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津村 喬 中医学 太極気功研究 枕書茶楼 老驥居 zen cooking 気功辞書

* 楽しい仲間 *

 

2015年6月23日 14:29 フィンランドとの最初の縁
2015年6月24日 10:24 トーメ首相が手招きをしてくれて
2015年6月24日 17:09 エストニアとフィンランドだけのこと
2015年6月27日 07:07 映画館ビルの中にある徳丸寿司
2015年6月28日 07:57 気持ちのいい北国の太陽
2015年6月29日 15:55 三種類のキャベツを使ったポタージュがおいしい
2015年6月30日 03:47 ここにも太った猫がいる
2015年6月30日 13:42 禅クッキングのあつまり
2015年7月01日 06:41 昨日はすっかり仲良く
2015年7月01日16:02 私の無意識に働きかけるのである
2015年7月02日 06:41 ラハティ,南の中央部の内陸都市
2015年7月03日 05:25 88年3号が私の表紙写真になっている。
2015年7月03日 06:20 護符
2015年7月04日12:00 朝見かけた12歳くらいの女の子
2015年7月05日 16:00 カウコとエレナのスタジオ・丹田についた
2015年7月6日 16:41 日本料理の会
2015年7月6日 20:24 ヨーグルトとヴィーリ
2015年7月7日 0:34 カウコは少しずつよめる漢字もふえている
2015年7月7日 7:50 Finnish津村商店
2015年7月8日16:39 ティクさんは愛想よく迎えてくれ、お茶を入れてくれた
2015年7月8日 17:33 旅から旅への出稼ぎ
2015年7月9日 1:33 大鹿
2015年7月9日 2:48 サウナ
2015年7月10日 4:04 鯛が入っているわけではない
2015年7月10日 7:16 へたをとると芯まで真っ赤なのである
2015年7月10日 18:12 18人ほどあつまってくる
2015年7月10日 22:46 これこそが桃源郷かと思う
2015年7月11日 6:36 食べていくと顔がぴかぴかに
2015年7月12日 16:48 黒パンのバタ揚げはおいしい
2015年7月13日 0:16 日本にいるときよりはずっと元気だ
2015年7月13日 4:46 クネッケ、昔ながらの硬い丸いパン
2015年7月16日 6:07 サンタ印のヨーグルト
2015年7月16日 6:12 国会に十万人が集まったという記事
2015年7月16日 7:11 明日はクオピオに移動
2015年7月16日 21:07 町の入り口の看板に大きなイチゴの絵
2015年7月17日 10:23 非常に強い癒しの力をもった泉の水
2015年7月17日 17:27 白樺がゆれていないのに湖面が波立っている
2015年7月18日 15:28 不思議なものだ
2015年7月18日 16:15 アハベン・パーチ・クハ・サルキ
2015年7月20日10:44 夕焼けが連続して朝焼けに変わる湖
2015年7月20日10:44 真っ赤なおいしいいちご
2015年7月21日 23:35 ここでも古き良き時代が流れていく
2015年7月23日 20:41 日本に無事に着いた
2015年7月18日 5:40 フィンランドの食の紹介
2015年6月19日 FINLANDの森の音
2015年6月19日 今回の楽しい荷物たち
2015年6月14日 "Kiitos" 読めば旅の始まり
2015年6月16日 これは飛行機で読むか
2015年6月16日 良き時代が流れていく 6月16日
2015年6月14日 フィンランド宴会 2015年7月25日(土)
2015年6月13日 気功を教えるのが元手要らず、道具いらず
2015年6月12日 ZEN COOKING TABLE

2015年6月10日

エレナはカウコのパートナー
2015年6月10日 エストニアの友人に作務衣を頼まれ
2015年6月10日 待ってくれているのが嬉しい
2015年6月3日 お守りとか、なんでもフィンランドやエストニアで売れる
2015年4月23日 気功教室の生徒さんたちと京都をめぐった
2014年11月8日 日帰りの「京都修学旅行」を計画している
2014年5月31日 嶋田まやさん
2014年3月22日 独峰さん(1)
2014年8月22日 独峰さん(2)

 



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フィンランドとの最初の縁

2015年6月23日 14:29

フィンランドに行った

いっぺんで惚れ込んでしまった

新しい友人たちに、フィンランドとの最初の縁のことを書いておこう。

梅田の産経学園だと思うが、文化教室の気功法のクラスをたくさんやっていた1985,6年頃のことなのだが、カウコがやってきた。カウコといっても女の子だと思う人はなかろうが、金髪の大男で、最初に亀蛇気功を体験してもらった。大正区あたりの大阪弁を流暢にしゃべるので「変なガイジン」だった。私がフィンランド人と触れた最初の機会だった。
カウコは「遠い」という意味である。よく大型トラックの横腹に書いてあるから「有名人なんだね」とからかうと、「あれは遠距離の意味なんだ」と返ってくる。ウースは新しい、オクサは枝、彼はいつか新枝遠という名刺を作って来て、どうかね、と言ったことがある。
日本では拳法(最終的には本體楊心流)を習って長期滞在を繰り返し、また加藤式指圧と縁が出来てそれを習い、一度結婚して大正区に住み、またハワイ支部長になったりした。そして丁度この次期、激しい武術でも静的な指圧でもなく、ほどほどに動いて、また静かにもする気功をやりたくなっていた。
何回か様子を見て、私の元でやっていく気になった。その時は夏前だったが、年末までに帰国するので、それまでに一通りの基礎を教えてもらえないかと提案して来た。それで私のやっている大阪神戸の全教室に自由に出入りしていい、時間が取れたら適宜練功するということにして、それからしばらくは週に四五回あって教えた。私が一流派に属するのでなく、いろいろな先生のいいとこ取りをしていく立場だったから、すぐに全部出来ないにしろ、周稔豊、焦国瑞、張宇、劉漢文、王郷斎、劉貴珍などの気功の初歩を圧縮して伝えた。一緒に六甲を歩いて練功もした。
カウコは帰国してクリスマスに集まりを持って、フィンランド気功協会を作り、自分で会長になった。それで来ませんかということになり、翌年の春に訪ねたのが最初だった。森と湖の国に私は魅了された。国土の90%が森、18万あまりの湖、日本の9割近い面積に500万に満たない人口。そして500万のサウナ。私はいっぺんで惚れ込んでしまった。
それからもう50回以上行っている。何年か前まで数えていたが五十回を越した頃「あとは”たくさん”」ということになってもう数えていない。年最低二回は増えて行っているが、「たくさん」で済ませている。中国が150回をこえたら、あとはやはり「たくさん」になってしまったのと同じだ。中国の方は健身気功協会の理事長としてとか役職で行くことが多くなって久しいが、フィンランドは行った先の稼ぎで旅費も出している。

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トーメ首相が手招きをしてくれて

2015年6月24日 10:24

フィンランドに行った

首相と手をつないで150万人の列に入った

 エストニアの紹介もしたい。バルト三国というと、エストニア、ラトビア、リトアニアである。ドイツ、ポーランド、ロシアなどによってたえず侵略されて、苦労して来た。ラトビアのザメンホフが万国共通語としてエスペラントを作ったが、それは絶えず「祖国」が勝手に作られるので、世界中で同じ言葉をしゃべるようになればいいという過激な、しかしやむをえざる思想に基づくものだった。
その隣国のエストニアはもともとフィンランドと同系統の民族。ソ連の中の一国にされてしまってから外には抵抗の声も聞こえて来なかったが、いざソ連が揺るぎ始めた時期に最初に声を挙げたのがエストニアだった。それを聞きつけて、カウコに1997年のフィンランド行きの時に、エストニアを訪ねてみたいと相談した。エストニアで独立を掲げて新登場した民衆戦線が次第に人気を集め、ソ連の元でソ連からの独立を掲げて14議席を獲得していた。なぜか直感的に「ここにコピーを届けよう」と思った。Canonのコピーのなるべく小さいのといっても当時はかなり大きかったが、飛行機でも、バルト海を渡る船でも、このコピーを下げて行った。ソ連の税関は一応押収したが、当時民衆戦線の議長だった弁護士のレンビット・コイクがすぐ掛け合いに行って取り戻して来た。
今では信じがたいことだが、ソ連には民間のコピーというものがなかった。すべて政府機関が使っていて、民衆がコピーを取ることを許さなかった。ちょうどアラブやアフリカで民衆が印刷機もなかったと同じように。私は謄写版からキャノンのコピーまで「自分の言いたいことを自分で印刷する」ということが自分の言論主権の基礎だと思って来たから、これから活躍してもらう革命組織にも、まずなんとしてもコピーを届けたかったのだ。そしてコピー機を見たときの革命家たちの目の輝き。すぐに私の目の前で新しいチラシを作ってみせた。そう、重いものを下げて来た甲斐があった。
エストニアの公式の革命史の本に、実はこのコピー機の写真が載っている。私とレンビットがコピーをはさんで話し合っていて、若者が器械をいじっている。私が帰国してから緊急出版した『歌いながらの革命』(宝島社)の表紙もこの写真集に載っている。もう一枚、その二年後にロシア離脱の決定打になったバルト参加国の「人間の鎖」でタリンからヴィル二ウスまで抵抗の「手つなぎ」をした時に、取材に行って並んでいたら当時のトーメ首相が手招きをしてくれて、首相と手をつないで150万人の列に入ったときの写真が、当時のもうソ連から意識としては離脱していたエストニア共産党の機関誌の一面に大きく載ったのだが、その写真が写真集に掲載されている。私としては目立とうとした気持ちはないのだが、エストニアの人々は忘れなかったのだ。
タリンでの気功のことを書けなかった。もう一回書く。HOMEに返る

 

 



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エストニアとフィンランドだけのこと

2015年6月24日 17:09

フィンランドに行った

異質なフレンドリーな人々

エストニアに初めて行ったときのことだ。民衆戦線とか議会には出かけて行ったが、あと連絡のついたいろいろなグループにはヴィルホテルに来てもらった。当時はヴィルホテルとあと二三軒しか外国人の泊まっていいホテルがなかった。オールドタウンと向かい合った正面にあって、今でも目立つホテルである。
上のレストランのマッシュルームクリームスープや、ボルシチとはちょっと違うソーセージ入りのトマトスープがものすごくおいしかった。ついでに言うと二階のレストランで取り放題の朝食が出たが、本物のチョウザメのキャビアが文字通り山と積んであって、一皿山盛り取ってきてパンとサワークリームに乗せて食べた。ひょっとして記憶にある一番美味しい体験だったかもしれない。25年経って、「いっぺんヴィルホテルに泊まってみようよ。食事だけでも行こう」といつも言っているが、実現していない。たぶん欧米のどこでもと同じになって、小皿のキャビアで法外な値段をとられるのではないか。
いろいろな政治グループと会う中で、ちょっと異質なフレンドリーな人々がいた。ひとりはキルリアン写真にこっていた。一人はマッサージ師で、のちには大統領をマッサージしていた人だ。音楽家で、中世のフルートを研究しているが尺八なども勉強している笛吹きがいた。そしてマルトがいた。ヨガやツボ指圧や色々研究してかなり大きなグループを持っている。全部で6人。彼らだけが気功に興味を持っていた。少し話をして、やりたいですかと聞いた。うん、ぜひ。高級レストランではやりにくい。ヴィルホテルの前には市電が通っていて、その線路がクロスするところが緑地になっていた。そこでいきなり五禽戯をした。八段錦も禅密功も站椿功もした。スワイショウもした。短い時間に、6人は圧縮した体験をした。こうしてエストニアの気功は始まったのだ。
いまだに毎年二回(この冬は行けなかったが)集まっている。30人か、50人を越すときもある。マルトは時に指圧やヨガもするが、気功の指導者として知られるようになった。6人のうち4人は必ず参加する。あとの二人は少し遠い所にいたり仕事が立て込んでいたりするが、かならず最後には顔を出して一緒に飲んだり、町のレストランでおごってくれたりする。考えてみると日本でそんなにコンスタントに会う友人はいない。エストニアとフィンランドだけのことである。HOMEに返る

 



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映画館ビルの中にある徳丸寿司

2015年6月27日 7:07

フィンランドに行った


貸しアパートで部屋を借りた

エストニアのタリンにいる。昨日ヘルシンキについて、そのまま昨日の船でタリンに着いた。タリンのホテルというか、こちらにたくさんある貸しアパートで部屋を借りた。港も近い中心街である。一日40ユーロほどで二人が泊まれるから、かなり安い。私はもうオールドタウンを出歩くこともないし、買い物もカウコにおまかせだから、部屋にいてコンピュータをいじっているだけ。カウコの弟子が車で迎えに来てくれる以外はどこにも出かけない。何をしているかというと、内丹のレジュメを作ったり、王木(三ずいに木)の著作の英語版から中英対象語の表を写したり、いろいろと作業をしている。命門をgate of lifeというのは知っていたが、閉関をconfinmentというとか、火加減(練功中の意識集中の度合い)をfire timesというとか、丹田をcinnabar fieldというなどというのは知らなかった。この用語集だけでも説明できれば、ずいぶんわかりやすくなる。これまでは導引の範囲の説明ですませてきたものを、内丹の話になればそれではすまなくなる。
今日の授業は張宇「外丹功と内丹功」。外丹功は去年までで少しやっている。内丹功はこちらでは初めて。三時間かけたが内丹功は半分までしかできなかった。明日も続けてやる。そのあと胡耀貞気功、最後に真気運行法。どれも導引や吐納としてもやれるが、内丹としてやっていくと後天から先天へと次第にテーマが深まっていく。
終わってから中心街の映画館ビルの中にある徳丸という寿司屋に行った。なかなかいい味だった。少し前までと違って普通の味を普通に出せる。ただ少し高い。十個くらいの一皿にワインとかビールとか取ると一人前が50ユーロにはなってしまう。7000円くらいだ。
帰ってきてまた内丹用語集に取り組んだ。HOMEに返る

 



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気持ちのいい北国の太陽

2015年6月28日 7:57

フィンランドに行った

 

戸外で食べたので、森と青空、太陽のほうがごちそう

家では快適にMACを使っているが、持ち歩ける器械というとイリヤマという京都の店の自家製コンピュータを四万弱で買ったものしかない。これがすさまじい代物で、キングソフトというワードのそっくりさんが初めからついているが、一行書くうちに10回以上は言葉が飛んでしまう。4~500字戻っていたりする。ヨーロッパで使う以外に使い道はないのであきらめているが、それにしても、である。
六時に足がつって目が覚めた。窓側の左足が冷えて、筋肉かひっくり返っている。左足を伸ばそうとするがなかなか伸びない。結局三十分以上かかっておちついた。お湯があればすぐ直せるが、厳重に包帯をしているので面倒だ。
七時半にお腹がすいてきて、エレナのところからもらってきたスープを作る。昨日はマッシュルームのスープ、今日はトマトとバジル。これひとつで一日の三分の一のすべての栄養素が入っているが、120キロカロリーしかない。これだけで栄養は足りているはずが、口さびしくて黒パンとバタと少し食べてしまう。
十時に迎えが来る。いつもの学校でしている。4階だがエレベーターはない。ゆっりゆっくり上がる。午前中は張宇内丹功の続き。50人くらいになっていて、昨日来なかった人も何人かいるが、昨日の復習をしている余裕はない。終わりまで説明してやってみてから、通してみる。初体験。今日は内丹功と真気運行法の初歩をやり、明日は胡耀貞気功をする。内丹の三つの入り口。
お昼は近くの評判のカフェに行くつもりが、別の店に迷い込んだ。カウコはサーモンのキッシュ、こちらはベーコンのキッシュを食べるがどうももうひつの味。コーヒーはおいしかった。庭の戸外で食べたので、森と青空、太陽のほうがごちそうだ。晴れ上がって雲ひとつない。照りつけても気持ちのいい北国の太陽である。そのまま40分ほど陽を浴びる。少し焼けたかもしれない。
午後は腹ごなしにと発声気功を一時間する。ヒフミヨイムナ、トホカミエヒタメ、弁天〔サラスバティ〕のオンソラソバテイエイソワカ、そしてチベット密教のオン・アー・ホン。丁寧に説明していたら四つで一時間かかってしまった。残り時間真気運行法の第二段階までを伝える。張宇内丹功と結局同じことなのだが、内丹功では肝心なところをさらっと書き流してあるので、逆にわかりにくい。張宇さんは天才なので、すぐできてしまって、丁寧に書き込めなかった。われわれのうな鈍才は真気運行法のステップ・バイ・ステップのほうがいい。もうひとつ胡耀貞気功は天才は天才なりに、鈍才は鈍才なりに習えるすばらしい方法だ。胡気功は明日のお楽しみ。なんと内丹の全貌を、まだ初歩だけど、それなりに程よく伝えたと思う。
カウコがピザを買ってきてくれた。一枚は食べきれず、三分の一は朝ごはんに残す。HOMEに返る

 

 



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三種類のキャベツを使ったポタージュがおいしい

2015年6月29日 15:55

フィンランドに行った

 

アンゾリはヴィルヤンディの芸術大学の学長

 

もう昨日になっている。こちらの6月28日の日記。
朝十時半からは胡耀貞気功に入り、初めての人もいるから少し説明する。
去年はひとつの胡入門として、体内に道を作って流していく方法を伝えた。中心メンバーはずっと続けてきて、うまくなっている。一番のメインは会陰→命門→中丹田→へそ→関元→会陰とまわしていく方法。これを中心にいくつか復習する。
そのあと簡易動功をする。足から始めて目の奥までの運気をし、それから運気しながら玉を抱く方法、壁を塗る方法、金魚が泳いでくる方法などいくつかする。これで一時半になってしまう。
昨日行きそびれた喫茶店へ行く。なるほどけっこう質のいいヴァイキングになっていて、いろいろ楽しい。大部分が野菜のサラダとパイなどで、サーモンとチキンだけある。三種類のキャベツを使ったポタージュがおいしい。デザートも豊富でコーヒーもついている。
戻ってきて、最後の授業。道教八段錦をする。発声が入るのでみなびっくりする。形は健身の八段錦に似ていて、あきらかにこれを継承しているが、八つのうち四つはまったく違っていて、そのうち三つは発声が入る。二回やってみんなに一度通してもらい、最後にもう一度通して一緒にする。
マルトは満足していた。いつものエストニアの有名な蜂蜜をくれる。みんなからも体にいいお茶とか皮膚の塗り薬とかロシアの秘薬とかいろいろもらった。
アンゾリが迎えに来てくれていた。アンゾリはヴィルヤンディの芸術大学の学長だが、私の25年来の弟分である。おととしも去年もアンゾリのところで七月十日の誕生日を過ごした。今年は少し早い。明日は彼が関係している食の場で禅クッキングを紹介することになっていので、ポルトサマーのスーパーに買い物に行く。野菜だけひととおり仕入れる。ポルトサマーは七月の末にはマルトのところに全国から集まってきて、私のワークショップを四日間やってくれる。今年は日程が早かったのでタリンで三日間講習になった。ポルトサマーでいつも定宿にしているホテルで夕食。わたしはハムポテトサラダとセルヤンカという具沢山のスープ。刻んだハムが多すぎていつも残すが、なつかしい味だ。外で食べる。八時だが陽が照り付けている。アンゾリは鍵を忘れたので奥さんが帰る時間までは帰れないという。カウコはいつものサーモン、アンゾリはチキンソテーを食べている。三本の川の合流地点。去年までの長く続いた工事は終わって、きれいになった。黒猫が長いこと正面の川原に座って対面していた。ゆっくり暮れていく。HOMEに返る

 



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ここにも太った猫がいる

2015年6月30日 3:47

フィンランドに行った

 

半年くらいどうだと勧められる。

 

きのうの続き。アンゾリの家のテラスに坐ってビールとかウォトカとか飲みながら長いことすごした。大きな蚊がたまにやってくるが、気になるほどではない。七月も末になると蚊が多くなるが、八月の少しずつ寒くなるころには減ってくる。どこまでがアンゾリの庭なのかしらないが見渡す限りの平原がひろがり、はるか遠くに見える森が隣家だという。ここにも太った猫がいる。もう何年も猫のいない生活をしている。左手に大きなファイアプレースがあり、右手にはおじいちゃんが作ってくれた子供たちのための小屋がある。はしごで上がるようになっている立派な小屋で、登ってみたいが崩れても困るので、眺めるだけにしておく。
正面にはずっと昔に使っていたらしいサウナ小屋があって、いまは物置になっている。ついこのあいだの夏至のときに50人のパーティをした。ずっと雨がやまなかったので、テラスにテントをつけた。
芸術大学の学長を八月で辞めるのだという。タルトゥ大学の教授の地位は変わらないが、生活自立ネットワークの構築をこれからの仕事にしていく。村レベルの相互扶助組織がいま全国に作られていっている。それの国レベルの何人かのメンバーそ彼は入っている。これから銀行システムも行政システムも崩壊していく可能性がある。EU全体がそうだ。それが今後どう展開しようと、生活自治は推し進めていかないとならない。それがここ十年のしごとだとアンゾリは思っている。
今日行って料理を作ることにした場所も、立派なキッチンとダイニングは作ったけど、まだオープンしていない。魚料理のできるコックを探しているが、なかなかいないという。津村さん半年くらいどうだと勧められる。日本ではもう魚料理をしたくない。北海はまあまあだが、カスピ海やこちにの湖の魚は世界でも一番ましかもしれない。それにしたって一年後の話ならともかく今年は無理だ。二年続けてアンゾリの家で誕生日を過ごした。去年はチョウザメを取り寄せてくれた。キャビアの親だけあって本当においしい。これもアンゾリの友達で、チョウザメと高級な鮭類しか扱っていないという。日本のある程度金持ち層に高級魚を売る気があるなら紹介する、日本へのルートをほしがっていたという。まあいろんな話がアンゾリのまわりには渦巻いている。
二階のいつもの客間がかたづいてないからと一階のおばあさんの部屋を提供してくれた。カウコとアンゾリは何時までも飲んでしゃべりまくっているから、包帯を替えるといって引っ込んだ。ここの家はネットが快適につながる。寝たのは三時くらいだったようだ。HOMEに返る

 



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禅クッキングのあつまり

2015年6月30日 13:42

フィンランドに行った

オープンしていないレストランで料理をする日

 

6月29日。アンゾリの家から遠くない、まだオープンしていないレストランで料理をする日だ。カウコが軽く一回分の材料をもってきてもらったから、禅クッキングのあつまりでもとアンゾリにもちかけたら、そのレストランのオーナーと、すぐに10人ばかりも集めてくれた。それで急遽やることになったのである。。
材料はひじきとか高野豆腐とかわかめとか持っている。長期保存の豆腐も二丁もってきている。きのう役に立ちそうな野菜を見て、とにかく買っておいた。
で、結局メニューは以下の通り。
①白和え  ねぎ、白菜、椎茸の豆腐和え
②おから  おからと椎茸、姫ひじき、しょうが
③煮野菜  にんじん、カリフラワー、車麩、切り干し大根の煮付け
④サラダ  レタス、トマト、たまねぎ、白菜、きゅうり、サラダミックスのゴマ油あえ
⑤おでん  レイパユースト、にんじん、白菜、揚げ高野豆腐
⑥てんぷら  赤ピーマン、じゃがいも、バナナ
⑦ごはんと味噌汁  ごはん、わかめの味噌汁
⑧煮りんごと豆のデザート
こんなところだ。反省からすると、カリフラワーをうっかり煮すぎた。こちらの米を使ってていねいにやる時間がなかったので、おいしくふっくらできなかった。もうひとつ、煮豆を蜂蜜味で作りたかったが、すでに煮たものを買ってきたのに4時間煮ても思うようにならなかった。あとはほぼ満足かな。自分では。食べるほうはけっこう感激してくれていた。
あ、もうひとつ、小麦粉を買いわすれて片栗粉でてんぷらをした。それなりにおいしくできたが、やはりてんぷらは小麦粉でないと。白和えやしょうがを利かせたおから、煮物、サラダ、おでんはまあおいしかった。
一時半から一人でかかって、五時半ころに一応仕上げた。途中からみんなでわいわいと見ているのでやりにくい。道元と永平寺の話をして「食餌五観のげ」の解説をしてからみんなで声を出して読んだ。アンゾリは仕事で遅れて七時ころきた。
明日はアンゾリは朝早く出てタリンに向かう。われわれの荷物だけ持っていってもらう。こちらは10時のバスでタリンに。明日中にはヘルシンキに着く。HOMEに返る

 



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昨日はすっかり仲良く

2015年7月1日 6:41

フィンランドに行った

ボールがあるので、それをころがしてやる。

日本はもう七月。こちらはもう少しだけ六月である。

アンゾリのうちで二日目である。朝猫が起こしに来る。おとといはこわがっていたが、昨日はすっかり仲良くなり、足にすりすりしてきたりする。おばあさんの猫だ。おばあさんは入院したらしい。それで毎日さびしそうにしていたのだ。握力回復のための小さないびつなボールがあるので、それをころがしてやる。「なあに。あたしにいまさらボール遊びをしろと?」とあきれたようにしてそっぽを向いている。しかしこちらがそっぽを向いたらすごいスピードでとびかかって、一瞬じゃれるようにした。こちらが見ているのでまた知らん顔をしている。そっと顔の前に転がしてやると、また知らんふりをして、ごろごろ言って坐っている。薬を飲むために〔「食後」となっているので〕パン一枚にバタと蜂蜜を塗って食べる。奥さんがコーヒーを淹れてくれる。一面の野原に陽が差ししているのが美しい。きのうはアンゾリが、「去年は仕事がおおすぎて大変だった。毎晩このベランダに癒されなければおかしくなったかもしれない」といっていた。そう、奥さんの誕生日にカナリヤ諸島に行った話をしてくれた。偶然に選んだ島だったが本当にすばらしかった。大西洋の真ん中のスペイン領だ。アメリカにわたる船が最後に水を補給する島に行って、十日もすごした。百歳を超えるおばあさんがいて、まだ食堂をやっていた。毎日のようにそこに行った。そこてもらってきた唐辛子のミッススパイスを津村さんに渡したくなった。おばあさんはオリーブ油でのばしてソフトにして使うといっていたが、好きに使ってください。これであの100歳のおばあさんと津村さんがつながった。この味でどんな世界か想像してください。
アンゾリは学会のために早朝出て行ったので、こちらは奥さんに送ってもらってポルトサマーのバス乗り場に行った。ここでタリン行きのバスに乗り二時間でタリンに着いた。タクシーで港のそばの喫茶店に行き、カウコは通っている腕の関節の医者に行った。こちらの医者のほうが手術代が安くて、しかも誠実なのだ。
カウコがまた車椅子を頼んでくれた。船はまた乗るまでの距離が長くて、ありがたい。早く来たので、送りに来るマルトにも会えなかった。トランク二つ運んでくれたアンゾリはぎりぎりに来たので、カウコは
残りの荷物とで大変だった。
船の中ではネットが通じますといっているがなかなか通じない。しかたなしに、王木の英語の本からの対訳表の残りを全部写した。次の「気功文化」に載せようかな。英語の表現がわかると、難しい日本語になっていてもわりとわかりやい面がある。
市電でカウコの家へ。ぽつぽつと降ってきたのが豪雨になって「どうする?」というものだから、ピザやさんでも行くかになる。電停の終点の向かいにピザの店がある。仕事がすんでくたくたのエレナが合流する。そのままエレナの家に。カウコがタリンで買ってきたケーキを出す。もともとエレナはエストニア育ちだからなつかしい。私はおすそわけでほんの一口ずつ四種類もらう。これがなんとロシアケーキの味がした。40年の占領はケーキの味まで影響を与えたかと感慨深いものがあった。同じ喫茶店のモーニングは純粋のアメリカ式だったが。
こちらではネットにつなげるための小さな器械を差し込むと自動的につながる。フィンランドで各地を回る間エレナのを貸してくれることになった。HOMEに返る

 


 

 





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私の無意識に働きかけるのである

2015年7月1日16:02

フィンランドに行った

 

自分の中で熟してきたタイミングが大事


符録の本をコピーしてもってきている。こちらの人に見せる気はないが、詳しく説明すれば面白がってくれるだろう。まだ先かな。とりあえず「諸鬼魅并野狐崇悩病難除御秘符」を練習している。上に十九の星が連なって星座になっている。下は道教独特の複合文字である。これは悪い鬼の祟りを断って病を平癒して暮らしに安穏をもたらすという効果で、まあ一般的なものだ。何ヶ月も家賃が払えないとき、貧賎富貴符というのを書いて、どん底からは回復した。お金が手に入る、というのはまだやっていない。そういう手段をもってから書きたい。ただのあいまいな神頼みにしたくない。

男女和合符も持ってきているが、こちらで誰かとくっつくのも面倒である。そういう人が出てきてから二人でやってみる。実現できないとおもっていたことがなんなく実現するというのは16の星を使うが最初のとよく似ている。これもみだりに使わないで、ここというときに書く。それまでは練習である。色紙で練習しては金がかかるので大きめの折り紙を何種類か買ってきた。愛用の筆ペンでする。朱文字もある。
符録を書くというのは願い事ではない。神社で何かを実現してくださいというのが間違いで、「お見守りください」というのと同じく、私が実現するのを見守ってくださいと、私の無意識に働きかけるのである。だから自分の中で熟してきたタイミングが大事である。願うからには責任をもって実現しなければならないのだ。
まだ健身気功の原稿を送ってないので、こんな余計なことを書いているとおこられそうだ。
締め切りのあることは「お見守りください」ではすまない。HOMEに返る

 

 



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ラハティ,南の中央部の内陸都市

2015年7月2日 6:41

フィンランドに行った

クスタは武術一筋の人

 

ラハティというのはフィンランド全体から見ればわりあい南の中央部の内陸都市である。ここにはクスタのやっている合気道と空手と気功の道場がある。かなり広い立派に道場と、下に畳を敷いた予備室がある。クスタは武術一筋の人で、武術家としてのカウコを尊敬していた。そのカウコから気功を勧められて、何年か前から私のクラスに参加していた。私が三年計画でやった気功の学習班はエストニアで50人余り、フィンランドで15人ほどが参加したが、その中で一番熱心だった一人がクスタだった。彼は結構距離のあるラハティからバイクで通ったのだ。去年からは内丹の予備的な話と実習をしてきて、来年あたりから内丹のまた何年か計画を作ろうとしている。
クスタは11人を集めてくれた。この教室でも毎週気功は教えているが、無論内丹は始めてである。時間は三時間。最初に40分ほどの話をした。導引、吐納、静定、存思、内丹という五分類を紹介して、内丹以外の四部門の紹介を5分ずつ。残りの20分で二千年来の内丹の歴史と陳嬰寧、胡耀貞というふたりによる復興について、そして張宇さんによる外丹功、内丹功の意味までを話して、まずは外丹功をした。外丹功は宇宙との対話であり、自分が宇宙そのものになることでもある。そして自由動功と自然動功と自発動功という三つの階段を通して「意識の気功」から「無意識の気功」へと次第に入っていく。この気功はクスタにもちゃんと伝えたから、彼がここで教えるレパートリーにも入っていることだろう。
そのあとちょっと休んで、内丹功に入る。時間も足りなかったのでちょっと省略もしたが、85%くらいやった。これは外丹功と反対に自分の内面に入り、肺呼吸から腎呼吸へ、後天呼吸から先天呼吸へと深めていく。そして老子のいう「玄牝の門」〔偉大なメスのおまんこ〕に行き着いていく。そこで、外丹功とは別の意味で個人を超えて、連綿たる生命の連鎖に出会うのである。内丹功が終わると、口の重かったみなさんもいろいろと活発な意見、感想が出てきた。
時計をみるとあと五分である。声を出してみようということで「南無大師遍照金剛」と「トホカミエヒタメ」をした。短い時間でもすっきりして終わってほしい。
終わってすぐにケウルーのカウコの兄さんのところに急いだ。二時間半。途中ガソリンスタンドについている食堂にでもいくかと言っていたのだが、あまり遅くなっても悪いし、昼間パンと野菜とは買ってあるので、着いてから食べることにした。兄さんとはほぼ一年ぶりだ。カウコが卵を焼いた。私はねぎとチーズを炒め、パンもバタで焼く。それはいいのだが、想像を絶して蚊が多かった。頭をバンと叩くと五六匹が死んでいる。お皿の上にも常時七八匹。大きな、そして激しく刺す蚊である。去年も同じ時期に来たがこんなことはなかった。早々に部屋に退散した。カウコは兄さんと飲みに母屋に行った。私は部屋に引っ込んで、日記を書き始めた。ここはレイクサイドだが、湖面から10メートルほど上がっている。一面の絶景である。電気技師をする兄さんが100%自分で建てた豪華な二階建ての別荘があり、古い小屋の隣が工具置き場を兼ねた客用寝室になっている。奥さんのおとうさんが少し具合が悪く、車は奥さんが使っている。自転車で町に行くにはちょっと遠いので、ビールも切れているらしい。家はヘルシンキの近くにあるのだが、兄さんにはここの暮らしのほうがいいらしい。HOMEに返る

 


 



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88年3号が私の表紙写真になっている。

2015年7月3日 5:25

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300人くらいだろうか、人が集まっている

ケウルーからクオルタネは二時間あまりである。年ぶりか何十年かぶりで、なつかしい。スポーツセンターのようなところで、いくつもの体育館があり、プールもある。中心の体育館にいすを並べて、300人くらいだろうか、人が集まっている。昔からずっと中心になってきた『ウルトラ』という雑誌の編集兼発行人だったタパニ・クニングスが三年ほど前に死んでしまった。いまはタパニの奥さんと新しい編集長とでやっている。今日はスタートして40周年の会になる。息子のアルヤ・クニングスが15分の開会の挨拶をし、カウコが気功とはどういうものかという基本的なことから「道教気功」の話をした。私はそれを受けて、「毎日の気功」というようなタイトルだが、やはり道教徒の生活と気功とうことで話した。この話の概要は別にまとめる。五日までの四日間にメインの報告は15あり、また最後にアルヤが締めくくる。その最初にカウコと私を持ってきてくれたのは影響が大きい。みな熱心にきいてくれた。途中でタパニの奥さんに三枚の護符を送った。
全部のバックナンバーが展示されている。その88年3号が私の表紙写真になっている。その雑誌も借りてきてみんなに見せた。
終わってからはヴァイキング形式の夕食。いわしのフライとかサラダとかいっぱいとってしまった。
夜九時から気功の時間になっていた。短い時間寝てから食堂に行くと、50人余りが集まっていた。一番簡単な気功と一番難しい気功を見せてくださいというので、スワイショウをやって、単純な繰り返しの中身がどれほど深いものかを話した。背骨ゆらしもした。複雑な動作を次々につなげていく動作は緊張がとれない。繰り返し運動ならばはてしなく単純で、しかも底が深い。一回しか会えない皆さんに確実に残していけるのは、こういう自分で果てしなく深めていく気功しかない。と納得してもらった。十時にすんでたくさんの人が自分の質問をしたり、写真を撮りたがったりした。小乗仏教をやっている人がいて、知っているかというから、ティク・ナット・ハンを二度日本に呼んだことがあるという話をしたら喜んでいた。HOMEに返る

 

 



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護符

2015年7月3日 6:20

フィンランドに行った

 

クオルタネでの講演

 ここで27年前に気功の紹介をさせてもらったことがあります。その意味で大変懐かしい。あそこに並んでいるウルトラのバックナンバーの中で88年の3月号で気功をしている写真がのっているのが私です。
その記念のために、きょうは道教の護符を書いたので、いくつか送ります。これは中国四川の李遠国さんが研究してきたもので、道教では昔から自分の願いを実現するために道士が描いて、部屋にかざったり、身に着けて持っていたり、あるいは火に燃やしてその灰を水で飲んだりしてきました。これは紀元前後から道教が成立したときにそのひとつの要素に取り入れられましたが、特に今から千年あまり前に非常に盛んになりました。四世紀ころの抱朴子の中では、山に入るときにはこの護符、病人のいる家に入るときはこの護符を描くと自分に被害が及ばないどの例が沢山挙げられていて、そのころから一部の専門家の間ではさかんにやられていたことがわかります。しかし千年前には非常に広い大衆がこれに参加していました。これは台湾で細々と伝わってきましたが、李先生が研究して中国本土と台湾をつなぎ、成都の道教の発祥の地にはこの古来の印鑑や道画や護符を集めた博物館もできました。
護符はもっと大きな紙に描くことが多いのですが、ここでは小さい紙に書きました。それでも十分効果があるはずです。
ひとつめ、黄色い紙に描いているのが「悪夢をなくしてここを鎮め、すべての邪気を抑えてくれる護符です。真ん中にいくつもの漢字を複合させて、作った合成文字があります。これは普通の文章では使われず、護符にだけ用いられます。
二番目はあなたの依頼を誰もノーと言わないで、計画したことは全部実現していきます。これはとくに雑誌を運営するうえでは大事な力だと思います。このオレンジの紙に描いているのがそれです。こ
三番目は鬼神のたたりをなくして、病を治し、暮らしに安穏をもたらします。これは赤い紙に描いています。どれも違う複合文字が使ってあります。右に書いてある文字がなんのための護符かということです。そして左側にはウルトラさんへという文字と私の名前と日付が書いてあります。本当はフレームに入れてさしあげるのがいいのですが、急に思いついたので用意できませんでした。ぜひ大事にしてください。
これはただ神々に頼んで自分の運命を預けるという意味ではありません。中国では儒教がそのような態度をとってきました。でも道教は、ただ天の神に祈るというのではなく、私が実現していくのをみてくださいという態度をとります。
符録を書くというのは願い事ではない。神社で何かを実現してくださいというのが間違いで、「お見守りください」というのと同じく、私が実現するのを見守ってくださいと、私の無意識に働きかけるのです。だから自分の中で熟してきたタイミングが大事です。願うからには責任をもって実現しなければならないのです。
これをタパニ夫人に贈りたいと思います。本当は額に飾ると立派なのですが、なにぶん今朝あわてて作ったものですので、むきだしで渡します。

 さて、今日はこういうものを含めて道教をどのように日常の中に生かしていくかというお話を少しします。それから、気功の五つの領域とそのそれぞれ持っているスピリチュアルな領域について話したいと思っています。

 道教ではまず日常の食事を大切にします。仏教のように菜食にするという考えはもとからありませんでした。手に入るものは動物でも植物でも区別なくいただく。しかし、多くの道教徒は山の中で暮らしていますから、何日も飢えることがありました。だから動物でも植物でも手に入ったものはありがたく感謝をしていただく。私のために死んでくれたから、その命の可能性をこれからの私の人生に生かす、しかし最後は自分の死体もあるいは獣に食べられるかもしれないが、それも感謝して受け入れるという考え方です。これに比べると仏教は動物を食べないが植物は自由にしていいという区別があり、植物に対して本当に感謝しているのかという問題があります。むろん道教でも慈悲の心がなくむさぼって食べるのはよくありません。また昔はそんなに動物は手に入りませんでした。
食器洗いや、掃除を大切にするのは仏教と同じです。した働きの人にさせるという考えでなく、掃除もまた道教の大切な一部分だと考えていました。服を縫ったり、洗ったりも同じことです。それ以外に道教には五つの分野で大きなことがありました。ひとつは音楽です。もうひとつは茶です。三番目がこの附録でした。そして四番目は書道です。五番目が気功と太極拳です。
音楽についてはたいていの道教修行者が胡弓をしています。それは必修の習い事でした。胡弓を通じて微妙な音の世界に気づき、世界に耳を傾けることを身につけました。
二番目は茶です。食事は質素な人たちが、茶器にはこり、各地のお茶の葉にも興味をもって比較し、客に対してはひとつのメッセージとして相手にあったお茶を出しました。
三番目は符録です。道教徒は人のために符録を書いて助けると同時に自分のためにもしょっちゅう書いています。自分がやろうとしていることをもっと広い視野からみるために必要なことだとおもっているのです。
四番目が書道です。中国の偉大な書家の多くは、王義之がそうであるように、道士でもありました。さまざまな先人の書をまねるところからみんな始めました。それはやはり文字を通じて気を練っているのです。
そして五番目が気功と太極拳です。太極拳はもともと道教の古い聖地武当山で作られました。400年くらい前のことです。気功は少なくとも5700年の歴史を持っています。それにくらべたら太極拳は新しいのですが、一連の新しい発見をしました。中でも大事なのは両手で玉を抱くということです。これは武術的には相手の攻撃を玉の中に入れて逆転させるということなのですが、哲学的には私の周囲には宇宙があってその目からみると相手のどんな攻撃も一種の病として治療していくことができるという意味を持っています。それとともに太極拳の練習は武術であることを超えて自分を宇宙の一部として鍛錬していくということもできるようになり、武術が同時に気功にもなりました。さまざまな拳法のうちでもっとも気功の性格をもっここているのが太極拳だといえます。太極拳は道士の必須の教養です。そして同時にさまざまな気功を体を治すために使ったり、心の治療に使ったり、霊的に高めるために使います。

 道士になるとこうしたことを熱心に学びます。第一級の道教聖地青城山に行くと、将来道士になりたい子供たちが難しい本を読んだり、二胡の練習したり、太極拳をおぼえようとしたりしています。そうしたことは文化大革命の中で圧迫されてきましたが、いまはたくさんのお金持ちが自分がここ十年もうけたのは道教のおかげだと考えて、多額のカンパをくれるようになりました。健身気功の波が政府によって2000年代から起こされましたが、この2010年代は道教が大きく評価され、とくに道教にしかない内丹術が社会的にも注目されています。この道教の隆盛は民間の道教支持者によって支えられています。
そうした中で古くから内緒ごとのようにして書かれてきた内丹の本が次第に広く読まれてきました。でもまだ実際に内丹の道を歩み始めている人たちはごくわずかです。
内丹はほかの気功と違って、内呼吸、先天呼吸を使います。小周天を肺の呼吸でやったら、うまくいかないか、うまくいくと大変なことになります。内呼吸を待つしかないわけですね。導引、吐納、静定、存思は外呼吸でしますが、内丹だけが内呼吸を使います。まあ秘伝とされてきた内丹の具体的な中身が公開されるようになっただけで大きなことだと思います。WHOは「身体的健康」「心の健康」に加えて「スピリチュアルな健康」を大きな課題として掲げています。とてもいいことだと思います。
気功の五大部門はみなそれぞれに「スピリチュアルな健康」に深くかかわっています。体で動く導引でさえ、イメージを大切にしますし、ただ身体運動をするのでなく、経絡の運動、さらに深い領域の真気の運行を含んでいます。しかしなんといっても内丹は私の意識、私の身体を問題にしているのではなくて、遺伝子を問題にしていきます。父母、そのまた父母と永遠につながる生命の連鎖を癒そうとしているものです。そして現代の内丹術では、外丹は大宇宙の体験のためにあり、内丹は内部宇宙の体験のためにあるのです。
ここではすぐに体験していただくことができませんが、まあ気功には、肩がこっても胃が悪くても役に立つという領域から、こうして私の中の宇宙を解放していく方法までが含まれているのだということを申し上げておきたいのです。
ありがとうございました。HOMEに返る

 



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朝見かけた12歳くらいの女の子

2015年7月4日 11:41

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クオルタネのつづき

布の手下げ袋がまだ乾かなかったので、もう二時間スイッチを入れた。
各部屋に乾燥機がついているのだ。Tシャツとか包帯とかはあっというまに乾く。今日は何もなかったから作務衣の上下を洗った。ホテルでもケサメッキでも、こういうのが付いているところと付いていないところがある。ホテルに洗濯物を出したりするのは考えられないから、自分で工夫して洗う。それを室内のあちこちにつるしておくと、案外に乾燥に時間がかかる。日程の余裕があるときはそれでいいが、やはり乾燥機があると何時間かで気持ちよく乾くからありがたい。
明日の朝までの滞在だが、ほかの講師たちの話にあまり興味はない。タパニのはじめたUFO研究の伝統は引き継がれていて、そのUFOの話とか天使の話とかは、頭から信じていないわけではないが、わざわざ興味を持って聞こうとは思わない。カウコに通訳を頼むのも大変だ。それで今日などは飯を食う以外に何も仕事がない。いや引きずっている仕事はあって,「健身気功200問」の翻訳と中国の動向に対するエッセーを書いて送ることになっている。中国から材料を集めるが虎の動作についてはもうひとつ興味をもって書けない。まあわかりきっていることに文言を費やしているためだが。
昼は野菜あれこれと、ビーツとひき肉のグラタン、にんじんやポテトを卵で包んでさらにパイ皮に包んで焼いたもの。つい習慣でたくさんとってしまうが、半分も食べられなかった。申し訳ない。
朝見かけた12歳くらいの女の子を見つけた。私の席からすぐ見えるところに座った。妹と弟がいて、おかあさんと一緒だ。きょうだいの世話をしている彼女は朝の神秘的な所はなかったが、何か彼女の周りにいると違う時間を生きているように、彼女だけの速度を持って動いており、それでいてゆったりと落ち着いていた。お母さんもきれいな人だったが、ちょっと「うつ」に見えた。娘のように特別の輝きを発していなかった。私はただ感嘆してみていただけである。もう今日で会うこともないだろうが、鮮烈な記憶になった。
夕方も同じパイが出た。つい食べ過ぎになるのでお皿にはホンの一口。八時、十二時、六時に食べたりというのは自宅ではありえない。北京の許さんから近頃新聞に載った名医の糖尿治療のレシピを送ってきてくれた。黄茋と当帰と年取った鶏を煮て食べる。二日に一羽、二週間続ける。ちょっとこの量は難しそう。二日に手羽一枚くらいならやれそうだ。

 

 



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カウコとエレナのスタジオ・丹田についた

2015年7月5日 15:48

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ぶどうの葉にご飯をつつんだギリシャ料理

朝の気功をしてからクオルタネを出発した。一路ヘルシンキへ。
4時間かけて12時にはカウコとエレナのスタジオ・丹田についた。
すぐに外丹、内丹の話になる。エストニアでやってきたことのほぼ繰り返しだが、ベテランが多いので自然に少し違う話になる。張宇外丹功、内丹功の話をするが、実習は胡耀貞の簡易動功から入る。
明日また日本料理の会をしてほしいとのことで、土曜日は夜は店がしまってしまうので、昼休みにSマートに行く。今度は精進でなく、伝統日本料理だ。鮭と鯛、ままかりのような小魚を買う。すばらしく新鮮なので祭り寿司をしよう。
何人か作務衣と比叡山の線香など予約していたのを渡す。頼まれていたトヌはエストニアの日程の間シカゴに行っていて、こられなかったので今日ヘルシンキ空港についてすぐこちらに来た。ちょっと上等の作務衣と鳥獣戯画の頭陀袋、足袋、雪駄などのセットを渡す。
次の授業なので続きはまた。
カウコは海岸でスワイショウをやりたいとみんなを引き連れていったのでまた少し時間ができた。カウコは時折エネルギー発散型の気功をしないともたないようだ。
昨日の授業はずっと外丹功、内丹功をやってしまったが、五時半までやって少し切り替えたいというのがあって、声を出すのをしてみた。まずヒフミヨイムナ、それからトホカミエヒタメ。役の行者の説明をして「南無神変大菩薩」。あとは「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」をする。
ピザやにさそわれるが、小麦粉絶ちをしたい。サラダがあるよといわれて、サラダをとってみる。ぶどうの葉にご飯をつつんだギリシャ料理をついとってしまい〔サラダの選択肢のうちなのだ〕ご飯をたべてちゃなんにもならないなと反省。ぱっぱだけかじる。
新しい住まい、といっても出て行くことにした物件だが、ごかいにすばらしいサウナがある。トヌとカウコと三人で行くことにする。カウコがなかなか来ないなとおもっていたら、エレナにいわれてトリートメントをしに行っていたのだという。
あ、みんな帰ってきたのでこれでまた中断。HOMEに返る

 

 



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日本料理の会

2015年7月6日 16:41

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エレナのコレクションに加えてもらった

久々に完徹をした。完全徹夜のことだが、さすがに最近は少なくなった。今日の日本料理の会を四時までの授業のあと五時からと決めたので〔カウコがである〕結局は夜のうちにすべて作っておかないとならなくなった。夜九時ころからサウナに入って、十一時ころに始めて、一応終わったのが六時半である。壁にもたれてうとうとしただけで、布団に入らなかった。
それから10時から人がきて、四時まで授業をした。張宇外丹功・内丹功をもう一度くわしく解説し、ていねいにやった。最後に胡耀貞の簡易動功と八段錦をした。
そして小宴会である。きのう呼びかけての急な話だったので、五人が参加した。いつもこの調子で思いつきで動いているから、効率が悪い。まあ、こちらとしてはどんな機会にも最善を尽くすだけだが。
それでメニューなのだが
◇鮭と鯛のおつくり
鮭はありふれているが鯛は貴重だった。薄作りでディルとか散らした。
◇鮭のちらしずし
残りごはんを巻こうかと思ったがめんどうなので鮭とディル,ルッコラのちらしにし 
た。
◇岡山ふうの祭り寿司
ままかりとそっくりな「ムイック」を使った。何も用意していないから使える野菜を 
十二種類ほど。
◇いなり寿司
今回はイナリ湖にいかないから、16個分ふた袋だけ買ってきた。その半分を使って。
◇卯の花
おからにひじき、にんじん、ズッキーニ等炊いたものをあわせて煮る。
◇やっこ
冷奴を三皿。かつおとねぎ、クコと松の実をちらし、ルッコラとかも使う。
◇高野豆腐とにんじん、なす、ユーストレイパの炊き合わせ
高野は戻して揚げてから煮る。にんじんはそのまま柔らかくなるまで煮る。ナスも揚
げ煮。ユーストレイパはチーズの一種で醤油で煮るとおいしい。
◇ブロッコリのパン粉焼き
ゆでたブロッコリをパン粉とバタで焼いていく。
◇煮豆サラダ
うずら豆を煮たのを売っていて普通はチレ・コン・カルネに使うのだが、そのまま
ズッキーニなどをごく細く切ったのとぜてオイルをたらし、醤油などで味をつける。
いちおうこんなところ。これを食べて二週間後の合宿にもこられるかどうか考えてみると言っていた人がいる。
みんなが帰ってから、エレナと三人で乾杯して、誕生日のプレゼントを渡した。竹の
笊を三種類、猫の財布、桜のついたスプーン、宝石など入れる小さな柳行李、独楽の形をした箸置き、そして四種類の小皿やお猪口。エレナが京都に来るたびに買い集めているので、コレクションに加えてもらった。
おわってから向かいのKマートに行ってみた。コンビニとスーパーの間の店。ナッツとかヨーグルトとかチーズとか、バナナ、りんごとか買う。安い厚切り牛肉とかは買ってあるから、これだけで何日か過ごせる。ピザショップにつきあって高いサラダを注文する必要はない。
それにしてもナッツなどの量が多い。一番安いカシューナッツを買ったが500gも入っていて、とても食べられない。宮保腰果でも作るしかない。マスカルポーネが300円前後で安いのがうれしい。HOMEに返る

 

 



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ヨーグルトとヴィーリ

2015年7月6日 20:24

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糖尿病のコントロールにいい

朝ごはんは無糖ヨーグルトだけ。昼ごはんはりんご一個とケルマヴィーリというヨーグルトに似たもの、そしてクリームチーズににらのような草をまぶしたもの。
ケルマというのはクリームでヴィーリというのが本体である。軽いヴィーリとか果実入りのヴとかいろいろある。これは不思議に日本に入ってきていない。こちらの乳製品売り場に行けばヨーグルトとヴィーリはほぼ半分ずつ消費されている。フィンランド納豆と表現した人がいるとおり、少し粘り気があるが、なれればヨーグルトと変わらない。
4000万人もいる糖尿病のコントロールにいいというだけでなく、心臓病もなにも効果があるので、穀物を食べないというのをしてきた。むろん砂糖も、清酒やビールもだ。でもこちらに来るといろいろ誘惑がある。ケーキを一口とか、ビールしかないからいいでしょとか、パンだけ残すのも、という世間的な配慮が働いて、つい妥協してしまう。カウコが赤ワインのBOXを買ってくれたので酒関係はいいのだが、そんなにまいにち飲もうということではない。パン、ケーキをやめると宣言して、これはもうカウコ、エレナとは食事をしないということだから、付き合いの悪いのはあきらめてもらわないとならない。まあピザやでサラダだけを頼む手はあるのだが。
昨夜カウコが冷蔵庫を開いて絶叫するから、何かと思ったら牛のステーキ肉を置いておいたのをみつけたのだった。私が肉を食べているのは知っているのだが、予想しないとこで見てしまうと絶叫になる。少年時代から釈迦の本を読んで動物はたべないことにすると決めてきた。なかなかたいした意思の強さだ。私は釈迦を読んでもまったくそのように解釈しなかったから、ずっと肉食はつづけている。逆に野菜果物を食べると罪がないとは思わない。自分が食べた命を私の生命場に実現する責任をおったほうがずっと強い生き方だと思っている。糖尿管理食の場合澱粉・炭水化物・砂糖以外はまったく自由である。むしろ人類が田畑を作ってから糖尿は始まったと考える。
フィンランドではヴェジタリアンもおおいが、肉だけ食べて治療する人も多い。カウコはいつしか「自分の釣った魚は食べる」になって、そのうち人が捕ったものも魚は食べるようになった。昨日の宴会でも最初にどれに魚が入っているかなど口うるさくチェックするが、誰も魚を食べない人はいない。本人もサーモンは抱え込んで食べている。ま、言ってみたいだけなのだろう。エレナはほぼ菜食ですごしているが、クリスマスなどには肉料理も作るし、とらわれはない。
デパートに行くともうすこしうまいものをいろいいろ仕入れられるが、日常はKマートで十分というところだ。HOMEに返る

 



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カウコは少しずつよめる漢字もふえている

2015年7月7日 0:34

フィンランドに行った


自分の名前が出てくると気になる

前の記事を読んだカウコから訂正の申し入れがあった。
冷蔵庫の肉を見て悲鳴をあげたわけではなく、ヴィーリが倒れて手にかかったせいだという。「先生が肉を食べようと冷蔵庫に入っていようが全然問題ではない。ただ手にかかったから」ということなので、謹んで訂正しておく。カウコは少しずつよめる漢字もふえているから、昔のようにカナだけではなくなってきている。とくに自分の名前が出てくると何が書いてあるんだうと気になるのは当然だ。
ドイツの独峰もあれだけきれいな日本語を話しながらぜんぜん読み書きができない。私が英語や中国語などで少し読み書きができるがちっとも話ができないのとちょうど反対である。フィンランド語もなかなか覚えない。単語帳で知ってる言葉といえば食品、料理関連の言葉ばかりで、根性がばれてしまう。HOMEに返る

 



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Finnish津村商店

2015年7月7日 7:50

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何がしかの利益も出るも知れない。

作務衣はほんの紹介のつもりだったのだが、よく売れた。もう三つ四つしか残っていない。まあ各自で日本の説明を読み取って注文するのは大変なことだから、私が紹介するのを受け入れてくれると互いに楽である。日本の友人にその話をしていたら、もっと安いものがいいろあると教えてくれた。私の行った京都の呉服屋さんはちょうどよかった感じで、四、五千円から二万くらいまでがあって、値段もそのためには納得がいった。だがネットの通販で見てみると、ずっと高いようだ。今年の冬はまた何十枚かかってみよう。
冬はエストニアですしの三日間講習をやることになった。自宅では手巻き寿司をやることはあるが、きちんと巻物やにぎりをやることがなかったが、少し準備をして、伝えられるようにしよう。そもそも日本での寿司がフクシマ以降やばいことになっているから、寿司はフィンランドやエストニアでこそ伝えたほうがいいのかも知れない。
寿司を自宅で作れるようにというと、いろいろなものがいる。エストニアのスーパーでも場所によってはがりとか海苔とかすし米とか売っているが、べらぼうに高いし、ある統一感をもって作れない。それをセットで法外なねだんでなしに届けたい。それからすしの英語のパンフレットも作りたい。湯飲みは寿司に不可欠だ。湯飲みとお茶の葉をセットで紹介したい。安い和食器のとりあわせとか、少し高級なものとか。そうそう包丁も必要だ。
そんな紹介したいもの、売りたいもののリストを作ってみる。
気功を教えに行くだけなく作務衣を売る。
和食の紹介をするだけでなく、食材や道具も売りにいく。
飛行機代くらい作る、というだけでなく、何がしかの利益も出るも知れない。
アンゾリとは、小さなサウナをもっと日本で紹介する話と、キャビアの親のチョウザメを日本で売れないかという話もある。
だいたいが自分の本やパンフレットを売るくらいのことしかしてこなかったから、商売をするのはランボオが詩人をやめて商売人になるようなものである。
武家の商法にならなければいいが。すこしずつ発想の転換を進めていこう。HOMEに返る

 



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ティクさんは愛想よく迎えてくれ、お茶を入れてくれた

2015年7月8日16:39

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禅料理をここでやりたかったのだという。

トゥルクはヘルシンキについで大きな町だ。きょうはそのトゥルクに行った。
五時にクラスがはじまるはずだったが、朝になってアリから寺のほうをみにこないかというので多少早めに行くことになった。寺というのはベトナム寺院のことなのだが、前にそこで二度講習をしていた。つくりかけの寺で、本尊だけがあった。そこに椅子を並べて講習をしたので、またそんなことを計画しているのかと思った。
このアリはヘルシンキのアリとは別人で、トゥルクの人である。アリの家には何度も泊めてもらった。いつも上等の中国茶をだしてくれた。彼が建てたサウナにも何度も入った。熱くするサウナがすきで、なんともいえぬ爽快感があった。福祉関係の仕事をしていた。その彼が二階に道場というか、祈りの場を作っていて、チベットの坊さんの祭壇があった。そこでいつも気功をしていた。何年か前からベトナムの坊さんたちとの縁が深くなった。トゥルクのまわりにはベトナム人がわりと住んでいて、彼らが通いたい寺が少しづつできつつあった。建設中の寺が放火されたこともあった。通りかかった車から通報があり、全焼には到らなかったのだ。曲折を経て、立派な本堂ができあがった。住職のティク・ハン・バオさんがまだフィンランド語は流暢に行かないこともあって、お寺の説明はアリが引き受けたりしていた。今日も四時から50人ほどのタンペレのロシア正教の若い人たちが来て、アリはその礼拝体験のお経を聞くように誘ってくれたのだった。
その50人ほどよりも小一時間早く着いた。ティクさんは愛想よく迎えてくれ、お茶を入れてくれた。卵せんべいをくるくると巻いたようなお菓子とココナッツチョコみたいなのを出してくれた。私は甘いものを極力食べないようにしているが、こういうときはしかたがない。そのうち粽が出て困ったが、有難く戴いた。果物の餡のようなものが入っていた。
去年アリと神戸に行ったという。そういえば、アリから「神戸に行くけど京都にも遊びにいっていいか」と連絡があって、もちん歓迎とメールを返し、その日はあけて待っていたのだが、用事ができたとかでこられなくなったことがあったのを思い出した。その去年の14カ国だかの参加した式典のパンフと写真集を見せてもらった。三田からすぐのところにこのような巨大施設ができていたのを知らなかったのはうかつだった。すぐにネットで引いてみると「時宗総本山三宝寺」とあり、カンボジアのシアヌーク殿下の墓がここにあることを知った。
ティクさんは50人のフィンランドの若者を相手に堂々とお経をあげた。三体の仏像は極彩色で、背中にネオンサインまでついており、そのつもりでみれば厳かでないこともない、批評的にみれば100%のキッチュの世界である。お経は日本のよりもずっとメロディアスで聞いて美しかった。これは聞く価値があった。
人のいない玄関にたたずんでいたら、終わっておごそかに退場したティクさんが携帯を持って走ってこられたので何事かと思った。電話に出ろという。びっくりして出ると流暢な日本語で「私はハノーヴァーでお寺をしているティクさんの仲間です。フィンランドを訪問されたんですね」といわれたのでびっくりした。「私は18年日本にいました。今はドイツです。イタリアとドイツとフィンランドに私たちのお寺はあります。ティクさんは広東語を話せます。四年前まで台湾にいたのですが、北京語は話しません。英語もフィンランド語もまだまだです。まだあなたは長くいるのですか」「もう三週間います」「たびたびフィンランドをたずねていますか」「一年に二回は原則として来ています」「ではぜこれひまたトゥルクのお寺によってはげましてあげてください」たったこれだけのことで、いろいろ通じた気がしてきた。
アリは私の禅料理をここでやりたかったのだという。市内には私の二年間のコースを完了した女性がいて、彼女が今日の夕方の会場と料理教室をとった。そして料理教室のほうは予約が少なくて、カウコにどうしようかと相談して教室のキャンセルを決めた。忘れていたのだが、ここのお寺の施設でやれるから連絡してくれといわれていたのに、場所取りもキャンセルもしてしまったのて、アリは少し怒った。次にはぜひここでやろうと、整った設備を案内してくれた。
お寺の名前は蓮の華の心の寺という。蓮華心寺と書くのだろうかHOMEに返る

 



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旅から旅への出稼ぎ

2015年7月8日17:33

フィンランドに行った

気功と整体を教えているテア


五時から八時半まで、トゥルクで気功講習をした。
主催してくれたのはこちらで気功と整体を教えているテアだった。以前からのエレナの友達であり、私の二年講習を受けてもいた。彼女が主催すると会場が暖かい雰囲気に包まれた。まず隣のソファに案内され、お茶が出、休み時間には甘いものも果物なども用意された。12人が参加した。男二人に女十人。
背骨ゆらしを座禅を交えながらやった。諸病源候論の導引は前にもしているので、新しいパターンも含めて、15ほどした。
休み時間にコンビニに買い物に行って、ヨーグルトとかスイカとか買う。今日はケウルーのカウコの兄さんのところに行く。あさってからの会場がケウルーの近くなので、ヘルシンキに戻るより楽なのだ。
後半ご希望はと聞いたら、テアからは亀蛇の立ったのを経験していないからやりたいと提案かあった。あとは目の疲れの気功をとの注文。あと一時間である。亀蛇の立式をやる。とくに七番目、八番目の動作は楊式、陳式の太極拳からとった難しい動作で、坐式とはこれが最も違う点だ。
カウコは86年に初めて大阪に習いに来たとき、まずこの亀蛇から体験した。
10分あまらせて目のマッサージをした。
目の前から。
①晴明穴を押す。
②天応穴を押す。
③こめかみに親指を当て人差し指の腹でまぶたをこする。
④三本指で軽く押して目の奥のリンパ液を入れ替える。
⑤押したまま目を左右上下に動かす。
⑥目から気を落とす
後ろ、横から
⑦玉沈穴を押す。
⑧風池穴を押す。
⑨耳の上の角をつまんで引っ張る。よくもむ。
これで視力回復から緑内障まで改善可能だ。
終わってケウルーに向かった。旅から旅への出稼ぎである。HOMEに返る

 



大鹿fin

2015年7月9日1:33

フィンランドに行った

西の空には鮮やかな夕焼けかひろがっていた

昨日トゥルクからケウルーに向けて車を走らせているとき、目の前を大鹿が横切った。二人で車を走らせて25年になるが、大鹿は初めてである。このあたりになると道路標識といえば120キロの速度制限と、大鹿注意報だけである。都市部に入っていかないと100キロとか80キロということはない。田舎はどこも120キロである。そして大鹿は、フィンランドのほぼ全土で出てくる可能性がある。トナカイ注意報になると、北極圏を越えないとまずない。日本の高速では狸とか兎、サル、普通の鹿の注意報は見かけるが、大鹿やトナカイはない。トナカイはみな所有者がいて、耳の印で確かめられるから、運転者が悪いとなれば賠償問題になる。そこへいくと、大鹿は私が死ななければ肉を持って帰れる。もし希望すればである。角の生えた大きな成長した大鹿だと、ぶつかったときにフロントグラスを突き破ってちょうど顔が運転席にはいってくる。毎年それで何人か死んでいる。
カウコの車の前をよぎったのはまだ比較的若い大鹿で、角もまだ生えていなかった。しかし道路はすでに相当に暗く、危ないところだった。
カウコは運転しながら西の空を見ていて、すばらしく美しいと思った。そしてなぜか、いま大鹿が出てきて生涯を終えるとしたら、さぞ美しい風景の中で死ねると思った。最後の瞬間を見るためにブレーキを踏んで減速した。そうしたらその大鹿が出てきたのだという。
私の持っているフィンランド料理の本には、牛肉料理は二つしかなくて、あとは大鹿、トナカイ、ダックなどの野生の肉の料理ばかりである。大鹿、トナカイなどは肉屋にちゃんと売っている。持ち帰ってよいというのは冗談で大鹿の狩猟許可がいる。ただみんなが身近に大鹿の存在を感じていることは確かだ。
道は暗くなりかけていたか、西の空には鮮やかな夕焼けかひろがっていた。22時半から23時半まで、壮麗な大舞台が晴れていれば見られる。西日が消えるころには朝日の差すほのかな先触れが東の空に現れるのだ。HOMEに返る

 

 



fin

サウナ

2015年7月9日2:48

フィンランドに行った

ヨッテとカウコはそうとうおしゃべり

サウナのことを書こう。私の泊まっている部屋のならびに小さなキッチンがあり、そこがサウナの脱衣場になっていて、その奥がサウナである。母屋の建つ前はこの部屋もサウナの準備室なり着替え部屋だったかもしれないがヨッケは壁一面に釘だのねじなど用途のわからないさまざまな金具などが天井まで並んでいて、反対の側にベッドをおいて客間を兼ねた。
サウナの棚は四段になっており、一番下はただの踏み台だ。入って右手に縦に細長い窓があるが、窓は開かないようになっている。窓の前に湖から引いてきた水道がある。茶色い水を出しているが、汚染されていることはない。水はいくつかの桶やバケツに汲まれていて、それとサウナの湯沸しでちんちんに沸いた湯をまぜて体を洗ったりする。左手にはサウナストーブがあって、そこで薪を燃やしている。薪を何本か燃やすとその上にある石がておいたほうがいいだろうと加熱され、その石に水をかけて蒸気をだすことが「サウナに入る」ということなのだ。
「先生サウナ入ります?」とカウコがいきなり言うから、そうか隣の部屋でごそごそしていたのはサウナを熱していたのかとわかった。すぐに服を脱ぎ捨てて、というふうには包帯のせいできないが、すぐ反応しておいたほうがよさそうと判断した。二人は兄弟でゆっくり入りたいだろうし。包帯を取ってサウナに入ったがどうも加熱が足りない。20回くらい連続して蒸気を出すが、エネルギーが足りない感じ。折からどうですかと顔を出したカウコに「もう二三本薪を入れて」と頼む。ようやく温かくなってきた。ストーブに水が当たると「じゅっ」と瞬間に蒸発しないようだと、このサウナはぬるいねというということになってしまう。ようやくエネルギーが回ってきた。
十分温まりながら、全身をこすって「垢すり」をする。汗が出てくると面白いように垢が出てくる。こんなに汚かったかと思うほどである。500gくらいは亜科になったかと思われれるころ、水かぬるま湯をかぶる。頭はシャンプーで、今日は二度洗いする。
そして外の空気にふれ、元気ならば階段を3段ほど降りて水際に行き、泳いだり浸かったりする。私は足が少し不安で、下りていかない。外で冷たい空気に当たっていても同様に気持ちいい。ぴかぴかになったところで、これを二度三度と繰り返す。
だれでもこんなふうにする。二人ではいると、これにはてしないおしゃべりがつく。ヨッテとカウコはそうとうおしゃべりの方だから、一人暮らしをしていたり、カウコが運転するそばで寝ていたりすると、二人には無限に話すことがあることになる。買ってきたピザを温めなおして、「ピザでもどうだ」と誘ってくれたが、ダイエットスープを飲むからけっこうですと断った。つきあいにくくなったものである。HOMEに返る

 

 



fin

鯛が入っているわけではない

2015年7月10日 4:04

OLVI

OLVIというこの地方のビールで乾杯


今日はまだ前日で、あと二時間半たたないと誕生日ではないのだけど、ケウルーの近くの小屋で、早く来てくれたアリとカウコと三人で祝杯を上げた。三人がフィンランド気功協会の創立メンバーといってもよい。1986年のことだ。明日からの三日間の気功講習がある。クオピオの医者であるトンミとマッティも、クオピオでやるのと別にここに来てくれる。18人くらい集まるということだ。 今日作ったのは サーモンの刺身 サーモンとりんご、トマト、白菜のサラダ バルサミコ酢と醤油で。 サーモンの皮と白菜、ゆで卵のサラダ。 タイ風のカレーとごはん オリーブ 三人で宴会をした。普段ビールを飲まないのだが、OLVIというこの地方のビールで乾杯した。明日もこちらが作るのが変だが、いつものことで、18人前を作ることにしている。 ここは二ベッドの部屋が二つ、屋根うらの部屋に三人か四人ねれる。あとふたつの小屋で大体おさまるらしい。 サーモンの刺身はわさびと醤油で食べる。こちらではキッコーマンはどこでも売っているが、少し高い。わさびは100円のを500円から700円でうっていて、けっこう人気がある。200円くらいで売りまくりたい気持ちだ。ガリも小瓶が1000円ちょっとである。 皮をはいで刻んで白菜とあえてサラダにする。アリに皮を食べる習慣がないのかと聞いたら、昔は食べたけど最近は残す人が多くなったといっていた。日本人もそうかもしれないが、日本人は鮭の皮は大好きで、古墳にも残っていないと古い話をした。アイヌでなくとも鮭の皮を食べ、骨も柔らかく煮るほうほうがあったのは事実だが、はたして現代人がそうであるかは疑わしい。 タイのカレーは日本のルーを買ってこなかったし、東京館に行かないと売ってないので、タイのカレーをリメイクしたのだ。鯛が入っているわけではない。HOMEに返る


 



fin

へたをとると芯まで真っ赤なのである

2015年7月10日 7:16

いちご

いちごの季節


例年より少し遅いというが、苺の盛りである。日本では真冬から商品が出ているから、苺の季節っていつだっけ、てなもんで、少しの感激もない。例年夏至の少し前から出回ってくるが、少し遅いというのはこちらも日本同様天候不順で、何週間か盛りがのびた。そんなに長くない「苺の季節」を存分に楽しむのだ。 たいていのスーパーマーケットでは、果物売り場にも多少置いているが、店の前に業者が店を出していて、そちらのほうが飛ぶように売れている。苺だけではなくブルーベリーとか、クラウドベリーとかほかの名前も知らないようなベリーを売っていたりもする。よく一緒においてあるのはさやえんどうが太ったような生で皮ごと食べられる豆で、これもフィンランド人は好きだ。 苺なんてありふれたと思ってはいけない。日本では一度も食べたことがない種類のもので、なにが違うかというと、へたをとると芯まで真っ赤なのである。日本の苺は外だけ色を塗ったかと思うほど中が白い。そしていかにも熟さずにつじつまだけ合わせて周りを赤くした日本の苺と違って、「全部赤い」のである。そしておいしさもまったく違う。日本の昔の苺はもう少し赤かった。ただ酸味があって、エバミルクとかかけてつぶして食べるとおいしかった記憶がある。粒も小さかった。こちらの苺は小さいものもあるが、普通の値段のものは直径2.5センチから3センチくらいはある。こちらでは歩きながらそのまま食べるのが普通で、一応洗って売っているのをそのまま食べる。しかし街の洋菓子屋が一番腕を振るいだすのもこのころで、ファザールの本店に行くのは年に二回と決めている。一回は六月か七月に苺ケーキを食べに、もう一回はクリスマス前後にザッハトルテを食べに行く。その二回以外は、どれだけ食指が動いてもコーヒーだけである。あとはアカデミア書店の二階の店も年一回いく。でも、それはそれ。一番おいしいのは車で走っていて田舎でそれこそつみたての苺にめぐり合ったときである。HOMEに返る


 



fin

18人ほどあつまってくる

2015年7月10日 18:12

OLVI

盛大なバースデーサラダ


今日は気功が本体なので簡単な料理。 サーモンの刺身とサーモンとアボカドの手巻きすしは直前に。 きのうのカレーにカレー粉をいれ、ポテト、にんじん、ズッキーニ、揚げた高野豆腐を いれてこれは製作中。 最後のおからも作ってしまう。 あとは盛大なサラダ。ケーキの代わりにバースデーサラダ。 5時に18人ほどあつまってくる。 HOMEに返る

 

 



fin

これこそが桃源郷かと思う

2015年7月10日 22:46

ブルーベリーケーキ

湖面にはけっして押し寄せてこない小さな波がたっている


包帯が二三日たまっていたから、サウナで洗った。靴下も、作務衣も洗った。 サウナはまだ暖かい。下手をすると薪を追加しなくても翌朝まで温かい。 作業していると汗ばむほどである。サウナの階段の手すりに全展開して、干す。 一緒にとまっている生徒さんがいたりすると、みんな寝静まってからする。 そして誰も起きないうちに、取り入れる。私より睡眠時間が短い人にはあったことがないから、夜のヒミツである。 あと一時間で始まる。みんなてんでの車で集まってくる。カウコが三つの小屋に振り分けていく。だれがどこという絵図まで描いて、いつになく慎重である。念のため、足りないときのために隣の小屋にもあいているか、問い合わせている。ひとつの小屋に余分の部屋が空いていたので、自分はそこで一人で寝ることにする。もしあいていなかったらテントに寝袋の用意をしてきた。例年一人二人自分のテントを持ってきて食事代だけ払う節約派がいるが、こんかいは人数が収まるかわからないカウコの分だけだ。 アリが苺を買ってきて「ずっと働いてる先生に」という。カウコがすかさずひとつ持って行こうとするから、「だめ、みんなに出すから」と阻止する。大きな四角いガラス皿にへたをとって積み上げ、上からマスカルポーネをかける。ふたつくっついてハート型のがあったので、一番上に飾る。 トンミのお母さんがブルーベリーのケーキを焼いて来てくれた。30×50センチくらいの大きなものだ。 目の前は湖で、隣の小屋とはボートでも往来できる。白樺が風に揺れ、湖面にはけっして押し寄せてこない小さな波がたっている。対岸の小島では一日中白鳥やあひるが声をあげている。フィンランドにはこういうところが無数にあるが、どこにいっても、これこそが桃源郷かと思う。 HOMEに返る

 

 



fin

食べていくと顔がぴかぴかに

2015年7月11日 6:36

まるまる

みんなとても楽しそうだった


五時から八時半まで授業をした。外丹功の集中講義。とくに三つのポイントを分けてやってみるようにというので「宇宙に広がって、もどってきて、自分が宇宙的存在だと気がつく」 「三円式を丹田感覚でして見る」「私の丹田であることを越えて環境の丹田といったいになる」という三段階を体験してもらった。初めての人は二時間半では無理で、動作をかじってもらったにすぎないが。明日もう一度やるしかない。 九時から宴会になった。みんなでハッピーバースデーをうたってくれた。トンミたちがシャンパン二本差し入れてくれた。料理のほうは予定と少し違うところもあったので、しつこく書こう。 ◇おから  わかめ、しいたけ、高野豆腐、卵入り。 ◇カレー  きのうのタイ風をインド風に作り直したが、なぜか和風になってしまった。 ◇ご飯   秋田こまちにこちらの粥用の米を足した。 ◇さけ刺身  三皿。ひとつはアボカドと一緒に。手巻き寿司にはしかった。 ◇卵入りポテトサラダ ◇揚げ高野入りの大きなサラダ ◇麻婆ナス  これを好きだった人は多いみたい。豆板醤も赤唐辛子も参照もなしにやったのは初めて。 ◇冷奴  豆腐三丁。青ねぎとわかめを載せ、醤油とかつおを別に添えた。 ◇いなり寿司  残っていた16個分。 ◇アリのくれた苺。四角い大皿にきちんとたて二列に並べて、マスカルポーネ一箱分を載せた。マスカルポーネを誰も知らなかったのにはびっくり。 何人かでケーキを差し入れてくれた。甘すぎず、おいしい。 マッティとトンミが中国風の小袋に入ったプレゼントをくれた。なんと魔法使いへルビの残した、彼女の絵を描いた小皿だった。そしてもうひとつはマッティが四川にいたときに買った小さな布袋さんだった。ヘルビの小皿が特にうれしいのは、へルビが「いつでもあんたのそばにいってやるよ。この鳥を持って祈るんだよ」といっていた鳥のブローチを大事にしすぎてどこだかわからなくしてしまったことで、この小皿はなくさないぞと思った。もうへルビが死んでで久しいが、マッティが何枚か持っていたものの一つだという。感謝感謝。 テアからはムーミンのカップとサウナで使うハニーをもらった。テアは今日スピード違反で捕まって免許を取り上げられた。目的地までは行っていいが、それまでで、何年か召し上げられた。子供の送り迎えにもさしつかえるだろうに。 クオピオのお母さんたちからはパイナップル一個もらった。また朝ごはんに使おうか。 みんなとても楽しそうだった。これまででたべた日本料理ではダントツでしたと言いに来てくれた人もいた。初めて食べる人が半分くらい。食べていくと顔がぴかぴかになっさていくのが心地よかった。 HOMEに返る

 



fin

黒パンのバタ揚げはおいしい

2015年7月12日 16:48

まるまる

赤だし味噌が好きだ


合宿の最終日。いいメンバーで、たのしかったなあ。 朝は声を出した。南無妙法蓮華経に始まり、トホカミエヒタメ、ヒフミヨイムナ、オンアーフン、オンマニぺメホンなどをやり最後に弁天の真言オンソラソバテイエイソワカをして時間になった。45分ということになっている。 朝食はゆうべのうちに用意しておいた。 ◇そばがゆ  こちらで普通に売っているそばの実をゆでて濃い目の醤油だしをかけたもの。 ◇ごはん    梅かつおのおにぎりしようかと思ったが時間切れで白米のまま。 ◇味噌汁    赤出し。カリフラワーと高野豆腐と細ねぎ。 ◇野菜煮物  じゃがいも、人参、たまねぎ、赤ピーマンと青ピーマンを醤油だしで煮る。 ◇サーモンサラダ   大きなサラダボウルにレタス二種類、きゅうり、トマトを並べ、サーモンの団子の市販品をちらし、黒胡椒をまぶしたクリームチーズと、黒パンをバタ揚げにしたクルトンをのせる。 ◇豆とツナのさらだ  ゆでた赤インゲン、ツナ三缶、みじんの玉ねぎ、白菜、ゆでたまごのサラダ ◇バナナ ソバはここよりはエストニアで常食されているが、ヌードルとしての使い方はなく、ゆでてミルクとジャムでたべたりしている。機会あるごとに日本式の醤油だしで食べる方法を提案している。黒パンのバタ揚げはおいしかった余分に作ってつまみ食いした。みんな味噌汁が大好きなのがわかって、とくに赤出し味噌が好きだ。ちょっと赤出汁が足りなかったが、信州味噌と醤油を足した。 11時から最後の授業だ。まだ道教八段錦をやらなければ。HOMEに返る

 



fin

日本にいるときよりはずっと元気だ

2015年7月13日 0:16

まるまる

鳥に黄祇と当帰を入れたものを


みんな帰ったので、盛大に洗濯をした。サウナの洗面所で、包帯六本を洗う。Tシャツを二枚、体操着のズボン、パンツ。ベランダに物干しがあって、包帯とTシャツはそこにぶら下げる。ズボンと靴下はサウナの予備室に干す。包帯をきちんと並べていったら暖簾のようになって満足したが、もちろん誰も感心する人はいない。 アリたちは町までピザを注文に行った。いるかといわれたが、ピザ断ちをして一週間だから我慢する。ピザ台のほうが厳禁なのである。上だけ食べても仕方がない。自分で肉野菜炒めのチーズかけでもしたほうがいい。おととい買ったチキンの足のローストがあった。ちょっと古くなっているので両面を煮る。漢方薬のつもりである。鳥に黄祇と当帰を入れたものを北京の高名な医師が推奨していて、許さんが知らせてくれた。黄祇と当帰は今ないので、鳥だけでもと思って買った。ところが処方は二日に一羽を二週間食べ続けろという。これはとても続かない。食べるというほうはできなくはないが、財布が持たない。これは何にいいかというと、糖尿病の特効薬なのである。その間少し太ってもあとで取り返せるからとにかくこの七羽を食べ続けるといいというのだ。これはアメリカの高たんぱく療法と通じる。これで直っている人もたくさんいるという。うーむ。いずれにせよ帰ってからだな。 京大病院から数値が悪いからとにかく入院しろといわれている。フィンランドもやめろといわれて、飛行機の中で死ぬぞとまで悪い予言を聞いたが、日本にいるときよりはずっと元気だ。京大病院のあの低蛋白療法を一日でも受け入れる気はない。二日に一度チキンの丸焼きを食べるがいいかという条件で入院するか。ん、これは交渉の余地がある。とにかく北京の高名な医師なので、京大病院の栄養士などよりはえらいのである。 だがこの高名な医師も、北京の金持ち層に糖尿が増えて、それようの処方をやけになってやっているのではなかろうか。そのうちに満漢全席を一週間食べ続けると糖尿病が治るという学説が現れるのではあるまいか。 けさのご飯はこげつかせずにうまくやった。昨日はまた少し焦げたのでカウコに文句をいわれた。こちらでは鍋をこげつかせるなどということはありえないのだ。鍋はスープにしか使わない。鳥を焼いたりはオーブンである。しかも電気調理器だから、微妙な火加減など一切できない。鍋はこげて磨いて使うものなのだと言ったが、こちらにはろくなタワシがない。それで探しに行って、パタパタというのと金だわしを買ってきた。パタパタは細かい目の金属に洗剤がしみこんだものだが、こんなものは役に立たない。日本にもあるような金だわしがいい。磨いたら五分でぴかぴかになった。ほら、日本ではこうやって使うんだったら。いつかの小屋で焦げたときにも、ヘルシンキではどこでもあるこの種の金ダワシを探したが田舎のスーパーにはなかった。翌日も企画があったので、そのままにしておいたが、こげた鍋をひきとって弁償しろとえらい剣幕だった。鍋の焦げ落としくらい自分でやれよ、部屋を貸すならというかんじだったが、むこうにしてみれば鍋を焦げ付かせる人種が初めてだったのだろう。日本の金ダワシをたくさん輸入したのはそのせいである。だがフィンランド国内では私以外そういう使い方をしない。HOMEに返る

 



fin

クネッケ、昔ながらの硬い丸いパン

2015年7月13日 4:46

まるまる

たまには雨を浴びたい


ケウルーの喫茶店の外にあるベンチに坐って、カウコを待っていた。彼が帰ってきたときに、ちょうど雨が降り出した。「雨ですねえ。車に入りますか」と聞くから、「たまには雨を浴びたいよ。日本ではもう二度とできないかもしれない」と言った。むろんあの盛大に放射能を含んで全国に降っている雨のことである。さすがに私でも、その勇気はない。昔は着替えを濡れないようにもっての山道を歩くのが好きだった。またできるようになることがあるだろうか。 その喫茶店というのは、お母さんたちだけの協同組合でしているもので、コーヒーとパンだけでなく、ジャムやピザや自家製ピクルスや、手作りのかばんとか鍋つかみとか、人形や天使のついたオルゴールや、あれこれを並べていた。その中にいくつかふくろうの置物とかドア飾りとかを見つけて、ふくろう好きの友人のいることを思い出して、安いものばかりだったので、いくつか買った。 カウコには、タールの石鹸が手に入らないか相談していた。ヘルシンキではサウナ用品専門の店ですぐ手に入るか、田舎の町ではわからない。白樺のタールで作る石鹸で、なんともいえずいい匂いがした。彼は姉さんに聞いて、何軒か探しに行ってくれた。風呂場で吊るしておくための紐のついた大きな石鹸を手に入れてくれた。こんなものは誰でも知っているし、つかったことはある。だけど、どこの店にもあるというぐあいではいつしかなくなった。なぜそうなってしまったのか。これがEU加盟の結果だと言えるだろうか。 たとえばサウナで焼く伝統的なソーセージがあるけれども、それは今も売られているが、ミュンヘン風のヴァイスヴルストやフランクフルターやウイーン風のウィンナーの方が幅を聞かせている。クネッケという昔ながらの硬い丸いパンもあるが、フランスパンやクロワッサンのほうが目立つところに有ったりする。フィンランド固有のものはなくなってはいないけれど、量的な多数派からは明らかに後退している。フィンランド的なものをわざわざ探さなければ成らないとは。 オーストリアでEUから脱退したいという署名が20万人を超えたという。と思っていたら、 フィンランドでもこのことが論議され始めた。ヘルシンキ大学の経済学者ヴェス・カン二ネンはすでに政府関係者と離脱のシナリオを作り始めているという。ギリシャに対する負担にフィンランドが同意していないのは事実だ。EUになっていいこともむろんあったが、次第にマイナス面が議論されてはじめているのは確かだ。HOMEに返る



 



fin

サンタ印のヨーグルト

2015年7月16日  6:07

フィンランドに行った


サワークリームのようにこくがあっておいしい

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サウナのあとは足の傷が痛い。熱に弱いこともなく、シャワーはむしろ傷口を洗うのに歓迎で、湖水に入るのも問題はないはずだが、サウナを出て傷口の手当てをし包帯を巻きなおしていると猛烈に痛くなってくる。包帯の上からさすっていると、気のせいか痛みがやわらぐ気がする。痛み止めは二錠でがまんしている。翌朝になればきれいに忘れている。多少よくなったのか、痛みとめがきいているだけなのかがよくわからない。こうして書けば排泄して少しよくなるかと思うが、むろんそんなことはない。
そこへもってきて、突然腰痛になった。黒川式の腰痛体操など教えながら自分がなるのだから困ったものである。徹夜料理以来だから、台所が狭すぎたと思いたい。
二度目の合宿も順調に進んで、明日の午前中をのこすのみとなった。
日曜までの気功の合宿に続いて、整体按摩の合宿である。昨日の午前中は田中盛平〔太霊道〕、岡田虎二郎〔静坐〕、高橋みち雄〔正体術〕、浪越徳次郎〔指圧〕、増永静人〔経絡指圧〕、松本道別〔霊学〕、野口晴哉〔整体〕などの列伝を話した。昨日の午後はカウコが指圧講座をした。
今日の朝は禅密功を一時間やり、午前中は「手当てと手かざし」「たんとん叩き」「ゆすりタッチ」をする。手当ては野口整体からそんなに変わっていないが、たんとんとゆすりは私が編集した。命名者も私である。午後もその延長でやった。なんとなく時間が余ったので、膝を折ってするゆすりタッチをしたり、日本で発見された腰痛や中毒のツボなどの話をした。私のモデルになった人はチョコレート中毒をやめるためならなんでもするといっていた。
朝と晩の食事は私が作っている。いっこうに大変だと思わないので、つい引き受けてしまう。カウコがお金を集めて、実質の材料費の倍くらいちゃっかりもらっている。ま、痛みをこらえて足を引きずりながらだから、いいか。
今夜の夕飯は白米になす、にんじん、たまねぎ、オランダ豆の味噌汁、鮭の刺身が大皿三枚、インゲン豆と青豆、と六寸とレタスのさらだ、今日の昼に出して余った焼きサーモン入りのカレーチャーハン、ミニトマトときゅうりそれぞれの小皿、黒パンの古いのをバターで揚げたもの。バナナのヨーグルトかけ〔サンタ印のヨーグルトはサワークリームのようにこくがあっておいしい〕。
二日ぶりにサウナに入った。湖水まで首まで入りにいく。今夜は料理をしない。明日朝六時から「最後の朝飯」を準備するつもり。HOMEに返る

 



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国会に十万人が集まったという記事

2015年7月16日 6:12

フィンランドに行ったフィンランドに行った


当然のようにサウナをつけてみんな入った

 

また当然のようにサウナをつけてみんな入ったのだったが、ぼくはいいや、という態度だった。きのう寝付けないくらい足が痛んだのは、サウナのせいかもという意識があった。先にカウコとへイッキが入って、続いてありも入った。それを見ているうちに、どうせ包帯を替えなければならないし入ろうかなとくよくよ思った。わからないが、①湖と往復する間にこまかい砂利が入って気がつかなかった、②湖水そのものに傷に悪い成分か微生物がいるかもしれない、という仮説に基づいて、湖水に行くのをあきらめて、シャワーですませるという選択をしてみようかと思った。ここのサウナは湖水を別にしてもなかなかいいし、ごうーっと薪の燃える音が好きだった。で、やっぱり入るということにして、二人はもうあがってビールを飲んでいたがアリはもう一度付き合って薪を入れてくれた。アリが四五回水を投げてくれて、ひたすらまかせて瞑想した。短い間気を失っていたのかもしれないし、眠っていたのかもしれない。気がつくとアリはもういなかった。残った水を何回かかけた。そしてシャワーを浴びて、湖に行かずにもう一度入った。
入る直前に国会に十万人が集まったという記事を読んでいた。このサウナの究極の癒しの空間でも、十万人の人々と、入れなかったが思いを同じくするその何十倍、何百倍の人たちの無数の顔が見えるような気がした。
安部の親分といってもいい中曽根がソ連の属国になるという意味で「フィンランド化」という言葉を国会で使った。それを謝りにヘルシンキに来たとき、なぜか気温はマイナス30度になった。こういうときは熱いサウナがなによりですとフィンランドの首相は中曽根をサウナに誘い、いんぎんに散々いじめたという話か伝わっている。HOMEに返る

 

 



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◆明日はクオピオに移動◆

2015年7月16日 7:11 

フィンランドに行ったフィンランドに行った


カウコには夜食の弁当をまた作ってやる

明日はクオピオに移動する。台所の整理のための最後の晩餐なのだが、残り物だけというのもつらいので、ちょっと買い物に行って、トナカイの肉とイクラとツナのペーストとを買ってきた。野菜はいろいろ余っている。カウコはトナカイの肉は食べる。もともと基準があいまいなのだが、トナカイの肉は飼われているトナカイ自体が牛や鶏のように閉じ込められてひどい目にあっていないからいいことになっている。それなら大鹿の肉はどうなのか、狩猟で狩られたウサギや野生のガチョウや熊の肉はどうなのかということになるが、いまのところ解禁されているのはトナカイだけである。この辺で売っているのはくず肉の冷凍という感じであまりありがたくない。後はひき肉しかないので、やむなくこれを買ってきた。
イクラのほうは鮭の卵と書いてあるのだが、ししゃもとの中間くらいではないかと思うほど粒が小さい。日本で流通しているイクラの直径で半分くらいだから容量で四分の一くらいである。やはり日本のしょうゆ漬けはおいしいと思った。ご飯に載せるならこれである。揚げパンにクリームチーズとヨーグルトを混ぜ合わせたものと昨日の残りの刻んだゆで卵とみじんのオニオンをマヨネーズで和えた物を添えた。これはおいしかった。考えてみたらロシア料理店のキャビアもこうやって食べる。してみると、ただ醤油に漬けて試してみる価値はある。
残り物だからいろいろである。
◇トナカイとわかめ、アボカドの炒めもの
◇カナッペ  揚げパンにツナマヨネーズとサラダ菜とトマトの小片をのせたのとアボカドを載せたのと。
◇大皿にイクラ、ヨーグルトクリーム、卵サラダをおいて周りにパンを並べたもの
◇おにぎりの残りが六個
◇カモなすを輪切りにしてとろとろに焼いたもの。赤味噌はなくなってしまったので、しょうがのみじんを載せ、醤油をかける。
◇高野豆腐と人参、ズッキーニ、ジャガイモの味噌汁
◇なすとチーズの微塵が入ったチャーハン。朝の残り。
◇レタス、豆類いろいろときゅうりのサラダは朝作ったが、この残りに野菜をいろいろ足したさらだ
◇市販のレタスのサラダ。オランダのチーズとクルトンがついていて、おいしそうだが、誰も手をつけなかったのでまた明日。
◇バナナ、桃、りんご
飲み物はビール、ミルク、飲むヨーグルト、オレンジとクレープフルーツのジュース、ブルーベリーのジュース
テーブルがいっぱいになった。みんながんばってたいらげてくれた。カウコには夜食の弁当をまた作ってやる。HOMEに返る

 



fin

◆町の入り口の看板に大きなイチゴの絵◆

2015年7月16日 21:17

フィンランドに行った


特に毛はえ薬にいいといううわさもある。

 

スオメンヨキはケウルーとクオピオの間の小さな町である。ここは全国にも「イチゴの町」として知られている。町の入り口の看板にも大きなイチゴの絵が描いてある。ここのスーパーに寄ってこれから三日間の食料を補う。いろいろ残り物はあるし、朝炊いたごはんもおにぎりにしてあるし〔秋田小町!〕そんなにいらないのだが、見てみるといいろほしくなる。特にこれまでヴェジタリアンの人に遠慮していた肉がほしくなる。かといってステーキでもないな。こちらのサウナで焼く安いソーセージとレバーペーストを買う。ここには同じKマートでもカラクッコがあるので、クオピオが近いことを感じさせる。クオピオ特産のワカサギのような小さな魚をつめたパイだ。でも小さな片手に乗るようなのが3000円もしている。イチゴをかごに入れていたらカウコが外の店のほうが新しいというので、外で買うことにする。ケウルーと同様どのスーパーにも屋台を出してイチゴや豆を売っている。一箱500円ちょっと。「盛りにはちょっと早い」とカウコがいう。「まだ芯まで赤くないでしょう」。ケウルーで買ったのは芯まで赤かったが、これは真ん中が少し白い。しかし、すごくうまかった。なんだろう。こくというのか、イチゴにこんなものを感じたことがない。もう二週間くらいすると、これの真っ赤なのが味わえるのだろうか。
カウコが探してきたのはクオピオの20キロ手前のケサメッキだった。前に車がつぶれたときに一度来て一泊したことがあるというが、周りの景色も建物の作りもまったく覚えていない。下にキッチンとダイニング、ベッドにもなるソファ、サウナとトイレ、はしご段で上がっていく二階が三人くらい寝られる。ベランダがあり、木の作り付けの長いすと、やはり木のテーブルがあり、カウコは早速外で朝食をしコンピュータをいじっている。私は台所のほうだ。コンパクトで快適な伝統的なメッキだ。もう少しクオピオに近いキャンプ場を借りていたのだが、そこは便利だが風情がない。値段がほとんど同じだったので、少し遠いがキャンプ場のほうをキャンセルした。ここで三泊する。
きのうはずいぶん寒かった。上掛けをかぶっていたが、戸外で寝ているようで震えた。毎日変わるが、ここ数日は寒い。ここもいまは快適だが夜には寒いかも知れない。真夏だというのに、ストーブで燃せる白樺がたくさん摘んである。炊きつけ用の新聞紙もある。この新聞紙を混ぜないで白樺の皮だけで着火すると、灰を薬に使える。特に毛はえ薬にいいといううわさもある。湖を一望できるすばらしい眺めだが、隙間風が入ってきて、少し寒い。冬には寒いだろうなと思う。冬のフィンランドは仕事は最小限にして、好きな人とふとんにくるまっているのが正しいすごし方なのだ。HOMEに返る

 

 



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◆非常に強い癒しの力をもった泉の水◆

2015年7月17日 10:23

フィンランドに行った


9.6だ。すごい!

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チェルノブイリはウクライナにある。事故当時はソ連に属していた。事故から29年目になる。フクシマはアラスカやカリフォルニアに徐々に被害をひろげつつあるが、中国、韓国など近隣諸国には幸い大きな被害を与えなかった。今ではむしろ日本の汚染食品のほうが問題である。とくに台湾がはっきりした態度をとっているので、国内のあいまいな基準が通用しない台湾には困っている。だが現実には福島産の放射能食品を見ないようにして、なかったことのように広めている日本の企業のほうが問題だ。
チェルノブイリはコンクリートの壁で厳重に封鎖されており、福島も結局同じようにすればよかったという説は強い。いろいろと妙案が出されて水の壁とかやってみているうちにどんどん失敗して、事態はますます深刻になっている。それでもウクライナの広大な土地は放置されたまま立ち入り禁止になっている。現実には福島県の東半分は完全封鎖されねばならないのが、平気で立ち入りがなされている。安部政権と企業社会が「なかったこと」のようにふるまっているためだ。全日空の機内食ですべて福島産の食材にしようということを決めた。日航はどうのかな。私は断固拒否である。ヘルシンキでパンとハムでも買っていく。
昔の『フィンランドの森から』に書いている。エスコ・ヤルカネンという花屋さんにインタビューしたときのことだ。この本も89年でチェルノブイリからすぐのことだ。どんな影響を受けましたかと聞いた。「あれによってフィンランドの森のエネルギーは半分に落ちた。われわれ自身も大きな影響を受けた。しかし幸いなことに、エーテル体に影響を与える放射性物質が比較的少なかったので、回復が早かった」と言った。そして茶色の小瓶を出してきて、「これは事故の翌年からフィンランドの森のあちこちでいっせいに湧き出した非常に強い癒しの力をもった泉の水だ。こちらの瓶にはルルドの精粋があるが、それに匹敵するものだ」と私を驚かせた。彼はさまざまな水だけでなく各種の好物を取り揃えていて、それぞれの持っているパワーを100段階で言い当てることができた。ダウジングという木の枝を使っていろいろ探したりする技術をもっていて、見せてくれた。「日本人はあんな狭いところでたくさん働いて大変だ。それで体をこわさないのは海草を食べているせいではないか」と言ったので、たまたま持っていた昆布茶を缶ごと進呈した。彼はすっかり喜んで、手で持って測り、「9.6だ。すごいよ」と言った。
彼はソ連領エストニアから届いた蜂蜜をくれた。お茶を出してくれて一緒にその蜂蜜も飲んだ。「これはほんとにすばらしいだろう」と言ったので、私は突然エストニアに行ってみたくなった。翌年にはコピー機をみやげに本当にエストニア民衆戦線をたずねるのだが、ソ連はチェルノブイリの直後の処理を何も聞かされぬままエストニア人にやらせていたことを知らなかった。私はエストニアに通うようになってから、だまされてチェルノブイリに行って体の調子を崩している人に何人か会った。少しはいいかもと気功での解毒のしかたを伝えた。あとで神戸やフクシマで伝えたものと同じである。HOMEに返る

 

 



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◆白樺がゆれていないのに湖面が波立っている

2015年7月17日 17:27

フィンランドに行った


赤い箱の濃厚な牛乳のほうがずっといい


真夏の太陽が照り付けている。といっても、20度を少し越したくらいか。「灼熱の太陽」でさえここからは少し遠い。白樺がゆれていないのに湖面が波立っているのは、どこかに湧き水でも出ているか。大きくはない、端の見通せる程度の湖である。庭に白鳥が顔を出して、カウコはさっそくカメラを構えている。
彼はコーヒー二杯とパン二枚にマーガリンを塗ってベランダに持ち出す。私は部屋の中。コーヒーは一日一杯と決めている。丸い黒パンを半分に切ったものの半分。私はマーガリンは使わない。炒め物には他の油がないときは使うが、せっかくバタが安いので、もっぱら贅沢にバタを使う。日本ではちびちびと使っているが。
そして三日間×二回の合宿の間に果物がたまってしまった。バナナ、あんず、桃、洋なし、りんご。バースデーにもらったホールスタイルのパインまである。ぶどう二種類は最後の日にみんなに食べてもらった。ここでは大皿に桃、バナナのもう切って少し変色しているもの、アンズのやわらかくなっているもの、それから洋なしを盛り付けて持ってくる。カウコは食べない。彼は野菜もほとんど食べない。まして自分で作ったりしない。作るのは目玉焼きで、後はチーズとパンとナッツと甘いもので暮らしている。たまにサーモンとかピザとか。そして米のミルク。カウコはおいしいというが私には全然おいしくない。赤い箱の濃厚な牛乳のほうがずっといい。
盛り上げた果物だが、梨一個、半分のバナナ、あんず一個でおなかいっぱいになってしまった。
食べながらキャベツをゆで始めた。半分残っている。私のソーセージとも合わせられるように、カウコももし食べるなら食べられるように、何も味をつけずに煮ていく。煮物をするくつくつという音が心地よい。HOMEに返る

 

 

 



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不思議なものだ

2015年7月18日 15:28 

フィンランドに行ったフィンランドに行った


ラップトップを買う仕掛けがそろってきた

クオピオの三日間講習の一日目だ。大きな湖の波止場に面している。何台も観光船が出ている。この湖で果てしなくムイックというわかさぎに似た魚がとれる。波止場にも町中にも、ムイックを揚げたり焼いたりして食べさせる店はあちこちにある。
クオピオの会場はいつも湖の近くだったが、湖に面しているところは初めてだ。でも会場になっているトレーニングルームから湖水の景色がみられるわけではない。冬にはずっと遠くまで歩いていけるし、スケートもしているという。
五十人を越えたという。マッティの病院の上司という女性も来てくれた。禅密功をしたことがない人、と聞くと半分近くが手を挙げた。今まではずっと禅密功をしてきた仲間ばかりで、そうでない人は二三人という感じだったが、今日の参加者は明らかに違う。新しい人たちが来ていた。それではといきなり禅密功はやめて、背骨ゆらしから始めた。基本の四運動を二回、ヴァリエンーションを五種類とやって、その間に由来、効能、ステップと話していくとすぐに一時間半たってしまった。
全体で三時間としたら間に30分休みをいれるのがこちらの流儀である。教えているほうとしては雰囲気を壊さずに一気に続けたいが、昔からのやりかたなのでしかたがない。みんなその気でサンドイッチとかクッキーとか持ってきている。主催者側はコーヒーと何種類かのお茶を用意している。
あと一時間。明日からの宣伝もしてと頼まれていたから、五大流派と内丹について少し話したら20分たってしまった。大急ぎで禅密功の築基功を一通りして、ぴったり八時三分前に終わった。
トンミとはマック友達である。いいマウスが余っているからあげようかともらった。不思議なものだ。これでますますラップトップを買う仕掛けがそろってきた。
トンミからはまた二冊しかない禅密功のフィンランド語の版を一冊もらった。いま出版先を探している。表紙には私が彼と一緒に行った黒竜江での頭蓋骨標本と並んだ私の写真が載っている。巻末にはカウコとトゥルクのアリの写真も載っている。女性モデルが一通りの動作をしている。劉漢文のテキストの全訳である。トンミたちとは87年から禅密功をしてきた。私が中文のテキストを貸して、中国語を専攻してきた女性に訳してもらったのだ。長い道のりだった。発刊されてたくさん売れてほしい。HOMEに返る


 



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アハベン・パーチ・クハ・サルキ

2015年7月18日 16:15 

フィンランドに行った


見分けるのが名人芸

トンミのお父さんが釣った魚をお母さんが持ってきてくれた。去年泊めてもらったときもお父さんの大きな冷凍庫は見せてもらっていた。毎日のように網を張っているから、食べきれないほどの新鮮な魚がとれていく。それを丁寧にやり骨を取り、すぐに調理しやすい形にして冷凍する。皮を食べやすい魚は残しておき、あとはむいてしまう。網といっても長円形の七八十センチの深さのもので、これをあちこちに沈めておくと魚が入って出られなくなる。ただ毎日場所が違って、見分けるのが名人芸らしい。
四種類の魚をもらった。
アハベンという「うぐい」はバタ焼きにした。シーイカというパーチもスパイスで焼いた。これらは長年なれている魚だ。
クハというパイクパーチはキャベツと汁にした。それからサルキ〔英語でローチ〕はいわれたとおり刺身にした。
どれもおいしかったが、クハのスープはそれはそれはおいしくて、びっくりした。出しなしで作ったのだけど。サルキはカウコも生まれて初めて食べるという。骨が多くて、とれても捨てるのが普通なのだ。ていねいに骨を除いたものをたべてみると、そのコクにびっくりした。わさび醤油にぴったりなのである。
サーモンは大きな湖にはいるが、基本的には海の魚で、ノルウェー産が多い。本当の魚っ食いはこうして内陸の魚を使いこなすのだなと納得した。HOMEに返る



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夕焼けが連続して朝焼けに変わる湖

2015年7月20日10:44

フィンランドに行ったフィンランドに行った


サンタヨーグルトが食べられなくなる

クオピオでの三日間の講習が終わった。 第一日が背骨揺らしの紹介とわりあい詳しい理論。それから禅密功の築基功。 第二日が胡耀貞の簡易気功の最初の誘導と二つの動功。そして真気運行法の第一、第二の部分。 そして今日が一日かけて張宇内丹功だった。これで内丹の三つの入り口を体験してもらったことになる。全部を並行してるわけでなく、どれをメインにするか決めてほしいのだが、決めるためにもある程度やらないとわからない。全国にも国外にもよく知られたヨガの指導者が三日間夫婦で参加してくれた。奥さんは雑誌記者をしていて、インタビューを受けた。 今日のお昼は波止場のムイックの店に行った。昨日に続いて二日連続である。ムイックはイワシに似た淡水魚で、このカッラヴェシ湖はその産地として有名である。この湖自体も風光明媚で複雑な地形でしられているが、ここからいろいろな湖に通じていて、お城で知られたサヴォンリンナまでも通じている。今日は七つ八つの観光船が並んでおり、空中から湖の風景を見せる水上飛行機も発着している。 日本語のできるヴィッレ君が「付いていっていいですか」と一緒に来た。もうひとり日本語のできるオッシ君が通りかかってカウコが「ここは日本語のテーブルだよ」と呼んだ。今日の講座は30人もいないのに日本語のできる受講生が二人もいる。カウコも日本語の気功を通訳するための言葉を少し覚えればすぐだよと勉強を薦めている。ヴィッレ君のほうは囲碁が趣味で、ネットでドイツに住む日本人とドイツ人のハーフの女性と知り合ってついに結婚し、日本語を話すことになった。オッシ君は日本の物理学をやるために勉強し東北大学に留学していて、震災に出会った。ただそのときはたまたま両親が来て奈良のほうを案内していて無事だった。両親は帰国を勧めたが、せっかくだから卒業してからともう何年か過ごした。だが物理が専門なだけに原発のことは詳しく観察し、本当に怖かったという。やはり日本人の恋人がいた。西のオウルの近くに住んでいて、クオピオには遠いのだが、この講座のことはトンミやマッティもやっているチベット密教のホームページに載ったお知らせで見た。ふたりとぜひつながって行きたいと、住所を聞いた。すぐに手紙を書いてこちらのホームページやフェイスブックのことも伝えよう。古い気功の通信など送れば喜んでくれるだろう。 一気にヘルシンキに帰らないで、いつものケウルーのお兄さんのところに行くことになった。車の中で「真気運行法Q&A」をカウコが聞けばわかるように少し易しい言葉で全文録音機に入れた。フィンランド語にしてもらうことを期待して。李遠国の本からとった内丹の説明も。明日は胡浮探の文章をやろうか。 カウコはまたピザを買う。小麦粉を私は食べないと宣言しているから当分はピザともスパゲティともお別れである。スーパーでみかんとか梨とか〔これも糖分だが〕オリーブの実とかサンタヨーグルトとか買う。サンタのヨーグルトは糖分がないが完全にクリームの塊のようでおいしい。これが食べられなくなるのが寂しい。カウコはまた赤ワインを買ってくる。そんなに飲めないんだったら。エレナの冷蔵庫にもまだ何本も入っているはず。 お兄さんのヨンネのところでは、少し休んでから兄弟でピサを食べている間、ソーセージの残りを焼いたりして食べる。でも正直このサウナ用の安いソーセージはおいしくない。兄さんが焼いてくれたとカウコがクレープを持ってきてくれる。かなりの技術でおいしかったが、一瓶の四分の一くらいジャムが載っているのには困った。これならピザを食べても同じだったな。 兄さんのとろに挨拶にいったら、ウォトカを勧められる。カウコはコーラとかで割っているがこちらはストレートだけである。水で割ってもいいが、それはうまくない。しばらく話すうちにレコードのターンテーブルを見つけた。パソコンに使っている大きなテレビの脇に四、五十枚のレコード。カウコも見たことがない秘蔵のコレクションを最近ここに運んできた。昔ラジオ局に勤めていた時代にそろえてのだという。ジャズやレゲエやロックのよだれの出るような名盤ばかり。富田勲の交響曲も何枚かあった。何枚か聞かせてもらう。テレビのスピーカーをつかっているが、ああCD以前のレコードの音はこうだったなと改めて感激する。私も数十枚持っているのだが、プレーヤーがない。安いものでいいから買わなきゃ。二階にはさらに百枚ほどのコレクションがあるらしい。 雨の後のせいか、蚊が少ない。夕焼けが連続して朝焼けに変わる湖の絶景をいつまでも見ていたい。とにかく寒い。肩とひざを毛布にくるまり、ストーブを最大にしてもまだ震えている。 。HOMEに返る

 



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真っ赤なおいしいいちご

2015年7月21日 23:35

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カウコは市電の一日券を買ってくれた

ハカニエミは港に次ぐマーケットの出る広場だ。 エレナのところからは市電でまっすぐだから、彼女はしょっちゅう来ている。お天気がよくて、朝仕事が入っていなければ、ここに来る。朝七時からやっていて、今日は八時に来た。コーヒーとちょっとしたパンなど食べる。食べ残しをあさってカモメやスズメがうろうろしている。カモメは時に人が食べようとして持っているものを奪っていくことがあるから、要注意である。 まだ店は少なく、花屋と八百屋が多い。花屋のおかげでずいぶんと場が華やぐ。新鮮な人参やトマトやかぶが山をなしているのも、眺めていてなにか安心する。日本人もたまに歩いている。いつかここに面したホテルに泊まったこともあった。 エレナがいちごを買ってきた。私がパンを食べないのを心配している。豆もいらないか、チェリーはどうかと気を使ってくれる。こちらも気を使っていちごを食べ過ぎた。真っ赤なおいしいいちごだ。 カウコは後ろにそびえるのが金属労連の建物だと教えてくれた。この国でも一番力のある、戦闘的労組だった。だからメーデーはこの広場から出発したのだ。私の父親も戦後はずっと全国金属のボスだった。そこから総評の事務局長になった。思わぬ親戚筋がいた感じがした。 この一角に固定された建物の市場がある。一階には魚屋や肉屋、八百屋、チーズ屋などが軒を並べている。二階には本屋、刺繍の店、雑貨の店などがある。二人とはここで別れた。カウコは市電の一日券を買ってくれた。エレナは一人で大丈夫なのと心配して、家の電話のメモをくれたり、疲れたら連絡してと言ってくれた。ま、ヘルシンキは80年代から一人であるいているわけだし。魚屋は質がいいが、日本へ持って帰るのは知覚のスーパーで十分だと二人は言った。それは今夜か明日朝かかえばいい。カウコは警備のほうの仕事で、今日はフットボールだっけ、何かの大試合の警備隊長になっている。四時から九時はそれでいない。だからこちらも半日行方不明になるいい機会なのである。HOMEに返る

 

 



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ここでも古き良き時代が流れていく

2015年7月22日1:23

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チーズバーガーとチリバイトとラテを頼む

行きつけのヘルシンキ駅の食堂に来たのだけれど、ショックだった。
なんとバーガーキングに変わっていたのである。経営不振でよそのレストランにするというならまだしも、バーガーキングとは。考えてみれば、豪華な昔風のインテリアに客はめったにいなくて、ただ一角のルーレットをおいたギャンブルコーナーだけが賑わっていたというのは、やはりレストランとしてはつぶれる運命にあったのだろう。この静かなことが気に入っていたのだが、もうひとつ、いたるところに掃除機用の電源があって、それを使ってコンピュータ仕事をしている人は少なくなかった。私もそろそろ50%に落ちてきたから、ここへ来ようと思い立ったのである。バーガーキングになって、ほとんどの電源はつぶされていた。一箇所昔のままのものがあったが、黒人の女性が電話機の充電に使っていた。あいたらそこを使おうと近くに座ったが、なかなか空かない。
ハンバーガーを注文しなければいけないかと様子をうかがうが、店内で並ぶ列は増えていくばかりだ。ストックマンで買った水をここで買ったもののようにしているが、誰もそんなことに関心を持たない。黒人二人はついに立ち上がったので、私はやっと電源をゲットする。コンピュータの上に買い物袋をおいて隠し、仕方なし②注文に行く。チーズバーガーとチリバイトとラテを頼む。フィンランド最後の夕食は妙ことになった
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日本に無事に着いた

2015年7月23日 20:41

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植木も雨に当たって元気

日本に無事に着いた。
小原さんがときどき見に来てくれたので、郵便物もきちんとまとめられ、植木も雨に当たって元気そうだった。一ヶ月ぶりの風呂に入った。とにかく湯船というものがないものだから。「先生、金貯めて小屋を買おうよ」とカウコが繰り返し言うのにまあ賛成なのだが、「日本式の湯船はほしいな」といつも答えている。やはり日本から持って行くしかないのだろううか。西洋式のバスタブには興味はないので、できたらヒノキ風呂を設置できるサウナを買いたいのだ。
帰ってきて料理をする気になれず、近くのうどん屋に行って、鍋焼きうどんと親子丼と頼んだ.米とうどんは禁止、は今日は解除である。HOMEに返る

 

 

 

 



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フィンランドの食の紹介

2015年7月25日 5:40

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サルミアッキはフィンランドの子どもが一番好きなお菓子

フィンランドでは日本食の紹介ばかりしてきたが、日本に帰ってくるとフィンランドの食の紹介になる。この土日に東京で宴会をする。まだ何人か空きがあるので、興味のある人はどうぞ。土曜日は二時ころから町田、日曜日は12時から王子である。希望の方はこの記事に反応してください。
土曜日の予定メニュー。
◇オーブンサンド三種類
◆ニシンの酢漬け フィンランドの黒パンにニシンの酢漬けとカイワレを乗せたものです。
◆卵サラダ ゆで卵にアンチョビーを少し、玉ねぎとポテト.黒パン。
◆えび   これはクネッケという固いパンにゆで海老のサラダを乗せたもの。
◇サーモンの刺身
 新鮮なサーモンを改めて朝から凍らせて、アイヌの人の言う「ルイベ」に仕立てます。
 この食べ方は普通のフィンランド人は知りませんが、半分戻りかけた所が最高の味だと思います。わさびは日本のものが普及しています(四〜五倍して高いですが)。
◇サーモンの片身のロースト
 サーモンを銀紙で包んでローストします。本当は焚き火の前で板に貼付けて焼くのですが、これは中華鍋で焼いています。塩と胡椒類あれこれ。
◇イクラ
 イクラひと瓶おごっちゃいましょう。日本のより少し小振りです。
 マスカルポーネ、クラッカーを添えています。
◇鶏のゼリー寄せのサラダ
 サラダ。レタス、セロリ、クレソン、オリーブ、ゼリー寄せ。
 鶏や豚の肉をほぐしてゼリーで固めたものはとてもポピュラーです。これだけをパンに乗せても美味しいが、ここではカットしてサラダに使いました。
◇トナカイの赤ワイン煮
 トナカイは赤ワインを少し加えて、醤油も少々入れて煮ました。これは北部のラップランドでしか食べられていません。北に行くと塊のままのローストとか、さまざまな料理が可能ですが南部では屑肉しか売っていません。これはストックマンという一流デパートで購入した割合いい肉です。
 ポテトピュレ、リンゴンベリーを添えます。
◇フィンランドおでん
 これはユーストレイパというチーズを見つけてから作り始めました。ユーストレイパはありふれていますが、フィンランド人はジャムをつけてデザートにするだけです。でも醤油で煮たものは誰もが「おいしい」と納得する新しい食べ方です。ゆで卵、ポテト、人参、厚揚げ、こんにゃく、高野豆腐とあとは普通にしましたが、高野豆腐は揚げてから煮込んでいます。
◇カレリアン・ピーラッカ
 カレリアはフィンランドの東の端でしたが、ロシアに取られてしまいました。ソ連の時代を 経てまたロシアになりましたが、領土は返ってきません。たくさんの人がフィンランド側に逃げました。そして今でもカレリアの文化を懐かしんでいます。中でもどこでも売っているのがカレリアン・ピーラッカ。ピーラッカはパイという意味で、ミルクで焚いた米の粥か、マッシュポテトをパイ皮で楕円形に包み込んで焼いたもの。食べる前にもう一度軽く焼くとおいしい。これに正式にはゆで卵を刻んでマヨネーズで和えたものを乗せます。昔はマヨネーズは使わなかったと思いますが。
◇イチゴとサンタ・ヨーグルト
 残念ながら日本の苺です。苺ほど日本とフィンランドで違うものはないので、フィンランドの苺は芯まで真っ赤で、とても甘く、同じ苺かよと思うばかりです。そのかわり一年中はなくて、6月から7月の短い時期に出回って、夏には消えて行きます。こればかりは持ってこられないので、現地で味わってください.日本の苺を使う代わりに、サンタヨーグルトを乗せまし た。これは美味しい生クリームのようなヨーグルトです。すこしだけ蜂蜜をかけています。
◇サルミアッキとチョコレートクッキー
 サルミアッキはフィンランドの子どもが一番好きなお菓子。飴には違いないのですが塩味なので、日本人には不思議な味です。うへっと吐き出してしまう人もいますが、すぐになれておいしくなる人もいます。
 チョコレートクッキーは有名なファザールのものです。これだけ少し値段が張りますが、それだけのことはあります。

これで講習費含め4000円です。HOMEに返る

 

5_1_5_tanoshi_katagata.html#renge

 



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◆れんげ舎で講座とフィンランド食

2015年7月27日 7:17

◆フィンランドに行った


●前回よりも多い人が集まってくれた

▼東京に出かけるのは放射能の雲に入って行くようで気が進まない。だが東京で普通に働きつづけている人たちと、むろん連帯をしたい。おそらく飯山情報など受け取っても、どこの世界のことと我が身にひきつけて考えないのだろう。それぞれの場での今後の「経営計画」があるし、それにそって生きている。強制退去までいかない地域にはその自分の計画や実感が優先して行く。大量の病がそれを阻んで行くまでは。 町田のれんげ舎の部屋で、前回よりも多い12人が集まってくれた。れんげ舎と近くでしている金魚玉珈琲で働いている人たちが今回は皆出てくれた。初めての人もいれば、以前の講座に出てくれた人もいる。背骨ゆらしをして、声の気功を小一時間して、最後に胡耀貞の内丹の初歩の三つの動きだけをした。二時間ではこれで精一杯である。 朝一度金魚玉のほうに荷物をおいて、冷凍するもの、冷蔵するものを置いてきた。もう一度移動して、あとは皿に盛るだけだ。えびを買い忘れたりしている。おでんに入れるユーストレイパを京都出発直前に煮て、そのまま鍋に置いてきてしまったのは残念だった。これ以外は大体予定通り。トナカイの赤ワイン煮は軽く温めて粗いマッシュポテトの上に乗せて、リンゴンベリーを添える。焼きサーモンも冷蔵庫の温度でない程度に温めてもらう。おでんもちょっと温める。これは金魚玉のスタッフがいろいろ協力してくれた。 サーモンの刺身はまだ凍り切ってないので、なるべく遅く出すことにする。あとはサラダとかイクラをマスカルポーネで食べるのとか、並べるだけ。カレリアンパイが開けてみたらぼろぼろに崩れてしまっていた。柔らかいパイに米の粥が入っているので、もともとこちらに持って来られるようなものではないのだが、やっぱりだった。ぼろぼろのまま皿に並べて、ゆでたまごを刻んでポテトと玉ねぎを加えマヨネーズで和えたものを全面に散らしてごまかした。 ちょっと遅れてスタート。あとからサーモンの刺身と(きんきんに凍ったのをたべてもらたいかったなあ)苺の代わりにキウィを切ったのに盛り上げたサンタヨーグルトや、チョコレート類も段々に並んだ。 一人、福地君という昔の知り合いが聞きつけてきてくれた。直前に長田くんに電話があってびっくりした。あとは喫茶店とオフィスのスタッフと講座などに参加してきた人たち。ちょうどいい人数だった。 町田のホテルでもと相談したら、新宿のビジネスホテルに空きがあったととってくれた。食材を大きなスーツケースいっぱいに運んできたのだけれど、整理して残り物を入れるとまだけっこう重たかった。明日の王子で使えるものは使う。京都を出る時には、二階からひとりで持てる限界を少し超えるくらい詰まっていた。一段一段引きずって下ろした。京都駅までタクシーに乗せた。運転手さんが頑張ってくれた。京都駅ではどこもエスカレーターがある。それにしても「料理は体力」を実感した。まあ、みんなになるべく本物のフィンランド料理を運びたいという意識だったのだが。 ホテルの部屋で冷房を全開にしたので寒くてなかなか寝れなかった。からだに悪いのだが、とつぶやきながら、四五軒先のラーメン屋に行ってつけ麺を五年ぶりでたべた。 .....HOMEに返る

 

 

 

 

 



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◆王子で講座とフィンランド食

2015年7月27日 21:37

◆フィンランドに行った


●新しい人が来たので、きっちり練功

日曜日は王子に行った。 午前中は新しい人が来たので、きっちり練功した。まず背骨ゆらしの本当の初心者相手のバージョン。八段階で一字一句説明が決まっている。書いたことはない。文字にしたのは一段から三段までをまぜたものだけ。ここでは第一段階をする。私と同様の年期のある高木シゲ子さんにもかえって参考になる所があったみたい。 そのあと諸病源候論の導引から20ほど選んでする。さらにスワイショウの話になり、前後四種類、ひねり四種類をする。基本の基本に帰った感じ。 午後は小宴会。おでんの残りやサーモンはだめになっていたので、
◆焼きサーモン
◆レバーパテ
◆イクラ
◆卵サラダ
◆ファザールのチョコクッキー
にフィンランドのパン三種類とクラッカーなど。三種類というのは固いクネッケ、ライ麦パン、ほうれん草を入れた緑のパン。 四時まで話して出た。いつもの古本屋によって『テルマエ・ロマニ』の一から五を525円で買う。東京駅で熱海の鯛めしと金沢の穴子寿司を買う。帰りの新幹線で鯛めしを食べる。父親が一番良く買ってきたのがこの熱海の鯛めしと高崎の鶏飯。なつかしいが、昔の感覚よりちゃちになっているような感じがした。 穴子寿司は翌朝食べた。ファックスのインクが切れて十本程たまっていたので、買いに行った。.....HOMEに返る

 

 

 

 

 

 

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FINLANDの森の音

2015年6月19日



Kiitos のNo4から。

 フィンランドへ行きたいという人はまずシベリウスに親しんでください。シベリウスの中には静寂、瞑想、森の多様性、快活、侵略者への怒りと「フィンランド的」なすべての感受性を圧縮して体験できます。入門編としては交響詩フィンランディア、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第二番などをまずじっくり聞いてほしいですが、そのあたりでこの「木々たち」を知ると、シベリウスを支えているフィンランドの森の味わい、色彩を鮮やかに印象づけられることになります。

Five Pieces "The Trees", Op.75
1914年
ピアノ独奏
出版: 1914年、Breitkopf & Hartel
音のスケッチ
日本では、舘野泉さんが紹介して以来、かなり有名になった。楽譜も入手しやすい(全音より発売されている)の
で、聴く機会も多いのではないだろうか。
ピアノによって、大地に育つ樹の様子を表現したものとして、まさに一級品。
第1曲-ななかまどの花が咲く時(Nar ronnen blommar, When the Rowan-tree flowers)
「ななかまど」は「ピヒラヤ」ともいう。
前半部は、拍子が確定せず、4分の4拍子、2拍子、3拍子が目まぐるしく入れ代わる。 後半はようやく4分の2拍子に落ち着く。しかし、聴いていてまずそんな複雑な印象は受けない。強拍のはっきりしない、いかにもシベリウスらしい音楽である。集結部でト長調に変ずる部分は絶妙。
第2曲-孤独な松の木(Den ensamma furan, The Solitary Fir Tree)
Grave とある、一番テンポの遅い曲。終始4分の2拍子であるが、小節間のフェルマータなどもあり、逆にリズムの取りにくい部分がある。
第3曲-はこやなぎ(ポプラ)(Aspen, The Aspen)
曲集の中で一番メロディアスな曲。後半、全音符の和音と、それを装飾する音符の対比が見事。
第4曲-白樺(Bjorken, The Birch Tree)
一番テンポの速く快活な曲。前半部のメロディが後半部で分散和音で繰り返される部分は、神秘的ですらある。
第5曲-樅の木(Granen, The Spruce)
この曲集の中で、多分もっとも有名な曲。レントの部分に挟まれたリゾリュートの部分では、分散和音が盛り上げる。メロディを音楽にしたというより、情景を音にしたら音楽になったという印象。HOMEに返る

 

 

 

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今回の楽しい荷物たち

2015年6月19日


 

何日かぶりでまともな食事にありついた。京阪の地下で合鴨が半額になっていたのだ。それを醤油にしばしつけてガーリックとじっくりオイル焼きした。今日は卵を食べていないから、和風のオムレツを作る。卵をまぜるときにかすかに醤油を垂らし、ごま油をまぜ、カツオの粉をいれて焼く。小さめの大葉を何枚かまぜる。トマトはふつうにざくざくと切る。エゴマの葉のキムチ。これでニッカの残りを水割りして飲む。一通り済んでから、クラッカーにマスカルポーネを塗って、これがご飯がわり。そうだ、明日はおからを炊こう。
朝荷物が届いて、フィンランドに持って行く豆腐が来たのだ。150日保存のすぐれもので、15丁入っている。大部分水の重さだが、水を抜いたら二三日のうちに使わなくてはならない。今回の荷物は作務衣10着が大部分を占める。あとはこの豆腐とかで、高野豆腐とか麩はかさばるがとても軽い。読む本と禅密功のテキスト、内丹のテキストなどはリュックに入ってしまう。HOMEに返る

 

 

 

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"Kiitos" 読めば旅の始まり 

2015年6月17日


 

"Kiitos"という8ページのレターを作った。Kiitosは「ありがとう」の意味である。来年の夏にもしかしたらフィンランドに行きたい、行けるかもという人たちに向けて、私と一緒に行くフィンランド旅行がどんなふうかを伝えるレターである。
NO.1は、89年の夏にした時の記録を載せた。6ページですんだので、7ページにはごくごく簡単なフィンランド語の会話と単語を載せた。インド・ヨーロッパ語と違うから、簡単な会話でも難しい。まあ、だんだんにフィンランドに行くぞと盛り上がってくれればいいという狙いだ。8ページには現実的な所で「どれくらいのお金があればフィンランドに行けるの」の話。夏でも早めに採れば10万未満でフィンエアがある。バスを借りる、運転代、食事、通訳、ホテルもあまり立派な所を使わず合宿所のような所をつないで行くが、それでも10万。と積み上げて行くとどうしても最低25万からかかる。3万から3万5000積み立てて行けばかなり余裕を持ってお土産代も出る。確定できないのは、人数、旅程によってすぐ5,6万変わってくるからだ。
No.2はNo.1で取り上げたたびのみんなのまとめの感想。これもフィンランドの会話本からやさしいことを写す。8ページ目にはフィンランドの地図を載せる。
No.3はサウナの話。フィンランド語は「食べ物の名前」の英語との対照表。ラストページはフィンランド料理の英語の本の紹介。
とりあえず3まで作った。頑張ってもう一つ作って、フィンランドに発つ。帰って来てまた7月末の宴会向けのを作る。あとは月一回くらい出して行くつもりだ。
これ読んでみたい人に送ります。ただし、今度の火曜の昼で禹も仕込みは打ち切り、あとは7月末になる。送ってほしい方はどうぞ遠慮なく。

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これは飛行機で読むか

2015年6月16日

 

 

ヴィブレの大垣書店に寄った。いやインクを買いに行ったので本を見に行ったのではない。と自分を引き止めたが、通って行くのだからもまあ見てみようと歩みが遅くなった。それでも30分程度だったから下の駐輪場も無料のうちだ。結局買ってしまったのは以下の三冊。
上村義徳『陽慶の医書』文芸社
こういうのは普通待って古本で買うが、面白そうだと新本でも買ってしまう。張仲景の傷寒論の序文にも出てくるという陽慶には家伝の医学書十巻があってという話。これは飛行機で読むかな。
谷部金次郎『天皇陛下料理番の和のレシピ』幻冬社
昭和天皇に26年間料理を作り続けた宮内庁大膳課の人の引退してからの本。写真中心のきれいな本だ。昭和天皇は多々問題があって、平成天皇程尊敬もしていないが、特別の料理ではなく、家庭でそのまま応用できるような「普通の」料理を食べていたことには共感できる。安倍が夜な夜な高級料理店で特権をむさぼっているのとはえらい違いだ。ここにあるキャベツの一夜漬け、ポテトマヨネーズサラダ、叩き牛蒡、ほうれん草のごまあえ、豚の生姜焼き、サバの船場汁などは、庶民の味そのものである。ていねいにつくられてはいるが、特別の素材ではない。平成天皇も基本的にはこういうもを食べているのだろうが、いい材料が手に入りにくくって来たご時世にどんな工夫をしているのか知りたい。それともフクシマの素材を敢えて食べてフクシマの人々とともに生涯を終えようとしているのか。
西所正道『絵描き・中島潔地獄絵一〇〇〇日』H&I
中島の絵が出来上がるまでの物語は偶然映像で見ていた。その地獄絵はすさまじいが、救済の地蔵の姿が目立っている。中島は3/11のイメージは地獄で表現するしかなく、その地獄を救済する以外に出口はないと思ったのだ。その五年間の全経過を書いた本である。中島が金子みすゞのイワシの詩を絵にしたものはこの口絵で知った。港では大量の祭りをするけれど、海の中では何万のイワシの葬式をしているという金子の感性にふれて、中島はすさまじい絵を書いた。目玉のない何千と言うイワシに包まれた二人の少女。この絵は日本よりもパリの三越エトワールで展示した時にすさまじい反響を呼び起こした。一万三千余の人が押し掛けて、プログラムやこの絵を使ったポスターを買って行った。これもゆっくり読みたい。

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良き時代が流れていく

2015年6月16日


プリンタをだましだまし使っていたが、ついにかすれて来たので、仕方なく北大路のヴィブレに買いに行った。7230円。高いなといつも思いながら買っている。帰って来てふと思いついてネットで引いてみたら、10個セット(六本セットが10個ということ)がなんと62%引きで24750円で売っている。三個セットでも7830円だから、今日支払った一個分で三つ買える。ちょっと調べてみればよかった。三個セットならば一年で使い切る分量だ。知らないというのは恐ろしい。
もともとネットで、インクを入れ替える時にインクケースが自分で出て来ないことを調べてみようと思った。今まですっと開くときと、出て来ないのでこじ開けて暴力的に引っ張らないとならないこととあった。それについてはありきたりの答えしか書いてないが、自分で何度かしてみて、スイッチオフしてから手順を追ってやれば素直に出てくることがわかった。それで機嫌をなおして、ふとインクの価格のほうを検索してみたら、それが出て来て、いっぺんに機嫌良くなった。フィンランドから戻って来たらさっそく三個セットを注文しよう。
あまりネットで買うという習慣が確立していない。本でも買う前にどうしても手に取ってみたいし、インクなど別に手に取らないでいいのだが、できれば現物をいちいち確かめて買いたい。それはもう旧風俗旧習慣だなと実感した。
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気功を教えるのが元手要らず、道具いらず

2015年6月13日


 

作務衣をもう少し見本に持って行こうか、と思った。
いままで夏冬行っているが、日本の何かを売ろうなどと思ったことはあまりない。
去年は持って行った禅クッキングの食器セットを16人分預けて来た。箸から茶碗から食器の12点セットである。持ってかえれないので、欲しい人に売ってもいい。なるべくセットで売ってほしい。わざわざ売る努力をしなくてもついでの時に並べてくれればいいし、ただ保管しておくだけでもいい。そういってダンス・フェスティバルのオフィスに置いて来たのだ。毎年持って行く食材は余れば人に上げるし、捨てるしかないものもある。
作務衣が売れるという話はカウコから聞いた。すっかり忘れていた。私自身スーパーで安物を買って結局サイズが合わず、寝間着にして来たのだが、ネットで京都の岩田呉服店を知って、その品揃えにびっくりし、訪ねてみようと思った。ネットで注文、というより、いろいろ見せてもらいたかったのだ。
まずエストニアの友人から頼まれていたのを揃えた。綿麻楊柳というのの薄茶にした。肩掛けバッグ(頭陀袋)は携帯ケースもついた茶色の鳥獣戯画にした。足袋ソックスと雪駄も選んだ。あとはカウコへのプレゼントで、同じ楊柳の灰青のものと亀のついた信玄袋にした。あと買ったのは私の分の久留米紬の3L。そして人に売れるものとして刺子織の茶のLと、小紋花柄の赤と紺が女性用。あとはバッグいくつかで満足して帰って来たのだが、考えてみると見本としては少なすぎる。
安くて、しっかりしていて、作りのいいのをもういくつか買って行こうと考えた。今日はもう一度行ったのだ。相談しながら、久留米絣の濃紺と明るい紺。これは日本製。あとは中国製でひとまわり値段が安いが、見せてもらうとていねいな作りだ。カラー紬の深緑、黄土色、抹茶、そして女性用民芸カラーの紺と金茶を買った。これで上げる分を除いて10着そろった。信玄袋をもういくつか買った。これで一応店を開ける。もしもっと欲しい人がいれば予約販売で送ってあげることが出来る。
だんだんみんなの練功着になってくれば、まだかなりの需要がある。でもいろいろ価格を想定してみると、多少の上乗せはできるけれど、あまり儲けの出るような話ではない。トランク一つほぼ全部作務衣を持って行って、数万円にもならない。これはこれでやっていけばいいが、結局気功を教えるのが元手要らず、道具いらずなのかなあ。HOMEに返る

 

 

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ZEN COOKING TABLE

2015年6月12日

カウコがフィンランド二箇所とエストニアと簡単な禅クッキングのテーブルをしようと言って来た。今回は料理を考えていなかったが、簡単な材料だけ用意して行こうと思った。いつもの「笹の雪」に90日保存の豆腐を頼む。三カ所で12丁もあればいいだろう。あとは高野豆腐、長期保存のおから、車麩、切り干し大根などがあればいい。梅干しにたくわん、米は二キロ。これで現地の野菜だけで、かなり豪華な料理ができる。行ってすぐのエストニアなどは、厚揚げやこんにゃく、ごま豆腐なども使える。二週間持ってあるくのはちょっとつらい。
最後のクオピオなどは、現地の材料に頼ることになる。それでもサラダに小魚を入れるだけで和風の雰囲気になる。「おでん」をじゃがいもとか人参とかズッキーニとか向こうで手に入るものを主に作る。これにチーズを入れる。本来デザート用のジャムをつけて食べるパンチーズというのが、醤油で煮るとすばらしい味になる。サーモンの団子も使える。余裕のある時は魚をつぶして「さつまあげ」もどきを作る。あまり禅クッキングらしくないが、その時はついでに「なまぐさ坊主」の解説もする。たぬきを使わないたぬき汁などは作ってみることもある。
去年は一応永平寺のスタイルで厳格にした。食餌五観の偈も読み上げてもらった。それでも五日ばかりのことであるから、なかなか自分で作る所までは無理だ。せめてご飯とみそ汁が定着してくれればいい。フィンランドはラップランドの隅々までキッコーマンを売っている。しかも環境基準が厳しいので日本よりいい質のものが置いてある。米はほとんどインディカだが、カリフォルニアのジャポニカの一種類はたいていのスーパーにある。ヘルシンキの東京と言う店にはおいしい日本米を売っているが、少し高い。持って行くべきか買うべきか、いつも迷うところだ。HOMEに返る


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エレナはカウコのパートナー

2015年6月10日

エレナへのみやげのことがあった。エレナはカウコのパートナーで、ヘルシンキでは彼女の家・診療所に滞在する。彼女自身がレイキと指圧などで患者を診ている。彼女の誕生日は7月6日で私の4日前である。去年は準備をしないで、関空で思い出してちょっと様子のいい茶碗のセットとかを買った。
今年は小原さんに頼んで、三条の竹細工の店に行ってみた。ここで竹ざる、木の黒いザルを二つ、三×八センチほどの竹籠で出来た箱、赤い塗りの柄に齦の桜の花びらをあしらった茶杓、四センチ四方くらいのすだれのコースター、独楽の箸置きを二種類を見つけた。ほかの人へのおみやげの亀や打ち出の小槌や般若面のキーホルダー6種類などを含めて2000円にしかならなかったから、安い買い物である。
三条の業務用食器の専門店も久々に寄ってもらった。鉄砂釉高台珍味、渦の入った小鉢(どちらも猪口にも使える)、四センチ角の白木各小付、もうひとつ渦巻きの濃い茶色の五センチ丸皿、藍稟堂の「福」の丸皿をエレナに買った。花柄の長方形の小鉢は気に入って自分用に。これは150円。ほかのは大体200円から300円。1500円ちょっとで済んだ。彼女自身がセットで売っているようなものを一つだけ集めたりするのが好きなので、この春は来られなかったから、少し集めてあげたのだった。HOMEに返る

 

 

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エストニアの友人に作務衣を頼まれ

2015年6月10日


 休みの日だというのに、小原さんに頼んで車を回してもらった。九条の岩田呉服店に行ったのだ。そろそろフィンランドの具体的な準備にかからないといけない。エストニアの友人に作務衣を頼まれていて、手に入れねばならなかった。いい機会だから少し余分に見本のようにして持って行って、紹介もしたい。という話をしていたら、去年カウコにいろいろお世話になった人が「カウコさんにもひとつ作務衣をプレゼントしてあげて」とお金をおいていってくれた。私もいくつか持っているが、スーパーの安売りで買ったものなので、3Lとか書いてあるが寸足らずで、寝間着にしかならなかった。ネットで岩田呉服店というのを見つけた。ホームページが物凄く充実している。頼まれたものを買うだけでなく、いろいろ紹介をしたいと思い始めた。そのうち、通販で買うのではなく、実際に行って見てみたいと小原さんの都合を聞いた。竹田街道沿いにあって、車なら簡単である。

 そう大きくない店だが品揃えは充実している。いろいろと相談しながら買って行った。頼まれた作務衣は楊柳織という横糸に強い捻りをかけて縦のシボを浮かび上がらせたものにしたいと思っていた。綿75%、麻25%。このモカという薄茶色が気に行っていた。カウコには同じ材質の水色系のを買った。私は久留米紬の「明るい紺」の3Lを買った。自分で着てみて、十分な大きさだと確かめた。楊柳は二万円近いがこれは6000円台である。
あとは見本にとしじら織の安めのを紺、グレー、茶と揃えた。これは中国製で4000円前後。また花柄の女性向きで感じのいいのがあったので、これの赤と紺と買った。
カウコは亀が大好きなので、亀のデザインのついた信玄袋を買った。なまずの信玄袋がいいので、見本に二つ買った。エストニアの注文してくれた人には鳥獣戯画の模様のやや大きい頭陀袋を買う。これもひとつ余分に買う。あとは足袋と雪駄だが、本格的な足袋はどうせ履かないから、ソックス型のを買った。
もっと持って行ければ旅費分くらい稼げるのだが、まあ四五割乗せるのが限界だろう。本格的な着物と違って何の訓練もなしに着られるから、フィンランドやエストニアの人にとっても近しい文化になるのである。HOMEに返る

 

 

 

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待ってくれているのが嬉しい。

2015年6月10日


 フィンランド出発まであと二週間である。例年夏冬と行っているのに、今年は冬に行かなかった。フィンランドとエストニアの友人たちが首を長くして待ってくれているのが嬉しい。なにせ、日本よりも弟子が多いのである。というか、続いている人が多い。88年、89年から続いている人がたくさんいる。日本でも、年一回必ず合宿をするとかしてくれば、もっと続けやすかったのかも知れない。気功とは「これで上がり」ということはない、一生のことであるので、年中行事化していくことが大切なのだ。
6月25日にヘルシンキに着く。フィンランド気功協会の会長で通訳もしてくれるカウコのところに泊まる。26日に朝のフェリーでエストニアに渡り、タリンへ行く。26日から28日はタリンで「外丹、内丹、マントラと呼吸法」の集中講義。
セミナーポスター
 7月2日はフィンランド中央部で開かれる「ウルトラパイヴァ」に参加する。『ウルトラ』はもう長いこと続いて来た不思議大好き雑誌だ。UFOのことで始まったが、ありとあらゆることについて論議して来た。私も87年に初めて来た時以来度々参加している。例年夏に祭りをやり、ワークショップやお店やさんが並ぶ。ことしは何十周年とかでぜひ参加してほしいと言われた。「気功の心とからだ」というので全体集会で話をするのと、ただのワークショップを何度かする。謝礼は出ないが、食事と宿泊はウルトラが持ってくれる。
7月4日から5日はカウコのホーム・グラウンドの「丹田スタジオ」で二日間の講習。
7日、8日は南西の端、昔の首都であるトゥルクで講習。ナウヴォで禅料理の講習。これは食器や包丁などひとそろいヘルシンキにおいてある。エストニアでも、ウルトラパイヴァでも全料理少しやればと言われている。日持ちのする豆腐や乾物類を少し持って行かねば。
7月9日からパタヤヴェシの小屋に行く。10日が私の誕生日なので、ゆっくりする。
10日から12日はそのパタヤヴェシのコテージにみんな泊まって樹林気功合宿をする。外丹内丹もする。
13日からは同じ場所で整体と手当て気功のワークをする。
16日、東部のクオピオに車で移動。クオピオでは昔から禅密功を教えて来て、けっこう深い所まで行っている。そこでも内丹をやり、洗髄経などもする。
この間に私の書いたものの翻訳をしようとか、まだまだ要求は多い。彼はこのころ集中して内丹の英語の文献を何冊か読み、理論的な研鑽を積んで来たので、いままでの通訳しては忘れて行くスタイルと違うぞと言っている。25年以上も私の通訳をして来たことがようやく大きくまとまろうとしているのだ。
7月23日に帰国する。26日には町田でサーモンやあれこれフィンランドみやげの料理大会ということになっている。

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延暦寺
お守りとか、なんでもフィンランドやエストニアで売れる

2015年6月3日


ちょっと隣のトヨタでレンタカーを借りて、比叡山まで上がった。お香を買いにいきたいと思っていた。お守りとか、なんでもフィンランドやエストニアで売れるから、買って来てとも、カウコに言われていた。それでようすを見に行ったのだ。
小原さんにまた車を頼んでも良かったが、たまには自分でドライブしてみたい。
バプテスト病院の奥から上がっていった。お寺の無料駐車場の奥の茶屋で、ついつい汁粉など食べてしまった。ふだん甘いもの断ちをしているが、消耗感があるとつい甘いものを食べてしまう。講堂に上がって行って、天台智顗の肖像があるのはここだけである。ここで各種のお香とか、初めて見るタイプのお守りとか、いろいろ手に入れた。そこから坂道をゆっくりたどって、根本中堂へ。薬師如来の正式の護摩が始まる所だったので、座り込んで30分あまり過ごした。元気な時なら文殊堂まであがるが、今日は行かない。またゆっくり坂道を上がり、叡山香の長時間タイプのが下の売店にしかなかったから、ここで買い求めて、車に乗った。修学院離宮の前の小林と言ううどん屋が実に質の高いところなので、ここに寄って、きつねうどんと親子丼を食べた。まあたまのことで、いいことにしよう。レンタカーを二時に返して、そのままちょっとソファで昼寝をした。
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終了フィンランド宴会 2015年7月25日(土)

2015年6月14日


フィンランド宴会

日付 :2015年7月25日(土)
時間 :PM2:00~PM5:00
場所 :東京都町田市成瀬1丁目
     金魚玉珈琲 (KINGYODAMA COFFEE) 
     http://kingyo.rengesha.com/

 

 

 

◆電車でお越しの方へ
 JR横浜線「成瀬駅」から徒歩15分です。
◆バスは「成瀬台行き」「昭和薬科大学行き」に乗り、
 「中村」で下車。バスの進行方向にほんの少し歩くと、
通りの向かい側に見えます

◆車でお越しの方へ
 駐車場は店頭に3台分ございます。

TEL&FAX :042-720-2229
携帯 :090-3901-3610(長谷オーナー)
会費 :4000円

《一般の方もどうぞ》
これだけ参加してみたい方は長田さんに連絡してください。

 


 

 《メニューの一部》
スモークサーモン、サーモン片身ロースト
トナカイ肉の煮込みとマッシュポテト
サーモンペースト、卵と海老、ニシン酢漬けなどのオープンサンド
サラダ、フィンランドおでん、キノコのスープ
ジャムとナッツ入りヨーグルトなど
 《フィンランド物語》
 1 日本の隣がロシア、ロシアの隣がフィンランド
 2 快適に暮らす150万人 医療・福祉・教育・消費生活
 3 イナリ湖では稲荷を サーメ=ラップランド人について
 4 サウナから湖へ
 5 サーモン、ベリー、マッシュルーム、フィンランドの美味しいものたち
 6 夏にフィンランドに行くには
     津村から話をしてQ&A。食べてからの方が落ち着くかな。

 

 

〜町田のカフェ、瓶詰めプリン、深夜まで営業〜
町田のカフェ「金魚玉珈琲」のホームページです。
深夜まで営業。看板メニューの「瓶詰めプリン」は各種メディアでも紹介されています。
お持ち帰り、地方発送も承ります。HOMEに返る

 

 

 

 

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気功教室の生徒さんたちと京都をめぐった

2015年4月23日


昨日は気功教室の生徒さんたちと京都をめぐった。
小原さんに隣のトヨタでハイエースを借りてもらって、彼が運転してくれた。
生徒さんは六人、私と小原さんで八人である。
まず東寺に行った。まず講堂へ行って大日如来に会う。大日如来を中心に、十五の仏像と六つの四天王と梵天、帝釈天などが立体曼荼羅をなしている。このうち16体が国宝、5体が重要文化財である。825年に着工されて835年には完成した。ここに坐って45分くらい過ごす。いろいろ伝えたいことはあるが、講釈はいつでもできる。仏像たちは皆それぞれの手の形をしていて、それを真似るとただ見ているのとは違った伝わり方をしてくる。本当は仏像に仏がいるのではなく、仏像を真似た時に「私」と仏像の間に立ち上がってくるのが「仏」なのである。仏像の形を真似た時に体内のどこの経絡が通るかについては河野忠男さんの「筋診断法」が出ている。むかし北京の気功学会で河野さんが報告して、舞台で日本からの参加者がいろいろな仏像を真似て実験台になったことがあった。
金堂にまわる。ここは薬師如来と日光菩薩、月光菩薩がいる。大日如来は軍団を率いて闘う姿だが、薬師のほうは「癒し」をテーマにしている。右手は掌を立てて気を送っている。左手は誘うように上を向いて支えてくれている。ここでも45分程すごした。遍路の団体が来たり、中学生の団体が来たりしているが、皆10分程度で過ぎて行ってしまう。それに巻き込まれずに、仏と向き合う固有の時間を過ごしている。
五重塔は外から見るだけ。瓢箪池のあたりをめぐる。食堂を覗き、その向かいにある夜叉神堂を見る。これも大師の作というが、凄まじい苦悩を体現しているような歪んだ神像だが、またどこかユーモラスでもある。
最後は宝物館の特別展示である。これはまたすさまじい情報量で、空海が残したものに圧倒される。弘法大師請来目録から大師の座像、曼荼羅図、足利尊氏が贈った梵鐘などなど、立ち止まればその世界に引き込まれてしまう展示品が並んでいる。東寺には81件の国宝と23739件の重要文化財があり、それを順次展示している。二回に五メートル余りの千手観音がいる。私の生まれ年のご本尊である。主要な手の一方は合掌し一方は定印を組んでいるが、そのほかに四十本余りの手がある。いつしか三時間が過ぎていた。

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出町辺りの河原でお昼にする。用意の手作り弁当である。 二時半をまわってしまっていたので、午後は比叡山ドライブウェーをただ往復してくることにする。山上は桜満開だと言う情報があったが、比叡山はもともと桜が少ない。それでも上に行くとさまざまな表情の桜があった。根本中堂にもどこにも行かない。かなり歩くので、それなりの時間を取らないと行けない。叡山香が欲しかったのだが、東寺でひとつ買ったからまたの機会にしよう。


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三条京阪に皆さんを送り届けて、今日はおしまい。お疲れさま。このメンバーの中の二人とは天河合宿で会える。HOMEに返る

 

 

 

 

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日帰りの「京都修学旅行」を計画している

2014年11月08日


よみうりの生徒さんたちと日帰りの「京都修学旅行」を計画している。去年の晩秋に初めてやった。その時は赤山禅院と上賀茂神社を中心にした。どちらも私自身が通い詰めているところで、気の場もすばらしい。赤山禅院は円空が五台山からの帰り海上で大しけに会い、五台山へ行く前に滞在して世話になっていた赤山禅院の仏を呼んで帰国したら必ずあなたを祀るから助けてほしいと祈願した。それは新羅の寺で遼東半島側にあったが、新羅の貿易者や海賊たちの守り神だった。帰国後は多忙のため実現できなかったが、遺言に赤山禅院の建設を残し、やがて実現した。比叡山回峰の京都市内の拠点として知られる。上賀茂神社は京都の都市建設以前からそこにいたいわば地主であるが、秦氏と協力し合って平安京を建設した。

 

今年の五月の気功文化研究所の総会にもバスを仕立てて回った。仁和寺で古代の医学書を見たかったが東京に展示のため貸し出されていた。高麗美術館へいき、また上賀茂神社に行った。


今回は松尾大社と北野天満宮へ行き、あとは下鴨神社の糺の森を散策しようかと思っている。中でも松尾大社が目玉である。大宝律令の大宝元年(701年)に今の形に作られた。大山昨神(おおやまくい)と中津島姫命が対等に祀られている。ここは上賀茂・下鴨の地元神に対して最大の外来者であった秦氏の神社で、大津の日吉神社と由来を同じくする。日吉神社で育った最澄も朝鮮人だったと伝えられる。中津島姫命は宗像三姉妹の市杵島姫命の別の名前で、朝鮮半島と九州をつなぐ海路の守り神である。またここは中世からの酒の神でもある。松尾大社の神使は亀であり、亀の井の水を酒にわずかでも入れると腐敗変質しないと信仰を集めた。HOMEに返る

 

 

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嶋田まやさん

2014年5月31日



嶋田さん写真1

ふだん会う機会のない関東の会員と関西の会員が枕書茶楼に集いました。
気功を愛し、津村先生を慕う気持ちはみな同じ。気功を世界に広める夢を語り合いました。


甲骨文字の講義を受けて、みんなで甲骨文字を書く体験をしました。
筆で紙に書くのではなく、刀でコウラや骨に刻むイメージで書くのです。心落ち着け、呼吸整え、イメージ働かせて書く。まさに気功ですね(^o^)/

嶋田さん写真1

津村先生手作りのおばんざい料理。東京メンバーは、関西風味付けを堪能されました。身近な素材で、伝統的なメニューもあり、斬新な味付けもあり。小さなキッチンからどうしたらこんな素敵なお料理がたくさん生まれてくるのか不思議でなりません(^o^)

香功体験。音楽にのって、高木先生のお手本にならい香功を。
簡単な動作にも、深い意味や、長年続けてこその意味や味わいがあります。HOMEに返る

 

 

 

 

独峰さん
独峰さん(1)

2014年3月22日


独峰さんはドイツにいる私の兄弟である。カウコと三兄弟のようなもので、峨眉山でも午後の授業を抜け出して報国寺へ行った。その時に四月にドイツ人を10人ばかりも連れてくるので、二日間授業を頼まれた。もっとずっと前から聞いていたのだが、やっとこの時なにをしようかという話をした。二日で時間もそんなにないから「波動功」と「知能功」をしようということにした。どちらも独峰さんは知らない。波動功は二三回見ればすぐに覚えられる。智能功のほうが中身が少し難しい。

もとの知能功と違って、ほう明(ほうは真垂れに龍)さんが公式には引退してしまったけれども、本当は次のステップとしてやりたかったのではないかというバージョンをやっている。おせっかいなようだが、彼はチベット密教の脳気功をやってきて、まだみんな教えられる段階になかったので、それを隠してきたというところがある。それで引退してからこちらが勝手に発展させて、チベッ...ト密教に通ずるやりかたで日本で教えている。

それは内臓神経節、副腎、胸腺、松果体と順に内分泌器官をたどっていく方法である。それを単に内分泌器官ととらえず、「小さな脳」ととらえている。普通ちいさな脳と言えば小脳のことだが、大分大学の纐纈先生らがそれは進化のもっと手前の脳であるとして再発見してリトルブレインとよんだ。まだただの腸管しかない腔腸動物のときに、すでに内臓神経節は最初の脳として誕生し、それは今も人間の体内でさえ機能しつづけている。副腎や、胸腺や脳下垂体や松果体は昔最先端の脳だったことがある。そして脊椎形成以後の脳に至り、延髄、間脳などを生み出して最後に新皮質に至る。そうして振り返ると、脳を元気にするとは最先端の脳だけではなく、「すべての脳」を活性化して行かなくてはならないし、できる。気功はそのためにある。この理論は世界で私だけが主張していて、まだ中国でも認められていない。

智能功で絵にかいたように、その練習ができるのである。その知能功の意守の場所を、報国寺の前のベンチで日本語と図で書いて、ドイツ人に通じるようにしてくれと頼んだ。彼は帰ってやってくれて、今日になって「内臓神経節」と「性腺」がうまく訳せないと言ってきた。ああそうか、纐纈学説が欧米では知られていないから、こういう言い方はないんだと思いついて、ATRASを調べて、返事をした。
ATRASでは「腹腔神経節」と「下腹神経叢」とよばれているものがそうだろうと
"Ganglion celiacum"と"Plexus hypogastricus"がそれだとメールで書き送った。日本人からはラテン語は難しいが、漢字文化圏以外では内臓の名前はほとんどラテン語で通じる。カウコもときどき調べてはまた忘れて適当な翻訳をしているから、対照表を作ってみないといけないなと思った。分厚いATRAS三冊はなかなかカバンにいれていけないのである。HOMEに返る  

 

 

独峰
独峰さん(2)

2014年8月22日

 

独峰さんはドイツ人のお坊さんである。
滋賀の永源寺で修行して、去年とうとうお寺を持てるところまでになった。
ミュンヘンにはもうお寺を持っている。何年か前に、永源寺の管長さんを招いて、オープニングをした。ドイツでもキリスト教で葬式をしたくないという人がどんどん増えてきているらしい。いまも告別式とか仏教式でやってあげると喜ぶ人がいる。

それはそれでこれから発展の余地はあるのだが、そのミュンヘンの寺で主としてやっているのは鍼治療と気功指導なのだ。彼は北京中医学院の外国人コースを正式に履修して中医師になった。ドイツで開業するための学校にもまた通った。気功は閻海さんという人民体育出版社の編集者で『気功精選』を編集した人に習い、さらに私に習った。
堺出身の日本人の奥さんを持ち、19歳、16歳の女の子がいる。

その独峰さんがきのうから日本に来た。お寺の仕事でたいてい八月には日本に来ることにしている。明日永源寺に入る前に会いませんか、といってきて、約束した。京都の御所の向かいのホテルがいつも定宿だ。すぐ近くにステファン・ミクスがお勧めの居酒屋があるが、そこへいきませんか、という。ステファンとはあったことがないが、何枚もCDはもらっている。質の高い瞑想音楽を作る人だ。ときどき独峰さんの家へも泊りに来て、何日か滞在したりする。烏丸丸太町を少し下がった気楽亭という店だった。入り口が狭くて、こった作りである。とくにおいしいというのではないが、まあまあよかった。彼は肉や魚のペーストの珍しい缶詰とガーリックソルトをくれた。こちらからは亀蛇のテキスト、背骨ゆらしのテキストなど見本にしてほしいものを一連渡し、48基本技法とか最近の気功文化とかいろいろ挙げた。もっとも彼は日本語を不自由なく話すが、全然読めない。奥さんが読めるし、診療所のスタッフに日本人が二人いるというので、彼らに読んでもらって、必要なものを訳してもらうことにした。

健身気功のほうでは、春の峨眉山には来たが九華山には来られなかった。その話をしたり、全般的な情報交換をした。彼の奥さんが禅クッキングめいたものの本を作っているという。気功の事にも触れて、三分の一がレシピなのだという。独峰さんは、奥さんが全部内容は作っているがドイツ語を読ませるようには書けないので、編集者に協力してもらっているが、その人があちこちの出版社と親しく、出版を持ちかけることができるので、私の本を出す可能性を考えてみたいという。埋もれている料理本のことを話した。『今日も一日おいしかった』と『一人暮らし・料理の技術』は多少の注釈をつければドイツでも受けるかもしれない。『今日も』は世のポルノ小説がずっとやっているけど、これはずっと食べている小説仕立てのもの。それはいい。心に響くタイトルです。一人暮らしもいい。若い人向けよりも高齢者がちゃんと使えるくわしい本がないでしょ。

タクシーでごく近いので家に一緒に行って本を渡すことにした。料理本二冊と、永遠のベストセラー『気功への道』と30万部を記録した『東洋体育の本』も渡して、その二人の女性スタッフに読んでもらって、出版社にどんな提案ができるかを考えてもらうことになった。思わぬ話に発展した。カウコもなんとかフィンランド語に、またイギリス人の友人を頼って英語にしようとしてくれている。私の本は中国語と韓国語になっているだけで、まだ英語になっていない。英独芬エストニアとそろってやっと国際的指導者と言う所だ。まあそういう気分に満ち満ちているところに独峰さんの話があった。彼は四冊持ってまたタクシーで帰って行った。明日は永源寺だ。HOMEに返る



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