おろしにんにくのソース。これはチリ系をつかわないので分量はたっぷりあるが、少しずつ、トマトを並べた真ん中にかけていく。蒸し茄子とレイパユーストの甘酢は砂糖、塩、赤唐辛子、酢だし(新しく作った)、煮たピーマンにはごま油すりごま、おろしにんにくのソースだ。茄子とブロッコリをゆて゜たのが醤油、酢、すりごま、砂糖、おろしにんにく、粉唐辛子、ねぎみじんだ。唐辛子余り使わないな。
・・・HOMEに返る2017年6月18日 12:54
本来の光りの瞑想をした
昨日の朝は本来の光りの瞑想をした。わたしの『呼吸の技法』の75の呼吸法の中でも人気のあるやつだ。自分の星を想い、息を吸う時に星からの光りを頭に受け、吐く時に少し前屈して体内で丹田から手足に光が届いていくように想像する。それから智能功・光の瞑想をした。これは三心併站功と光の瞑想を合成したものだ。この前やった禅密功・光の瞑想はこの応用編である。
お昼は教室にしている小屋に泊まっているメリヤがオートミールにジャムとバターをいれたのをくれた。メリヤはもとフィンエアのスチュワーデスで何かと面倒を見てくれる。立ち居振る舞いのきりっとした美人だ。
午後は外丹功の歴史と意味を話してから、簡略版をやり、自由動功から自然動功に誘導した。張宇先生のこの功法はもう鵜沼さんと私しかしていないのではないか。北欧には大いに広めているが。
いよいよ料理の仕上げで、結局18種類つくった。18人、私とカウコををいれて20人。もちろんその人数では少なめの皿もあるが品数で勝負だ。約束の七時半には七枚目のチヂミがやきあがった。みんなすごく食べて、どの皿もほぼ空になった。年配の女性たちが四回五回とおかわりをしたのにびっくり。全員が喜んでくれて一人一人「本当においしい」「びっくりした」と挨拶をしていってくれた。
カレーと稲荷を除けばほぼ韓国料理である。辛くしたのは二皿だけだが、それも皿をなめるようにしてきれいになくなってしまった。
私が洗うと言ったのだが、メリヤは「だめです。そんな足をひきずっていて、作るだけでも大変なのに」と譲らない。銘々の皿はもってきてもらったので、大皿だけなのだが、それでも途中でお湯が切れてしまった。「あとはお湯が出たらあたしがやります」と彼女は宣言した。へイッキに送ってもらって帰った。明日は七時半に迎えに来てくれる
2017年6月19日 2:57
フィンランドの蚊は大きくて
蚊の問題というのがある。
フィンランドの蚊は大きくて、凶暴である。そのわりに指された時に長く影響されない。私の血を吸ったにっくき蚊でも、ほんの二分ほどかゆいだけだ。でもうるさいし、付きまとわれるのは憂鬱である。
ヘルシンキには少ない。生存環境に合わない街づくりになっているのだろう。中部フィンランドの田舎に来ると、普通の日本人はびっくりする。夕方などはよってたかってというふうだ。外で気功をすると六月七月はこの問題がある。昼間もひどいが夕方は特に激しい。次々にうーんと耳に飛んできて、次々に襲う。これで入静はちょっと無理である。私が部屋の中でやろうとすると、みんなは外でやりたがる。入静を重視しないのか、なれていて入静できているのか。教師ばかりがおたおたしてしまう。
パーティの時は部屋の中だけでは狭いから、中でも食べられ、外のテラスでも食べられるようにセットするわけだが、必然的にドアは開けっ放しである。それからの二時間で私が殺戮した蚊は200匹に及んだ。ほかの人も平然と殺しているが、私ほど熱心ではない。特に傷口が好きらしく、そのあたりがさされもするし、殺戮ポイントでもある。つまり足元だ。ひさびさにこんな体験をした。いくらでも窓を開けておきたい環境なのに、残念なことだ。
蚊で本格的に悩むのは夏のラップランドだ。これはすさまじい。霞が立ったかと思うほどの蚊の大群が至る所にいる。土地の人は気にもしないが、観光客向けには肩まで網で覆える帽子を売っている。手足には薬を塗っておく。森を歩く時などとくにそうだ。記念に蚊を大写しした絵葉書などが人気だ。
蚊のいる美しい夏と、可のいない静謐な冬と、どちらを選ぶかは難しいところだ。
2017年6月19日 3:28
クオピオで三日間やり
最後の日だ。クオピオで三日間やり、ここの小屋で四日間の講習と三日間の樹林気功の講習をした。十日間休みなしだ。そのかわりこれから二週間は孤独な夏休みである。ここの湖畔のアパートで独りすごす。ときどき25キロ離れたカウコの小屋から買い物に来てくれるくらい。フィンランド人は夏至のこのときくらいは家族と過ごすものなので、講習をよびかけても誰も来ないのだ。日本からのツァーを受け入れたりはこの時期がいい。あるいはクリスマスの時期。ここしばらくしていない。
カウコの釣り仲間がオーストラリアから来ていて今日が最後の日なので、釣りにつきあっている。朝の時間は黙ってグルーミング(気功マッサージ)をした。朝食の時間を一時間はさんで、カウコの来た十時からは何をやりたいかをみんなに聞き、智能功光の瞑想と禅密功光の瞑想という注文があったので、それをした。雨がひどくなってきたので中に入り、易筋経の坐功をした。二度目だったのでみんないい境地になっていた。充実した四時間だった。
2017年6月19日 5:03
みんなに感想を言ってもらおうと
残り15分というところで、みんなに感想を言ってもらおうと思った。みんな二人で組んで話してというと実に雄弁なのだが、みんなの前でとなると日本人より話さない。簡単な感想をもらうのも容易でないのだ。なかなか手があがらないから、いちばん左から右回りにした。
「外丹功が環境気功だということを初めて知ってよかった。禅密功にもそういう面があって、普段強調していない。禅密功光の瞑想は気持ちよいショックだった。実際は初めてなのだが、ずっと昔にこういう風にやった気になった」
「とても自然で、気持ちよかった。たくさんの新しい気づきがあってびっくりしている。気功ってこんなに豊かなものだったかと思った」
「宇宙感覚がよかった。銀河系の外の何層もの宇宙なんてふだん考えたことがなかった。こうして両手を向き合わせるだけで、外宇宙もこの地球もまわりの樹木も出現させられる、なぜなら私は宇宙だからというのがすごかった」
「手と足がだんだんに通って来た。光の瞑想が特によかった。最初の瞑想だけと、智能功光の瞑想と、禅密功光の瞑想がすごく可能性を開いてくれた」
「宇宙に旅したのがすばらしい体験。なにもかもよかった。光の瞑想はとにかくすばらしかった」
「途中ではさんだ短い功法もいいなと思った。ちょっと体と気分を変えるための方法をいろいろ知りたい」
「手の間、体の中の感じを忘れない」
「面白い週末だった。わかりたいことがいっぱいです。新しい顔が出てくるという実感はまだないが、気功とはそういうものなんだなと思った」
「とくに自然と、樹木と交流できたことがよかった。最後の易筋の静功もよかった。尺八を吹くのも気功だと聞いてますますやる気になった」
「背骨感覚が大きく変わった。その歪みを知って治していく、そして延髄から脊髄液が流れやすいようにして行く。それだけで人生は変わると思う」
「30年津村と一緒に過ごしてほぼ毎年習っているが、そのたびごとにまったく新しいことがでてくるのでびっくりしている。易筋経の静功も今回初めて習ってとてもよかった。禅密功光の瞑想はすごく集中できる。成果に満足している」
「自然と交流する方法を習ったのはこれからの人生を変えると思う。草花を見ても確実に彼らの中に入れたという実感があった。自分にこんな集中力があるとは思わなかった」
「いろいろ刺激的で、好きだった。木との交流、光の瞑想、易筋すばらしいものを山ほど頂いた。ヘルシンキの講習にも行くと思う」
「禅密功の光の瞑想は大きな経験だった。いつもリラックスしている津村さんと一緒にリラックスしていた」
30分かかったが皆とても満足していた。ハグしあって別れたのである。
2017年6月19日 18:21
量を増やすため
サンドイッチをつくったのは量を増やすためと、韓国の物なんか食べたくないという人もいるだろうと思ってのことだ。「サーモンとサワークリーム、菜っ葉」を黒パンに、「海老サラダとアボカド1/4、ピクルス」を白パンにつくったのをリンゴとかサラダ菜とかとオーブンのてんぱんにサランラップをかけたのに並べた。
カレーの大きな鍋とライスがあるのと、稲荷ずしが60個くらい。
あとは韓国料理を並べた。
◆サラダ菜のチヂミ
実際には葱とサラダ菜と二種類作った。七枚焼いたがきれいになくなった。醤油と胡麻油と胡麻とニンニクのたれを添えた。
◆赤唐辛子の炒めナムル
唐辛子を大きくしたような真っ赤なのがあって、ほとんど辛くない。真っ赤な一皿があるとぎょっとするかなと作ってみた。少量赤唐辛子を混ぜた。
◆きゅうりの炒めナムル
炒めて冷菜にするのが炒めナムル。こちらの胡瓜は大きい。二本でボールいっぱいになる。1/4に切って塩、ごま油、にんにく、すりごまで調味する。
◆蒸し茄子とレイパユーストのの甘酢
なすは大きな太い賀茂ナスみたいなの。二個使う。レイパユースはチーズなのだが、いろいろな料理に使える。砂糖、塩、赤唐辛子、酢で調味する。
◆トマトのセンチュ
トマト九個を薄切りにしてオーブン皿にならべる。直前まで冷やしておく。長ねぎ、酢塩、サラダ油、醤油、おろしにんにくで調味する。
◆赤黄緑ピーマンのナムル
ゆでてカットし、ごま油、すりごま、おろしにんにく、塩で調味する。
◆キャベツのしそわかめ炒め
1/2個を千切りにしてしそわかめ炒め。
◆キャベツと胡瓜のマヨネーズ風味
残り半分のキャベツを極細く切ってとっておきのマヨネーズ半量と調味料あれこれで和える。
◆なすとブロッコリーのヤンニョムかけ
なすとブロッコリを別々にゆで、醤油酢、すりごま、砂糖、おろしにんにく、粉唐辛子、ねぎみじんであえる。
◆セロリの唐辛子マヨネーズ
ぶつぶつと大振りに切ったセロリにマヨネーズと唐辛子パウダー、生姜など乗せて、大皿の中の小鉢にする。
◆ズッキーニのジョン
ズッキーニを一センチ厚さに切って小麦粉と卵をまぶし油焼する。これは自分でもやりたい。
◆チャプチェ
春雨二つ戻して、ピーマン、なす、胡瓜、ズッキーニなどと炒める。これは最後にオープン直前に作ったので、余っている調味料を入れてしまって少し辛めにしたが、みんな気にせず飛ぶように売れていた。
2017年6月6日
今日は作りたくないというのが
昨日作ったら今日は作りたくないというのが普通なのだろう。その意味ではプロのように毎日でも同じことをやり続けられるところのある素人なので、もう少し研究してみたい。昨日のメニューを振り返りながら、あれはもう少し工夫をしたかったな、あれはわりにうまく行ったけど、本来はちょっと違うのかなと、いとしの朝鮮料理のことを考えてしまう。今日は控えめに、◆キャベツのしそわかめ炒め、◆ズッキーニのジョン、だけをしよう。あとは何もいれないチヂミを作ってすこしだけある小豆餡を巻くことにした。これはどこかからお𠮟りの声がありそうだから、一個だけである。
一日孤独でいると甘い物が何かほしくなるというのはそれこそ「甘え」なのだろう。そういう時のために70%とか90%のチョコレートがある。90%とは砂糖に類するものを10%しか使っていないという意味である。チョコ売り場の三分の一はそういう減糖チョコが占めている。そういえばこの餡にも減糖と書いてある。砂糖を入れたものをあとから取り出すのはすごい無駄だから、初めからほとんどの菓子は無糖にして、添加したい人だけが加糖すればいい。90%のチョコにすれば、10%の甘えになる。よしよし、という程度だな。
朝鮮料理研究はもう少し続くだろう。もってきたものはまだ全部使い果たしていないが、ごま油やニンニクや生姜はどこのスーパーにでもある。少し大きいところに行けば唐辛子いろいろ買いそろえられるだろう。そうだ。「ベジタリアン」にあったパジャンという葱のジャンを明日作ろう。にら、長ねぎ、とうがらしの入った醤油調味料で、見るからにおいしそうだ。
2017年6月20日 3:40
長いこと忘れていた
「朝露」を長いこと忘れていた。金珉基/キム・ミンギが作った歌だ。朴正煕政権では禁止曲だった。1980年の光州事件でも歌われた。抵抗歌とは思えないほどの、やさしい、美しい曲だった。今では不朽の名曲として韓国で歌われている、と書いてあった。李政美が日本語の歌詞も入れて歌っていた。
長い夜を暮らし草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように
心に悲しみがみのるとき
朝の丘に立ち微笑(ほほえみ)を学ぶ
太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か
私は行く、荒れ果てた荒野に
悲しみを振り捨て私は行く
朝鮮の人口はどのくらいだったのか知りたくなって、北が2500万人ちょっと、南が5000万ちょっとと書いてある記事を探した。在日の人が60万人くらいいるのかな。いやそんな不正確なことでなく調べてみると、2005年で特別永住者資格を持つ在日韓国・朝鮮人515,570人、日本国籍を取得した韓国・朝鮮人284,840人、長期滞在の韓国・朝鮮人82,666人、留学生18,208人が日本で暮らしている全合計 901,284人。樺太にいる朝鮮人は40万人ほど。そういえばスターリンの日本人の手先になるのではという疑心暗鬼によってシベリアからカザフスタンなどに移された人たちが50万人ほど。白頭山の中国側の延辺に80万人。中国の東北三省では180万人。アメリカ在住の韓国人は170万人。
そう、金珉基と会った時も、こんな話をしたのだった。金芝河が彼を紹介してくれたのだ。もともとは奇俊成先生が主催した日韓のシンポジウムに予告なしに金芝河が顔を出したことで始まった。私は廊下で単独インタビューをしてしまったので、日本からの仲間たちのひんしゅくをかった。でも意外なことに、「私の話を聞くのもいいが、きみの話をゆっくり聞きたい」と金芝河はいい、日にちを約束した。その席に金珉基もいたのだった。私一人が「尋問」を受けた。自衛隊のこと、日米関係のこと、日韓関係はどうなのかから始まって、長い時間を神道を理解したいということに費やした。たまたま天河神社と深いつながりができたころだったので、詳しく話した。軍国主義と結びつかない神社の伝統もあることを。そして気功の話もした。熊や虎のまね、それは江華島でやってもいい、ここに熊のダンスを持つシベリアや中国や東南アジアの人を集めようか。
八時間ほども話した。「君は友達だ」と金芝河はいって手を握った。嬉しかった。それから金芝河は病気上がりでもあるので帰り、残された五人ほどで痛飲した。
そのときに酔った勢いで金珉基に話した。朝鮮人はいろんなところにひろがり、分散していますね。あなた方が全部集まれるのは白頭山でしょう。樺太やカザフスタンや中国延辺やアメリカや、ぜーんぶ白頭山に集まって「朝露」を歌いませんか。音楽祭をやりましょうよ。それはいいね、やろうよ、と彼は言った。
それをずっと忘れていて、今日思い出したのである。
2017年6月20日 5:16
チェンと読む
金偏に爭とかいてチェンと読む。盤バンが続く。チェンバンクッスという皿麺があるのだという。鄭大聲が『朝鮮のたべもの』で書いている。
➀そば粉とじゃがいも澱粉で麺を作る。
➁牛、豚、鶏肉を柔らかくなるまでゆでる。肉は長さ五センチ、幅1,5センチ、厚さは薄く一、二ミリ。鶏肉は引き裂くのがよい。肉に煮汁と調味香辛料で味付けして三十分くらい寝かす。
➂金属製の皿であるチェンバン(どんぶりではなく底が浅い小型の金属盤)に15センチくらいの幅で麺を適量置く。
④ごま油、いりごまのつぶしたもの、きざみねぎ、にんにく、粉のとうがらし、しょうゆなどを合わせて薬味を作り麺とよくまぜあわせる。
➄皿を替えて平たく麺を敷く。
⑥きゅうりを厚さ三ミリ、長さ四センチくらいに切り、酢、塩、砂糖、すりごま、きざみねぎ、ニンニクなどを加えてよくあえる。
⑦麺の上に味付けした肉類ときゅうりを放射状に並べる。その間に錦糸卵、糸とうがらし、松の実などを適当にあしらう。
「これは冷たくて汁がないのが特徴であろう。牡丹峰(モランボン)公園の牡丹閣(モランガク)で味わったチエンバンクッスはもう一度食べてみたいものだ」ここでモランボンが出てきたのだ。初めて聞いたわけではなかった。
「私が食べたのは一人前ずつ皿に盛られたものだったが、元来チェンバンの皿は大きく多量に盛られたものを幾人かが爭うようにして食べるのでこの名がついたのだと、もっともらしい解説をしてくれた人がいたが、真偽のほどはわからない」と鄭さんは書いているが、私がソウルで食べたのがこれだった。奇先生にはいろいろな体験をさせてもらったが、この時は韓国人の気功仲間だったように思う。「津村さんを案内したいと思っていたんです。ここは北の料理の店です」いろいろ出してもらった後で、この四人前くらいの麺が出てきた。麺の上に様々な青野菜で大草原が作られ、とりどりの肉や卵や糸唐辛子が乗っていた。
ほんとうにおいしかった。大好きな冷麺やぴびん麺よりも。大草原を吹き抜ける風を知ったのだ。それ以来「北」の料理に憧れ続けている。
2017年6月20日 7:08
2013.04.22 (Monday)1
急に張壹淳先生のことを思い出してしまって(二)
2013.04.22 Monday
この坊さんの禅画ですか。これはさる知り合いの尼がおりまして、高麗紙を研究しているかたでしたが、今の紙は二百年、三百年でぼろぼろになってしまいますが、高麗紙は千年持つのです。金剛山の坊さんで絵の名人がいまして、その人がこの尼に十牛図を与えたときにそれを屏風にする世話をしたことがあったのです。そうしたら尼さんがその僧に頼んでわたくしのために描いてもらって、これをくれたのです。月を頭に、山川をからだに見立てて、月を指しておるのです。ここに書かれてある
是々非々都不問
山々川々任自聞
莫問西天安養国
白雲断処有青山
丁卯秋 三楽子題
というのはわたくしにぴったりと言われまして、自分でもそうだと思います。
この上に十字架がかかっているのが異様ですか。兄がまだ結婚もする前に、15歳で骨ガンで死んだのです。1938年のことでしたが、その遺言にカトリックの共同墓地に葬ってほしいとあったのです。そこに葬られれば見捨てられず、忘れらないだろうと。それで1940年にカトリックに入信しました。しかしカトリックには韓国人の生活にマッチしない部分があります。そのころはカトリックは先祖の祭りをするのを禁じておったのです。おじいさんがそんなのはいけないといって、神父と約束して、先祖の祭りをやめなかったのです。それで家の雰囲気は儒教もあれば道教も仏教もあり、キリスト教もあるというふうであったのです。
東学と出会ったのは、隣の五歳年上の兄さんが天道教の布教所をしていたせいによりました。天道は東学です。儒教も仏教も老荘も一緒になって。でも東洋の一般的傾向はそうではありませんか。
ハンサルリムの東学と天道教の東学ということですか。ハンサルリムにはなにも壁がありませんから、誰と対立するということはないのです。ただ、今、崔時亨の曾孫にあたる人がハンサルリム宣言を読んで、あなたは私の曾祖父に正しい光を与えてくれましたと言ってくれました。東学と言えば東学義挙のことになりますが、水雲、海月の考えは非暴力で、義挙をずっと抑えたのです。しかしすでに周囲から外国の軍隊が迫っていて、部下たちがこれでもやめろというなら東学は外国勢力を引き入れたという汚名を着ることになるだろうとまで言って,しかたなく同意したのです。水雲、海月の考えに随えば内乱状態になるということはまったくありません。そのもともとの考えを今の状況に合わせて正しく説くことが必要なのです。
新しい袋が必要でありましょう。あなたも去年のあなたではないでしょう。ひとつの団体も自分の改革を進めながら、歩んでいく必要があるでしょう。[今も天道教は活動していますが]天道教の中にいるわけではありませんから詳しいことはわかりませんが、外から見る限りはそのような面が足りないように思います。
ハンサルリムはまさに自己革新を課題としています。新しい状況に応じて変化していくことが大切だと思っています。
薬と言うものは高価であればいいわけではなく、体質に合わせ、タイミングを計らなければなりません。産業文明によって世界が死に瀕している中で、水雲、海月の話はタイミングのいい薬であるとハンサルリムでは主張しているのです。 海月はこう言いました。「おんな、こどもであれ、その行いと言葉が正しければおれの先生である」と。それが私たちの組織であり、人間関係のすべてであると思います。それが野の草一本にも尊敬を払う心というものでしょう。
2017年6月20日 7:15
2013.04.22 (Monday)2
急に張壹淳先生のことを思い出してしまって(三)
2013.04.22 Monday
自分の生活の体験から話して、生活に立ち返って行かないと、立派な話も生命力がありませんでしょう。四十歳のころにはこわいものしらずで、よく講演をしてまわったのです。今はこわいし、人に話すべきこともないし。南北動乱の時は、ちょっとしたことでたくさんの人が死にました。兵隊たちが塹壕を掘ってその上に並べて立たされて盾になって、おれ一人だけ生き残ったこともありました。韓国の状況は北の共産主義者でも、アメリカ流のやりかたでも解決できない。それに気づいたものが朝鮮動乱のときです。理屈だけでは解決できない宿題を、もがきもがき、あえぎあえいで、これまでの残りの人生追及してきました。そして本来の土の上で生きてきた人たちの思想をおれの思想としてきたのです。四十五年のときに、韓国の農民はよく知っていました。「アメリカを信頼するな。ソ連にだまされるな。日本はまた立ち上がる。朝鮮人注意せよ」これは大体正しいでしょう。韓国のやりかたはしいたげられた民族を平和と自由に導いてくれなかったのです。北もまたそうです。そういう考えを持った人は南にも北にも根を下ろすところがありませんてせした。いつも狙われ、直接に狙われなくともきわめて不安定な暮らしを強いられてきました。そして正直にものをいう人は牢屋に入れられてきました。それは北も南も同じことでした。いま韓国は新しい眼ざめに入ろうとしています。今までとは違った時代を迎えることになるでしょう。しかし韓国内の覚醒だけで解決されるものではありません。世界各国の平和を愛する人たちのつながりの中で進んでいかなければなりません。ハンサルリムは原州から始まったと聞かれたのですか。そういわれると困るので、誰がはじめたといったことはあまり問題になりませんでしょう。百年の単位で考えてみて、時代的にそうならざるをえないものが始まってきたのです。この運動の主役たちは五十年代の人たちです。彼らは金儲けも出世も関係のない人たちです。半島に自由と平和をもたせすためには真理が必要です。真理がなければ自由と平和はありませんでしょう。彼らは皆わき目もふらずに真理を求めてきたのです。朴議長も一生農民たちのために生きると言って私のところに来たのです。66年に原州に来たのです。その時に、「階級運動でなくて協同運動の中にこそ未来があるのてせはないか」ということを一緒に話したのです。それも計算の協同ではだめなのです。聖書にも出てきますでしょう。一日畑を耕すと5タラントくれる。朝から来た人も、夕方来て耕した人も5タラントなので、朝から働いた人はもっとくれるべきだと思う。実際、常識的には朝から十倍働いたなら50タラントでもいいと思います。しかし自然の国、自由の国ではそうではないのです。早く来た人も5タラント、夕方来た人も5タラント、そういう協同でいいのではありませんか。もともとヨーロッパから来た消費組合や信用組合、生産組合と言うのは、産業革命以後しいたげられた人たちが身を守るためにしたことでありましたが、今は大企業の下請けみたいになってしまっています。地球があぶないようなにって、「信用」も「協同」も違う概念にならなければなりません。どう変えていくのかは、できあいの答えがないのです。何でも答えが出ているように思っている人は幸せだが、それは幻覚にすぎません。その人の体験との対話によって見つけていかなければなりません。まさに創造的進化が求められているのです。みな兄弟たちがそれぞれに真実を発見しているでしょう。日本でも今までなかったような大きな見方が出てきましたね。こんどのアイヌやインディアンなどの出会いは大きな意味を持つものと思います。
急に張壹淳先生のことを思い出してしまって(四)
2013.04.22 (Monday)3
高野 威
6月20日 7:31
急に張壹淳先生のことを思い出してしまって(四)
2013.04.22 Monday
韓国の指導者張壹淳(チャンイルソン)先生への1990年のインタビューの四回目の分載である。 ずっと張先生の自宅で話をしていた。墨と筆がすぐに出てきたのはそのためで、ここでの話を終えてから、うなぎや川魚を食べさせる料理屋に行って、川の中の東屋で夕方まで話した。続きを聞いてください。
何もみやげにさしあげるものがないので、墨でいたずらをさせてください。絵とか書とかいうほどのものではないので、いたずらといつも言っているので、気まぐれなものです。
まず吉田先生。
「天地與我並生 万物與我為一」
荘子の言葉ですが、生命万物の溶け合っていく境地が今の課題でしょう。
津村さんには
「始皇帝栄不如野一草」
とまた別の蘭を書いてさしあげましょう。秦の始皇帝は何かを守ろうとしてたくさんの犠牲を出しながら万里の長城を作ったけれども、守ろうとしたものはすでになく、ただ死の残骸が残っているだけです。とすればそれは朽ち果ててはまた元気に生えてくる一本の草のほうが連綿たる生命を今に伝えているわけです。だから、どんなに立派に見えるものも死んでいれば生きた草に及ばない。それがハンサルリムでしょう。それが関西気功でしょう。 木村さんには
「地蔵大悲」
あなたの被差別部落の子供たちを集めての活動の話を聞いていたら、こう書きたくなりました。自分のためでない大きな悲しみのことです。
ほかに差し上げたい方があれば。なかなか機会のないものですので。ああ、陳舜臣先生はハンサルリムの討論に参加していただいたのですね。もちろんお名前は存じ上げていますし、何冊か読んだことはあります。でも直接存じ上げないから、津村先生を通じて、と書きます。谷に蘭があって、風雨と楽しみを同じくしているという意味です。
もうひとつだけしましょうか。関西気功協会の事務局ですね。一番大事な、しかも目立たない仕事をしている方たちですね。本当によろしく伝えてください。
「膽彼闋者」
これも荘子の人間生篇です。欠けた者を見る。気と言うものは見えるところを見るのではなく、見えないところを見なければいけませんね。[彼のとざせる者を膽(み)れば、虚室に白を生ずとは、吉祥のむなしきに集まることを白光の虚室にさしこむことに譬えたものであるが、膽彼闋者という言い回しは詩経の中にもいくつか見えている―福永光司『荘子内篇』]
いや、庭を手入れする暇もありませんので、草の生え放題です。ほこりだらけでお恥ずかしいことです。革命と言うのはなぐることではなく、なでることだとおもうのです。相手が倒れていれば立たせて提携するようなものでしょう。もともと万物が偉いのです。草一本への尊敬と言うのは、気に入らないものにあったらなくなってしまうようなことでは困るので、まちがった考えを持っている人もまた一本の草同様に尊敬されなければなりません。もともと全部偉いのです。
小さい時から兄と姉はいつも一等でした。おれは一等をやったことがないので、いつも父ちゃんからばかにされていました。そのときおじさんが「立派にやったよ。次はもっと頑張れよ」と言ってくれて、そのときにいろんなことを考えたのです。二等以下がなければ一等がないのです。最下位までずっと同じ価値があるのであって、それを認めないと一等もないのです。
ソウルの繁栄は死んだ繁栄です。草一本の美しさと言うのは宇宙全体の生命が宿っているからです。ソロモンの都よりも一本の百合のほうが、という聖書の言葉を若いときはオーバーだと思ったのですが、年取ってきたら本当のことだとわかりました。泗瞑堂の先生である西山大師のこういう詩があります。
萬国都城如蟻至
千家豪傑若酢鶏
一窓明月清虚枕
無限松風韻不斎
[酢は酉に去、皿などの字だが私の手元の漢和辞典にはないので似た意味の字をおいておく]どこの都も蟻の家だし、そこに集まる豪傑も酢の甕に集まるハエみたいなもの、自分は窓から差し込んでくる月光を浴びて松風を聞いているのがいいということでしょう。
美しい話があれば人に伝えねばなりません。このあいだ聞いて嬉しかったと伝えることができましょう。それがこんにちのバイブルなのです。時間も空間もへだたっていても、美しい話はその役割を果たします。福音というものは出会いの中にあるので、ほかにないのです。七十年代に政治犯が裁判を受けた中で、その家族が一人しか傍聴できないことにされたのです。その家族がしっかり勇気をもって被告とされた人たちがどんな話をし、どんな美しい言葉を吐いたのかを外に伝え、外国の友人たちに伝えなければならなかったのです。国内は凍えていたから、その言葉を外国に伝えることが大事な仕事でした。実際、六十年代、七十年代の国際的なつながりがなければおれたちはとてもやってこれなかったでしょう。あなたが金詩人の言葉をしっかりと日本の友人たちに伝えたのも、同じように大切なことなのです。
金詩人といえば、鶴見俊輔さんが訪ねてくれた時のことは忘れることができません。金詩人はとても日本人を憎んでいたので、わざわざ遠くから会いに来てくれた鶴見さんたちに「You can not help me.I can help you Japanese」と傲然と言い放ったのです。でも鶴見さんはなんとか金詩人の心を開かせようと翌朝また行って「散歩しよう」と誘ったのですね。そして海辺を歩きながら「ああ、この霧は美しいですね」と言ったのです。そうしたら金詩人は「しかし昼間太陽が真上に来て霧が晴れれば汚いところです。日本もやがてそうなるでしょう」と言いました。二度までも鶴見さんたちを傷つけてしまったのです。
許してください。日本と韓国の関係の中で、親の罪を子が引き受けなければならないことはあるのです。しかし、ここでは人間が人間を救いに来たのですから、金詩人の態度はいいものではありませんでした。
でも、それで帰すのはあんまりだと思ったかどうか、原州に張という者がいて、その人に会ってみてくれと金詩人は言ったのです。そして鶴見さんは仲間たちから離れて、一人で私に会いに来てくれました。そして七時間も話したのです。たった一杯のビールを前に、七時間話し続けました。こうしたつながりに支えられて韓国も変わってきたのです。
ハンサルリム宣言はまだ骨組みだけのものです。おれたちの飯は一汁一菜で十分なのです。まわりにたくさんキムチをおいてもおかなくてもかまわないのです。そういう気持ちで宣言を作りました。あれを読んでまだこなれていないと思う人もいるでしょうが、ここから始まるものを大事にしたいのです
2017年6月20日 8:05
転載しておいた
JUGEMの古い記事を偶然見つけたので転載しておいた。金芝河や金珉基のことから、自然に彼らの先生だった張壹淳の話につながっていったのは、用意された道だったのかもしれない。一説によれば張先生は李承晩大統領の対抗馬として多くの人の支持を集めたのだが、本人はその気がなく、生協運動を始めてしまったという。本当に人物の大きさから言えば韓国大統領で不思議はない人だったが、もっと大きなことを考えたかったに違いない。離れていたが要所要所で書画を送ってくださり、吉田先生を通じて「息子のように思っている」との言葉もいただいた。80年代から90年代には、日韓中がひとつのプロセスの闘いを共有しているという意識があったのは主として張先生のおかげである。先生の葬儀には行けなかったが、吉田先生が行かれて何千人も集まっていてびっくりしたと言っておられた。死後に老子についての二冊の本を送ってくださったが、ハングルのままでおいてあって、恥ずかしいことである。
・・・HOMEに返る2017年6月20日 8:56
雲が全部ピンクに染まって
いま午前二時半。雲が全部ピンクに染まって、夕焼けである。まだ青空が広がっている。もう二時間もすれば一瞬真っ暗になって、それから徐々に朝焼けが始まる。一応太陽は北にしばらく隠れる。これが北極圏のラインを超えると(ここからはまだ日本列島の半分以上離れている)明日一日は太陽が沈みそうで沈まない。一瞬真っ暗にもならない。地表すれすれに着地したかと思うと飛び立っていくのだ。その瞬間女の子が水をのぞきこむと、自分が愛し合える男の顔が映るのだといわれる。ヘルシンキからイナリまで、ダンスパーティが開かれる。ここから十日ほどは、辛うじてスーパーはやっているが、ほとんどの店は休む。会社も学校もない。昼間からバーもいっぱいになる。この時に講習をしても誰も来ないので、私は孤独に読んだり書いたりして、ほとんど誰にも会うことがない。読んでやろうという文庫本が八冊机につんであるが、これを読むということは仕事をしないということだから、孤独にも戦いがあり、リラックスにも葛藤があるのである。
・・・HOMEに返る2017年6月20日 20:43
包帯は手洗いで洗面所の流しでする
盛大に洗濯をした。包帯は手洗いで洗面所の流しでする。一回に七八枚しか入らないから、二回する。洗濯石鹸を持ってきていて、これでまず血の染みを取る。両足とも血が少し染み出ていて、そうとう広範囲だ。ざっと二回洗って、あとは栓を抜いてしまって湯を流しながらゆすぐ。一つずつ軽く絞ってサウナに投げる。サウナはつけていない。場所をかりるだけである。それは点けたほうが気持ちよく乾くが、もったいない。二回繰り返すと16本できる。流しがかなり油汚れが付くのでその都度洗う。
パンツくらいは手洗いもするが、たまったら洗濯機を使う。日本のように窓がついていたりしない。それは我が家のも同じだ。我が家のは一応全自動だから、洗い終わるところまでは一貫工程だが、脱水機はついていない。ここのは絞りがなく、濡れたまま終了する。わからない。読めないだけかもしれない。さいわいフィンランド語でなく英語であるが、どう見ても脱水というスイッチはない。この前も濡れたのを取り出して絞り(ズボンなどかなり力がいる)サウナに干した。今回もどうもそうするしかなさそうだ。これも一回では入りきらないので二回にわかる。ときどき順調に回る音がするかと思うとがががっという恐ろしい音を出す時もある。何かが詰まるせいではなさそうだ。これもサウナに並べるとすぐいっぱいになりそうだ。ハンガーにかけられる物は空の洋服ダンスに下げる。洗濯も二工程になる。もう一度洗うのは半日仕事である。ずっとぶつぶついいつづけ、ちょろちょろ排水したりまた水をいれたりしている。書いたり読んだりしながら、待ってみるしかない。
2017年6月21日 6:45
籠城体制である
さて今日から10日近くは籠城体制である。カウコがたまに来るかもしれないが、来なくてもやっていけるよう、昨日と今日ですべての食材を揃えた。たいしたことはないので、冷蔵庫が1/4ほど埋まって肉類とか魚の冷凍とか入り、そのわきの棚にはこちらのスーパーにある野菜をいろいろ一個ずつ(ズッキーニと唐辛子、葱だけ少し多めに)そろえて、米も買った。チョコなども少し。薬もちょうど半分残っているし、今日は大洗濯をして着るものも安心だ。読む本もあるし、ネット散策もはてしなく面白い。だがそうして流されていてはいけない、と少し気を引き締める。レジュメを作り始めた。すぐにその形で書けるかどうかはともかく、作る本の骨格を組み立てていくのである。ここ数日の乗りで私の朝鮮半島との長い付き合いを書くとしたら、どんな風になるだろうと書いてみる。金芝河については二冊のけっこう分厚いパンフがあり、奇俊成先生の書いたことにも、健康法のことだけでなく『天皇は韓国から来た』などについても。内丹の教科書も作りたいし、簡単な導引や呼吸法についても役に立ててくれる人はいるかもしれない。
そうだ、フィンランドの気功の教科書が必要だとカウコとはなしていたんだっけ。トンミの本には気功入門も書いたけれど、やはり中心は圧倒的に禅密功である。簡単で総合的なものがほしい。香功もぜひ入れたいと彼は言った。
それを思い出して、今日目次を作った。フィンランドの気功の教科書。こちらで売るタイトルはどうつけてくれてもいい。
第一部
1 気功の一般理論
2 教室で気功をする・自宅であるいは戸外でする
3 森の気功
4 導引と内丹
第二部
1 背骨ゆらし
2 香功
3 波動功
4 光の瞑想
5 智能功・光の瞑想
6 禅密功・光の瞑想
7 坐ってやる亀蛇気功
1の1を
気功の簡単な歴史
気功を成り立たせているもの
どんな気功の指導者がいて、どんな活動をしているのか
気功と瞑想、気功とヨガ、気功と禅、さまさまな隣人たち
気功で友だちになる
と五つに分ける。そのまま書き始めてしまった。こんな本は日本でもいるかもなあ。カウコはこれをグーグルに放り込んでから刈り込んでいこうとしているのだ。
・・・HOMEに返る
2017年6月21日 18:47
処理することでいろいろ工夫をする
残り物を処理することでいろいろ工夫をする。考えてみればずっとこの調子でやってきた。子供の頃母に教えられたのもそのために材料を揃える料理ではなく、残り物からいかにおいしそうに物を作るかだった。母はけっこう高等教育をしていたことに今更ながら気がつく。私の『今日も一日おいしかった』はこの「きのうから、あしたへの料理」だった。「今日の料理はおじさん料理だ」と断言してはばからなかった。海外に出ると、こういう能力が試される。
いや、お昼のことを書こうとしていた。たいしたものを食べたわけでもないが、日記代わりである。タイの海老ラーメン小さいサイズが残っていた。これに葱と白菜の尻尾の方を少しつまんで入れ、トマトもオイルで漬けたのがあるから参加してもらう。干しシイタケもほんの二枚ほど。海老ラーメンと言ってもむろん海老のこんせきもなく、風味もあやしい。スープと唐辛子とオイルが入っていて、これは日本のより感心だ。ただし海老ラーメンとチキンラーメンの区別はつかない。これにチリを小さじ5ほど加えてみる。もったいないので豆板醤や辣油は使わず、EUのチリである。これはもう一袋買ってある。なかなかの味になった。
小麦粉の袋が破れて、漏れたりしていたので、寄せ集めて卵と水をまぜてパンケーキにする。細かいネギの根っこの方がのこっていたから刻んで混ぜる。二枚、こんがりというくらいに焼く。一枚はサーモンソースと醤油で食べ、一枚はアプリコットジャムで食べてみる。アプリコットジャムは150円くらいのだとアプリコットらしい伸びのある味がなく、ちまちまとした味だ。次は少々高くてもいいものを買おう(八段階くらいあって目的別に買うのだ。節約だけしているとみじめなことになる)。でもちょっとサワークリームの残りを乗せてやると、うまい。
これと、TUCのベーコン味のクラッカーを二枚。これ以外だとつままれるので、ベジタリアンのカウコがつままないようベーコン風味にしているのだ。あとは紅茶。イングリッシュ・ブレックファストの安いのが出ていたので買った。
2017年6月21日 20:03
気功の教科書の一節だ
フィンランド向けの気功の教科書の一節だ。すでにある文章から借りて来て少し変えた。
指導とか教育ということには、ある種の権威がつきまう。権威そのものが悪いということはない。教師にも全く権威がなければ、あまり真剣に習おうという気持ちはおきないかもしれない。その権威の内実はなんだろうか。気功について一定の経験があって、広く深い知識を持っているというのがまず第一のことだ。気功についてあまり知らない人から気功を学びたくないと誰でも思うだろう。
しかしただ情報を受け取りたいということだけだと書物やDVD、インターネットですむということにもなる。しかしその指導者からの「気」ということになると、直接に向き合うことでしか得られないのかもしれない。
関西気功協会という組織がかつてあった。創立から解散までの13年間、ずっと私が代表をしていた。この組織が90年代につくっていた入会案内がなかなかユニークなものだった。
関西気功協会では「四つの原則」を挙げていたのだ。それは
《気功ブームに反対はしない》
《偉い先生を尊敬しないわけではない》
《お金がほしくないわけではない》
《中国気功を中心としないわけではない》
という四つだ。中国と日本の気功ブームにはさまざまな社会の病が反映されていて、気功という名称を捨ててしまいたいと思うこともしばしばだったが、われわれはずっと気功の名誉を守るために闘って来た。しかし「あの気功は偽物だ」と言い出すと自分自身が流派システムに巻き込まれてしまうし、あまりに多くの時間を批判に費やさなければならなくなる。だから反対はしたいが、反対しないで、正しいものをつたえつづけるしかない、というのがこの《気功ブームに反対はしない》の項目だ。
中国の経験ある気功大師や研究者にたくさん学ぶところがあるけれども、その誰かに従属して拝跪することはしない。尊敬するが、支配されない。それは私自身も同じことで、求められれば指導するが、支配しない。いいものを手渡して、それをどう発展させるかは各自の仕事であり、弟子として囲い込むことはしない。これが《偉い先生を尊敬しないわけではない》ということである。
お金があればいいことに使いたいが、お金のために働いているわけではない。長年の時間と資金の投資を背景にした経験知を手渡すにはそれなりの対価を支払ってほしいというのは当然のことだが、学ぶ人の実情に合わせてむりのないようにし、経済よりも公の広場を作ることを優先し、経済が一人歩きしないようにさせる。これが《お金がほしくないわけではない》ということだ。
そして私たちは中国気功を大切に思い、それを中心にしていくが、中国気功がすべてだという独善に陥らずに、人体について、天人合一に、世界各地の伝統を学び合い、英知を集めていきたい。ハワイのフラも、アイヌの自然医学も、ラップランドのシャマニズムも、アボリジニの世界観も、ラコタインディアンのサウナも気功と同じように扱いたいが、そのつながりを解明していくには気功が必要だということである。これが《中国気功を中心としないわけではない》ことである。
この四つの二重否定は、「気功を信じないわけではない」ということの具体化だ。関西気功協会はなくなったが、この四つの原則は気功文化研究所に受け継がれている。
2017年6月22日 0:46/p>
足の薬と内臓の薬と飲んで
包帯をすっかり取り換えて、足の薬と内臓の薬と飲んで、洗った包帯を取り入れて巻き、古い包帯を水に漬けてとしていたら、やっぱり一時間半かかってしまった。たいしたことをしていないのに、なにか気分がぐったりである。
今日は少し複雑な料理でもするか。パジャンというねぎヤンニョムを作りたいが、にらが田舎では手に入らない。ヘルシンキには普通に売っている。ま、ないものは仕方ないとしてねぎをふやし、ほかの少し頼りない葉っぱをあれこれ入れてみる。唐辛子はたっぷりある。これを醤油、すりごま、粉唐辛子、中唐辛子、ごま油、おろしにんにく、砂糖少々という具合だ。とりあえず作ってみる。
チリを使ってキムチもどきをつくれるだろうか。少量で試してみよう。チリだけというわけにもいくまいが。ヨーロッパの在留者はどんな工夫をしているのだろう。ネットで調べられることもあるだろうか。
白菜や人参やズッキーニの鍋を作る。カウコの分を少し取ってから、私のには辛味をかなり入れ、魚と豚引き団子を入れる。カウコのほうは冷凍の魚とチーズだけ。なぜかというと、今日から三日間、カウコはここにベッドを持ち込んで滞在する。私のベッドは広い居間にらくらくおけるから、独立したベッドルームを譲る。エレナの妹が来て、少し気難しい人のようなのだ。カウコはテントにいるのも目ざわりというわけだ。カウコが来てもマイペース暮らしは変わらない。
2017年6月22日 2:00
ニラが手に入らないから省略だ
パジャンはできた。ニラが手に入らないから省略だ。それでも十分においしい。ご飯を炊く予定でなかったが炊き立てにこれを乗せたいと思った。ごはんにいり卵を乗せてこれをかける。美味しくないわけがない。明日かな。
キムチはちょっと調べて、この町にあるもので十分作れることが分かった。白菜はもう少しいくつか買ってくる。大根、細葱、ここでもニラだがあきらめよう。人参、りんご、ニンニク、ショウガ、アンチョビフィレ、たまねぎ。唐辛子をとにかくチリで代用するしかない。明日カウコに頼んでもうすこし買い物の追加をする。ずいぶん前だがドイツに住む日本人が在ドイツ韓国人にならったというのをまねてみたことがあった。
シチューは今熟成中だ。残り野菜あれこれ。とことん煮込んでミルクと生クリームで味をつける。ここにタラの冷凍を、大きなのだが四つに切って入れる。辛くするのは自分の分だけにする。
料理をしたり考えたりしている時が一番元気そうだ。
2017年 6月22日 4:58
気功を非理性のレッスンとしてとらえている
先ほどの続き。気功を非理性のレッスンとしてとらえている。
「気功を信じないわけではない」というのは私の基本中の基本のスローガンだ。簡単に言うと練功しているときは批判意識を持つべきではない、練功が済んだら存分に批判・批評すればいい、ということだ。これは当時は言わなかったがもともとマルクスの言葉だった。彼は「食事をしているときは批判をせず、おいしいものを最大限に味わえ」と言った。そして付け加えた。「そして食後には批判を」。これはとても有名な言葉だが、食べ終わったらその料理の批判をしようという意味ではない。
批判・批評・疑問を持つことは理性の一番大事な特性である。しかし、理性では気功ができない、ということが重要なことだ。フランス革命以来、理性は万能だと思われた時代があった。でもそれは「私の意識=理性」という自我中心主義(エゴセントリズム)でしかなく、万人にとっての理性というのは幻想に過ぎなかった。むしろそれは自分が理性的でないと思う他者を抑圧したり、「理性化」するために閉じ込めたりという方向に向かった。ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』の中でこのことを詳しく書いている。監獄は「犯罪人=非理性」という図式から、理性のない人を収容する施設として作られた。日本の伝統社会では「与太郎さん」と呼ばれて機能を果たしていた精神病患者が、監獄と同じ建築思想で作られた精神病院に収容されるようになった。もうひとつ、重大な「非理性」の存在は子どもたちだった。感情や身体性か見えなくなって、理性が暴走したのが近代の特徴だった。
気功は盲目になった理性に感情や身体性を取り戻していくものだ。当時中国から来た先生が言ったものだ。「ブッシュにもフセインにも狂気と化した理性にかわって身体性をとりもどさせてやりたい。気功を伝えたい」と言っていた。
食後にはお腹でもさする気功をするのが一番いいと私は思う。それがすんでから批判的になるのだ。
2017年6月22日 13:25
批評意識を持ったままだと
気功をしているときに批評意識を持ったままだと気功態に入れない。なぜなら言葉を介さずに「存在を味わう」姿勢がないと気と一体になることができないからだ。これは指導者論というより気功態になるための方法の問題なのだが、この肝心なことをわかっていない指導者が多すぎるのが困りものだ。わかっていないというのは全然きづいていないか、さもなくば中途半端に気づいて、指導者の影響力を高めるために使ってしまうからなのだ。右脳状態では暗示的な言葉はすっと深層意識に入り込みかねないので、気功の指導中に自分をひそかに宣伝したり、働きかけを強めようとする指導者に対してはけいかいする必要がある。安心して気功の場をまかせておける指導者とは、少なくとも練功中は自分の宣伝はしないものだ。知識をひけらかしたり、経験を強調して事実上宣伝することも含めて。また練功の最中に理論を話してもいけない。理論は批判的状態の脳に対して伝達すべきだからだ。さもないと、理論の背後の「私は正しいのだからいうことを聞け」というメッセージだけが入っていくからだ。だから私の場合は練功中には「動作のしかた」と「操作のしかた」以外絶対に話をしない。感じ方を誘導する場合もあるが、それはあくまで「こう感じる人もいる」というサンプルとして出す。こう感じなさいというと受講者が自分の体から得る情報の幅を狭めてしまうからだ。つまり感受性の世界に「正しい」「正しくない」を持ち込むのはもっともよくないことだからである。(この文章は20年以上前に書かれている。引き合いに出している「指導者」はすべてモデルがいる。今ではどうでもいいことだが間違いのパターンは今ものこっているようだ)
2017年6月22日 22:25
スオネンヨキに買い物に行った
50キロ離れたスオネンヨキに買い物に行った。エレナが妹と姪とつれて先に行ったので後を追った。キムチの材料も買いたい。
ヨキは川のことだ。フィンランドの、という意味のスオメンかと思ってしまうがスオネンで急流のというような意味らしい。小さな集落だが、素敵な喫茶店があって、エレナたちはもう坐っていた。懐古趣味というのか、古い写真や地図、昔のラジオや扇風機がおいてあり、机椅子のセットも古い。甘い物はやめてサーモンパイとコーヒーを頼んだ。妹の娘さんは「少しおかしい」というがそんなようすはなくて、普通に話し笑っていた。あれを無口というなら私の方がよほどおかしい。料理人をめざす17歳である。
Sマートもヴェサントよりは少し大きい。白菜四つ買って、唐辛子いろいろ買った。キムチを作ろうとしている。大根やニラはなかった。ないなりに仕方ない。今夜はまず塩漬けである。計って買った時のグラム数があるので、それで塩を割り出していこう。ボウルも何もないので、バケツを一つ買った。りんごを入れた写真がついている。
2017年6月22日 22:56
蒸らさなくていいよう
ごはんを炊いた。蒸らさなくていいよう、少しだけ水を多くした。目的はパジャンの試食である。パジャンは醤油と葱の微塵を主体に、ニンニク、唐辛子、すり胡麻など混ぜたミックススパイスで、この味を知るにはごはんにスクランブルエッグをのせてパジャンをかけたらいいとジョン・キョンファさんが書いていた。まちきれずに、まず生卵である。なるほどこれはおいしい。ただごとではない。いままで生醤油だけでやってきたのが馬鹿みたいだ。スクランブルを作ってもう一度。ああ。こんなうまいものがこれだけの手間で作れるしたら。キムチ作りにとりかかる私でした。
2017年6月23日 5:02
陰陽の法則
「正しい」「正しくない」があるレベルでしか問題にならない。そのことをきっちり位置づけたいと思って脳の仕組みをこのあと語っている。といっても簡単な図表である。
脳の上下と脳の左右を単純に図式化してみた。
《脳の上下》
【前頭葉】
理性の拠点。つねに過剰な血液。気功によって抑制する。つまり血行を減らしてやる。これが「正しいか、正しくないか」をいつも判断しようとしている部分だ。あらゆる静功はこの血行を減らす為にあるが、気功が最も徹底している。
【旧皮質】
感情の拠点。抑制されているので、気功で活性化してやる。血液量が増える。「美しい、美しくない」の世界である。五禽戯に代表される哺乳類の気功が旧皮質を活性化する。
【視床下部】
感覚と自動調整。抑制されている。気功によって活性化する。血液量が増える。「生き延びられるか、生き延びられないか」の世界だ。亀蛇気功や背骨ゆらし、禅密功など視床下部気功がこれである。
《脳の左右》
【左脳】理性的・批評的・文字的・論理的。「同一か同一でないか」で世界を見る。
【右脳】イメージ的・共感的・図像的・感覚的・相似律。「似ているか、似ていないか」で世界を見る。
これは90年代の脳研究の成果だが、この大雑把さでは今でも通用する。
気功は現代社会の需要が「前頭葉中心主義」であり、また「左脳中心主義」であるので、「感情中枢や感覚中枢の復権」を目的として「右脳の復権」という方法を通じてそれを獲得していくものだ。ということは、この目的に沿わない気功指導をしている人の元で気功をを学ぶのは大変不幸であるということだ。これは気功入静についての理解が浅いために生ずる指導上の欠陥だ。それも、根本的な欠陥である。
◇気功指導は、受講者が自分の脳を正しく認識し、しかも「正しいか正しくないか」の世界から脱け出して旅をすることをたすけなければならない。
◇気功をする間は右脳状態を保証しないといけない。練功が終わったら理性を取り戻さないといけない。その切り替えを導くことが指導者の最大の仕事である。
これについてはこれ以上言わない。ただ、気功で自分の脳をどう使っているのかということはずっと気にし続けてほしいものだ。
2017年6月23日 6:05
半分本気で毛沢東の言い回しを借りて
私は半分冗談、半分本気で毛沢東の言い回しを借りて、「封建主義と資本主義に反対する」と言ってきた。これは気功を伝える姿勢のことだ。
封建主義
封建主義とは旧来の流派システムの中で、師匠への絶対的服従のもとで、自分を無にしてひたすら習うというやりかたである。自分の浅い経験の中で、浅知恵で考えてやるよりは、一定期間判断放棄して、誰か経験のある人に従ったほうがいい、ということにはリアリティがある。ただその場合
?その指導者とその功法が自分の目的と気質に合っているかどうか、最初は判断できない。
という重大な欠陥がある。また
?弟子を引き付けておくために、大切なことは10年、15年して教えようとする場合が多い。もちろん、成長しないと教えられない密教的なことはあるとしても。たとえば田瑞生先生に香功の上級功を習おうとした人はすべて体よく追い払われたが、私は「上級功は実はなかった」とずっと思って来た。それはカレンダーの中のいくつかのありふれたポーズ以上のものではなかった。
?本当にいい指導者かどうか、いい功法かどうかは比較研究しないとわからない。気功の常識を全く伝えられない先生であったことがほかの教室に行って初めてわかる場合もある。
だから、初めて触れたときには感激して、「この先生に一生ついていく」と思っても、じきに醒めて、醒めたほうが幸福だったというケースがとても多い。それでこれをやや過酷な言い回しだが、封建主義気功と呼ぶことにする。それは何百年もの間、流派システムの中で繰り返されて来たことだからだ。
資本主義
資本主義というのは「開放中国」で新しく表れてきた傾向で、お金さえ払えばなんでも教えます、あとの責任は買った人にとってもらえばいいというスタイルだ。法輪功や中華益智気功などのように純粋に金儲けのために作られたものもある。
日本の方が資本主義なら先輩である。カルチャーセンター型の気功も、普通はこうした浅いつきあいにならざるをえない。気功を断片化することで初めて商品化できるという場合は多いだろう。
では何が望ましいのか
「封建主義と資本主義に反対する」というスローガンは、「気功という商品」について分析するのには役に立つが、ではどうするのか、というと簡単な答えはない。「社会主義」?今やだれもそれが資本主義にとってかわるものとは思われていない。社会主義的な気功教育ということは中国でさえ議論されていない。
「封建主義と資本主義に反対する」と半分笑いながら、半分苦々しく言い出した時にその両方に対立する気功伝達の人間関係として想定していた言葉がある。それは「道友」という言葉だ。
今や古典というべき『気功への道』(1990年)でこの言葉は三回出てくる。
「ではどんな道があるのか。それを示唆してくれたのが1989年天台山に行ったときに王松齢先生が言っておられた【道友】という言葉です。王先生は学術的にも実際の功夫の面でもれわれとは比べようのない高い水準の方ですが、あくまで同じ道を歩む友人としての対等の関係を作ろうとされていて、【深い信頼はあっても従属はない】【気軽に何でも伝えてくれるが、それは受け手の徳を見て伝えているので、金を見て説いているのではない】という印象をここ数年の接触から感じ続けてきました」
「日本ではどうでしょうか。日本の気功の現状を見ながらこうした方向で物をいうのは、そうとうに楽観的でないとできません。しかし一歩一歩道友の輪がひろがっていくことを私は疑いません。幸いに日本人は飽きっぽいのでブームは遠からず去ることでしょう。ブームの後にこうした課題が正面に据えられていくことでしょう。その時に備えて、隊伍を調えておきたいものだと思っているのです」
「気功の道というのは、仏教や道教がこれまでさまざまな角度から追求してきた、この自己救済と世界救済の間の細い細い道をたどることにほかなりません。その道をともに歩んでいく道友となることが、つまりは気功に入門するということなのです」
2017年6月23日 6:55
道友の集う場という意味で
六回連続の最終回。
この道友の集う場という意味で「道場」という言葉にも新しい光を当てようとした。
「人びとがともにいれば、気の場ができる。道の体認への方向性を持った気の場を道場と言ってもいいでしょう。道場というのはなにか手垢のついたことばですが、関西気功協会が「世界が全体健康にならないうちは私の健康もない」と言ってスタートしたときに求めていたのは、こうした本来の意味の道場でした。いまその不定形の道場が少しずつ見えてきているようにも思います。ひとりひとりの気づき、ひとりひとりが内部に宇宙を見出していくこと以外に気功の道はないのですが、それが見えない場を持ち、見えない方向を共有していくとき、不健康な社会を変えていく現実の力になっていくかもしれません」
こう書いてから27年が過ぎた。この道友という言葉もいろいろな立場で使われて、良く知られて来た。関西気功協会という道の場は機能しなくなってきたので形骸になる前に終止符を打った。しかしこり「道友」を見つめて「道の場」を作り続けてきたのは昔と同じだ。
現実には、気功指導者はそれで収入を得ている限り、学生との間は「友だち」だけの関係ではありえない。「顧客」であるということから逃れるわけにいかない。また経験の差によって「指導・被指導」ということも「友だち」では済まないシビアな責任をともなって厳として存在しているのだ。
気功の指導は、指導者の長年の自己研鑽のための投資に見合った適正な価格で提供される必要がある。それだけの質の気功を学んでいきたいと思う人の意欲とのバランスでその価格は決まってくるだろう。
気功の授業では、たとえ一回きりの関係である場合にせよ、責任と権威を持って、気功について最上の情報を提供していくという努力がなされるべきだ。それは毎回やられるたびに、「なん前年の歴史を持った気功の、これまでのところ最後の授業である」という自覚をもってなされるべきです。本当に隕石が降ってきてそれが最後になるかもしれません。しかし、わたしが今伝えた人の中から、千年先に伝わっていく質のものが育つかもしれないのです。この滔々たる流れの中で、この一回の授業で手渡していけるものを用意しなければなりません。
そのうえで、人間と人間の関係としては、ともに道を求める友だちにほかなりません。ここに書いてきたことは気功指導のありかたについての最も基礎的な議論です。
2015年6月23日
2015年6月23日の出来事
新しい友人たちに、フィンランドとの最初の縁のことを書いておこう。
梅田の産経学園だと思うが、文化教室の気功法のクラスをたくさんやっていた1985,6年頃のことなのだが、カウコがやってきた。カウコといっても女の子だと思う人はなかろうが、金髪の大男で、最初に亀蛇気功を体験してもらった。大正区あたりの大阪弁を流暢にしゃべるので「変なガイジン」だった。私がフィンランド人と触れた最初の機会だった。
カウコは「遠い」という意味である。よく大型トラックの横腹に書いてあるから「有名人なんだね」とからかうと、「あれは遠距離の意味なんだ」と返ってくる。ウースは新しい、オクサは枝、彼はいつか新枝遠という名刺を作って来て、どうかね、と言ったことがある。
日本では拳法(最終的には本體楊心流)を習って長期滞在を繰り返し、また加藤式指圧と縁が出来てそれを習い、一度結婚して大正区に住み、またハワイ支部長になったりした。そして丁度この次期、激しい武術でも静的な指圧でもなく、ほどほどに動いて、また静かにもする気功をやりたくなっていた。
何回か様子を見て、私の元でやっていく気になった。その時は夏前だったが、年末までに帰国するので、それまでに一通りの基礎を教えてもらえないかと提案して来た。それで私のやっている大阪神戸の全教室に自由に出入りしていい、時間が取れたら適宜練功するということにして、それからしばらくは週に四五回あって教えた。私が一流派に属するのでなく、いろいろな先生のいいとこ取りをしていく立場だったから、すぐに全部出来ないにしろ、周稔豊、焦国瑞、張宇、劉漢文、王郷斎、劉貴珍などの気功の初歩を圧縮して伝えた。一緒に六甲を歩いて練功もした。
カウコは帰国してクリスマスに集まりを持って、フィンランド気功協会を作り、自分で会長になった。それで来ませんかということになり、翌年の春に訪ねたのが最初だった。森と湖の国に私は魅了された。国土の90%が森、18万あまりの湖、日本の9割近い面積に500万に満たない人口。そして500万のサウナ。私はいっぺんで惚れ込んでしまった。
それからもう50回以上行っている。何年か前まで数えていたが五十回を越した頃「あとは”たくさん”」ということになってもう数えていない。年最低二回は増えて行っているが、「たくさん」で済ませている。中国が150回をこえたら、あとはやはり「たくさん」になってしまったのと同じだ。中国の方は健身気功協会の理事長としてとか役職で行くことが多くなって久しいが、フィンランドは行った先の稼ぎで旅費も出している。
2017年6月23日 21:22
おとといだった
本当の夏至はおとといだった。だが夏至祭はそれに一番近い土曜日と決まっている。明日24日が夏至祭だ。
夏至祭はフィンランドのもっとも大切な祝日の一つ。多くのフィンランド人は夏至祭の前日から夏期休暇に入る。今日はいつもがらがらの街道はヘルシンキから田舎のコテージに向かう車でいっぱいだろう。ここでは夏至祭をユハンヌスと呼ぶ大きなかがり火を焚き、サウナに入るのが伝統だった。日本で言えば松飾にあたるものを白樺などで作り、玄関には幹を、窓には葉の茂った枝が飾られる。特別な料理というのがせいぜいポテトやソーセージだから、お節料理のようなものは期待できない。ユハンヌスはここにキリスト教が伝わってくるはるか以前からの物だ。もともと曜日に関係なく6月24日に決められていたが、20日から26日までの土曜日に変更された。
ヘルシンキのセウラサーリという島でやられた夏至祭りにトゥイヤが誘ってくれたことがある。大きな火が焚かれ、夏の女王みたいなのが船に乗ってやってきた。至る所に食べ物屋だけでないショップができている。ちょっとした手作りクラフトなどにも参加できる。とりどりのビールが売られていて、飲み比べられている。中央に野外ホールがあり、つねに100人くらいの人が入れ替りダンスしている。バンドも何十曲かで入れ替わっている。トゥイヤに誘われて、私もニ三曲踊る。母に仕込まれたのは三四種類だからばれないうちに退散する。何十人かは残って朝まで踊るらしい。
ラップランドのイナリでもダンスパーティのお誘いを受けたが飲むほうが先で、いかなかったことがある。バーにいた男たちは「女と踊るなんて面倒くせえ。飲んでるほうがいいわな」と言い合った。この日は明け方まで飲んでも文句はいわれないのだし。湖畔のあちこちでかがり火がたかれている。
2017年6月23日 22:21
いやまだ仕込みが終わったということ
キムチができた。いやまだ仕込みが終わったということで、完成品が出来たというわけではないが、明日から食べられる。二種類作った。キャベツ一個分粗く切って塩で漬け、同じキムチ液でまぶした。こちらは冷蔵庫に入る分量なので、入れる。
白菜は二株分。ゆうべから塩をしてある。タテに八分の一に切った。水100ccに小麦粉を加えたものに、粉唐辛子4袋、粗唐辛子一瓶、辛い唐辛子を八本ほどみじんにしたもの、ニンニクとしょうがのみじん、人参千切り、青ネギのみじん切り、りんご半個のみじん、これを練り合わせる。ニョクマムやアンチョビーがあればいいが、こういうコクの材料なしのすっきり味付けとなった。韓国では牡蠣や小魚をいれたりする場合があるから、いっそ食べかけのタラをきざんでとか考えたが、思いとどまった。大鍋に入れ、皿でおさえて、バケツ一つ重しにする。キムチとパジャンがあるとあまりほかのおかずがいらなくなって、困ったな。
2017年6月23日 22:51
人体科学会を京都でやった時
去年の夏、人体科学会を京都でやった時に、定方先生のお誘いで、シンポジウムに参加した。私は久しぶりに星野稔と話した。星野は東京の気功指導者で私に次ぐ気功歴を持った人だった。長いこと話していなかった。シンポジウムでは二人で話す時間があるというので、楽しみにしていたが、あまり論議は発展しなかった。
その原稿に手を入れよというのを日本にいるとき受け取っていたが、気が進まずに引き延ばした。やっと最近おくったのだが、追記があれば1600字までというので、急にその気になって一晩で書いた。この雑誌は専門家以外にはあまり見られていないだろうから、ここにも載せておく。参考にしてもらいたい。
◇
星野さんとは実に久しぶりに話した。彼は焦国瑞の弟子としての道を選び、私は気功の全体像を伝えるために誰の弟子にもならない道を歩んだ。その意味では立場は違っている。しかし私は星野さんを敵だとかライバルだとか思ったことは一度もなかった。ただ違う道を歩んでいる道友と思って来た。道友とは同じ道を歩む尊敬しあう友達ということだ。
何人もの尊敬する気功家が「私の弟子になるか」と聞いて来た。私はいつもこう答えた。「まさに弟子になりたいのですが、なりません。私は中国気功界全体の継承者でありたいのです」と。するとたいていの人は「では道友ということだな」といった。そして「弟子になるなら教える順序があるのだが、道友にはいま一番関心をもっていることを語れる」と、もっとも切実なところから話を始めた。焦先生も北京で「弟子になりません」といったら手をつないで歩いてくれたことがある。不思議な体験だった。
私は日本の気功が導引・吐納・静定・存思と体験してきて、やっとここ三四年で内丹を教えられるようになり、日本で内丹研究会を発足させた。始まったばかりだが、ようやく中国と並んだと言ってよい。私は53年前に陳?寧の内丹を習い、80年代からは胡耀貞の二人の娘さん胡麗娟と胡月仙から胡耀貞の内丹を習い、その弟子の趙光の内丹外丹を習い、さらにその解説版というべき張宇の内丹外丹を習ったが、それを人に伝えられるほどに理解し始めたのはここ三四年のことにすぎなかった。気功の他の部門もどれも必要なものだが、内丹こそ気功の醍醐味だと思う。四つの部門はどれも後天の呼吸を使っているが内丹は先天の呼吸を使っている。それとともに、これまでただの導引としてしか理解できなかった周稔豊やほう明のさまざまな遺産を内丹への入り口としてやれるようになった。
焦国瑞は内丹について記述しているが、彼の気功法は内丹ではなく、導引の領域だった。彼は胡耀貞のもともと患者で、自発動功をやらされたが、ついにできなかった。ずっとあとになって「誘導功」という控えめな言い方でそれを総括した。事前のレジュメでは星野さんは誘発功と自発動功のことを話したいように書いていたので、そのつもりだったが、その話は出なかった。張宇は自由動功と自発動功の中間領域として自然動功を設定した。自由動功でありながらそのなかに次第に練習していくほど自発動功の時間が増えていくような中間領域を作ったのだ。それは一面では誘発しているといってもよかったかも知れない。焦国瑞は胡耀貞から美しく五禽戯を継承したが、胡耀貞が考えている物ではまったくなかった。焦国瑞は自由動功としてこれをやり抜いたが、胡耀貞にとっては理性がコントロールをやめない自由動向は自発動功ではなかったし、治療の役にも立たなかった。
大気功の話をするなら外丹功を体験してもらわないといけない。それは自覚的に大気功体験のために作られた唯一の気功法だからだ。張宇の説明はこうだ。小気功とは具体的な功法のことだ。もちろんこれなしには気功法はないし、道教気功の大部分はここに関心を向けている。中気功とは観気旅行のことだ。これはきみと私とで作った巨大な遺産だ。聖なる山を訪ね、気功の大切な場所を歩いていく集団を作り、つぎつぎに模倣する人が出てくる。仏教や道教の聖地が復活した。あなたと李遠国の環境気功もこの延長上のものだ。そして大気功は本当は儒教のものだがかれらは自覚していない。私の外丹功が道筋を明らかにしているように、銀河系、さらにもっと外側のすべての宇宙は「私だ」と思う気功だ。私は小さな自我の中にいるように見えるが、135億年の星の世界もまた「私」なのだ。それを演じられるものが気功というものだ。
これはある日彼がパサデナで語ったことだ。私はもう観気旅行で世界を飛び回る体力はないが、まさに張宇が語ったようなものとしての大中小の気功を伝えていきたい。
2017年6月24日 1:03
カウコが訳してくれるはずの
引き続いて、カウコが訳してくれるはずの気功教科書の一部、「気功を成り立たせているもの」の節を、私の『気功の最初の教科書2009』(本当に絶版にしたままにしておくのは惜しい教科書だ)から、多少文章をアレンジして伝えよう。この節で三四回かかる。
気功を成り立たせているもの
気功という言葉は、文字のままで言うと「気のトレーニング」という意味である。
功という文字は、一つのことが成り立つのに「時間がかかる」という意味だ。成功するという言葉には、時間をかけて努力して、一つのことが成るというニュアンスが含まれている。だから気功とは「気についての体験を積み上げていく」ことだ。
気についての体験と言っても、ただ人にやってもらって「気を受ける」というようなことではない。病院にいれびたれば医師だというわけでもないし、マッサージを受ける人をマッサージ師とよばないのと同じことだ。いくら「気を受けた」といっても気功をしたことにはならない。
気功をするためには、そういう特別の心と体の状態を作らなければならない。
そのことを、隋の時代の有名なお坊さんである天台智顗の著作の言葉を借りて「三調」と言って来た。「調」は「ととのえる」という意味である。三つのことを調えるとは、「体、呼吸、心」を調えることだ。調えるとはなにかというと、それぞれに深い内容があるが、最低限のことを言えば、「無理な緊張のない立ち方、坐り方」「自然で安定した呼吸」「こだわりこわばりのない心」と言ってもいいと思う。そうすると、余分の緊張なしに落ち着いて自分の存在と向き合えるようになる。それは日常の、心と体を何か外の目的のために使っている時とまったく違う新進の状況だ。
特に大切な点は、心が遠くにさまよっていないで、自分の体によりそっている、心が体のことを考えている、という点だ。
別に私の心はさまよっていないとムッとする方もいるかもしれないが、心は過剰なまでに、「いま、ここ」でない過去や未来のこと、遠くのこと、ここにないもののことを考える能力がある。それは人間の脳の特性であり能力であるけれど、その能力を発揮しているときは必ず心と体は一致していないということの自覚が必要だ。
ここで心と体というのは、西洋の考えではまったく別の物だが、インドや中国では同じものの別の姿にすぎない。「粗い体」が目に見えているボディのことだ。「中くらいの体」が息、呼吸としての私のことだ。そして「微細な身体」、サトル・ボディというものが心のことだ。もちろんそれは身体存在の重層的構造を仮に三つに表現したもので、本来別のものではない。目に見える身体が最初に調えやすい(姿勢とか、重心とか、無理をしないとか)
ので最初に「粗い身体」を調える。それから、「呼吸という身体」を調える。最後に「こころという身体」を調える。さらにそれらがいったいのものになるように、意識を体に戻すことで多次元的な身体を統合し、まとめる。これを「三調一致」と表現する。
三調一致は気功の特有の心身の状態である。それ自体がとても面白い体験だ。だがそれは「方法」であって「目的」ではない。
『中医気功学』の、考え抜かれた気功の定義を紹介しよう。今の中国気功界でもっとも説得的な定義だと思う。
気功とは
(中国)古典哲学思想の指導のもとに
調身、調息、調心を一体に融合した操作を内容とし
人体の潜在能力の開発を目的とした
心身鍛錬の技術である
2017年6月24日 2:16
「三調の一体」というのは
ここまで説明してきた「三調の一体」というのは、「内容であるような操作」といわれているが、ある目的に行きつくための方法と理解してもいいだろう。ただ方法自体が修得が難しいので、方法を打ち鍛えることが時間のかかる修練になっているわけだ。しかしそのようにして収斂することが目的ではない。その点で五行目の「心身鍛錬の技能」ある、というのも見逃せない。これはどういうことかというと、技能というのは「何かを達成するためのテクノロジー」ということだから、それ自体が目的で気功をするわけではないということだ。また芸術と芸能が違うように、技術と技能も違う。技術は人格とは切り離されたもので、正確に習えばその日から伝えた人と同じようにできるが、技能は人格に密着したもので、習ってその通りできない。修得し終えたところから「できるようになる」ための修行がはじまるのが技能である。つまり、技術は左脳的だが技能は右脳的だ。
気功は手段としての技能である。目的は「人体の潜在能力の開発」だ。
さあ、これが大問題だ。潜在能力の開発とは何をすることだろう。
こういう定義を早飲み込みすると、「やっぱり気功は超能力のレッスンなんだ」と思ってしまう。中国では超能力のことは特異功能という。80年代には、気功は特異功能と地続きの才能開発と誤解されていた。
ひとつには「外気」で遠くから人を動かしたり、難病を簡単に治したりという場合もある。いつもではないが、本当に治せる場合もあった。一般にひどくオーバーに伝えられ、事実の場合も嘘の場合もあった。気功と超能力は期待をこめて混同された。
第二に、厳新や王力平のような優れた気功師が超能力ショーみたいなことをやりだしたので、気功は上達するとそういうことができるらしいという風評を生み出した。
第三に、たまたまこの時期(80年代から90年代)に関心が高まってきたこともあって各地に超能力少年少女が見いだされ、気功とは関係ないのに気功と結び付けて論議されていた。
私はこうした超能力を否定しない。かなりの比率でマジックが含まれていると見ているが、今の物理や化学では理解できない現象をおこしている例もたくさんあると思っている。
しかしそれは訓練して誰でもできるようになることではないし、今のところはあまりに偶然性に支配されている。それを人体の可能性の一つとして研究するのはいいと思うが、私たちの可能性とは、さわらずにマッチ箱を動かしたり、薬瓶の蓋を開けずに薬を取り出した、おでこにコインを貼りつけたりと言ったそのていどのことなのでしょうか。超能力というにはあまりに貧しい事である。そんなことを誰が練習したいだろうか。三年間必死の修行をしてもしできたとしても、やはり薬瓶の蓋を開けて薬を飲むほうが簡単ではないだろうか。
上海市気功研究所の所長だった林海氏がかなり早い時期に書いた「潜在力の科学としての気功」という文章はとてもいいもので、私はまだボロボロになったコピーを持っている。そこで揚げられている例は
◇皮膚面積1平方センチ400本平均ある毛細血管は不断は5~6本しか開いて血液がとおっていないが、気功しているとそれか10倍くらいになる。
◇普通の浅い呼吸では6億の肺胞のうち1億5000万程度しか使っていないが、呼吸法をかえると二倍くらいにはすぐできる。
などの研究を通じて、潜在力ということを「人体がその構造上当然のこととしてもっているのだが、発揮していない生理的能力」という意味で理解している。これはとても分かりやすいものだ。
体内の仕組みがどんどん細かい点まで解明されていくこの時代に、気功によって何が変化しているのかはもっとお金をかければいくらでもでも出てきそうな気がする。それが「超能力」のほうに関心が流れてしまうのは残念なことだ。つまりわれわれ自身の「潜在力」についてのイメージがまだ貧しいのだ。
2017年6月24日 5:43
潜在能力開発があったんですか
あなたはそんなに長年気功をしていて、なにか潜在能力開発があったんですか、と聞かれると困ってしまう。どうだ、これが私の能力だ、といえるようなことは何もない。人並みに血圧も高いし(このところ薬のせいで安定しているが)肥満も治らないし、人付き合いが下手で性格が悪いし。まあしいていえば普通は三四時間程度の睡眠で足りるというようなことだろうか。年取ってそうなったのでなく、気功始めて10周年、26歳からずっとそうなのだ。ロンドンの睡眠研究所が「レオナルド・ダ・ヴィンチ方式」とよんでいるものにとても近いのだ。ダ・ヴィンチの場合は一回90分寝るのが最長で、あとはほぼ四時間おきに15分程度寝ていた。学生たちを使っていろんな眠りのパターンを体験させて能力テストを繰り返したところ、脳が最高の状態になっているのがこのダ・ヴィンチ方式で、八時間眠るのが最低であることがわかった。ダ・ヴィンチの場合90プラス15×6だと180分で三時間睡眠である。私はもう少し多くて、3~4時間寝て、あとはときどきうとうとするという点ではダ・ヴィンチの見習いていどのことはしている。これは気功をほぼ毎日するようになって10経って突然起こった現象である。そして今でもせめて一時間まとめて気功をしないとてきめんに睡眠がながくなるので、これは気功のせいに違いないとおもっている。一定時間の入静ができるようになるとてきめんに睡眠時間はみじかくなるのである。
「お前の超能力は書くことだ」と王芦生先生に言われたことがある。「私の話した講義が翌朝には文書になる。旅から帰れば数日で一冊まとまって記録を送ってくれる。あれが特異功能でないのか」。その質はとにかく、文章の生産力はたしかに標準を超えている。一日18時間コンピュータに向かって打ち続けても少しも苦痛ではないし、そこそこに人に見せられる文章が出来上がってくる。
「寝ないで脳を使う」ということと「連続的に書き続ける」ということくらいは、気功をしたことで生ずる異能と言えるかもしれない。その現れ方は人によってまったく違うはずた。つまり「潜在能力の開発を目的とした」といっても、その現れ方は人によってまったく違い、しばしば本人にも予測がつかないようなものだということなのだ。皆さんも気功をしてすでに様々な能力が開いているのに、気功のせいとは気が付かないという場合もあるかも知れない。
一般的に見られる「気功による潜在能力開発」の二つのパターンがある。
1 感情的に豊かになり、美しいもの、詩的なものへの感受性が鋭敏になる。
2 動物的カンがさえてきたり、体の野生がよみがえってきたり、自律神経の機能が回復したり、身体の自動調整が以前よりうまくいくようになる。
この1は大脳旧皮質の働きと関係がある。2はもっと古い脳である視床下部とその周辺に関係がある。
とても簡単に図式化するとすれば、前頭葉の過剰な血液が大脳旧皮質辺縁系の感情中枢に送られれど1のようなことが起こり、視床下部とその周辺が活性化すれば2のようなことが起こる。これは体の外側に道具を作り続けることで進化してきた人類の脳が、犠牲にして来た部分の再開発と言える。
大脳新皮質に属する部分でも、ほとんど血液が供給されなくなっている不文がある。進化の歴史から言うと、ヒトが二足歩行をする前に非常に長期間樹上生活時代があったとされているが、この間に発達した脳はほとんど使われずに放置されている。ところが、発達心理学のピアジェの名前をつけてアメリカのピアジェ研究所がしてきた研究では、ぶらさがり運動を頻繁にやるとこの部分の血行がよくなってくることが確かめられた。このことは古代の五禽図に「足で逆さにぶら下がる熊」や「両手で木につかまる熊」があることを思い出させる。ぶらさがり運動をともなう古代の五禽戯は現行のパターンよりもっと脳開発に役立っていたかも知れない。
2017年6月24日 7:19
感情的な豊かさは
これまた簡単に図式化すれば、
1 感情的な豊かさは哺乳類の脳である深部辺縁系の刺激によるものであり
2 カンの力や生命本能の強化は爬虫類の脳である視床下部の刺激によるものである。
と、言えそうだ。鳥の気功は必ずや小脳を活性化することだろう。小脳はバランス感覚を司っており、それを極限まで鍛錬して飛べるようになったのが鳥の先祖である翼竜類なのだ。
この問題は亀蛇気功や五禽礒の研究でまた取り上げよう。
とにかく私はこの気功の定義の中の「潜在力の開発」ということをこのように把握している。それは決して計算能力や書き取り能力のことではない。それはいわゆる超能力のことでもない。
第一に脳が本来持っていながら生理的限界からうまく使えていない部分に「使いすぎ」でおかしくなっている前頭葉からの血液をまわすことによる脳力開発。
第二に、哺乳類の脳、鳥類の脳、爬虫類の脳、魚類の脳など、脳の進化博物館を遡っていくことによる潜在力の開発。
そして第三に、前頭葉が孤立して暴走するのをやめ、脳の他の部分や「腹脳」その他のリトルブレインといい関係を結べるようになることによる潜在力の開発。
気功で病気が治るという問題も、実はこの潜在力の発現のひとつの姿としてとらえたほうがいいように思う。
これで
調身、調息、調心を一体に融合した操作を内容にし
人体の潜在能力の開発を目的とした
心身鍛錬の技能である
という内容はたいぶ明らかになってきたように思える。しかし最初についている
(中国)古典哲学の指導のもとに
というのが気になるところだ。(中国)というのは何だろう。ことわるまでもないがエジプトやギリシャでなくという意味だろうか。古典哲学思想といっても実際に気功に寄与したのは老子や荘子、屈原などの楚の人々であり姜族やチベット族なのだが南方中国と書くのをためらったのだろうか。
それは措いといて、古典哲学を学ばないと気功は修得できないのだろうか。このことは特に日本では非常に軽視されてきた。だからあえて、気功の実践的学習と気功に関する古典の学習は結び付けられて行かないといけないと強調したい。古典を読まずに気と気功について語れるとおもっているのなら、それは間違いだ。中国の古典哲学が哲学として正しいからではなく、私たちは「気功という文化」を自分の体を使って育てようとしているのであり、それはただ体の動かし方だけではないのだ。気という文字を研究してもそれだけでは気功ができるようにならないのは当然だ。しかし気という文字を研究すること、その背後の哲学を研究することと、気について実践することは切りはなすことができない。気功の中には儒教、仏教、道教、医学、武術そしてさまざまな先住民族の精神文化と生活文化が書き込まれている。それを総体として継承していくことが「気功を学ぶ」ことに他ならないのだ。〔この項おわり〕
2017年6月24日 14:50
炒飯の残りを食べた
キムチはただ辛いという風なので、砂糖とか蜂蜜とか入れ忘れていたのを思い出し、ちょっと入れたらだいぶ良くなった。
昨日からずっとケアリー・レイシェルを聴いている。ハワイアンの、ちょっと知的な奴だ。夏川りみなども引用して歌っている。
日差しが強くなると夏を感じさせる。湖の誘惑が強くなるが、なかなか行けない。カウコが杖になる枝をひろってきてくれたか、これで湖まで行きたいとか、スーパーに行きたいとか、夢は広がるばかりだ。
心臓の方は薬だけでなくなかの血管を想いながら15分の手当てをする。不整脈は治らない。ただ手を当て始めるとすごく遅くなる。このまま止まるのかと少し心配になる。
これから薬を飲んでから全身のグルーミングをする。30分ずつ、一日二回。あとは立って30分くらい。なかなか立ちたくないがリハビリだ。人前だとけっこう平気そうにしていられる。
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2017年6月25日 1:07
気功についての基礎知識を
このテキストは気功についての基礎知識を確認するたろのものた。すでに知っていることでも、明確な言葉で理解するためには、きちんと時間をとって考えてみる必要がある。
あなたは何を目的に気功をしたいと思ったのか。一般的な健康目的の場合もあれば、特定の病気を治したい、改善したいという方もいるだろう。むしろ道教や仏教に関心があって気功の角度から学んでみたい方もいるだろう。また自分の仕事や趣味のレベルアップをするのに気功が役に立つのではと考えている方もおられるだろう。気功の応用範囲は広く、気功によって得られる精神状態を応用することで、いままでできなかったことができるようになったり、新しい課題に目覚めたりということもある。その使いこなしていく方向はさまざまであっても、気功はあなたの人生に残された時間の中で、今までに実現できていなかった様々な可能性の扉を開いて行くものだ。
もちろん、どんな願望も思いのままといったことを言いたいのではない。あなたが本当は持っているのにうまく発現させていない能力や気質を開いて行って、「人生を多義的にする」ドアを開くのが気功というものだ。
どうしてそういうことが可能かというと、私たちは自分の脳を極めて限られた形でしか使っていないからだ。『脳の社会学』の中でイギリスのトニー・ブザンとテレンス・ディクソンは、われわれは脳細胞のすべてを使いこなした状態を想定して、一生の間に実際には10の28乗分の1しか使っていないと計算した。ほとんど、圧倒的な大部分は、使っていないということだ。しかし、もうせめて五割増しで使いこなしたいと願ったとして、生きているうちに間に合うだろうか。
最近の研究で〔90年代の話だが〕脳の発達は少年時代に終わるのではなく、終生続くことがわかってきた。少し前までは四歳くらいまでにニューロンはもう増えなくなり、あとは組み合わせが複雑化するだけと思われていた。それはひとつには脳神経細胞のネットワークがどんどん複雑になることで発達し続けるのだが、それだけでなく、脳の深部から新しい皮質細胞が死ぬまで生まれ続け芽ことがわかってきた。それも人間の可能性についての新しい知見だ。「気功の定義」のところでやや詳しく述べるが、気功は私たちの脳のまだ実現していない潜在的な可能性を楽々とひらいていくための自己鍛錬なのである。
私たちの脳の使い方はとても偏っている。とても簡単に図式化すれば前頭葉を中心とする脳の皮質のあたらしい部分がいつも血行過剰で、働きすぎの状態だ。現代の脳神経医学の中ではそのことをADHD(注意欠陥障害)という。ADHDは能力があるのに集中できず、時間空間の管理ができずに人生が散らかっていく傾向である。こういう子供がどんどん増えていると言われるが、それは現代人がみな多かれ少なかれ陥っている傾向だ。現代人と言わず、昔から、頭は対働きすぎてかえって苦しむことになることが問題になってきた。古今東西の瞑想法はみな、そのことをなんとかしようとしたものだ。つまり気功の用語でいえば「上丹田の気を下丹田に落とすことができれば」脳の過剰な空転はなくなり、身体の忠臣であるハラと気の中心が一致する、ということになる。それは脳の中で言えば、前頭葉中心から、感情中枢である大脳基底核や、生存本能の中枢である視床下部に、もっと血液を配分するということでもある。
このところ本屋さんに行くと、計算ドリルとか書き取りドリルが大流行だ。昔からあったものだが、新しい理屈で売られている。それはスウェーデンで新しい脳観察の装置を使ってさまざまな実験をして来た先生が、人間は難しいことを考えるより単純な書き取りとか基礎的な計算をしているときのほうがずっと大脳皮質の血行がよくなるということを発見して、それがブームになったものだ。
しかしこれは全く本末転倒のものだ。現代人の脳にとって一番問題になっているのは、前頭葉の働きの過剰によって、コントロール不能になっていることなのだ。計算ドリルはその傾向にますます拍車をかけるものだ。つまり瞑想に対する「反・瞑想」がドリルなのだ。これはせっかく人類が「脳の一面的な使い方を反省しよう」という課題に取り組むべきだと考える人が増えてきた中で、それに水をかけ、問題を混乱させる動きだった。その意味では、きっといい人たちなのだろうが「君たちは反革命だよ。人類史の課題を混乱させているよ」とはっきり言ってやる必要がある。
その人類史の曲がり角をこれからリードしていくのが気功だ。
気功は≪脳の一部の偏った使いすぎ」を是正することだ。
そして今までわずかの血液しか供給されてこなかった脳のさまざまな部分をもっと働きやすくし、それによって、脳がもともと持っている潜在的な力をもっとのびのびと発揮させるためのものだ。
2017年6月25日 5:36
三つのことを狙って来た
近代社会の教育は、三つのことを狙って来た、アルヴィン・トフラーが書いている。
ひとつは、先生のいうことを聞く人間を育てるということ。
もうひとつは、時間を守るということ。
さらにひとつは、繰り返しに耐えられるということ。
なぜかというと、こういう人間でないと、大工場の機械の前に立って働けないからである。遅刻が常習だったら、機械の流れ全体がうごかなくなりかるないのだから、これは本質的な問題だ。つまり学校で教える内容が問題ではなくて、このことの訓練さえすれば、資本主義の基礎は回っていく。あとは別のところで創造的なリーダーを育てればいいということだった。
コンピュータが仕事の主なツールになってきて、情報化社会が進んでくると、これはだいぶ事情が変わってくる。みんなが顔をそろえて一斉に始めるというのでない仕事がどんどん増えてきたわけだ。そのことによって仕事が個別化し、創造的になってきた面と、それによってかえって画一化し個性が失われて来た面がある。
近代工業社会では、チャップリンがモダンタイムスで皮肉ったように、機械に合わせた繰り返しの動作を身体的習慣にした「疎外された(自分でないもののようにされる)」労働者が生み出されたが、コンピュータ社会ではその身体さえもういらないという場面が増えてきた。それに対応して、私たちが、自分の身体的実感をなかなか持てないという事態が進行してきた。
そういう中で、私たちがしっかりと自分の心身を掌握するのは、それほどたやすいことではなく、ある程度の訓練が必要だ。
私たちの「からだ」はそうした工業社会や情報社会に適合するような緊張のパターンを受け取って、演ずることで、たくさんの不本意な緊張の被膜を着込んでしまった。それなしには「適応」はありえなかったのだ。それに適応しない人は敗者になって田舎に戻るかフリーターになるということになり、それは社会の常識からは「不適応」とよばれる。今では創造的不適応の道を選ぶ人は増えているけれども。では適応すれば幸福になれるのか。どんどんヨロイが厚くなって、不本意な人生を送り、自分が自分でない感覚がもっと強まっていく。それは「過剰適応」とよばれて、過剰緊張症で脱落することになったり、自殺したり、突然死したりすることになる(当時セイコーの副社長が自殺したのが「過剰適応」のせいといわれ、朝日新聞がこの言葉で長期連載の記事を持った)。では「不適応」と「過剰適応」の補から道はないのだろうか。ほどほどに適応しながら、生身の身体を失わないでいられるという生き方は可能なのだろうか。できる。気功をしさえすれば。
病ということで言えば、この社会には二つの病がある。
適応できないとによる病気。
適応しすぎることによる病気。
だから、どんなものであれ、自分の生理的身体と社会的身体をどのように和解できるか、あるいは病気は病気として調和を保っていけるかにかかわってくる。それは医師には手に負えない領分である。
2017年6月25日 6:26
何がおこるのだろうか
あなたが気功を始めると、何がおこるのだろうか。
まず体験するのは繰り返し運動だ。それも、工業社会の中での身振りと違って、何かをするための繰り返しではなく、ただリラックスして、快感を深めていくための繰り返し運動である。そういうことを一定時間するという習慣はほとんどの人にとって今までなかったものだ。呼吸も楽にし、気持ちも焦ったり不安になったりしないで、仮に今の時間だけでもいいから、とてもくつろいだ、安心な状態になれといわれる。
そういうことをしていても傷つくことのない、社会から相対的に守られた空間の中で、私たちははじめて「ヨロイを脱ぐ」ことが可能だと気づき、それを試み始める。ヨロイとは、「身を守るための無意識の緊張状態の持続する層」のことである。それによって、だんだんに、ヨロイを必要としない状態を思い出すのだ。どうやって、何を思い出すのか。それは「生まれたての赤ちゃんの状態」であっり、「大好きな人に守られている時の恋する状態」だったりする。だから「気功は赤ん坊に戻る」といったり、「気功は青春を思う」といったりするのだ。
むろんそれは一時的な、仮のものだ。しかしそれを体験することで、少しずつ不断のヨロイとの向き合い方が変わっていく。自分の与えられたヨロイも自覚されてくる。あかんぼ「らしい」とか「男らしい」「女らしい」というのは成長のきわめて初期に押し付けられるヨロイだ。成長するにつれ、そのかいしゃのにんげん「らしい」とか主婦「らしい」とかの身振りを着込んでいく。
ヨロイのない状態を忘れたままではヨロイに支配されやすいのだが、ヨロイのない状態をはっきりと意識できると、ヨロイを次第に仕方なくではなく、自覚的に、必要な時だけ使えるようになる。
それはあなたが「自分自身の主人公となる」ための一歩、小さいけれど重大な一歩、なのである。
気功はさまざまな身振りを伝える。
気功は「身振り集」といってもいいのだ。それも、あなたが今まで手にしたことのなかった身振りのコレクションだ。「天のゲートに手をかける」身振り? したことがないだろう。「弓を構えて鷲を射落とす」身振り? これもしたことがない? これは八段錦の最初の二つ動作のことだ。「両手で山を推す」「星をつかんで天にもどす」「九匹の牛の尻尾を引っ張る」「体の中に入り込んで胃の神様と対話する」「左手に太陽、右手に月を乗せる」「木のように根を下ろして立つ」「嬰児のように縮こまる」「鳥のようにはばたく」これらはすへて古典気功の中の身振りの提案である。いちごんでいえば
気功とは、ふだんしない身振りのコレクション
なのだ。何のための? あなたがもっと自由に、自分の無意識の習慣になってしまった身振りから自由になるための、コレクションなのだ。この身振りをぜひあなたのワードローブに加えていただきたい。
気功は自由への道である。
考え方が自由であっても、からだは無意識の習慣に縛られていたら自由とは言えない。たくさんの人が自分は自由のはずなのにおかしいな、と思っている。なぜ何も自由にならないのだろう。それは身振りの自動運動に身をまかせることをやめていないからだ。どうしたらやめられるか。それは今までにしたことのない身振りを意識的に体験することによってだ。身振りの自動運動に身をまかせている限り、人生は他人によって、システムによって運ばれて行ってしまう。
一度しかない人生を、もっと自由に生きる仕方はあるはずだ。〔この項おわり〕
2017年6月25日 15:50
三日続いている
誰にも会わない日がもう三日続いている。向かいの家のバイクのお兄ちゃんだけは日々行ったり来たりしているがそれに一日ニ三回までのことで、今日はバイクを置いたままにしている。自転車で通りかかる少女、車付の買い物かごに頼ってゆっくりゆっくり近くのSマートまで行く老人、そして夏至前の芝刈りをしていた隣人。この三日間に顔を見たのはそれだけである。それも彼らが通っていくのを眺めるだけで、道で挨拶するわけではない。車付の買い物かごがあればSマートまでは行けるに違いない。だが別に何のために行きたいということはない。食糧はまだ十分ある。
こんな状態を気功では「閉関」という。
王戸生先生と、たびたび閉関をした。臥仏寺にこもって、どこへも行かず、会議室を借りて瞑想したり練功したり。時には沈黙の時間を作って言葉を交わさないようにする。寺の中を散歩するくらいが変化と言えば変化だ。これで一週間とかすごす。みんな洗われたようになって、帰っていく。
むろん、閉関は自分の家でもできる。今の人なら携帯の電源を切るだけで閉関だろう。ちなみに私はもう三年間携帯を放棄している。よその人は迷惑しているかも知れないが、自分で不便を感じたことはない。必要な時は公衆の青電話を使う。日記には電話カードが二枚はさんであるが、関電やKDDIにかけたくらいだ。
芭蕉は晩年に閉関をした。其角が尋ねたら玄関に「閉関」と貼ってあって、まさか死んだのかと青くなったが、芭蕉は「瞑想をしているから入らないでくれという意味だ」というから其角は「もう少しわかりやすく書いてくださいよ」と愚痴った。説明の貼り紙にも美学があったのだろう。
コンピュータだけを相手の閉関をしているが、あまりご馳走を作っていては閉関にならない。一日にキムチ少々で様になる。でもこうすると甘い物がほしくなっていけない。パンを薄く切って卵を浸して焼いて、砂糖を少しふりかける。本当は砂糖も小麦粉も食べないのだが、これくらいは許してしまおう。
2017年6月25日 16:56
《気功ブームに反対はしない》
不信の停止
◇
《気功ブームに反対はしない》
《偉い先生を尊敬しないわけではない》
《お金がほしくないわけではない》
《中国気功を中心としないわけではない》
ということを書いたときに「この四つの二重否定は、『気功を信じないわけではない』ということの具体化だ」と書いた。それはこの本のどこに書いてあるかというと「伝統気功の再出発」の13の節の8番目に書いてある。「伝統気功の再出発」の扱いをまだ決めていないが、この8番目だけは先に伝えておきたい。
偏差を引き起こすような気功指導者は90年代にはずっと多かった。今はずっと少なくなっているが、こういうことを考えないで気功を日常化してしまっている人が多いように思う。みんながこのことを自覚しているわけではないので、今もう一度伝えたい。
◇
「不信の停止」という考え方をしっかり確立する
◇
気功の学習過程での混乱を避けるためにもっとも大切なことは「信」の問題を正しく解決することである。なぜなら、上記のような気功偏差は無自覚に指導者を信ずることから由来するからである。
気功指導者をあなたは信じているのか。それとも信ずるのは嫌で精神的自立を保ちたいのか。安易に信ずるとどこに連れてゆかれるのかわからない。信じないと自分がもう知っている以上の体験はできない。どうしたらいいのか。
たとえば郭林気功では「三心を樹立しないと気功の効果はない」という。三心とは「信心、決心、恒心」である。この気功を信じ、やるぞと決心し、それをずっと保てないようでは気功でガンを治すことはできないという。それは当然のことだ。しかし治す前にどうやって信じたらいいのだろうか。その場合信ずるとは何か。盲信した者だけに救いがあるのか。
モリエールの言葉だったと思うが、フランス古典演劇の理論に「不信の停止」という言葉がある。それは舞台を見るときの観客の姿勢についての言葉である。舞台の上で起こっていることが「うそ」であり、「絵空事」であることはわかっている。しかし「あれはうそだよ」と言っているだけなら、わざわざ入場料を払って見に来た意味がない。舞台で起こっていることを「仮に本当のこととして見る」と自分はその仮構現実の中に入り込み、ふだんの自分にない悲劇的体験をしたり、英雄的な体験をしたりできる。その意識の切り替えを「不信の停止」と表現する。それは信じているのでもなく、信じていないのでもなしに、ただ一時的に理性的批判を停止してみるのである。そうすると体験が始まる。批評だけしている人は決して何事も体験できずに生涯を終えていくのだ。
肝心な点は、その「舞台」から「われに還って」今のがどんな体験だったかを振り返ることである。その時もまだ酔っているとしたら、宇伊賀の帰りに作中人物になった気がして事件をおこすようなものである。
映画が伝わって来たばかりの時は列車が走ってくると総立ちになって逃げたり、殺人を止めようとして舞台に駆け上がる人もいた。つまり、「収功」をしていないのである。収功は「夢の終わり」である。むろんその「夢ともいえる、夢でないともいえる」体験は日常の中にも生き続けるが、位相が違っている。気功をしているときに日常性を持ち込んでいたら練功にならないし、練功がおわってから夢見心地では危険な状態である。
2017年6月26日 1:16
「気功という奴隷文化
法輪功と「気功という奴隷文化」
法輪功を実際に見たことがない人でも、聞いたことはあるだろう。中国政府がたまたま一つの気功流派を見せしめとして断罪し、指導者は海外に逃げた、となんとなく思っている人は日本でも多い。フィンランドでも、まだ法輪功を信奉している人はいる。それをはっきりさせないと、気功には困った部分があると思ったままだろう。
中国気功が現代のように大きく広がったのは、歴史上ではまったく例外的なことである。むしろ太古には誰もが参加する動物ダンスのようなものだったかもしれないが、文明社会が成立してからこんにちまで、気功が大量現象として社会の表面にでてきたのは1980年代以降といってよい。15年余りの間に気功人口は膨れ上がって一億を越え、そしてあの法輪功事件でバブルがはじけるようにはじけた。
1984年の当時、この気功ブームは「毛沢東崇拝の代理現象」だったと私は書いたことがある〔『図説気功法』〕。76年に毛沢東が亡くなり、周恩来も朱徳も亡くなり、誰もついていく人がいなくなってしまったという喪失感の中で、自分が依存していられる「小毛沢東」を求めた。それはさまざまな形をとったが、その最も目立った「小毛沢東」が80年代の「気功大師」たちや超能力師たちの場合だった。経済が急速に発展して、人はそのような「悠久の宇宙の時空の中でどこに位置するのか」ということの了解のイメージを持ちたがる。日々あくせく働いてドライな世界で生き続けなければならないほど、そういう支えは不可欠になる。だから気功ブームと言いながら、誠実なすぐれた気功指導者に人が集まるのでなく、昨日今日気功を習って「教祖振り」を身に着けた法輪功の李洪志のような人にたくさんの人間が群がることになる。誠実な気功学生の自立を援助しようとするが、誰も自立など欲していない。
李洪志は明らかにこのことを理解していた。あとで法外な資料代はとるにしても功法は無料で教え、毛語録のスタイルで自分の教科書を街角で輪になって朗読させた。たくさんの共産党幹部がなつかしさに参加してしまったのは、気功をやりたかったのではなく個人崇拝のスタイルの続きをやりたかったからである。
李洪志は新聞記者だったが、70年代に気功で一旗あげられるのではと思いつき、禅密功や外丹功などさまざまな気功に顔を出した。張宇は彼の顔をまだ覚えている。習った気功では一旗挙げられないので、彼はいろいろな気功をミックスして、簡単にできるやさしい功法をでっちあげた。いとこがタイにいて舞踊をやっていたので、それもつまみ食いした。功法が偉そうに見えないといけないので、彼は友人の仏教学者に頼んで、できるだけおおげさな教科書を書いてもらった。仏教と言っても、俗耳に入りやすい、九層の宇宙があって地球はその一番下で、罪を償った者から上昇して行けるとかのことだ。記者だから編集はお手の物だった。そしてビデオを作って、最初に釈迦の絵を出し、それをびりびりと破って彼が釈迦に代わって登場する演出をした。仏教を尊敬するより、馬鹿にした方が売れると思ったのだ。彼は本を売り、だんだんに高い授業料をとって、金を溜めた。一応人だましに成功した時点でやめておけばよかったのだ。
チベットの独立工作をずっとしてきたイギリス王室のあるスパイが彼に接触をしてきた。せっかく多くの人を、特に旧共産党幹部やその夫人を会員に抱えたのだからそのままではつまらないではないか。金も早く持ち出しさないと没収されるかもしれない。アメリカの方が自然ではないか。事あることに国連に訴えるにはニューヨークがいい。アメリカに拠点を作って会員たちに江沢民政権を包囲させたらいい。
でたらめの教科書くらいの話ではなくなってきた。彼はこっそりニューヨークに行って気功で儲けた金で豪邸を買った。そのときにCIAのスタッフを紹介されて、それ以降常に監視がついた。中国に戻って、自分がいなくても金が集められる組織を作った。
それが中南海包囲事件をおこして、どこへ行きつこうとしたのかはわからないことが多すぎる。このころから彼の書いたでたらめを信じて病気の親を虐殺して上級の宇宙へ送ろうとするような事件が相次いでいて、潮時だと思ったのかもしれない。包囲からクーデターのようなことに発展すると妄想していたのかも知れない。広州から全国にひろがって、中南海の政府中枢を包囲して仕事をさせないという事件が起きて、江沢民は愕然とした。閣僚の多くは法輪功だけでなくさまざまなインチキ気功団体から献金をもらっていたので、動けなかった。江沢民と朱鎔基以外のかなりの閣僚が献金を受けていたとみられる。李洪志はインドネシアに本部を築いて指揮しようとしたが、結局「蜂起」した人を見捨てるしかなかった。中国中で弾圧がおこった。彼は相変わらずCIAに守られてニューヨークに住んでおり、国連にはたびたびちょっかいを出し、自分の歌劇団を作って世界をまわらせたりしているが、中国では影響力は皆無になっている。
中国で体育総局に気功を移管してしまったのは、医療気功や宗教気功につきまとうこうした依存症を一掃するために、自分で動いていく体育の領域に気功を限定しようとすることだった。武術委員会の中に健身気功チームが作られ、数年の準備ののち2001年には健身気功協会が作られた。それ以外の物は伝統気功とよばれ、複数の省にまたがる全国的組織であることは許されずに、ほそぼそと続けられることになった。中華益智気功や香功の全国組織は解体され、やがて指導者の死とともに個人的な営為に残された。智能功はいくつか拠点を残しただけで指導者本人は身を隠した。
残念ながら、あえて言うが、気功は「奴隷の文化」だったのだ。大量現象としては。そうでないブームに乗らなかった指導者もいくらもいるのだが、80年代から90年代の大量現象としては、ということだ。今でも喜んで奴隷になりたい人は中国にも日本にもたくさんいる。そうした奴隷根性を持った気功指導者は自分の周りに奴隷を集めたがる。こういう人物こそ気功を使って気功を破壊している人々である。
中国で医師以外の気功治療が禁じられて、大量の自称気功師が日本とアメリカに営業の拠点を移した。彼らはさまざまな気功団体を作ろうとするが、私は健康のためになるべく顔を出さないでいる。
2017年6月26日 3:30
ここフィンランド東部は今12度くらい
アメリカ南部はいま52,8度だという。
ここフィンランド東部は今12度くらい。めったにない激しい雨である。風がないので、庭に面したドアを開けた。蚊もハエもいない。二度ほど電気が消えたが、すぐに点いた。これで電気が消えたら大変だ。台所もガスはなく、電気だけだ。向かいのバイクはすっかり洗われている。カウコの泥だらけの車もきれいになったことだろう。一時間後、やっと雨足が小さくなってきて、ドアを閉めた。
もう何日かするとここを出て、ヘルシンキだ。ここで程キッチンが自由に使えない。材料を使ってしまわないと。今日は古くなったじゃがいもをマッシュにした。こちらは感心にどのじゃがいもも芽を出す。ゆであげてバタとクリームと塩を加える。じゃがいも、大きな辛くないとうがらし、カリフラワー、白菜、ズッキーニ、にんじん、そう言ったものを入れて煮込む。シチューなのだが、醤油味あごだしにして、キムチを加える。パンもご飯もなしに、これで夕飯にした。
ろうそくをいつになく五つにして灯した。外はまだ暗くならないのに。
2017年6月26日 22:08
厳密にいうとにゅう麺である
お昼は素麺にした。厳密にいうとにゅう麺である。野菜シチューを沸かしてそれをかけた。胡麻油と醤油と唐辛子少々を足す。持ってきたソーメンもあるのだがこちらのスーパーで売っている物を試してみた。まったく問題はない。ソーメンとはむろん書いてない。Rice Vermicelli Noodle とあり、Simply Good Foodsと書いてある。豚が三枚残っているのでキャベツのキムチと炒めた。これが絶品だった。
ケアリー・レイシェルのをBGMとして流していたのだが、踊りの伴奏をしているのがすごのよくて、見入った。太ったおばさんのフラがすごくきれいなので少し真似してみた。前に一歩、後ろに一歩という程度だからまじめに真似してもいいのかもしれない。夏川りみの「なだそうそう」が「引用」されているがぴったりはまっていて、おかしい。
2017年6月27日 3:17
歴史的に形成された六つの流派
気功の分類、に入る。まずは歴史的に形成された六つの流派である。書き写しているうちにいろいろ文句が出てきた。カウコの教科書にはもう少し整理して乗せたい。
気功を分類してみると
多種多様な気功をどのように分類できるだろうか。一言で気功と言ってもじつにさまざまのものがある。まず『中医気功学』の第二版の分類〔劉天君による〕を紹介し、あとは津村『気功の歴史と理論』から補いたい。
1 気功の歴史からの分類
医家気功
医家気功は防治疾病、保健養生を目的とする。我が国の現存する最古の医学の古典である『黄帝内経』の中には、「?石」(へんせき)「毒薬」「灸」「導引按?」の五種類の医療方法が書かれている。導引按?は古代の気功である。現代流行している大部分の気功はみな医療保健の目的であり、新気功療法、自控気功療法、六字訣、五行掌、空勁気功、少林内勁一指禅など由来は様々だが、みな、医療気功と見なすことができる。
儒家気功
儒家は養気を主として「修真斉家治国平天下」の目的に到達しようとする。郭沫若は「静坐の功夫」という一文の中で、静坐のはじまりは孔子と弟子の顔回といっている。正統派の儒家である宋明理学派の程頤、程景、朱子らは?による養身養気を説いた。程景は「ただ瞑目して静坐することによって心を養うことができるといい、朱子は「半日静坐し、半日読書する」といった。白居易、蘇東坡などの古代人、近代の郭沫若などはそれぞれの著作の中で気功養生から周天運転などの内容に触れている。総じて読書人は静坐気功の類の功夫を提唱したがそれは皆儒家気功と言える。代表的なものに「坐忘」がある。
【この部分はいろいろ異論がある。孔子と顔回とが実際に高度の気功をやっていた証拠はない。荘子の中のおそらくてっち挙げられた「坐忘」と「心斎」をめぐるエピソードに由来するものと思われるが、これは孔子とは敵対した荘子の立場からのもので、皮肉としか読めない。坐忘が儒教気功の起源で、同じ孔子と顔回によるものとされた心斎が道教気功だとはいえない。また蘇東坡は道士であり儒教気功に名前が挙がるべき人ではない。また宋代以降の周天功は道教の物を儒教が引用していただけである】
道家気功
道家気功は中国気功史上ではもっとも重要な地位を占める。その中でも内丹術は特別の意義がある。道家は修練を説いて養生長生の目的に到達しようとする。道家気功は老荘に始まり、「道法自然」「虚静無為」「返朴帰真」を主張した。道家の常用するのは導引吐納、抱一と守中、煉丹服食、胎息僻穀、性命双修などだが、それぞれの目的は少しずつ違っている。代表的なものに周天功がある。
【この道家気功の項目も落第点である。多彩な道教流派の要求を並べたかたちだが、道家と道教、仙道の区別をしていないこと(道家は導引吐納や胎息僻穀をしないし、長生の理論は道教より道家より古い仙学をぱくったものである)。また内丹術に関してそれが道教の流れの中でも極めて特殊な一流派を「道家気功」を代表するもので有るように言っているのは大混乱であり、道家気功の代表的な功法として周天功を上げることはできない。いやはや】
仏家気功
仏家は精神解脱、静化心霊を強調する。「四大皆空」「普渡衆生」によって輪廻から脱け出して涅槃の境地に達しようとする。小乗仏教は戒・定・慧の三学を重視する。いわゆる戒は戒律であり、「よいことをして悪いことはしない」道徳修養を指し、信念を強め、自分の心理と行動をコントロールしようとするが、これらは気功養生の立場からも見習うべき点は多い。「定」は禅定を指し、気功でいう入定、入静と同じである。禅定派「止」と「観」の二つの方面を含んでいて、「止」は長い時間注意を一点に集めて、ひとつのことを考えることでほかのさまざまな考えを消してしまい、次第に雑念と思惟活動を消して「明鏡止水」の状態に到達しようとする。「観」は仏教哲学の理論から人生の根本問題と因果の法則を照察し、四大[地水火風]は皆空であることを理解して、心を浄化し、様々な世間の煩悩を抜け出して、次第に慧観を得るようにする。「慧」は智恵を指し、「定の中に慧を生ず」というがそれは無我になって大自在の境地を得ることを通じてもっと深い知恵を開発して、六神通(天眼通、天耳通、他心通、宿命通、神境通、漏尽通)を獲得するとされる。だから、戒、定、慧は仏家の三学は仏家の心身修行の基礎の上に到達する最高の境地である。仏家修練の方法から言っても、医療気功と多くの点で重なるところがある。代表的な功法に禅定がある。
【これは儒家道家にくらべて字数も多く、内容も整っている。劉先生は分厚い仏教経典の解説も出しており、結局仏教気功の人なのかとおもってしまう。しかしここにも問題はある。六神通とは釈迦がそのようなち超能力者だっという伝説であり、明らかに釈迦の死後数百年ででっちあげられたものであり、これを気功を学ぶ目標とするわけにはいかない。日本の仏教ではこうした超能力を目指して仏道をした人もいたが、多くの宗派では低い次元のこととして戒めており、特に禅宗は当たり前のことの中に不思議はあるという立場をとってきた。気功では六神通は事実として目標する人が多い。戒・定・慧を小乗仏教が重視するといいながら最後で戒・定・慧は最高の境地だといっている。論旨が若干混乱している】
武家気功
武術気功は身体を強くして攻防技撃の目的に役立てようとする。練功中に「意と気が合い、気と力が合う」こと、「気が手足の隅々まで及ぶ」ことを説く。また傷の治療から按摩、点穴[ツボ刺激]までを掌握して医学と武術を結びつけるべきだと言って来た。武術には練気と力を結びつける硬気功のほかに、煉意煉気を主とし、動作も柔和にする軟功もあり、太極拳やその他の内家拳法がそれである。こういうものは中高年の健康作りにも応用されて広汎な大衆から愛好されている。代表的な功法に站椿功や少林内功がある。
民間気功
いわゆる民間気功は昔からずっと民間に流伝して師匠から弟子へと継承されて来たさまざまな気功の功法を指す。昔の人は練功して名利を求めず、ただ淡白に養生し、身体を強権にしようとして、文字にも残さず、普及することを求めなかった。ただ歴代師から弟子へと伝えて、あるものは雲散霧消し、またあるものは個別に一つの功法だけが伝わり、潜在している状態で、整理発掘が必要である。古代から芸術家はまた芸術の技工だけでなく様々な気功鍛錬を掌握していたので、それも民間に流伝していた。
気功の歴史の発展の中で、応用目的の違いによって六つに分類してきたが、その間に厳格な境界があるとはいえない。
2017年6月27日 10:24
2 気功の動静からの分類
気功の分類の続き。
2 気功の動静からの分類
気功鍛錬の形式から言うと動と静の二種類になる。動功は外功ともいわれ、調息導引によって全身と四肢の運動を主とし、筋肉や骨を動かしていくわけだが、外が動いても中はとても静かであることを特徴としている。静功は内功ともいわれ、黙然、存想、吐納を主とし、肢体の運動を伴なわず、精気神を内煉し、外は静かだが内部は動いていくのが特徴である。
【このほかに、動と静の中間の功法が三種類ある。
一つは動静相兼の站椿功がある。静止もありまた動きが連続していく。
第二は静かにしていようと思っても中から動いてしまう自然動功、自発動功である。
第三は体は静かにしているが手で働きかけていく按摩功である。いまは詳述しない】
3 三調操作からの区分
調心を主とした功法
意守、存思、入静などの操作を主とした功法で禅定、坐忘など。
調息を主とした功法
吐納、服気、行気などの操作を主とした功法で新気功療法、内養功など。
調身を主とした功法
姿勢、動作、按摩などの操作を主とした功法で八段錦、保健功など。
4 姿勢からの分類
站式
立ってするもの。
坐式
床に坐ったり椅子に坐ったりしてするもの。
臥式
ベッドなどに横になってする。
行式
歩いていくもの。郭林気功、太極拳など。
5 やる人数からの分類
一人練功
自分ひとりでする。
二人練功
教師がいて教えることを目的に練功する、二人按摩、房中功〔男女ペアで性的エネルギーを交換するためのもの〕
集団練功=組場練功
三人以上で場を組んでするもの。リードする教師が加わる場合は帯功という。
6 歴史的な由来からする分類
健身気功
2001年から国家によって編集された四気功、のちに九気功
伝統気功
それ以外の1911年以降の気功〔中華民国、中華人民共和国での気功〕
古典気功
1911年以前の古代から伝承されて来た気功。
治療気功
1949年以降に治療目的で作られた気功。
2017年6月28日 6:50
気功の「八大目的」について
気功の効果・目的についてです。
一応ここまでで、「別荘」での仕事は終わりです。
あとヘルシンキで余裕があったら、「気功の歴史」とか「現代気功の人々」などを書き継ぐことにしましょう。いまの作業は、コンピュータに入っているのを引きだしてアレンジすれば簡単なのですが、2009年というと三世代前のコンピュータで、パンフレットをベースに全部打ち直しています。自分でも新鮮なところが多く、びっくりしています。
◇
気功の効果、目的については「気功の分類」で語りつくしているようにおもいますが、この分類はどんな形式化とかどんな歴史的な形成を経てきたかということで、気功の目的ではあのません。気功の「八大目的」について少し詳しく述べてみたいと思います。多分三回くらいに別けます。
◇
効果というのは、気功をするとどんないいことがあるか、ということである。
どんな悪いことがありうるか、ということは「偏差」の項目に書くはずだ。ここでは基本的に「可能性」について語ろう。
『NHK気功専科2』以来、私は気功の目的を八つに分類している。これは前節と違って、気功をするとどういういいことがあるか、の分類である。まず項目を挙げてから、それぞれについて述べる。
◇
《保健》自分が健康に過ごすための養生法としての気功。
《医療》病気になった時に医師の処置として、また処方として気功を治療目的のために応用すること。その一部に外気治療がある。また医師ではないが郭林の抗ガン気功は社会的に定評がある。
《体育》スポーツ鍛錬に応用される気功。また健身気功のようにそれ自体スポーツ種目として認められている気功法。また武術の中でそのトレーニングや技法の中に気功を包摂しているもの。
《教育》主として脳の開発のための気功。
《宗教》中国では儒教、道教、仏教それそれが、生きている間の、また死後も含めての自己管制のりかたにかかわるものとして気功を応用してきた。
《芸術》書道、絵画、音楽、演劇などの行為自体が気の修練であり表現であるが、それを高めるために気功法も使われて来た。
《表演》とくに武術気功を応用して人に見せるためにやられる気功で、大道芸や曲技と結びついてやられてきた。
《環境》天人合一の境地を応用して自然環境との濃密な相互関係を体験する樹林気功など。
◇
自分のための努力としての保健気功
保健気功と医療気功は表裏一体のものである。
保健気功は自分で判断して自分のためにやる気功だ。養気功、養生気功ともいう。90年代の中国では、大都会の場合、どこに行ってもとりどりの気功をやるグループが見られた。完全に無料ではなく、ごく安い金をとることが多かった。香功〔しゃんごん〕のような一世を風靡した気功も、問題の法輪功も、皆公園を舞台としてひろがったものだ。新気功療法なども、郭林さんが公園で自分のためにやっていたのが聴きつけて集まってきて、大きなうねりになった。
むろん一人でてんでに自分のプログラムをこなす人もいた。
法輪功の取り締まりで、警察側は何がどの気功か区別がつかないので、二年くらいの間はほとんど公園で気功をやることがなくなり、次第に回復してからも以前のような大集団でやることはなくなった。そしてこの空白の五年から十年の間に、気功指導者の多くは引退したり、死亡したりした。残された人も家庭の中でやることが多くなった。
実際にはこの空白時代に、医者にかかる高齢者が激増し、年金制度は危機に瀕した。健身気功に力を入れたのはこのためである。
それから二十余年たって、健身気功はまあ広まってはいるけれど、朝の公園をいっぱいにするような勢いはない。小集団で、あるては一人で伝統気功や医師に言われた医療気功をしている姿はそこそこに見かける。健康な老後のためには気功は生涯必要だと考えている人はまだ多い。
◇
医療気功といわゆる外気の問題
これに対して医療気功は医師の判断でする気功である。薬を投与するようにして、「あなたはこういう症状だからこの気功が向いています。まず一か月毎日30分ずつやって病状を観察しましょう」というふうにいわれる。北戴河の気功病院に入院すると、毎日何回も保健功という自己按摩をして、また症状によっては内養功とか強壮功とかをする。外では太極拳を毎日しているし、各地の気功指導者が自分の気功法を紹介している。症状に応じて特別の気功を処方する場合もある。
北京の西苑医院などでも、気功科が充実していて、何人かの気功医師が指導しており、必要なら外気治療をすることもある。精神科の患者や、幼児にははじめから外気で治療する場合もある。北京中医学院や上海気功研究所の場合、医師は自分の判断で外気治療をして構わないが、今は一般にはやっていない。内部だけの外気治療研究会をもって臨床実験をしている。
外気治療は気功の訓練を全くしたことのない人でもある程度できる場合がある。赤ちゃんが急病で大変という時、手を当てていると泣き止むが手を離すとまた痛がるというような場合もある。ある意味では誰でもそうした潜在能力はもっている。しかしそれは医師と同じに治す力があるということとは違う。気功をしたことのない人でも、外気をしてみたら以外に効いて、そのまま診療所まがいの活動を始めてしまった人は、80年代から90年代にかけて何万人も登場した。大体2000年前後に悪質なものは逮捕され、医師以外は金をとって治療行為をしてはいけないと徹底された。それで稼ごうとしていた人たちの多くは日本やアメリカに渡った。外気治療自体には大きな可能性があるが、こうした「気のせい」の人々がひろがってしまったのは残念なことだ。
気功はまず自分でやるもので、こうした治療を一方的に「受け」て治療した気になるのは間違っている。
◇
武術から体育気功へ
体育気功はもともと武術の中で育ってきた。中国武術の中にはさまざまな流派があるが、内家拳とよばれる太極拳、形意拳、八卦掌、通背拳.などはいずれも明確に気の武術として発展してきた。ある意味では気功の武術への応用である。太極拳の場合はそれがまた「太極気功」として気功に引用された。
太極拳は気功の歴史に比べればごく新しいものだが、たとえば「抱球」両手を向き合わせることで気の玉を作るという新しい画期的な技法を開発した。これは古代気功にはなかったもので、体の周囲の気を自在に動かすという意味では決定的な技術革新だった。
そのこともあって、太極拳の動作を使って気功をする太極気功という一大ジャンルが形成された。「気功太極六段選」「太極十五勢」「太極十八式」「波動功」などはその代表的なものだ。太極拳の場合制定拳そのものが気功として設計された。
こうした経験は現代中国のスポーツトレーニングにも生かされ、多くの気功師がオリンピック選手たちの指導と能力向上のために仕事をするようになった。〔しかしこれは本来目的がちがうので、いいことかどうかはわからない。まあ選手たちが一面的な能力向上でない世界に触れるとしたらいいことだ〕一般の学校体育でも気功は広く応用され始めている。
2017年6月28日 8:50
教育気功と脳開発
気功の目的の二回目です。
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教育気功と脳開発
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1990年代は健康のためと同じくらいに、人々の関心が脳の開発のための気功に向けられた時代だった。智能功や中華益智気功がそれをリードしたことは間違いない。そして教育現場でも、脳の開発と気功が大きなテーマとして取り上げられた。それはいったん壊滅状態になったが、いまでもこうした観点で研究を続ける研究者や教育者はいる。
折から欧米では、ヨガを使った特別な記憶法、学習法が広がり始めていた。代表的なものに「ロザノフ・メソッド」がある。普通の意味では文盲のヨガ行者が、「ウパニシャッド」や「ヨガ・スートラ」を何万行も暗記しているのはどうしてだろうかに注目して、ブルガリアの研究機関がそうしたヨギの一人を長期に招いて、彼が記憶しようとするのを再現してもらった。未知の国の言語を覚えようとして、彼はめざましい成果をあげた。瞑想状態であるリズムで唱えるようにすると、彼は一回で膨大な単語を覚えた。
このやり方は当時のソ連政府の注目するところとなり、モスクワオリンピックの通訳速成に役立った。さらにこの特許はカナダ政府に買い取られて、スーパーラーニングとして西側に紹介された。日本では関英男さんが監修したが、思ったような効果は上がらなかったと言われる。
この方法は中国各地の師範大学でも研究されて、気功を応用した記憶術が様々に試みられている。私は脳の開拓についての気功の可能性は21世紀にひらかれた大きな課題であると思っている。
◇
宗教気功から超宗教へ
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気功は天台小止観の三調を自分の原理として採用した。気功と宗教はもともと不可分に発展してきた。
実際の気功法の大部分は道教と仏教、なかでも道教とむすびついたものだ。現代の宗教者たちは気功をどう受け止めているだろうかというと、愛憎半ばするものがあるようだ。一方で道教やチベット密教の修行法にたくさんの人の関心が向くようになり、道観や寺への参詣や寄進も増え、気功ブームの形をとった一種の宗教再評価運動が起こった。それはしかし本来自分たちが訴えたいように評価されたわけではなく、いわば勝手にゆがんだ解釈をされたりして、さまざまな迷惑を受けた。日本のヨガ指導者が麻原に感謝したりしないのとおなじことだ。しかしその背後で気功と宗教についてのまじめな研究も進んできた。
実際に気功はそれぞれの宗教の内部で修行としてやられてきた。儒仏道それぞれ違った説明はあるのだけれど、どんな形でかリラックスし、入静に達しようとする点は同じである。マックス・ウェーバーの東洋研究に決定的な影響を与えたデ・ホロートは『風水』の中で、儒仏道はもともと一つの宗教の分派に過ぎないと書いているが、ある意味では気功という文化が様々な形をとっていわば兄弟宗教として成熟した。「儒仏道が気功を取り入れたのではなく、気功が儒仏道という姿をとったのではあるまいか」ということを北京で述べたことがある。そして、だからこそ気功は宗教を終わらせられる、地球のため、私と家族のため祈ることが気功であるなら、何宗も何派も本来いらないのだ。宗教家の宗教を終わらせて超宗教の時代を開くことは、この時代の気功の一番大切な仕事である。
◇
すべての芸術の基礎としての気功
◇
芸術気功について話したいことは多いがここでは簡単にしよう。
いつも教室で説明している言い方を借りよう。
ここに山を描いた一枚の絵があるとして、画家は山の何を描いたのだろうか。山の何に感動して、わざわざ描こうとしたのだろうか。それは言うまでもなく、山の形の背後に湛えられたその「気」に感応して、山と気をつなぐために書いたのである。その山の形を忠実に描こうとするが加茂いるし、ピカソみたいに山かどうかわからない線を描く人もいるだろう。しかしそこに共通しているのは、「画家が山と気をつうじた記録」が画面に描き込まれているということなのだ。それは山が持っていた莫大な気をその画面に封じ込めた一種の「缶詰」なのだ。
缶詰だということは、缶切りがないと味わえないということだ。つまり絵を見る力のない人には、それは壁のしみと同じだ。缶切りのある人だけ、そこに閉じ込められている莫大な気、山の気と芸術家の気、を直接に体験し味わうことができる。缶切りとは、気功態で画面と向き合うことである。では芸術家はどうやって描いたのだろうか。山に向かって前進を開いた気功状態で、気の交流をしたのだ。
このことを中国の美学では「気韻生動」と言って来た。その絵の中に気が生き生きと響き渡っているという意味である。
書道のことを中国では書法というが、書法家にとっては気功修練は必須の教養だった。みんな同じ字を書くわけだから、何が隣の人と違うかと言えば、それは「気が違う」のである。文字の湛えている気の質と量がその書法家の力ということになる。音楽家も、俳優も、建築家も、踊り手も、作家も、それぞれのスタイルの気功の修練をして来た。作家で言うと、書かれていることよりも文字と文字の間に気があふれていると感じさせる人がいる。そういう時に批評家は、この作品は「文気がある」と評価するのだ。
2017年6月28日 20:50
表演気功、見世物として、人体芸術として
気功の目的の三回目、最終回です。
◇
表演気功、見世物として、人体芸術として
◇
表演気功とはあまり耳慣れない、普段使われない言葉だと思う。いわゆる超能力ショーに出るような人たちにたいして、あんなものは気功ではないと切って捨てるのはやさしいけど、そうしたくなくて作った言葉だ。ああやって人をびっくりさせ、楽しませることもひとつの芸術と言っていいかもしれない。私はやらないし、その気もないけれども。
もともとは武術家で、道場をもったり定職をもてなかった大部分の人の中から生じた。武術訓練をする人の中にはかなり特殊な訓練をする人がいる。あるいは自分では判断がつかないうちに、親からそのような訓練をさせられてきた人もいる。レンガを重ねて割るくらいは日本の空手でもやりたがるが、刀を差して皮膚で食い止めて見せるとか、刀そのものを飲んで見せるとか、刃を上にしたブランコに裸足で乗って見せるとか、こわいもの見たさの見世物には十分なる。針金でぐるぐる巻いて素手で切って見せるとか、ガラスの水槽に沈められて長時間息を止めるとか、ご苦労様といいたくなるものもいろいろある。私は気功との長い付き合いの中で、町中に大道芸の看板を出すところからホテルの密室でこっそり見せますに至るまであらゆる体験をしてきた。時計を止めて見せるとか壊れた時計を動かすとか、薬瓶の蓋をあけずに薬を取り出すとか、客がこっそり文字を書いて丸めた紙を耳に入れて読んでみせるとか、私がそばにいて直接体験したものだけでまだえんえんと例を挙げられるほど見せられて来た。ネタのわからない、本当の超能力だろうかと思わせる物も多々あったが、それらの人が今どうしていることやら。「中にはは本当に起こっていることがあるとしても」私はマッチ箱を触らずに動かしたりがロケット工学のトップだった銭学森がもてはやすような新しい能力なのかと当時から思っていた。人間の脳の未開拓の部分が動き出せばこんな低レベルの物であるはずがないと。ただこういう「超能力者」としてもてはやされた人の人格や生活が心配だった。
◇
環境気功と森林体験
◇
環境気功を気功の主要な一ジャンルにするということは八十年代の初めに津村が言い出したことである。『樹林気功のすすめ』という当時のパンフレットは何度も改定を重ねてきた。むろんすでに述べてきたように私は張宇先生から大きな影響を受けてきた。彼は私の一つとしうえで、天才的な外気治療師として認められていた。世界医学気功会議の日本代表だった間中喜雄北里大学教授が、中国政府に対して「本当に信頼できる外気治療をする人を一人だけ連れて来てくれ」と要求して、国家衛生局の中医国家管理局の責任者が「この人だけは本物です。我々が掌握している六人のうちの一人です」と言った。手当て気功師は何万人もいたと思うがその中で六人が本物とみられているのが私には興味深かった。結局六人ともに会うことになった。そのうち四人はもういない。私は張宇と気功についてだけでなく、易や風水、環境地理学と気功についてずい分語り合った。
日本にはカタカムナという中国から文字が伝わってくる以前のものとされる文献があって、その中には具体的に気功法もあり、また天地の気の読み方、活かし方がさまざまに書かれている。私はこのカタカムナ文書が出た場所である六甲山系の金鳥山とその後ろの保久良山に張宇を案内して、龍脈の読み方を討論した。そして環境の気を体感し解読するための観気旅行をしようということになって、移動大学を作った。彼は外丹功という人が天地万物と気で出会い直すための功法を作っていた。内丹功もあり、これらは厳密な意味の本来の内丹派気功とはいえないが、どういんから自然に移行していくように作られていた。
外丹功は体の周囲を包んでいる衛気を自在に拡張させて、山や海や樹木と気を通じる方法だった。この訓練を受けなければ、中国気功とハワイイのカフナとの関連とか、アボリジニやアメリカ先住民、アイヌとの触れ合いは理解できなかっただろう。この外丹功は気功を身体から環境へ解き放ってくれただけでなく、中国気功だけでなく世界のいわゆる少数民族、近代国家を作らなかったために差別され、だからこそ自分たちの広い意味の気の文化を保存し続けてこられた人たちに「気功」を学びに行くことになった。
この経験の途上で、1988年、私は『樹林気功』の最初の版を出した。各地に樹林気功のグループはひろがっていった。90年代には日本の環境教育のメッカである清里のフォレスターズキャンプ場に樹林気功センターをおかせてもらって、自然体験と気功体験を結びつけるための合宿を繰り返した。
樹林気功は森の木立と向き合って気功をしてみるという単純なことだ。站椿功をしたりスワイショウをしたり、根を下ろして無心になれる物ならなんでもいい。その時に向き合った樹木の気の場に包まれて、それによって自分自身がひとつの場であることが分かってくる。二つの場の重なり合いの中でふだんの社会的関係とは違った生命体としての基本的な交流を体験する。この木はあまり相性が合わないとか、今日はちょっと、という場合には変えることもある。内部に気をめぐらせるのとはまったくちがった自己拡張体験。普通にイメージされる環境だけでなく、太陽系へ、銀河宇宙へ、その外部の無数の宇宙へは想像上で自分を拡張していく。私は銀河てあり、その外のもっともっと大きな宇宙の139億年の歴史そのものなのだとアイデンティティを拡張し、また帰って来る。そして私が宇宙でもあり体内の一滴の血液や脳髄液でもあるという無限の連鎖が、次第に自由動功から自然動功へ、自然動功から自発動功へと導かれていく。私はない、といってみよく、無限の連鎖だといってもよい。
この自己拡張になれると、たとえば仏像に向けて自己の気の場を広げて、仏像との間にあるいは背後に生じてくる聖空間を体験することも容易にできるようになるる歴史的な建造物とか、特別の気の場を持った自然とかとも深い交流ができるようになる。また人間関係にもこの気の交流という次元があるので、関係作りが今までと違ってくる。男女の気を通わせる房中のテーマも出てくる。これは本節の課題を超えるが、男女関係もまた環境問題であるのは当然のことである。
2017年6月28日 21:50
ヘルシンキに帰る
明日木曜日にはヘルシンキに帰る。ひょっとすると金曜の朝になるかも知れないが、その辺は運転するカウコの都合で決めてくれていい。金曜の夜から講習がある。
このアパートも片づけモードである。葱とかプチトマトとかもう痛んでいる物は捨てる。痛んでいないものは、ナスとか人参とかセロリとかは、きょうじゅうに使う。ミルクもあった。ヘルシンキまで持っていく間にたぶん固まってしまう所が日本のミルクと違うから。今日はせっせと飲む。とりあえずインスタントコーヒーを詰めた今まで飲む。砂糖や塩のような誰でも使える物ははおいていく。ほかの調味料はわずかになった。ごま油はなかなか質がいいので日本に持って帰りたい。エレナのところからもっきた箸とか鍋とかはちゃんと分ける。米と卵はヘルシンキでも食べやすいか。朝鮮風のスーパー調味料はピクルスの空き瓶に入れる。これと卵があれば何もいらない。そうだ、小麦粉が少し余っているのでまたパンケーキかな。キムチ入りと甘いのと。
小さいガラガラのカバンに本とプリンタと蝋燭など詰めた。エレナに借りた包丁もこれに入れた。刺身包丁なので使わなかった。今度菜切りのいいのを買って来てやろう。
大きなかばんに薬類ガーゼなど入れると四分の一くらいになる。ガーゼは節約して、外側は紙タオルとかでしているから少しは日本に持って帰ることになる。アズノールももう一つと使った。もう一週間分でなくなる。
カバンの残りの四分の一に衣類を詰める。おとといまで来ていたのはもう選択しないで日本に持って帰る。包帯だけいま水につけている。
そうするとカバンの半分は、来た時に食糧が入っていたから、基本的には空いてしまう。ここにサーモンとかお気に入りの物をいれればいいが、それでもがらがらである。まあ仕方ない。パンパンに入っているよりいい。
何かわすれているかな。
2017年6月29日 11:10
片づけを始めた
こちらの午前三時ごろに片づけを始めた。
まず台所をきれいにして、捨てる物とほんとのゴミとを黒いゴミ袋に詰めたら六袋になった。いろいろ食の実験をしたせいで、おのずとゴミも多くなっている。棚においてしわしわになってしまったミニトマトとか、少し食べてしまったが半ば発酵しているバナナとか、つかいかけの干からびた胡瓜とかは丁寧に埋葬した。缶詰とか余ったものはできたら日本に持って帰りたい。豆のスープとかマッシュルームスープとか、手軽でおいしい。調味料をどうしようか。バルサミコ酢とかはエレナが使ってくれるだろうし、米とかはまあおいといて邪魔にはならないだろう。あとはヘルシンキになんとなく持って帰ってそのあと処分を考えよう。ごま油だけは日本に持って帰る。とてもおいしい。ゴミは日々出る汚れたガーゼや貼り薬の残骸を入れれば七袋かな。
小さいガラガラに本とプリンタと文房具を全部詰める。
リュックには日々の薬とひげそり歯ブラシティシューや濡れティシューを入れる。易禁教の本が一冊だけ入っている・それと日記というか、予定表。あ、コンピュータがここに入る。
包帯とガーゼと塗り薬とキッチンペパーとか馬油とかで手提げ一つになってしまう。外科のほうの薬である。三四日分は別に出しておく。ヘルシンキにいる間にもういちど塗り薬を作ればそれで帰れるかな。
あとは大きなスーツケース。半分はその薬類。傷口に鈴木先生はソフラチュールという網の目の薬をはってそのうえからアズノールで伸ばしたオリーブの粉末をガーゼに塗って貼る。そのうえに左足など傷口が四カ所あるからヘタをすれば八枚ガーゼを貼ってそのうえに包帯をする。ついもったいないという意識が払いて、当てガーゼ一重のあとはキッチンペーハーにしてしまったら、ガーゼが予定よりだいぶあまった。そんな薬関連がスーツケースの半分を占める。マッティにもらったソフラチュールの代用品はまだ試していないがここにつめてある。貧乏性で、医院では使い切ったことにしておく。
あとの半分には衣類が入る。それとこれから買うサーモンなど。
これでよい。あとはカウコが掃除機かけてくれる。来た時よりは美しく返す、というのを子供の時から徹底されるようだ。あと包帯を乾かして12本干しているのと、家を出る前にもういちど薬を変える分だけ用意してある。ずっとソファで四時間睡眠をしてきた。昨日はつかれていたと見えて珍しく六時間寝た。だがずっと明るいから、日本時間なのかフィンランド時間なのか、いつも考えないわからない。
2017年6月29日 19:10
七月八日九日です
七月の京都講習
七月八日九日です。フィンランドから帰宅した週ですが、やります。
鮭などおやげがいろいろ。
七日土曜日
午後一時から二時半 背骨ゆらしの治療効果別いろいろ〔新内容〕
午後二時半から四時 周稔豊易筋外経の第二部と静功八式〔新内容〕
四時から五時半 坐忘と心斎 ふたつの静功の比較 周十二段錦〔新内容〕
夕飯1000円
八日日曜日
九時から十二時 道教八段錦、簡易動功など
昼食500円
一時から三時 智能功光の瞑想、禅密功光の瞑想〔新内容〕、あとはご希望に応じて
露伴を読む会 集まった人の希望に応じて「道教に就いて」と「参同契」か決めます。
会員は一日5000円 一般は6500円です。
フィンランドでいろいろ発展があり、新内容充実です。
京都堀川鞍馬口の気功文化研究所です。
2017年6月30日 2:49
そのこと書く以外には
、きれいなトイレを作ろうと一生懸命だ。古いトイレの小屋はカウコの釣り道具を入れておく場所になった。今のところトイレはないので、男性の小はそのへんどこでもという感じ。女性の小と男女の大のほうはもう少し奥に行ってゃがむという具合だ。大きな倉
庫はこの冬に寄った時にもう作っていた。その一部をトイレにする話らしい。その出来かけの大きな小屋以外に、居間兼寝室にしている小屋と、サウナ小屋がある。サウナと二つのベッドの部屋がある。ここには昨日までエレナの妹とその娘がいたのだが、帰った
ので私がそこに来たという次第だ。明日の朝にはヘルシンキに向かう。
妹はエストニアに住むロシア人だ。エストニアが独立してから、すごい苦労をした。エレナも事情は同じだったのだが、早くからフィンランドに出てフィンランド語を普通に話せるようになった。妹の娘の方は、料理人になるとはりきってエストニア語を学んで
いる。このあいだ一緒に買い物できてよかった。カウコに「ロシア料理の材料探してるの」と聞いたら、「何がフィンランド料理か何がロシア料理かなんと、まったく区別がつかない。ぼくは肉を食べないから関心があるのは肉が入っているかどうかだけだ」と言
っていた。
夕食じゃなくてスナックだと言って、町のピザショップでピザを三枚買って来た。これがなかなかおいしいのだ。ヘルシンキのどこよりもおいしいといってもオーバーでない。いつも戸外においてあるテーブルがあって、そこで食べる。こちらの習慣として、直
径30センチをこすようなのを、必ず一人一枚頼む。少し分け合ったりしても楽しいのではないかと思うが、決してそれはしない。私のはツナとオリーブの実とパイナップルと四角いチーズの載ったのををカウコが頼んでくれた。おいしいが三分の二で限界だ。深夜
に食べるためにとっておく。「スナック」が終わると、今度は二人で大工仕事をしに行った。
湖までは十メ―トルほどだ。その手前は白樺ともみ、赤松がほどよく植わっている。正面から照り返しがあるが、ちょうど太陽は木に隠れていて、湖面だけが光っている。湖から誘うように魚がはねる。カルガモの親子が通っていく。いろんな小鳥が鳴き続けて
いる。ヘルシンキの環境も悪くないが、ここを一歩ずつ建設するたにヘルシンキに働きに行っている、という雰囲気はよくわかる。ここの土地は相当に広いので、将来大きな合宿所も作ろうとしている。今は二軒隣の貸し別荘を使っているが、先行きは自分のとこ
ろでやりたい。あといくつか建物が建っても少しも問題のない広さなのだ。仕事をしているスタジオと別に、歩いて行けるところにアパートを借りていた。一時は二部屋と、ほかに荷物置き場も借りていた。その部屋の分で、ここの支払いの何か月分になる。目を
上げれば湖面で、向こう岸の森が見える。この湖はいくつもの湖とつながっていて、フィンランドの何分の一かとつながっているらしい。私は今は泳ぎもしないしボートをこぐのも一人では不安になってしまったが、この水がはてしなく広がっていることは感ずる
。
2017年6月30日 16:19
夜は使えない
までは連絡がつきません。