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海外講座



2017年01月内丹気功を学びませんか

2017年2月18日 16:12



間違いのないホンモノです



内丹気功を学びませんか
間違いのないホンモノです
現代の内丹の源流をその文化と共に吸収する絶好の機会です
3月22日から28日まで七日の旅
内丹気功を現代に復活した胡耀貞の長女胡麗娟さん
大同に訪問します。もう80を超える高齢なので
今のうちに少しでも吸収して、長い時間をかけてわが身に定着し
育てていきたい。
日本に内丹を根付かせるために、これから内丹を自分の気功の柱の
ひとつとしていこうという方に、ご参加をお勧めします。

曜日 内容 その他
3 22 本から北京へ。列車で大同へ  
23 胡麗娟授業一日六時間(簡易動功、道教八段錦、五禽戯などの復習)  
23 胡麗娟授業一日六時間(伍柳派丹道,子路太極など新内容)  
25 胡麗娟授業一日六時間(同前)  
26 胡麗娟授業一日六時間(同前)  
27 胡孚探先生のご自宅訪問 胡耀貞気功表演と交流シンポジウム  
28 帰国予定  


費用 北京空港までの往復は各自負担してください。
一緒の飛行機を手配してほしい人は申し出てください。
◆空港からのバス代、
◆北京駅からの列車代、
◆ホテルでの全食事、
◆宿泊費教材費、
◆宴会費用、
◆受講料、
◆みやげ代、
◆北京のホテル代、
◆交流費等
現地中国での費用一切として20万円(日本円)をあずかり、すべて支払ってから残りがあればお返しします

申し込み: 携帯 070-1817-0710 主催:気功文化研究所 担当:津村 喬 住所:〒603-8158 神戸市中央区旗塚通5丁目1-20 青木文化102号室
○お問い合わせご申し込みはメール kikoubunka@yahoo.co.jp か   携帯 070-1817-0710 でどうぞ。
連絡

 

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フィンランドクリスマス体験とオーロラの旅・予告

2015年8月14日

フィンランドに行った


24日には盛大なクリスマスパーティ

12/23(水)から12/30(水)変更もあり得ます。
24日には盛大なクリスマスパーティ。
25日、田舎の教会のクリスマスに参加。
ケサメッキ(夏小屋)で過ごしてキャンドルと暖炉の薪での生活。
オーロラ待ち。静寂の暮らし。サウナ。
二日間はエストニアで過ごします。14世紀の古城と独立の記憶。
最終日ヘルシンキ泊。クリスマスのあとは多くの店が閉まっていますが
年末に開き始めます。教会や美術館はあります。
料理人付き。フィンランド料理も日本料理も。
予定価格270000円。手作りの旅なので高めですが感動が違います。
飛行機代が予定より下がれば、お土産代として払い戻します。
ただ申し込みが遅くなる程この価格では無理になります。
これは八月中に申し込んだ方の価格です。
早めに行きたい方、延長したい方もご相談ください。
津村(高野)は11月から1月まで滞在していて、このツァーの日程には全日程つきあいます。運転手兼通訳でカウコも参加してくれます。
ご希望があればフィンランド、エストニアの気功仲間にも紹介できます。HOMEに返る

 

 

 

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大同訪問記

2015年3月2日


中国大同に行く荷物を作る。ニューヨークに行ったときと変わらない。小さな引いて歩くガラガラとリュック。ガラガラって、キャリーバッグというのかな。リュックの方が詰め込めば入りそうだ。キャリーバッグの方は預けて、リュックのほうは持ち込む。カウコから昨日になって、なんとか日本のおいしいビールを持って来てくれまいか、中国のビールはまずくてしようがないとメールがあった、仕方ないのでエビスビールを六本買った。その二日前には千年灸の注文と、作務衣の特Lサイズの注文があったが、千年灸は買うけど作務衣は今からでは無理だと返事をした。千年灸でも三種類あれこれの種類を買うと一万円くらいになる。お灸で700回分くらい。それでいいかと聞いたらいいと返事が来た。カウコの注文でキャリーバッグの半分が埋まってしまう。
私の荷物と言えば、着替え少々と包帯セット、飲み薬セット、ノート一冊、黒ニンニク、そのくらいである。あとは北京に戻って宋天彬先生と王扈生先生と会うから、菓子折りと「気功文化」という程度。あ、あと小さなコンピュータ。
いろいろ変転があったのだが、結局三人になった。カウコと、高知の内川さんと、私である。あと五人申し込んでいたのが,キャンセルになった。二人ほど行きたかったが今回は都合が合わないと連絡があった。胡麗娟さんに習う絶好の機会に、もったいない話であるが仕方がない。通訳の許さんは明日北京空港に迎えに来てくれて、大同まで一緒についていってくれる。私としてはひたすら道教八段錦を日本人民に伝えられるように習うというだけの事である。
明日はまたMKタクシーを頼んだ。9時の飛行機なので、4時45分に来る。関空に七時に着くにはこの時間でないといけない。今夜は寝れるような寝れないような。飛行機と、さらに北京から六時間くらい列車に乗るので、寝る時間はたっぷりある。

 

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大同訪問記 二

2015年3月12日


 

最初に眼の奥から脳の松果体に気を入れてそれを中丹田(へその奥)に落として、それを腰の命門に引き寄せて内呼吸をしていく方法を復習した。といっても私以外は初めての体験である。内呼吸は普通の肺呼吸に対して生まれついて持っている気をふだんは十分使っていないが、それを引き出してくる。肺の呼吸を後天呼吸といい、内呼吸を先天呼吸という。両者ははじめ一体に動いてもいいが、段々に区別をはっきりさせていく。藩先生は肺呼吸を忘れろというが、胡先生ははっきり区別した後で、結びつけてもいいし別になってもいいとする。先天呼吸に基づくとすっかり中からの自発動が出てくる。初めは先生に誘導されてのものだが、じきに内側からになる。
この内側からの動きをじっくりやってからでないと、道教八段錦をしない。外側からだけ動作を真似る事はできるが、それを経絡からやる、経絡を忘れて自由に動いていくのと、少なくとも三段階の八段錦のやりかたがある。形をやるのは基礎だ。経絡を覚え,同じ第一段でも胃経でする、脾と胃でする、肺経大腸経でするとさまざまなやり方がある。そして最後は自発の一段ということになる。

二日目、幸い女の人がいないからと男性の精力アップと、それを脳で使っていく方法の初歩をならった。睾丸を中に入れてしまう方法もある。本当の目的は還精補脳なのだが精力を回復しないとそれもやれない。この全体が先天の自発動をやれる人だけできる。テキストにかかれていることとかなり違うことがある。
明日からいよいよ八段錦にとりかかる。

三日間じっくり八段錦をしたのだが、半分以上が第一段の仕組み、さまざまな変幻する形、経絡への少なくとも四つの応用を習った。三段は一段の応用みたいなところがある。四段は四つの部分から成り、前後のスワイショウとひねりのスワイショウを含んでいる。三番目で両手で大きく回して反対の足のかかとを見るようにし、さらにそれが8の字運動になっていく。ここまでは形があり、あとは自由な形になっていく場合とそのまま終わる場合とがある。二段、七段の二つの馬歩の動作と最後の八段の動作の三つは、激しい発声と発勁を含んでいる。そのそれぞれに定型の形があり、経絡、ツボの変化を伴うヴァリエーションがあり、自由な変形がある。なるほど八段錦がこれほどの豊かさをもって展開するのか、という驚きがあった。

その間一貫したテーマになっているのが、松果体の役割である。これは胡耀貞気功の新しい展開であると思う。胡耀貞の時代には脳科学がここまで詳しく分かっていなかったから、内気功=先天気功の主役が松果体だという考えはなかった。一日目、二日目の解説の大部分が松果体の四つの構造と丹田との対応関係に向けられた。たとえば第三段の説明では「足のリフレクソロジーの対応図ですが、三段で片足のかかとを挙げて親指に集中していくと松果体を直接に刺激する事が出来ます。それを見ているのは松果体が見ているのです。松果体は私の中のもうひとりの私で先天の陰陽を支配します」とされる。松果体の役割が隠れているのが後天気功、前面に出てくるのが先天気功なのである。

 

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大同訪問記 三

2015年3月12日


 道教八段錦に取ってもっとも重要なことは松果体の機能、その復権である。脊椎動物は二つの外側眼とひとつの頭頂眼を持っている。「神経発生生物学が専門で、以前から眼の研究に取り組んでいた荒木正介教授(奈良女子大学)は、この点に強く興味を魅かれた。それは眼がどのようにできたのかを知る上で欠かせない上に、誰も研究をしていない大きなテーマだった。荒木教授の約20年に及ぶ詳細な実験は、「脳の中という特殊な環境が、眼になることもできる細胞を、眼ではなく松果体にする」ことを明らかにした。脳
の組織そのものが細胞に与える影響と、脳の末梢神経が細胞に与える影響が、細胞を眼ではなく松果体にしている要因であることがわかったのだ」「第3の眼は、一つ眼が二つ眼になるときに生じた眼であると荒木教授は考えている。つまり一つの眼が左右に引っ張られ分かれる際に、もともと一つ眼があった場所に眼が残ったのだ。これが第3の眼である。第3の眼は、3番目の眼ではなく、もともと第1の眼だったのだ」(Niconのホームページから) 
松果体は子供のときは多く活発に活動するが大人になると縮小するばかりか、石灰化していく場合がある。60年代まではまったく死んだ不要の機関と考えられて来た。しかしその後額に受ける光の明滅に応じて、暗くなるとメラトニンを出して眠りを促進していることがわかった。磁力の感知と関わっているという研究も出ている。西洋哲学の中ではデカルトが「魂の場所」としての松果体に注目した。バタイユにいたるまで、「脳のもう一つの可能性」の場所としての議論は尽きない。
私がネット情報で最も頼りにしている「ブレーン」のひとりであるIn Deep氏の文章の中でルドルフ・シュタイナーの松果体についての言葉を引いている。「アトランティス時代に、エーテル体頭部にあった知覚の中心点が、今では松果腺であり、これが発展すると人類は霊視力を取り戻す(幼児の頭の柔らかい部分が、その名残である松果腺は、心臓から流れてくる精妙なエーテルの流れに取り巻かれており、脳に認識の可能性を与えている」脳に松果体にしか認識できないものがあるというのだ。そしてこの認識力は現代では大きく失われてしまっている。特に米国では水道水にフッ素が強力に添加されていることにより、松果体の石灰化が進んでいる。
「石灰化の比率は、国により大きく異なるが、加齢と共に増加していく。アメリカでは、過去 17年間で約 40%の人々に石灰化が発生したと推測される。松果体の石灰化は、主に脳砂と関連している。石灰化により、松果体の内部分泌物が生殖腺の発達を阻害すると思われる。なぜなら、小児で松果体に深刻なダメージを受けた場合、その結果として、性器官や骨格の発育が加速する。動物では、松果体は、性的発達、冬眠、新陳代謝、季節繁殖に大きな役割を果たしていると思われる。最近のいくつかの研究では、アルツハイマー病や他の認知症において、松果体の石灰化の程度が非常に高いことを示した。松果体の石灰化はまた、アルツハイマー病の病因に寄与し得る、結晶化阻害剤の非存在とも関連していることを示す」
子供の脳の発達障害と、次第に老年病とはいえなくなってきたアルツハイマー病とは、この松果体の破壊と深い関係があるようなのだ。

 

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大同訪問記 四

2015年3月13日


 中国で昔から泥丸といってきたのはnilvana(涅槃)の音訳だが、ここには松果体、脳下垂体、四畳体、第三脳室と並んでいて、泥丸はその全体を指している。という講義があったのだが、四つのうち三つは解剖学アトラスから探し出したが、四畳体がわからなかった。今ラテン語を問い合わせている。
松果体はどの宗教でも重視していて、秘密になっている。たとえば1ドル札に描いてある一番上に眼のついたピラミッド、これも松果体からすべてを見下ろしていることを現している。中国の言葉で言うと「全視之目」だ。四畳体を通して天と一体になり、また体内で上下に通す道になる。宇宙的な装置が眼の奥には備わっている。その額に対応するのが慧目だ。慧目は気を出せるが気を入れるのは祖竅からしかできない。それを「祖竅が統帥である」と表現する。
胡耀貞気功は最初に両目に集中して、両目を中に入れるようにして寄り目にし、そのまま眼を閉じて中へ向けていく。昔で言えば泥丸、今で言う松果体に焦点を合わせる。少し前に(一センチにも満たないほど)焦点を合わせて来て脳下垂体を捉える。想像上の視線によってそこに気を満たすのである。
それを上昇させて百会と両側の通天に出し、そこをオープンにして天の気を入れてくる。アンテナが立つようなイメージ。視神経の中枢は後脳にある。ここに気を集めると眼をつむっていても光子が集まってくる。気功で言う神(高次の先天意識)が動き出して百慧と通天を出入りし、宇宙の座標の中に自分の脳を定位する。イメージだけではなく、この時に髄液が動き出して下降していく。髄液とその中に抱かれている視神経を通って、またそれと一体なのだが内分泌器官の系統を通って、気は降り始める。脳下垂体から甲状腺、胸腺と。
それを引き落としてへそと命門の中間点に引き落としてくる。胡気功ではこの場所を中丹田といっている。言葉の問題として言うと、両目の奥を祖竅(そきょう)といい、百会を上丹田、臍中を前丹田、命門を後ろ丹田、両者の中間の何もない場所を中丹田、肛門と性器の間の部分を下丹田という。この中丹田に気を集め、そして命門に向けて引きながら息を吸っていく。命門が後ろに押され、命門の両側が左右に開かれる。そして少しキープすると自然に吐く息で戻ってくるが、このときに先天の呼吸が始動し始める。
この真ん中の流れを衝脈といっているが、チベットの言葉では中脈だ。衝脈はたしかに真ん中を流れているが、上まで続いていないので、中脈の方が正確だ。中脈を中心とし、督脈と任脈で太極マークをなしている。
内分泌系統が陽で、神経系統が陰である。ふだんこの陽気が足りないので陽気を増やすことが大事であり、それでこそ全身が改善できる。
甲状腺は悪いものを出す。八段錦でも二段、七段、八段ではフンと吸ってハーと吐く。邪気を処理する。胸腺は女性的なもの、そして瞑想のためにある。性腺は練功の基礎である。練功でただ性欲が強まってしまったら、そこまでのものでしかない。還精補脳といってそれを脳の力に転換していく。ただしこの脳とはふだん計算や書き取りをしている前頭葉のことではなく、何層にもなった脳の全体を復権するという意味だ。
ここでは前置きと、第一段をやっていく上でのほんの入り口の講義を書いておく。この先に経絡と結びついた、膨大な話がある。第一段は健身の八段錦とよく似ていて、動作は簡単で、挙げたり下げたりするだけである。それをどの経絡に焦点を当ててするかで意味が変わってくる。これ以上はぜひ私と一緒に練功しながら学んでほしい。

 

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大同訪問記 五

2015年3月13日


劉百齢のこと


 劉百齢のことを書こう。胡耀貞の弟弟子である。胡耀貞が死ぬ前に胡麗娟に「私はもうお前に全部伝える時間は残されていない。大事なことは私の弟分だった劉百齢が知っている。探して習いなさい」と伝えた。ずっと気になっていたが、生きているやら、どこにいるのやら、手がかりはない。聞ける人もいなかった。あるとき、上海の気功研究所の所長をしていた林雅谷に「お父さんにこういわれたのよ」と打ち明けると、「その人は先年上海に来た。今はブラジルにいるよ」と言ったのでびっくりした。林は帰って住所を調べて送ってくれた。
気功仲間と言っても出会いがなければまったく知らずに過ごすこともある。ちなみに林雅谷はその後カナダに渡ってそこで亡くなった。
麗娟はサンパウロの劉百齢に連絡を取った。百齢はつながった縁にとても喜んだ。ぜひこちらに来るようにと言った。妹の月仙と二人,行くことにしたが、なかなかビザがとれない。縁のあったローマに行って、しばらく待った。百齢は政府高官に話をして、やっとビザが降りた。1991年のことだ。
劉百齢は1907年中国天津市生まれた。子供の頃から道家の道に入り青城派、金山派、浮丘派、崑崙派、龍門派の五派で学んだ。胡耀貞との縁は龍門派で結んだ。その後黄埔陸軍軍官学校へ行った。国民党の学校だが「連ソ容共」時代の国民党であり、孫文が広州に作った。蒋介石が校長となり、王柏齢が教授部主任、戴季陶が政治部主任、何応欽が総教官、共産党側からも葉剣英が教授部副主任、周恩来が政治部副主任で入った。林彪、彭徳懐の後の八路軍の二大将軍もここの卒業生である。百齢は6期卒業、陸軍中将で退官した。 蒋介石の台湾入りと同時に台湾に行き、武術顧問をしていたが、1973年ブラジルに
渡り、サンパウロで道家氣功家として教育と治療に活躍し、1990年ブラジル政府より南十字星(グランクルス)章大勲位を与えられる。胡姉妹が訪ねたころはサンパウロ劉百齢東方文化学院院長をしていた。
麗娟は自分で医師になる勉強をしていたし、父も北京の気功武術界の大物だったからなかなか一緒に過ごす時間はなかった。こまごました時間を合わせても二年間くらいか。私も学生時代からリューマチ、心臓病になって、漢方で少しずつ回復した。毎日気功をしたことは大きかった。文革で下放した66年から70年はまた自分も病気がひどいときだった。高血圧、腎炎、腰痛、尿毒症になり、吐き気がしてご飯ものどを通らなかった。下放して労働参加して、畑で練功するうちにいろいろよくなった。医者と分かって下放先でもその仕事をするようになり、山から薬になるものを取った。戻れてからは父の死まで一年もなかった。それで劉百齢を頼れと言ったのだった。
サンパウロでは姉妹とも2000元ずつもらっていた。このほかに鍼灸の治療をしたので、一回100元ずつ入った。向こうの物価は安かったので生活は楽だった。ひまをみて、お父さんから習えなかったことを習い直した。武術は胡耀貞がナンバーワンだった、だが内丹は、と百齢は言った、私がナンバーワンだったよ。事実たくさんのことを習った。
百齢は朝六時から教室を開いていた。五百人から八百人の人が集まってくる。学院の四階が広い教室になっていた。そのかなりの部分はもう師範として教えられるし、実際に各地へ行っている人もいる。ほかの人は仕事を持っているので、七時には終わる。八時には漢方薬の店に出勤する。診察し、処方を出して、薬もそこで買ってもらう。昼には家に帰る。すぐ近くだった。また三時から六時まで出勤する。患者が来ないと書道の練習をした。マントラを書いたりする。
亡くなってからは息子が引き継いで学院をしている。息子はブラジル人で、日本人の奥さんがいる。最後にあったときは91年、87歳だった。ここにずっと住んで学院を引き継がないかねと何度も言われたが、妹が帰りたがっているし、自分も中国でし残して来た仕事があるので、断った。
2002年に亡くなった。98歳、昔流に数えたら99歳だった。2月2日の2時2分。亡くなる前に家族に「わしは2という数で死ぬみたいだ」といっていたという。

 

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大同訪問記 六

2015年3月14日


胡気功と右脳の開発


 胡麗娟先生がくれた資料の中に「簡易動功」の一ページの文献があった。これは日本で出ている『胡耀貞静動気功』の中の『保健気功』部分の「簡易動功」とほぼ同じで、この本なしで伝えるときの便宜に作られたものと思われた。
簡易動功は足の気を通していく前半部分と、簡単な動作を真似る後半部分から成る。前半部分が、左の涌泉から丹田へ、丹田から右の涌泉へ、その反対、というように繰り返していく方法なので、治りかけた私の足にはよさそうと多少熱心にやってみた。その後半部分というのが、六つの動作を真似していく、気功に取って一番の基本になるような方法である。
ほとんどすべての気功が「なにかを真似る」ことで成り立っている。落語で言うと「もどき」「見立て」である。うまい落語家なら、左手に汁碗を持つ形をして右手の扇子を橋に見立ててつつーとやり出せば、だれでも「お、うまそうなそばだな」と納得する。両手をそろえて体をくねらせて「ねえ、あんた」と言い出せば、仮に女性の「ふり」をしていることは誰にでも分かり、その時は女性として見ることにする。
「ふり」は能楽以前の古い申楽の「翁」の中で神が人に憑き、神でない河原乞食に取り憑いた時にはたとえ足利将軍が見に来ていても平伏して迎えるのであるが、その時人が神になる境目で鈴が振られることを起源とする言葉である。「武者振り」から「ぶりっこ」まで延々と続くこの言葉は、実は何者かであるとは何者かをまねていることに過ぎないと理解させてくれる。赤ちゃんでさえ「笑ってごらん」と言われた時にどうしていいかわからないから顔をしかめると周囲が笑ってくれるという体験から出発する。顔をしかめるか泣くかも一種の劇的体験であり、していたい表情と変化させると周囲が反応してくれると気づくことで赤ちゃんの演技生活は始まるのである。それは大人になっても続く。男は男らしく、女は女らしくというのは教育のきほんであり、会社員は会社員らしく、主婦は主婦らしくと秩序の基礎になっていく。同性愛の人は秩序をはみだして苦労するが、最近になって少しずつ生存を認められ始めた。
気功では私が生まれてこのかた演じて来て当たり前になっている「身振り」を演じ直して自由にする。熊や虎や猿を真似るのはむしろやりやすい。童子功では子供になり胎息では胎児のふりをする。八段錦では「天の門にふれ」たり「弓をつがえて鷲を射」たり「左右の地平線を見」たつもりになったりする。内丹気功では男性が十ヶ月の妊娠のふりをして下腹に丹という子供を育てたり、女性が「赤龍を斬って」一時的に男性化したりする。気功の本質はここにあるので、呼吸法とか気をめぐらすとかいうのは副次的なことだ。
胡耀貞はこの模倣気功の中で「(存在しない)球を回す」「(存在しない)壁を塗る」「(存在しない)金魚と戯れる」などの動作を提案している。胡麗娟さんはこのパンフを作るにあたって原著にない注釈を加えた。
「想像することは右脳を開発する方法である。だから簡易動功をする時には、意守丹田して、ただ入静するのではなく動きに和していく。それは豊富な想像を含んでいて、「観想」「存想」「想象」(中国語では想像をこう書くことも多い)という。各種の異なる想像を利用して、心理バランスを調整したり、心身を愉快な喜びに満たしたりする目的に到達させる。心理学の角度からいえば、注意力と想像力のふたつの方面を十分に運用するのは、人類の最も重要な心理品質を現しており、右脳を開発して保健養生の目的に到達させることが大切である。右脳半球の開発は学習能力の低下した児童の記憶力を高め、成人の認知症の危険を低下させて、長期にわたって霊敏な頭脳を保持することに役立つだろう」
認知症は人格がニセの自我に閉じ込められてしまう病だから、気功は役に立つはずである。

 

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大同訪問記 七

2015年3月14日


王濾生、宋天彬二人の恩師のこと



 北京に戻って、二人のなつかしい恩師に会った。ひとりは王濾生先生、そして宋天彬先生である。最後にその話を書いておく。王先生は張宇先生に紹介された。張宇先生と10年間「観気旅行」を続けようと約束していたのだが、87年春秋とやったところで張先生はアメリカに移住することになった。「申し訳ない。来られるときは来るし、またアメリカやハワイで観気旅行をしてもいい」と言って多様な先生方につないでくれる可能性のある人として紹介してくれたのが王濾生先生だ。春秋にするはずで、20回計画していたが、天安門事件などの影響もあって二度中止になって,結果的に18回やった。そのかん、北京でやっただけでなく、峨眉山、泰山、五台山、青城山、労山、天台山、黄山、白頭山など中国の主要な聖山を訪ねた。その都度さまざまな気功の先生や伝統理論の先生を呼んでくれて、観気旅行は前例のない移動大学になった。
王先生は自身相当の学識もあり、丹密参同の立場からの練功もしていたが、ほとんど自分を出さず、諸先生がたの背後に身をひいて事務局の役割を果たしていた。各回の観気旅
行の最初の朝には張宇先生のことを忘れないという意味で外丹功をした。後半になって自分の功法を少しずつ教えてくれた。誠実さのあまり、山の変なところに迷い込んでいかないか、河や海は大丈夫か、気をまわしすぎるところがあったので、しばしば口論もした。ロシアに留学した王先生はロシア民謡をいくつでも知っていて、「日本の歌声」の出身である私とは日本語と中国語、ロシア語でいくらでも歌い続けることが出来た。18回目の最終回のチベットのとき、私は魚に足を噛まれて参加できず、成都まで迎えにいき、その時時計を贈るのが絶縁の徴だとも知らずに大きな時計を贈って、「何かでこじれて決裂したらしい」というあらぬ噂を呼んだ。
その後は私の観気旅行に参加したメンバーがそれぞれのグループで観気旅行を組織して、閉関の旅(閉関は門を閉じて内省することで圧縮した合宿の意味)などは最近まで続いた。何度か日本にも招いたが、次第に疎遠になり、ファックスで年賀だけをやりとりすることが何年か続いた。会ったのは久々だったのである。
息子さんが寝たきりの生活で妻と気が合わないので私がすべて世話をしていると言っておられた。自宅でできる株をしていて、まあまあ稼いでいる。好々爺の眼になっているがひとたび密教、道教のことになると、らんらんと輝き出す。まあ、またゆっくりうかがいますからとなだめた。久々の挨拶といったところだ。周稔豊先生が去年亡くなったことを聞いてショックだった。王先生にはいつまでもお元気でいてほしい。
翌日もう帰りがけに、宋天彬先生とお会いした。宋先生は元北京中医薬大学の主任教授で、気功教研室の主任。引退してからはわが気功文化研究所の副所長である。所長は私で副所長に私より偉い人を三人招いた。日本在住の林茂美先生、成都の李遠国先生、そして宋先生である。機関誌など当然毎号送らなければならないが、送料も結構してついつい空いてしまう。今回もまとめてお渡しした。
宋先生は2001年にそれまで副所長をお願いしていた北戴河の張天戈先生が「私よりも顔が広いし実力者だから」と宋先生を紹介してくださったことでつきあいができた。張先生は北戴河の劉貴珍の片腕で気功医療のシンボルだった。宋先生には四度ほど日本に来て頂いたが、学問が地味で堅実なので少しずつ人が集まらなくなった。宋先生自身が若くて目立つ張明亮を紹介してくれたりもした。それでも宋先生の中医学の蓄積は無尽蔵であり、私も一人でも習いに来たいくらいである。
いま宋先生は王府井の同仁堂病院に週二日でて、あとは資料を整理したり文章を書いたりしている。舌診の本が有名で、食養生の本も書いておられるが、私が特に愛読するのは台湾で出た『道教と気功』である。こんどまたこの関連の本が出るみたいで、送ってくださると言っていた。この『道教と気功』と、李遠国先生の『道家思想と環境問題』はぜひ翻訳したい。日本の気功を何倍にも豊かにしてくれる本だと思って、目の前の本棚にいつも置いているのだが、なかなか作業は進まない。
いやもっと北京や成都や大同に通って、これらのすばらしい宝をもった人々と頻繁に交流したい、と帰りの飛行機に乗りながら、しみじみ思った。日本も変っているし中国も変わっているが、変わらない確かなものがある。私がつきあってきた中国の人々は千年の宝物なのに、私はその力の何分の一も日本語にして伝えていない。

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海外講座・大同(募集記録)

 

大同350px
胡麗娟老師の住む大同へ(3月)

2014年1月29日


日程は3月3日から10日間です。
この日の午前北京へ飛び、列車で大同に向かいます。夜行は大変なので、夜9時頃には着く列車を選びました。
大同のホテルに6泊7日し、列車で帰ります。
ほかのこともいろいろ教えていただきますが、今回は道家八段錦を中心にします。これは健身気功八段錦のそれとはまったく異なる、次元を異にするものです。
大同石仏などさまざまな観光地がありますが、今回は行けるかどうかわかりません。この得がたい機会をなるべく胡先生に密着して習いたいと思います。

胡先生からのメッセージをお伝えします。
「道家八段錦は性命双修であり、基本的な築基功の基礎の上の陰陽相合、内外研修の方法である。その根本を得て、点、線、面、体、動を体験する。中国人はそれを習うのに普通5日間かかるが、日本人は賢いけれど少なくとも4日間かかる。通訳の時間も必要だし。もっと長くできればもっといい。皆さんは来る前にまず自分で十二系絡と奇経八脈の走向を習っておく必要がある。

 もし八段錦を身に着けてよく練習できたら、大道に近くなる。大道は到って簡単で到ってやさしい。それはつまり無極站?、太極を抱くことである。そして実用的で長生きに役立つ。
父の胡耀貞と劉百齢〔胡耀貞の弟子で中華民国政府と台湾に渡りさらにブラジルに渡って文字通り100歳まで指導した。彼女は父から習いきれなかった分を劉百齢から習った〕は僧了空に習った。龍門派の第十一代であ。父は鐘呂〔古代の内丹の二人の師弟〕が残してくれた八段錦を現代的な胡耀貞道家八段錦に発展させた。それはいまの健身気功の体操八段錦や武当八段錦と異質なものである」

旅費は14万円プラス航空券プラス食費自己負担(一日3000円基準)

というのはアメリカからの参加予定もあり(息子さんの結婚式で今回はだめになりましたが)、またベジタリアンの人がいたので航空券と食費は別枠で、基準を提示しただけでした。14万に含まれているのは北京空港から駅へ、北京駅から大同駅へ、講師謝礼、通訳代、お土産代等。多少予備費はあります。教室代など行ってみないとわからない費用もあります。

航空券は5~6万プラスエアーチャージなどが4~5万というところです。
食事で一日3000円は使い過ぎかもしれません。これは現地で調整します。
飛行機はご自分で取って合流してもいいし、一緒にとってもいいです。そろそろ便を決めなければならないので、最終募集です。

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