2008年03月00日
簡単な気功治療
胃が悪い時の治療気功例
① 背骨ゆらし、とくに左右を覚えてもらう。
② 六字訣の「ふー」、八段錦の「三段」、霊元功合臓功の脾経の動作を伝える。
③ 古典気功の中の胃の治療に関する功法を伝える。
④ 現代気功のとくに治療気功の胃の治療気功の膨大なコレクションから、あなたに合ったものを紹介する。
特定の症状を取りたいという時は、少なくとも100日の時間を作って自分で治す気持ちをもって相談してください。胃など特定の病の症状を軽減するだけでなく、総合的に体質を改善することができます。遠隔地でもご相談に乗れます。
ガンの治療について
ガンの治療については中国で何百万人の延命に成功している郭林新気功療法の紹介をすることができます。もちろんそれで治ることもあり、だめなこともあります。ほかの治療手段を早々に止めずに、自己責任でしてください。たいていの人にとっては症状が改善していますが、それは自分で四時間とか六時間とか毎日続けた結果です。各種の部位のガンによってやりかたは違うので相談してください。郭林気功では「それ以上悪くならない」ことまではできますが、基本的には「ガンと共存する」姿勢で、完全になくすことはまれな例のようです。長期の熱心な瞑想でガンを完治させた例はあります。何にしても動功、静功、自己按摩を併用して行くといいと思います。
1月1日 17:33
ご存知の方はとても少ないでしょうね
『疲労回復の本』から その1
『疲労回復の本』をご存知の方はとても少ないでしょうね。1999年に同朋舎から出され、角川書店から発売になった。一年ほどでこの出版社はつぶれたので、この本も廃版になった。どこかから再販の努力もしないで、いつしか改定版を作りたいと願ってきたが、この25年間埋もれている。カウコの本棚に昔贈呈したものがあって、クオピオへの旅で読み返してみた。これがなかなか面白い。そのごく一部を紹介させてもらう。
「私も実はだいぶ疲れています。一九九八年の七月に五十歳になったときに、急にそう自覚しました」と情けない話から始まる。「五十歳の誕生日はヘルシンキにいて、当時の気功協会の仲間たち二十人ほどで場を設けて祝ってくれました。ところがその翌日から右手が上がらなくなり、後にも回らなくなりました。これが話に聞く五十肩というものか、それにしても誕生日の翌日からとはなんと律儀な、と思いました」
原因は思い当たるところがあって玄関に積んであった大量の本をとりあえず整理するために庭に運んで、相当の無理をしたのである。段ボールの限界まで重いのがえわほ...どもあった。
「五十肩は病気とは言えませんが、本当にたくさんのことを教えてくれました。ある健康道場の通信にそのことを含めて『五十肩の弁』を書いたら「そんなことも解決できない人が指導者では困る」と関節痛の専門家から手紙がありましたが、私はむしろもっと学びたいことがあるので、簡単に治したくない、という気持ちです」
新聞から「慢性疲労社会」という言葉を取り出してくる。「男も女も、親も子も、先生も生徒も、経営者も労働者も、金持ちも貧乏人も、右も左も、みんなそれぞれに疲れています」「ただ忙しいだけでなく、その仕事に意味を感じられない、というのがもっと大きな疲労の原因です。自分がぜひしたい仕事、興味を持っている仕事であれば、かなりつらいことがあっても疲労しにくいものです。疲労があってもすぐに回復します。不本意な仕事、意味を感じられない仕事だと、慢性的に疲労が蓄積されて行きます。忙しくて、仕事の意味を見失っている。これが現代社会の、現代人一人一人の、疲労の原因です。意味が感じられないからこそ余計に働きづめに働いていないと不安で、自分は意味のない存在ではないか、意味のない人生を送っているのではないか、という絶望にとらわれないようにせめても働き続けていたい」
これは25年前には深刻だった。今はそういう労働市場の強迫観念から少しずつ自由になっている人が当時よりはだいぶん多いかもしれない。こういう「経済的価値」に「身体的価値」を対置しようとする。
「阪神大震災以来、ボランティア活動にこんなにも目がむいたというのは、『経済的価値』を越えた別の価値に束の間でも身を捧げたいという思いからのものではなかったでしょうか。では意味があるとはどういうことでしょうか。
・それをする瞬間瞬間に自分のからだが喜んでいる。
・隣にいる人が少しでも楽になるように働く。
・自分の子孫が安心して暮らせる環境のために働く
ということのように思います。これはどれも『経済的価値』とは別次元のことなので『身体的価値』とよんでおくことにします。『身体的価値』が無視されたり軽視されたりしているのが現代の疲労の原因です」
1月1日 18:23
慢性疲労症候群という言葉
『疲労回復の本』から その2
慢性疲労症候群という言葉はたしか朝日新聞の連載物のタイトルだった。大手時計会社の副社長の自殺から話が始まったのに、この慢性疲労で死ぬことはまずないという方向に話が持っていかれたのに、異を唱えた。
「四つの場合が考えられます。
◇慢性疲労の症候が比較的軽微で、そのまま働き続けていく人が『過労死』の候補になるのです。...
◇精神的な慢性疲労が放置されると『過労自殺』の原因になります。
◇慢性疲労症候群が長期にわたると、家族や地域社会との関係作りがわずらわしくなり、自分のカラに閉じこもっていきます。その極端な例が『孤独死』です。
◇慢性筋肉疲労から心臓病や脳溢血、肝臓や大腸のガンにまで発展していく場合があります。」
それは心の疲労と身体的疲労が一体になっているので、従来の内科に行っても精神科に行っても解決しない。中医学=気功外来があって初めて解決に向かうことなのである。しかしこの時期に「疲労と言う心身の病」の認識が進んで、病院に疲労外来ができたところもある。
震災の直後に私たちは中央区に「神戸癒しの学校」を立ち上げて整体、操体法、気功の三本柱で医療ボランティアを組織した。それはのちに兵庫県立健康センターと関西気功協会が提携しての仮設住宅支援活動に継承され、最大で六十カ所の気功センターを作った。これ以上孤独死を増やさないというのが密かな合言葉だった。地震から数か月を経た時点で高齢者の比率は40%だった。元気な人が働き出すとこの比率は次第に上がった。25年後の超高齢社会を見据えて、とわれわれは話し合ったが、それが現在の時点に当たるわけだ。
孤独死状況は仮設にあるだけでない、都会の牢獄全体に広がっている。そういう意味で「過労死と孤独死の時代」という言葉を使ったのだ。