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■ 2005年(夏)の旅日記

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2005/6/-- フィンランド旅日記 2005/6 第二回 2005/6/-- フィンランド旅日記 2005/6 第五回
2005/6/-- フィンランド旅日記 2005/6 第三回 2005/6/-- フィンランド旅日記 2005/6 第六回

 





2017年06月フィンランド旅日記 2005/6 第一回

2005年6月18日



■ラップランドの日記のつまみ食い

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湖の多いFINLAND

ラップランドについての文章を書いたときの、もとの日記を少し紹介します。ただすごく長いので、全部は載せられません。つまみ食いというていどです。人の名前は林さんやアッテ以外は原則的にイニシャルに変えました。

いつでもメニューが詳しく書いてあるので、関心のありかがわかってしまいますね。ツァーのあいだはずっと料理番をしていました。この日記でもあえて精神的なことは書かないで、事実をたんたんと書いています。林晶彦さんというピアニストを招いていました。冬に続いて二度目です。あちこちの教会などでピアノやオルガンを借りて演奏させてもらうことがひとつの狙いでした。それを録音して、何枚かCDを作ろうという計画もありました。

6月18日(土) 湖畔のおいしい生活

最初の目的地であるプルベシの夏小屋で書いている。もう19日の1時で、日本は朝になっているから、ずいぶん長い一...日である。林さんと二人、さっきまで缶ビールを飲んでいて、いまお休みを言ったばかり。女性たちはやや離れた小屋にいるし、運転手のアッテは湖畔のサウナ小屋でねているから、ここは二人だけだ。空港にはカウコと弟のアッテと来てくれたが、カウコが武術の先生が来ているので、二三日遅れてくる。アッテが14人乗りのバスを転がしてくれている。日本から六人で、ゆったり荷物を入れて、ちょうどいいくらいだ。アッテは日本語を勉強していて、英語と取り混ぜて十分話は通じる。

夏の雲である。積乱雲がちぎれたような雲が、何か劇的に折り重なって浮かんでいる。赤い土を塗った田舎の家が広い農地と草原に点在する。大鹿のシルエットを描いた警報が、なんとなくのどかな雰囲気を作っている。日本でもサル警報、タヌキ警報はあるが大鹿はない。北に行けばトナカイ警報ばかりである。だが大鹿とたまにぶつかることがあり、ちょうど大きな角の生えて頭がフロントグラスを粉砕して入ってきて、トナカイよりずっと深刻だと言っていた。

コウヴォラで止まって、少し買い物をした。六時までであと15分しかなかった。土曜日は早く閉まるのだ。サヴォンリンナの近くの街道で、行きつけのサーモン料理専門店があって、八時までなのだが電話をして少し待ってもらっていた。温かい料理はできないが、ソフトサーモンと焼きサーモンの豪華なサンドイッチで十分。コーヒーがついて、七人前で4600円。

プルヴェシについた。いつも使っている14号に男性が止まることにして、女性たちの五号を見に行った。二部屋あって十分。四人のうち二人は前にも来ているので、サウナも勝手につけてくれている。うちのサウナはアッテがつけてくれた。がんがんに熱くする。煙突に水を投げるとぴーんと音がするほど。温まって、林さんを湖に誘うが、遠慮しときますと桶の水をかぶるだけ。ひとりで湖で泳いだ。西は夕焼けの名残。痛いほどの静寂。今日は33時間もあった。

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2017年06月フィンランド旅日記 2005/6 第二回

2017年6月19日



■6月19日(日) ケリマキの古い教会でオルガンを弾く

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FINLANDの湖

林さんの足音が聞こえて目がさめたのが4時ちょうどだった。起きてテラスを覗いたらDATにマイクをつけて置いてあるので、鳥の声をとっているのだなとわかり、呼ぶのはやめにした。彼は反対側の岩の上で瞑想している。

もってきたものを整理して朝ごはんの用意を始める。女性たちに来るように言ったのは八時半だから、まだ十分余裕はある。荷物の中で唐辛子味噌が漏れていろんなものに染みてしまった。トマトを切ってガーリックを軽くすりつけ、オリーブオイルをかけて冷蔵庫で冷やす。卵をゆでてざくざくと粗く刻んでマヨネーズで和え、サーモンの添えものにする。玉ねぎを買い忘れている。代わりに白菜を薄く薄く切って卵と合わせる。空港で買った電気がまのようすを見る。

朝ごはんは以下のごとし。
白菜とゆで卵のサラダ(添え物で...なくなってしまった)。ソフトサーモンのオープンサンド。トマトとチーズだけのピザトースト。トマトガーリック。海藻と白菜ときゅうりのサラダ。フェタチーズ。エダムチーズ。ベリー入りヨーグルトとコーヒー、紅茶。
みんなボートに乗りに行った。林さんは戻ってきて外で立禅をしたりベッドで何か読んだりしている。こちらは洗い物をして、昼の用意。外の空気はひんやりとして、すばらしい。

昼食。帆立出しの中華粥。ザーサイ。サーモンサラダ(残り物を合体)。高野豆腐と椎茸、木倉部の卵とじ。白菜と薄揚げのすーぶ。みそかつおにんにく。

ケリマキの教会でパイプオルガンを弾いてもらうことにした。湖のちょうど反対側だ。一時に出た。一時間無料で貸してくれる。オルガンはいろいろなボタンを押したり引いたりでそれぞれ音色が変わる。足も鍵盤だし、あれこれ試すうちに一時間経ってしまった。DATで記録して、どう使えるかはじっくり考える。アッテが「ドイツ人が何人か下で一時間聴いていて「すごい」って言ってたよ」と言った。

こんどは北回りに半周。綿雲がふわふわと浮かぶ気持ちのいい日だった。カウコが着いた。忙しくて記録するのを忘れた。シチューとか、崎陽軒のシューマイだとか、キノコのサラダとかしたみたい。サウナ三昧。

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フィンランド旅日記 2005/6 第三回



■6月20日(月) 一路ラップランドへ

一時に寝て、四時に起きる。窓を開けていたら少しのどが痛くなった。
食器を洗い、並行して朝飯BOXを作る。おむすびが作れるかご飯をたいてみる。こちらの米だとやはりバラバラになってしまう。梅干しとか鰹節とかと醤油を入れ、おにぎりになってもらう。トマトとチーズをはさんだ小判型の黒パンとサンドイッチとゆでたまご、ドーナツ。

バスだけでなく、カウコの乗ってきた車があるので、私はそちらに乗った。岬の端に住む大家さんのところに支払いに行く。バスのほうは聖なる湖に行ったりしたのはいいが、カウコと連絡がとれなくて少しイライラした。こちらはひたすら北上。イナリにつくのは夜になってしまった。まず真ん中にあるバーに顔出しすると、ほとんどの友人に会える。挨拶をして、すぐ北側のコテージ郡。管理人が11時半までまっていてくれた。

大きなキッチンのある部屋を津村が使うことにする。ここが食堂を兼ねる。キッチンにベッドがあるのだから、女中部屋みたいなものである。林さんがひとつ、女性四人でふたつ、カウコとアッテでひとつ、小屋を割り振る。もっともカウコはいびきがひどくて弟がかわいそうだからゆうべも車で寝たらしい。みんなが着いて集まる。シャンパンで乾杯する。イチゴとロールケーキなどつまみながらビールやウォトカで話がはずむ。一日移動で大変だった。昨日よりもっと夜が明るいから、みんな長旅で疲れているのに、なかなか寝ない。

 

 

 

 

 

 

 

 








2017年06月フィンランド旅日記 2005/6 第四回

2005年6月21日



■6月21日(火) 森の教会へ

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FINLANDの湖

泊まっているのは「パティランメッキ」というところだ。カウコの小屋から下がるとすぐ水辺となり、サウナがある。桟橋があり、モーター付きと手漕ぎと、ボートが二艘ずつある。津村の部屋は水道が出るし台所は立派だが、四人しか座れないテーブルなので、カウコの部屋から六人テーブルを運ぶ。部屋いっぱいになる。

朝食
かき雑炊。ふりかけチャーハン。麩いりちー。

本来は豚三枚肉と生牡蠣で作るのだが、今日は薄切りの高野豆腐と缶詰のスモーク・オイスターだ。残りのご飯をいろんなふりかけとチャーハンにしてみる。沖縄の麩を戻してありあわせの野菜と卵で炒める。...
ボートでできたらウコンサーリへ行こう、浪が高くてだめだったら、ハイキングでもしようという話になっていた。弁当の用意をする。ピクニック弁当はお手の物である。

ボートで出てみると、どんどん浪が高くなり、ちょっと無理かなになる。森の教会へのハイキングにしよう。バスケットに入れていたお昼をリュックに詰め直す。森の教会へのハイキングコースの入り口の案内に「森の教会まで4.5キロ」とフィンランド語でも英語でも書いてあるのに、下にドイツ語で「森の教会まで5キロ」と書いてあるのにカウコが笑う。ドイツ人を差別して笑いものにする傾向があるらしいが、公式のガイド看板でもこうである。0.5キロは迷うだろうといういみだろうか。
起伏は少ないが一応山道の4.5キロは平地とはずいぶん違う。このイナリの森林コースも片道二時間はどうしてもかかる。途中でSさんが引き返して船のところで待つといいだしたが、操体法で調整してあげたら元気になった。
もう使われていないが古い木造の教会。サーメの和解女の子が夏の間は毎日山道を通って入場料カンパを取ったり絵葉書を売ったりしている。一応「奉納演奏」ができるかなとロールピアノを持ってきたが、それでは演奏は無理のようだ。ハモンドオルガンとかもない。

近くに食べたり泊まったりできる広い小屋があって、そこで昼食にする。こういう小屋に何日も泊まって放浪したことがあるのでなつかしい。

昼食
三種類のパン。チーズスプレッド(にんにくとピメント、きのこ)。トマトとゆで卵のマヨネーズサラダ。サーモンサラダ。チリツナサラダ、リンゴジュース。
さあ元気が出たぞ。もう一度同じ道を帰る。Sさんにもう一度足の筋肉をさわってあげたら、頼りにしていた杖も捨ててしまった。夕方のサウナに入って皆大満足。林さんはやっと湖に足をひたせるようになったが、まだ泳げない。女性たちは平気で泳いでいたようだ。

夕食
うどん。切り干し大根(人参、昆布と高野豆腐入り)。じゃがいもと玉ねぎ、揚げ高野豆腐の炊き合わせ
このあたり精進にしておけば参加者の一人のヴェジタリアンもカウコもたべられるからだ。蛋白質,脂肪が多いのでみんな精進とは気づかないくらい。歩き疲れたあとに気取った料理でもあるまいと、おふくろの味ふうにしている。

きのう土産物屋の前でこのあたりの一番ホテルらしいホテルであるクルタホビのおかみさんに会って、カウコが「ピアニストが来てるんだけど弾きに行っていいかな」と話したら「どうぞ、どうぞ」というので行くことになった。ここの息子は前に聞かせてもらったことがあるが、年に一度のポリのジャズフェスティバルで賞をとったこともあるジャズピアニスト。今夜はいないで残念だが。
食事の後ホテルに行くことになった。女性陣はけっこうおしゃれをしている。林さんは譜面はもってきたが、気が向かない様子で落ち込んでいる。飲みながら談笑している人たちの前で引くというのはさすがに抵抗がある。雇われピアニストではなく創造者なのだし。カウコが林さんを誘ってどこかにいなくなったと思ったら、晴れ晴れとした顔で戻ってきた。川の激流を見てきたらすっかり気分がよくなったらしい。「カウコさんに演奏せいと迫られるのかと思ったらなんもいわないで川を見せたいっていうんで。やさしいですね」と感激している。窓の外をリスが走ってなごむ。林さんは弾き始めた。即興が出るころから調子がよくなった。微妙なセッティングをしたカウコのほうは演奏中もサーメの酔っ払いと大声で話しているのが面白い。深夜になってやっと薄暗くなってくる。

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2017年06月フィンランド旅日記 2005/6 第五回

2005年6月22日



■6月22日(水) やっとウコンサーリ(神の島)に行けた

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水辺

明け方から稲荷寿司を仕込んだ。恒例でイナリ湖に来ては稲荷寿司パーティを開いている。電気がまにご飯を仕込む。すし米といってあちこちのスーパーでべらぼうな値段で売っているものだが、日本から米を持ってこなかったときはこれに頼るしかない。80個作る。中の具は梅かつおふりかけと白ごまは共通のベースで、プラス「くこ」を入れたのと「柴漬け」を入れたのと半々にする。京都風の斜め切りの揚げなのでほんの一口である。みんなよく食べた。林さんも二日酔いで食欲がといいつつ10個以上あっというまに食べた。

今日は凪いでいてウコンサーリまで行けた。私は何十回も行っているので、今日は不参加。本を読んだり料理をしたりうとうとしたり。ウコンサーリ(神の島)ともウコンキヴィ(神の岩)ともいう。ひときわ遠くからでも目立つこ...んもりした岩で、観光船も行っている。湖のサーメの守り神であり、雷神でもある。

もどってきて中心部へ出て、シダーと呼ぶサーメ文化博物館に行った。よくできた博物館で中身を詳しく読んだり体験したりすれば一日いても飽きないが、今日は素通りでまわる。もともとここでお昼にする予定だった。前に来た時のようにサーモングリルとトナカイのシチューにありつけるかと思ったのだ。しかし今日はチキンだと言うのでやめて、店でトナカイを買って家で料理をした。トナカイの赤みそ煮である。肉を食べないSさんには昨日カウコが釣ったアハヴェン(うぐい)をムニエルにする。
夕方まで店を歩いて、土産物とか探した。Tシャツとか帽子とかトナカイの皮製品とか銀細工とかあれこれ掘り出し物を探す。もうこの土地は最後の日だ。

夕飯はカレーライス。昨日から煮ていた。野菜たくさんと揚げ高野豆腐を入れた精進カレーである。みんなよく食べる。ヨーロッパを旅していて日本式のカレーに会うとほっとするのは確かなのだが。それでいつも旅の始まりでなく、中盤戦の目玉にしている。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、麩、揚げ高野豆腐、ユーストレイパ(焼いたチーズ)を煮て「こくまろ」を入れている。ヨーグルトとか生姜とかあれこれ調整はするが、とくに秘密はない普通のカレーだが、みんな「どうやって作るんです」と聞くほどおいしいのは旅先のせいだ。外国にいるとこの普通のカレーが食べたい。ちょっとした葉っぱ類のサラダと切り干し大根。この日のためにらっきょうと福神漬けを持ってきていた。三回おかわりした人もいた。カウコは「みんなが残したら平らげる」と宣言していたが、その日は飲みに行っていてこなかった。それで翌日自由軒ふうカレーおじやにしてオムレツを載せ、べんとうにしてやったのだった。
この日のサウナはカウコが「男女一緒で気にしないことになった」というので何日かいるとそういうこともあるのかと一応水着を持って行ってみたが、カウコと林さんしかいなかった。「気にしない」のは男性のほうだけらしい。

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2017年06月フィンランド旅日記 2005/6 第六回

2005年6月23日



■6月23日(木) フィンランドほぼ縦断

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FINLAND

シンプルな一日だった。朝八時に出て翌朝四時まで、車の中にいたのである。
みんなはアッテの運転する14人乗りのバスで走った。こちらはカウコのトヨタである。ゆっくり朝ごはんを食べていると出発が遅くなるので、パンとチーズ、ゆで卵、野菜とジュースなどあれこれ渡した。イヴァロから飛行機で移動する話もあり、ロヴァニエミから夜行列車で帰る選択肢もあったが、結局人数が少なくて、赤字を減らすために車でもどってもらうことになった。といっても1300キロはゆうにある。東京大阪往復より少し長い。みんなの状態を見ながらでないと、どこまで走って泊まるかの判断がむつかしいので、ホテルも取っていない。自分だけなら車を止めて寝ても十分だが、ツァーではそうはいかない。

カウ二スパーの丘の360度見渡せるレストランに停まる。土産物屋も充...実している。それぞれ一休みのお茶にしている。冬にオーロラを待つのにぴったりの場所で、営業時間の終わった厨房を借りてトン汁やお汁粉を作って夜中をすごしたこともある。

また数時間走る。ロヴァニエミの「ここから北極圏」レストランに行って、ランチを選んでもらう。カウコと私は食べないでもう少し走ったパーキングエリアでカレーの残り、稲荷ずしの残りなど食べる。みんながゆっくり食べている間走り続けたから、100キロ以上先行している。オウルからだいぶ下がったところで、500m先ホテル有りの看板を見つけた。そろそろ寄ってみようか。街道に面した小さなモーテルで、レストランと数部屋があった。普通の観光的なところは夏至休みでほとんどいっぱいなのだが、こういうひなびたところは誰も客がいなかった。部屋を頼み、着いた時にサンドイッチとコーヒーでも用意しくれないかと頼む。置手紙をして、支払いをすませ、アッテに電話してこのホテルに決めたと伝える。

カウコと私は休まずに走る。今日中にヘルシンキに着いてしまいたい。夕飯はもういいことにした。午前一時ころガソリンを入れた時に簡単なパンを買った。ヘルシンキのカウコの家に着いたのは三時半である。ちょっと乾杯して、寝る。

途中の宿に泊まったみんなは夜食を楽しんで、近くを散歩したり、朝は孫が来て折り紙をして遊んだり、田舎らしい家族ぐるみの交流ができたようだった。予約しないで行動するといいことがある。むろんだめなこともあるが、そのことで嫌な思いをした記憶は余りない

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2013年 2014年 (冬)

 

 

 

 

   フィンランドに着いた

2013年12月22日

 

 

フィンランドに着いた。
ちゃんと数えてないがたぶん60回目くらいだと思う。好きなんですね、といわれればそれは好きである。白夜の湖ではてしなく泳ぐのも好きだし、秋の一面に紅葉がしきつめられた湖面をボートでゆっくりと進むのも好きだし、雪に寝てオーロラを待つ半分死んだような感覚も好きだ。水がうまいからコーヒーが特別うまい。などと好きなところを無あげていけば果てしがない。まだ世界の10分の1もまわっていないのに、ほかにも好きなところはいくらもありそうだが、あちこちを見て回るだけよりも、こうしてひとつの文化と、自然と深い縁を結ぶことのほうが幸せに違いない。フィンランド、そこから縁をつないだ兄弟民族のエストニアとの縁を深めていくことで、この一生は終わってしまいそうだ。私が死んだらどこかの海か山に捨ててくれと息子には正式の遺言を残しているが、どうもイメージに繰り返し出てくるのはラップランドの凍った海にはまって、厚い氷の下で目を開けたまま動かなくなっている自分の死に姿である。それが一番幸福だと思える。いやまだ死なないけれども。

 

 

   食べていいものの筆頭に各種のチーズが出てくる。これはありがたい

2013年12月23日


 

23日の一回目。
カウコと姉妹は教会をいくつか見てから、カウコの姉さん、アイラを迎えに行った。アイラが来て、本格的なクリスマス料理を作ってくれる。24日は忙しいので、23日にすまてしまう。24日にはエレナも来る。

テーブルの上には、生姜入りのクッキーと、風車型のパイと、干しぶどうとピーナツの鉢が並んでいる。クリスマス前にはこの三つがそろっていないといけない。風車型のパイは、四つの羽が出ていて、真ん中にあんずジャムが載っている。クリスマス前にはこれをテーブルに並べていつたべてもいいとカウコは言うが、彼以外あまり食べない。パイは焼きたてがおいしい。ほかにテーブルには七本のローソク型のランプと、あとヒヤシンスの鉢植えが赤い紙に包まれておいてある。ヒヤシンスはクリスマスの花で、ちゃんとイヴに開花するように仕立ててある。もうだいぶん綻びてきた。あとフィンエアの中でもらったファザールのチョコレートを...鉢に盛っていたが、みんなよく食べてあと一個だけ残っている。

キッチンでは大なべにビーツをゆでている。アイラにポテトやキャロットやビーツはゆでておいてと言われていたらしい。私は留守番兼鍋の番である。アイラに気持ちよく働いてもらえるよう、キッチンをこれからきれいにする。日本からの食材があふれているので、それをしまいこまないとならない。今日のお昼はきつねうどんでとかいろいろ計画している。こちらに来ると、家族ができたようなもので主婦感覚である。こういうのがどうも向いてるらしい。寮のおばさん、いやおじさんでもするか。

 

朝ごはんは三種類のパン。にんじん入りの黒パンがおいしい。マーガリンに塗るペパーチーズ、オムレツにトマト、サラダ菜、きゅうりのピクルス、いちごとブルーベリーのミルク和え、コーヒー、残り物のおかゆ。初日のカレーをかけたご飯の残りが昨日チャーハンになったのを、今日は最終でお粥にした。

ファザールのチョコを食べてみた。やはり強烈に甘い。のどに引っかかるような感じで、むせてしまう。チョコの味より砂糖の味が強烈だ。甘さを十分の一にしてくれたら、さぞおいしいだろうと思う。
ビーツのゆで具合がわからない。かろうじて箸が通るくらいか。もう一煮ててみよう。

朝は晴れていた。とはいってもずっと太陽も青空もみていない。降らないで、気持ちよく気が通っていたということだ。ベランダにコーヒーカップをおいて、湖を背景に、窓を通して写真をとったりしていた。今はまた雨になっている。このまま雪になるかもしれないと言っていた。ビーツが吹きこぼれて赤い汁が大変な事になった。一応箸は通るし、もういいことにしよう。ポテトがもう一袋あるが、同じ煮汁は使えない。

きのうサウナでカウコが「フィンランドに住まへん」と切り出した。何度も繰り返された話題である。何年か計画で小さな小屋を買って、私はそこで書く仕事をして、気功の個人教授をしたり出張教授をする。たまにパーティをしたり日本料理を伝えたり。年に二度くらい日本に帰って、日本で必要としている人と会う。はて気功図書館はどこに置こうか。たまにしか帰らない場所に保持できるかどうか。執筆のためにはフィンランドに持ってくる本も少なくないだろうし。と話は発展する。やがてフィンランドに住むだろうとは思っている。氷の下で死にたいという話はまだしていない。あちこちの講習で先生にこっちに住んでもらいたいと思っているたくさんの人にこの話をしてみようか、とカウコは言った。こんな物件があるという話が出てくるかも知れない。

 

 

 

 

   エストニアでのおせち料理

2014年1月--日

 

 

ヴィルヤンディというエストニアの真ん中へんの町で、した。ここにはダンス・フェスティバルのオフィスがある。ここで、夏に禅クッキングの一週間講習をやることになっている。その前哨戦ということもあって、イベントをした。同じようなことはヘルシンキでもしていた。ここでは五六人、カウコとエレナと私を入れても十人未満で、ひっそりやった。今度は十数人ということだ。

ヘルシンキが前々日だったから、たいていの料理はここで作って、タッパー20くらいにいれて運んだ。移動してダメになったのが「きんとん」だけですんだ。これはこちらで手に入るサツマイモに似てもっと水っぽいイモを煮て、煮詰めながら砂糖を入れて行って、さいごにシロップに浸けた栗を入れるというもの。こちらの人も好きな一品だが、砂糖を抑えめにしているのであまり持たない。

着いてから二時間しかなかった。ちょっと買い物に行って、魚とサ...ラダ菜とかだけ買い足した。もともとタリンまでエストニアのボスのマルトと、長年の生徒であるシルバーが来てくれていた。シルバーはタリンの有名な古典料理屋のコックなのだ。その彼が手伝いましょうかといってくれている。かといってプロのコックを使いこなすのは簡単ではない。開き直って、下ごしらえや下煮をやってもらうことにする。こちらが例を示すとその通りにしてくれる。

もう一時間、という時に重箱に詰め始めた。
エレナから借りてきた小さな和食器の小鉢を四つ選んで、外でとってきて洗った松葉を一の重にちらした上に配置する。真ん中にもともと箸置きである打出の小槌を置いてアクセントにする。四つの皿には、ごまめとくるみの和え物、黒豆、叩きごぼう、かずのこに削り節を乗せたものを入れていく。ごまめは畑に使う肥料で、それを味わって豊作をねがう。黒豆は一年達者でまめで働いてと言う意味だ。叩きごぼうは丈夫な歯のテストなので、あまり柔らかくしない。かずのこは子孫繁栄の意味だ。

二の重はあれこれ酒の肴。伊達巻が持ってこれなかったので、卵巻にシルバーに焼き目をつけてもらう。紅白の蒲鉾。ヘルシンキで焼きこんだ本鴨のロースト、チキンの南蛮漬け、昆布巻き、紅白なます、菊花かぶ、小さなゆず釜にいくらを詰め込む。

三の重はこんにゃく、れんこん、しいたけ、にんじん、たけのこ、えびいも、くわい、こんぶ、小さな高野豆腐。別々に煮て合わせたものだ。これで22種類。

あとは大皿料理だった。重箱に入りきらないものを大皿に形よく盛る。お刺身も大皿ふたつ。サーモンにいろいろ飾り野菜をあれこれ。鯛に似た知らない魚。あと燻製の魚を三種盛と酢漬けのニシンにカクテルグラスにいれたししゃもの卵。サワークリームを添えて。カウコ・スペシャルで高野豆腐と干しシイタケの大皿、シルバーにしてもらったズッキーニと人参のなます。これで31種類。

これで六時半ぴったりだった。甘いものを用意していなかったな。スーツケースのどこかに100円ようかんがたくさん入っていたが、まあいいや。箸は年賀の箸袋のが18本あった。たりなくなれば普通の角箸が32本ある。

これを全部並べて、一通り説明をし、日本酒での乾杯から始めた。白鹿の金箔酒をこの日のために持って行った。

途中、京都の白みその味噌汁を作り、ある菜っ葉を浮かせて、丸餅をゆで、20人くらいに膨れ上がっていたみんなに出した。丸餅が足りなくなり、角もちも出した。お椀を用意できなかったので、紙コップに入れたのが残念だった。シルバーは味噌汁とかあれこれ余り物を研究のため持ち帰っていた。

こんな次第だった。捨てるものがないくらい、みんな食べてくれた。すしだけでない日本料理というものを少し見直してくれただろうか

 

 

 



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