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老師



胡耀貞


胡耀貞という人がいました

2014年 2月 7日



胡耀貞という人がいました。お医者さんでしたが、武術家でもありました。並ぶ者のない強い武術家、なんていうと、ありそうな話と眉唾でしょうが、当時の武術家の総連合会を作って、彼がトップになり、陳発科がサブになったと言えば、どれくらい武術界の信望があったかわかるでしょう。陳発科は陳式太極拳のトップの人でした。医学と武術と一体のものとして、広く活動しました。胡耀貞は64年に亡くなっています

私が初めて中国に行ったのが64年でした。私は陳攖寧という道教協会の会長の弟子になりましたし、胡耀貞のことは当時知りませんでした。80年代の終わりころに中国に行くたびに、陳攖寧と胡耀貞の二人の名前を並んで聞くことが多くなりました。それぞれ、道教の内丹を復活させた人としてです。驚いたことに、当時活躍していた有名な気功家の多くが、胡耀貞の弟子たちでした。趙光、焦国瑞、馮志強などです。二人の娘さん、胡麗娟、胡月仙さん...たちにも少し習うことができました。張宇先生の外丹功もこの内丹体系への入り口でした。陳攖寧と胡耀貞の二つの内丹の伝統をどう融合させていこうか、というのがそれからの生涯の課題になりました。

しかし、実際に気功を広めていこうという時には、内丹は不向きです。気功と言ってみんながやっているものは大部分が導引でした。それと吐納という呼吸法、静坐という瞑想法、この三つで大体九割を占めています。残りの内7%が存思法、3%が内丹というところでしょうか。私はこの三つを教えることについては、日本で一番熟練している人の一人と思っています。存思というイメージ変容の気功については、2000年代の後半に劉天君先生(北京中医薬大学教授)に教わりました。内丹については、私はずっと研究してきましたが、なかなか人に教えることができませんでした。

思いもかけぬ方向から、胡耀貞の内丹気功が伝わってきました。胡耀貞と陳発科の弟子だった馮志強の長年の弟子である潘厚成先生を紹介してもらったのです。そして胡耀貞の体系を、非常に体系的に、わかりやすく紹介してもらいました。私が学んできた内丹はあまりにシンプルで、それだけにむつかしい、この体系だった方法ならば、やりやすいかもしれない、と思いました。何度か上海に習いに行った後で、この人のシステムを日本の仲間にしばらく紹介しよう、と思ったのです。

昨年に次いで、二度目の招聘です。なんだか難しそうだ、というイメージがあります。去年やってみたけど、よくわからなかったという人もいます。たしかに内丹はそう簡単に門を入れるものでありません。でも何年も導引や吐納をやってからというわけでもありません。向いた人はすっと入れると思います。去年わからなかったという人も、一年たってみれば、あ、そういうことだったのかという気付きを持つ場合もあります。なかなかないチャンスです。ぜひ参加してみてください。



ろうし

2014年 2月 7日


ろうし、中国語でLaoshiといいます。私がついてきた主な先生です。
中国では正式の弟子になることを拝師といいますが、私は誰の弟子にもなりませんでした。弟子にならないというと、むろんたいしたことを教えてくれない場合もありますが、「では朋友pengyouだね」といっていきなり大切なことを教えてくれる場合のほうが多いのです。


私に気功への道を開いてくれたのは陳攖寧師でした。

理論的な面では王松齢老師の指導を受けました。

功法体系としては最も影響を受けてきたのは焦国瑞、周稔豊、張宇の三人の老師でした。そのほかにも多くの先生方のお世話になりました。心から感謝しています。




《 陳攖寧 》 ちん・えいねい  chenyingning

馬礼堂2 馬礼堂2

1964年、初めて私を気功の世界に導いてくれた方です。中国道教協会会長で、私が指導を受けたのが84歳、亡くなったのが69年で89歳でした。荘子の「心斎」を指導されていました。古典気功についてのたくさんの研究を残しておられます。「道蔵(千数百巻ある道教の大蔵経)」を歴史上初めて全巻読破した人として知られています。ご本人は道教気功ではなく仙学の名称を提案されていました。



《 王松齢 》  おう・しょうれい  wang songling

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中国気功科学研究会という公式の機関の理論研究部長をしていて、気功の歴史と理論についてこの方の右に出る人はいませんでした。北京観気旅行を10年20回繰り返す中で、お元気だった途中までずっと参加して指導していただきました。亡くなってからも《中華気功大典》は私の座右の書であり続けています。



《 張天戈 》  ちょう・てんか    zhang tiangu

馬礼堂2

気功の標準となっている北戴河気功医院で劉貴珍院長の一番弟子として活躍されていました。今は引退して歴史研究に力を入れています。



《 劉亜非 》  りゅう・あひ      liu yafei

劉貴珍院長の娘さんで、張天戈先生が最初は日本にお連れしました。独自の内養功動功を開発してからは習っていませんが、基本功法である保健功は劉亜非さんを継承しています。1955年生まれでバンドン会議を記念して亜非(アジアアフリカ)と名付けられました。



《 焦国瑞 》  しょう・こくずい    jiao guolui

馬礼堂2

80年代の終わりころに何度か日本に招き、神戸に家を借りて何十日も一緒に過ごして、大きな影響を受けました。陳?寧老師を別格とすれば、私に気功の基本を教えてくれたのは焦先生と、周稔豊先生、そして仲間感覚だった張宇先生の三人です。中医研究院の鍼灸の教授でした。



《 劉漢文 》  りゅう・かんぶん    liu hangwen

禅密功の伝人で、一度大阪に招いて長い対談をしたことがあります。禅密功は直接劉先生に習わず、高弟である三人の女性から習いました。



《 周稔豊 》  しゅう・ねんぽう    zhou rengfen

馬礼堂2 馬礼堂2

1987年に二か月招いて、毎日習い、たくさんの功法を教わりました。亀蛇気功、五禽戯、易筋洗髄経、八段錦、気功太極六段選、十二式、吐納導引養生功などなどです。十年、二十年たって本当にできるようになった功法も多く、その意味では生涯の師となりました。



《 馬礼堂 》  ば・れいどう      ma litang

馬礼堂1 馬礼堂2

解放軍に強い影響力を持っていた方で六字訣と洗髄経で有名でした。三回お目にかかって習いましたが、六字訣は習うたびに音声も動作も少しずつ違っていて、たえず晩年まで発達している方でした。



《 趙光 》  ちょう・こう        zhao guang

馬礼堂2 馬礼堂2

中医研究院西苑医院の気功科主任医師でした。患者に気を当てるときには何十人もそばに詰めかけてその気を浴びようとしていました。バラ色の気を出す人でした。張宇先生が西苑医院でその下におり、紹介を受けました。何度か話を聞き、指導を受けましたが真似ができませんでした。



《張宇》ちょう・う          zhan yu

馬礼堂2 馬礼堂2

張宇先生は私の一歳年上で、初めから仲間感覚でした。最強の外気を出すと中医国家管理局の保証付で来日しましたが、張先生と二人で観気旅行の構想を立て、10年計画、20回でやり始めました。三年目には張先生はアメリカに移ったので、王滬生先生が引き継いでくれました。



《王滬生》  おう・こせい      wang husheng

馬礼堂2 馬礼堂2

元北京中医薬大学で教えていましたが引退して、張宇先生のあとを引き継いで観気旅行のホストをしてくれました。十年間本当にいろいろな先生方を紹介してくださり、またご自身の功法も伝えていただきました。



《李遠国》  り・えんごく      li yuangguo

四川社会科学院の哲学科主任で最近退官されました。長いつきあいで、義兄弟の契りを交わしています。道教は四川で発生しましたし、今日でも道教聖地鶴鳴山、青城山は世界最大の道教の拠点で世界中から集まってきます。気功文化研究所の副所長をお願いしています。



《 龐明 》ほう・めい          peng ming

形神椿で有名になり、党幹部の言いなりに治療しなかったので長期に投獄され、また復活して秦皇島に大きな拠点を作って常時数千人の患者を抱え、法輪功事件を境に一気に引退して弟子たちに組織をゆだねるという波乱万丈の生涯。私は彼の全著作の日本語版権を持っていますが、もう少し書き込んでほしくて留保しています。



《 胡麗娟 》  こ・れいけん      hu lijun

現代に内丹気功を復元した胡耀貞の娘さんで、大同で病院に勤めています。胡気功への最短の道を示してくれていますが、なかなか難解です。



《 潘厚成 》  はん・こうせい    pan houcheng

馬礼堂2

胡気功を伝えるもう一人が馮志強老師であり、その弟子の潘厚成老師です。今潘老師を毎年お呼びしてとうきょうと大阪・京都でまとまった講習をしていただいています。



《 宋天彬 》  そう・てんひん       song tianbin

元北京中医薬大学の気功教研室主任で、気功の学術研究の頂点に立つ方でした。引退後も活発な活動をしています。気功文化研究所の李遠国、林茂美と並ぶもうひとりの副所長です。



《 劉天君 》  りゅう・てんくん     liu tianjun

宋先生の後を継いでいる北京中医薬大学の教授です。何年か静功の指導をお願いしていましたが、中断しています。研究者の立場からきわめて広範囲の気功に通じている先生です。




その他の老師たち

2014年 2月 7日


楊梅君  よう・ばいくん    yang meijun

 大雁功は観気旅行の一回目からお弟子さんを通じて習いましたが、ご本人にお会いしたのは自宅を訪ねた最晩年のことで、ほとんどお話もできませんでした。



牛実為    ぎゅう・じつい    niu shiwei

 王滬生先生を通じて科学哲学に関連して何度もシンポジウムに出ていただきました。『蔵密気功』の編者の一人でもあります。



張広徳    ちょう・こうとく  zhang guangde

 北京体育大学の教授で導引養生功の大きな体系を作って指導されています。日本にもたくさん直系のお弟子さんはいます。私は富士山のほとりでほかの合宿をしている最中に合流してくださって、一日たっぷり習ったことがあります。



趙金香    ちょう・きんか    zhao jinxiang

 鶴翔庄を創始し普及した人ですが、大規模な偏差を引き起こして社会問題になりました。今は問題の有った自発動をやらずに普及しています。美しい、いい功法だと思います。ご本人には一度習っていますが、お弟子さんから習いました。



李兆生    り・ちょうせい    li zhaosheng

 観気旅行にたびたび参加してもらい、その太極拳の妙技と気功書道の実演に圧倒され続けました。三巻本の『中国太極拳統真大典』がそのまとめというべき書物になっています。



蛋栄東    たん・えいとう    tan yingdong

 王郷斎(郷は草冠)の孫弟子にあたります。站とう功について何冊か本を書いています。一時来日して、集中的に習いました。王郷斎のやりかたは北京の公園で何度か習っていますが、落ち着いて個人教授に近い形でやってもらえていい体験でした。



劉尚林    りゅう・しょうりん   liu shaolin

 黒竜江省の鉄力の林業局の人でしたが、チベット密教気功を教えて狭い範囲でブームを起こし、来日もし、日本から訪ねても行きました。一時は鉄力の気功ビルで盛んに事業を展開していましたが、問題を起こして気功組織はすべて解散し、今は林業局の仕事だけしています。




田瑞生    でん・ずいせい    tian ruisheng

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 定年までずっと職工として働いていましたが、ある日香功(しゃんごん)を教え始めてブームを引き起こしました。功法は単純ないいものでしたが、本人も周囲も神秘ぶって逸脱しました。私がNHKの気功専科Ⅱで入門功法として取り上げ、日本でもブームになりましたが、先生は日本に招きませんでした。もう亡くなっています。



林厚生    りん・こうしょう  lin housheng

 上海気功研究所のスター講師で日本にも何度も来ています。太極18式を世界に広めて、米国や東南アジアを精力的に回りました。強い外気で知られ、趙光先生と「北の趙、南の林」と並び称せられましたが、本人は施術すると疲労が激しく、「気の出る器械」に頼っていました。もともと少林系統の武術の人です。



石愛 橋    せき・あいきょう  shi aichiao

 武漢体育大学の教授で、健身気功では易筋経を編集しました。易筋経を習いました。



虞定海    ぐ・ていかい        gu dinghai

 上海体育大学の教授で、健身気功では五禽戯を編集しました。五禽戯を習いました。関西に長くいた呉京梅さんは奥さんで同じ上海体育大で働いています。



楊柏龍    よう・はくりゅう    yang bairong


 張広徳先生の一番弟子で、健身気功では八段錦と十二段錦を担当して編集に当たりました。北京体育大学の教授。八段錦、十二段錦を習いました。



張明亮    ちょう・めいりょう  zhan minliang

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 健身気功六字訣の中心的編集委員となり、自ら本、DVDのモデルにもなっています。本人はずっと峨眉派の気功を継承して教えています。健身気功六字訣と

峨眉気功を習いました。



漆浩     しつ・こく          qi hao

 北京市図書館員時代に書いた『巫・医・気功』がすばらしい本だったので、北京観気旅行で講師に読んだらまだ20代の青年でした。その後訳されて『中国養生術の神秘』(池上正治訳・出帆新社)が出ています。



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本の案内


◆現代気功の巨人たち  1500円

上記の中で陳攖寧、蒋維喬、王郷斎、劉貴珍、郭林、劉漢文、焦国瑞、李少波、、周稔豊、馬礼堂、張宇の12人の先生について、その生涯と功法を紹介しています。私が直接習わず、お弟子さんにならったのはその中の五人(蒋維喬、王郷斎、劉貴珍、郭林、李少波)であとの七人は直接師事しています。



◆内面への道  1000円

王松齢、蒋維喬、周潜川の三人の自伝ないし伝記、主要論文を訳しています。






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