2014年3月
『新編私の気功暦新版1964-2014』くらい配らなきゃならないかも
2014年3月2日

『新編私の気功暦1964-2004』という36ページのパンフレットがある。新編というのは、2000年くらいにいっぺん出したものに、大幅に書き加えてこれを作ったのだが、このときで気功を始めて40年だった。今年は六月で50年になるから、5月の総会のおみやげに『新編私の気功暦新版1964-2014』くらい配らなきゃならないかも。でもこの十年のことはほとんど覚えていないな。ぼけが激しくなってきたのかもしれない。まず最近10年の年表つくりからしてみよう。
健身気功の会で報告してくれといわれて日程の関係でできなかった。代わりに、ちょっとしたエッセーを書いておいてきた。雑誌に載せてよと頼んだが、実現するかどうかはわからない。
私の二つの始まりについてすこしだけ書いてみます。ひとつは私と気功との出会いについてです。それは1964年のことでした。もうひとつは私と健身気功の出会いについてです。それは20...04年のことでした。
1964年、日本の労働組合総評議会の秘書長をしていた私の父親の病気が思わしくないため、中国に来ないかと誘われました。当時高校に入ったばかりの私もそれについて初めて訪中しました。大連に家を借りて療養生活をしたのです。はじめ太極拳を習ったのですが、父親はちっとも覚えられませんでした。代わりの先生が来て、黙って座っているように言いました。何が始まるんだろうと待っているうちに、何も始まらないで「終わります」といわれました。私の静功との出会いでした。この静功は一般のものではなく、道教の荘子にはじまるものです。
それからしばらくして、父と私は杭州工人療養院を訪ねて、陳攖寧の指導を受けました。ご存知の中国道教協会の主席で、道蔵全巻をわかりやすく解説した人です。指導を受けたのは短かったけれど、私は誇りを持って陳攖寧の弟子であると言ってきました。それから間もなく文革の嵐にさらされて、中国道教協会は崩壊し、陳主席も行方がわからなくなりました。わたしは自分で陳先生の教えを育てるしかありませんでした。陳先生はそのあと六年してなくなりました。
実は今年の六月で陳攖寧先生から習った50周年になります。その後人民体育出版社の閻海先生から、陳先生が60年代に使っておられたガリ版刷りのテキストをいただきました。私は今になってやっと陳先生の静功を教えられるようになりました。私は今回の楼先生のすばらしい講義を聞きながら、50年前の陳攖寧の静功を皆さんに伝える機会があれば、とふと思いました。中国でもほとんど絶えてしまった重要な功法を日本からお伝えすることがあっても面白いのではないか、とおもったのです。
これは私と気功との出会いの話です。
私は中国の健身気功の始まりの一場面に皆さんをご招待しましょう。皆さんにもきっと興味があることでしょう。2004年に海軍病院の副院長である馮理達さんのところを訪ねた時のことでした。「健身気功という新しい動きが出てきているのよ。私から話すより直接の責任者である黄鷹さんを呼んで話してもらったらいいわ」と言いました。
馮理達さんとはお互いの親の代から付き合いがありました。馮理達さんのお父さんが毛沢東を支えた軍閥のひとつである馮将軍であることはご存知と思いますが、お母さんが初代の衛生部長をされた李徳印さんでした。彼女は戦後中国で最初に日本を訪れた中国人になりました。中国で行方のわからなくなった日本人のたくさんの遺骨をもって、人道的な意味で日本に届けにこられたのです。それを迎えたのが当時総評の事務局長をしていた私の父、高野実でした。高野は戦時中から中国侵略戦争反対を唱えて長く獄中生活をしましたので、戦後に日本の労働運動の最高指導者となったときに、GHQに真っ向から反対して朝鮮戦争で中国朝鮮支持の姿勢をとり、当時「ニワトリだと思って育てたものがアヒルだった」といわれました。その高野にとっては、初めて公式に中国とつながる機会は大きなものでした。そして以前から馮理達さんは存じ上げていたのですが、私の父と彼女の母さんのことを話したときにとてもびっくりして、いっぺんに仲良くなりました。
その馮理達さんが紹介してくれた黄鷹さんは長いこと青年同盟の仕事をして、胡耀邦ともつながっていたので、とても頭が切れて、しかも謙虚な態度でした。馮理達さんの事務所ら彼女が当時使っていた別荘に場所を移して、古い茶室で三人で長時間話しました。いろいろ話した中で、たとえば八段錦について,この気功はストレッチングをテーマにしているのだから、世界でひろまっているストレッチングに匹敵する言葉を作るべきだといいました。一部では「抜長」の言葉が使われていましたが、一般的ではありませでした。あとにって八段錦のテキストにはご存知のように「牽拉」の言葉が出てきました。あ、黄鷹さんはきちんと討論してくれたなとわかりました。黄鷹さんとはその後も何度か話し合い、私が主催した気功の将来を語り合うための二日間の討論にも参加してもらいました。そしてあるときには最初の編集過程の立役者であった人民体育出版社の周黎衣さんと、のちに彼の後をついで主任になる雛さんも紹介してくれました。雛さんとの話は儀礼的なものではなく、格闘技に近いものになりました。じっと聞いていた黄さんが「喧嘩はすみましたか」と言ったほどです。もちろんこうした討論を通じて雛さんとは深く理解しあい、友情は今も続いていのですが。
残念なことに黄鷹さんはまもなく癌が発見されて、それから何ヶ月かのうちに亡くなってしまいました。黄さんが今日の健身気功のさかんな様を見たらどんなに喜んだことだったでしょう。黄鷹さんも、馮理達さんもこの間に亡くなってしまいました。
今回の培訓班ではいくつかの重要な報告がありました。私たちはこれまで、気功の伝統理論については別のとこで学ぶ、健身気功では体の動かし方を主として学ぶ、というつもりで来ました。虞定海先生や張明亮先生からは中級段階のお話をぽろっと漏らされるようにお聞きすることもありましたが、もっと若い先生方からはただ体の動きだけ学ぶことが多かったのです。しかし今回は気功の背景の伝統思想について十分にお聞きしました。これはとてもよかったと思います。各国の幹部の方はもちろん、中国の健身気功の幹部の方にとっても新しい学びの機会になったのではないでしょうか。
私自身も二日間のお話に大いに啓発されるところがありました。しかし私たちはもう30年以上もずっとこういう話をしてきたのです。だから健身気功でこういう話が出てくるのは大歓迎です。今回は儒仏道についての簡単な、しかし周到な説明をしていただきました。その中で「気」の概念もさらに明確になったと思っています。そしてさらに、この先の講座をずっと継続的にしていつて各国の健身気功の指導者たちが、こうした総合的な教養を身につけていっていただきたい。そしてこれまでともすれば特定功法の背景解説として、たとえば禅密功の中で、たとえば知能功の中で、あるいは亀蛇気功の中で、語られてきた歴史と理論を、もっと広い視野に立って説明していく機会を持ってほしいと思います。
1964年中国道教協会の陳攖寧会長から気功を習い始め、それからずっと中国の伝統社会とつきあってきました。
1980年前後から京都気功会、神戸気功塾、気功懇談会を作りました。
1987年から関西気功協会を作りました。
2000年に気功文化研究所を作って所長になりました。
2004年にNPO法人健身気功協会を作って理事長になりました。
2012年にNPO法人気功文化研究所の理事長になりました。
気功にかんする主な経歴はそれくらいかな。
1994年にNHKで気功専科Ⅱというのをやってからしばらくは、ど田舎の旅館にいっても「あら、津村さんじゃねえだべ」と言われました。
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峨眉山での各組織指導者の特別研修について①
2014年3月7日
津村 喬
(津村は本を書く時や気功の先生になるときの名前です。高野のほうが本名です。どちらで呼んでくれてもいいです。以下は健身気功協会への報告なのですが、秘密にすることでもないので、一部固有名詞とか削って五回に分けて掲載します。)
国際健身気功連合会の催しとして、この2月20日から28日まで、中国四川省峨眉山で、各組織の指導者のための特別研修が持たれた。私は日本健身気功協会を代表して、これに2月20日より25日の間参加した。私はこれが「国際健身気功連合会」としての催しであること、「国際健身気功連合会として初めて幹部を育てるための企画であること」を正確に認識していなかった。それがわかっていれば、日本健身気功協会からもっと積極的に、何人かでも参加して、これらの企画に参加するよう促したいところだった。今後の課題としたい。
一昨年二月の杭州での国際...健身気功連合会発足に際しては、津村と副理事長のOが参加を表明していたが、日中関係が緊張していて中国側から参加しない方が良いとの連絡を受け、やむなく参加を中止した。その会議の様子は中国から何も知らされず、やむなく気功文化センターのブログから知る以外になかった。王健軍氏(日本語通訳兼国際部長)と私の直接連絡も途絶えていた。今回改めてつながって、認識のずれを補正した。その結果、この八月の九華山の大会にも、何人かで参加すべきだと考えるようになった。また十一月の東京での全アジア規模の交流会にも積極的にかかわっていきたいと考える。五月の雷斌来日から、八月、十一月と、きちっとリズムを作って、日本健身気功協会としての主体性を取り戻していかなくてはならない。というようなことを痛感した会議になった。つまり、国際健身気功連合会発足以降の状況にわれわれは対応していなかった。
今回招集されたのは、「国際健身気功連合会」の会員の協会責任者の培訓班ということだった。35か国96人が参加した。アメリカが9団体、カナダが6団体、日本が5団体、フランスが4団体などが一国で複数参加した。日本から参加したのは日本健身気功協会のほか、日本練功十八法協会(武田幸子)、全日本健身気功連合会(陳崢)、全日本健身気功連盟(劉超)、日本健身気功普及協会(竹花智子)の四団体である。その他、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、キューバ、エストニア、フィンランド、イギリス、ドイツ、インド、インドネシア、イラン、イタリア、韓国、香港、マカオ、マレーシア、メキシコ、モーリシャス、オランダ、ポルトガル、ロシア、南アフリカ、セルビア、シンガポール、スロヴェニア、スリランカ、スイスなどから参加した。正確にはわからないが、半ば以上が在外中国人である。中国側は中華全国体育総会の副主席でオリンピック委員会の副主席も務めた暁敏女史が以前に引き続いて国際健身気功連合会の主任を務めたが、中国健身気功協会の主席、国際健身気功連合会の主席は杭州大会までの冀運希氏が交代して、新たに常建平氏が就任した。
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峨眉山での各組織指導者の特別研修について②
2014年3月7日
2月20日は成都の空港にたどりついて、各地からの便の人を集めて、峨眉山賓館に送り届けた。私は五時半に着いたが八時まで待ち、ホテルに着いたのは10時だった。
翌21日から始まった。まず八時半から開幕式、全員写真撮影。そしてすぐに楼宇烈北京大学教授の話から始まった。これは午前中が「健身気功の国際的普及と教学方法」、午後が「中華養生文化と健身気功」というような当たり障りのないタイトルだったが、内容は全く違っていた。「儒仏道三教の思想体系とその中での健身気功の位置づけ」とでも題すれば内容にぴったりだったろう。それも各流派のばらばらな紹介ではなく、易経などを共通の背景として、中国伝統文化の核心部分である「中国文化生生之学」「生生之謂易」(生きた生、生を生きる)「生生不息、生命不已、不断不停」「天地合気、万物自生、夫婦合気、万偶自生」の大原則を踏まえて...、そこから「1 医経2 経方3 房中4 神仙」という四つの課題を位置づけた上で、儒仏道がこの課題をどう説いているかを説明した。中和を中国文化の根本原理とし、『中庸』にある天和の気=天真の概念を取り出す。あいまいさを中道と誤解している人がいるが「喜怒哀楽未発の中」こそ中道であり中和である。儒教は人事を尽くして天命を聞くといい、道教は天命を聞いて人事を尽くすと言った。天人感応の立場から「人身は小天地」だという立場を取った。仏教は華厳の中で「一即多、多即一」の全息学の立場を取った。楼教授は儒仏道がそれぞれ宇宙原理と人生の究極をつかんでいながら、仏教がもっとも大きな世界を提出していると考えているようだった。
21日の晩には盛大な宴会がなされた。この時に主要組織の責任者はそれぞれの経験にしたがって、名誉段位の表彰状をもらった。私は四段まではつきあいでとっているが、名誉六段をもらった。
四川料理もすばらしかったが、皆30度の白酒で乾杯し、自然に表演大会に移っていった。歌あり踊りあり武術の表演あり、日本のドジョウ掬いも出た。みんななかなか芸達者である。
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峨眉山での各組織指導者の特別研修について③
2014年3月7日
22日は引き続いて楼教授を囲んで質疑応答の中でさらに広々とした世界が提示された。とくにフランス在住のベトナム人僧侶ティク・ナット・ハンの「行もまた禅、坐もまた禅」「無修の修」つまり「習慣に昇華する」立場や、フリッチョフ・カプラの『物理学之道』(邦訳『タオの自然学』)を引用して、返す刀で1980年代の気功界における偽科学をばっさり切り、「直覚治病」「内観解剖学」の必要を説いて、「心をとぎすませて内観する以外に自分の体内に到達する道はない」とした。
これらは私が初めて聞いた話ではなく、ほぼすべて、過去の「観気旅行」の中で、あるいは日本で組織してきた講義の中で、故王松齢先生や王滬生先生、宋天彬先生や劉天君先生から聞いてきた話である。だが私はそれを日本の仲間たちに正確に伝えてくることができなかったし、まして健身気功の中でこういうことを論議できるとは...思っても見なかった。これを企画した王健軍氏とそれを了承した常建平氏の健身気功に対するまったく新しい意気込みを感じたのである。
この日の午後は雷斌氏による易筋経の中医学的解説を聞いた。基本的には教科書通りの話なのだが、個別の動作が経絡に効いている例などは独自のもので、さすがに経験豊富な指導者だった。
この日の夜は雑技を見に行った。もともとは川劇という。北京なら京劇、上海なら越劇、そして四川なら川劇という違う伝統のもとに作られている。しかしここでは単なるヴァラエティで、武術も舞踊も場末で見せられている感じだった。夫婦で芝居をする恐妻家の夫だけは深い演劇的素養と磨かれた芸を持っていた。川劇の看板である変面は、もともと芝居のある場面で仮面が瞬間に着けえられる芸なのだが、これだけを本来の川劇から独立させて、ショーのようにしてしまうと、はじめは物珍しいというだけで、なんの魅力もない。
翌23日は朝から導引養生功12式の講習だった。1 解析技術動作 2 講授呼吸、意念、経絡、穴位と動作の関係 3 講授教学方法(レベル別の教学)
4 功法考核 と書いてあるからどんなに魅力的な授業かと思ったが、実際には初めての人も多く、基本動作を伝えるだけで精一杯。私は坐式ならば一応できたが、站式だけだったので、午前中は見学し、午後は参加しなかった。
夜は「中医按摩の基本手法の健身気功中の運用」の講義だった。これも画期的である。とくにヨーロッパなどでは健身気功と按摩を並行して需要がある場合が多く、各地で試みられていて、その必要に応えるために試みたという。講師は12式と同じ北京体育大学の若い教授である。前後の話が長かったが、頭、首、背中、足などを一通りみんなをモデルにしてやった。相互にやりあうならばまだ面白いが、これでは例を示しただけである。そして私の感想としては、例として余りいいものではなかった。たとえば北戴河按摩功などをすればいいのにと思った。古典として定着したものからやるか、私が編集した五転・五浄・五触のように系統だった整理から出てくるものをしてほしかった。これではあまり意味のない一例にすぎない。
しかし、健身気功としてさまざまな按摩をとりあげていくのはいいことである。私は北戴河保健功をとりあえず健身気功候補にあげたらいいと思っている。また九転延年法も早くとりあげるべきである。
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峨眉山での各組織指導者の特別研修について④
2014年3月7日
24日は朝から万年寺へ上がった。バスで20分ほどでロープウェイの乗り場に着く。ここから何キロか急峻な崖を上がって竹林やさまざまな常緑樹の中を進み、万年寺駅に着く。ここからが大変で、数百段の階段を降り、それを上回る階段を上る。途中で物売りがつきまとう。それも「猿除けのパチンコはいらないか」とかの非現実なものなので、つい不機嫌になってしまう。あとは安い装飾品を買わないかと下げている。左足が傷口がいくつも開いていて痛いのと、心臓に七カ所パイプを入れていて、ふだん鍛える機会がないから、体調的には最悪である。本来気の短いカウコがのんびり周囲の写真を撮りつつついてくれたが、ついに登り切って、万年寺の象に乗った普賢菩薩に対面する。ここは三度来ているが二十年以上前だから、どうしてももう一度会いたかった。まあ楽に来られる手段としては四人でかついでもらう「寝駕籠...」しかないのである。次にはあれに乗るしかないかな、と思う。ここでも乗っていかないかとたえずつきまとわれるのでる。いや、次に来る時はもっと体重を落として楽々登ってやるぞと思う。
指示された時間通りに駅に帰ったら誰も来ていず、それから皆がそろうまでに45分かかった。ロープウェイが片道150元する。昨日300いくら参加費を取られた時には高いと思ったが、まったくの実費だったのだ。
ホテルに帰って昼食を取り、この日は五禽戯の授業が始まるが、ここまで来て報国寺に行かないのはあんまりなので、独峰とカウコと示し合€わせて抜け出し、報国寺へ行くことにする。報国寺には歩いて行ける。裏の駐車場の山を少しあがって、竹林の中を越えていけばいい。立派な正門の背後に三重になった山の稜線が美しい。報国寺の文字は康熙帝による。天下無双の郭沫若の字も見える。文字と風景がマッチしているのが中国の観光地の景観だ。寺の中にも文字の額は至る所にある。報国寺は900年間に作られた万年寺よりはだいぶ新しく、1615年に作られた。やはり普賢を主に祀った寺だが、儒仏道を祀っているのが今回の講義の趣旨にぴったりである。山門、弥勒殿、大雄殿、七佛殿、普賢殿をメインに、数百の建物が整然と並んでいる。万年寺もよかったが、私はこの空間のほうがずっと好きである。万年寺は普賢菩薩堂以外のほとんどの建築物が火事で焼失して、復元は不可能と考えられている。
売店がすばらしかった。リアルな仏像もあり抽象化されたデザインの物もあり、白木もあれば塗りもあり彩色のもあり、見ていて飽きなかった。数珠類もホテルや土産物屋よりずっと安く、本物である。またお金をもってここに来たいと思った。白木の地蔵菩薩が特に美しかった。260元というから昨日換金した残りをはたけば買えないこともないが、執着だよと止める内心の声があった。
26年前に泊まった紅珠山賓館に行ってみたいとカウコが言うので行きかけたが、思ったより遠そうなので、一人で行ってもらった。昔は紅珠山賓館一件しかなく、峨眉山賓館のへんは森だった。50人以上の団体で紅珠山賓館で過ごして峨眉山に登った。昔の建物の一部が残っているだけで新築されていたそうだ。
その日の夜「こっそり」という感じで前の日に声がかかって、下の料理屋に来てください、少数で会食をしますと言われた。行ってみたら中国健身気功協会から二人、あとは18名ほど呼ばれていて、20名での火鍋の会だった。といっても本格の四川火鍋を食べられる人はあまりいないので、真っ赤な唐辛子汁でしているのは5,6人で、あとは白いスープの鍋だった。私は波動調整器の診断では唐辛子はしばらく避けたほうがいいとでているのだが、久々であるから赤い汁にした。それより白酒のほうが恐ろしい。ものすごく乾杯をする人たちで、底なしである。なんで、このメンバーを選んで、会食しているのか、こういうことが何も説明されないのが中国式なのだが、どうも八月に正式に就任する執行委員会というのがこのメンバーなのかなと思えてきた。杭州に来ていた人が大部分で、そこから話に付き合っている人は事情がわかっているのかも知れない。日本からは私と陳崢氏が呼ばれていた。陳崢氏は全日本健身気功連合会の会長で、この秋には東京でアジア規模の大会を開こうと準備している。
ただ食事をしただけで、あとは例によって歌になった。
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峨眉山での各組織指導者の特別研修について⑤
2014年3月7日
終わってから、道で待ち構えていた王健軍さんと暗闇の中で一時間近く立ち話をした。主な点だけまとめておくと(数字の後が王さん、[ ]の中が私である)
①今度のような儒佛道の話や中医学の話を次第に多くしていきたい。宗教的な要素は排除すると言っていたのは事実上撤回する。しかしいっぺんにこういう方向には行けないので、上手にやっていきたい。今回も四川なので仏教学の陳兵氏や道教学の李遠国氏とも相談をしたが、まず入り口の儒佛道全般に道を開いてくれる人として楼先生はいいと思った。
[陳兵氏や李遠国氏は永年のお友達である。楼先生の話はとてもよかった。初めてこういう無話を聞く人には、少し難しいが適度にやさしくて、いい入門だった。私は健身とは別のところでこういう話を組織してきたが、健身のなかで推進してくれるならありがたい。]
②五月は行くメンバーが決まっていて、佐藤さ...んのほうに帰ったらすぐ連絡をとる。雷先生と健身気功の雑誌の編集長と、若い人だが優秀な人と三人だ。八月には九華山にぜひ来てほしい。ぜひ実務的な話の出来る人と二人で来てほしい。あるいはもっと学生を連れて。十一月には東京で全アジア大会を陳崢さんのところでやる。私も団長で行くことになると思う。ぜひ協力してほしい。来年には、また日本健身気功と中国健身気功が主催して峨眉山でしてもいい。考えてほしい。
[五月はもう決まっていて、安心している。東京でやらないので、東京のほうからも結構来てくれる。陳崢さんから関西に何人か出かけてもいいかと言われた。秋までに関係を強化しておきたい。八月はまだわからないが、できれば何人かで参加したい。来年のことは総会後の議論になると思うが、功法についてもより高いレベルで教われる、今回のような魅力的な理論講義とセットでする、ということならたくさんの可能性がある]
③健身気功雑誌は佐藤さんのほうに送ってもうついていると思います。これからは津村さんには別に送りましょう。津村さんの携帯に何度もアクセスしましたが通じませんでした。これからはメールでやりとりしましょう。
[健身気功雑誌のために短い文章を書いたので今度送ります。この六月で気功50年、健身気功10年になるのでその話です。私の出している通信も送るようにします。土屋昌明氏らの津村インタビューのパンフレットがあったので、これを渡します。あなたの知らない時代について学んでください。日本で出している通信やさまざまな文献はあなたと常建平さんと二人に向けて送ります]
そのほかいろいろな話が出たが、忘れた。まあ、王さんと同志的な関係を作れたら一番話が速いと思う。彼は若いし、これから実質的にますます中心になっていく人であり、基本的に思いも一致している。
翌朝25日、カウコと王健軍さんが送ってくれた。今日帰国するのは一人で、バスではなく乗用車で送ってくれた。空港で三時間あまりあったので、港式飲茶(香港式のヤムチャ)とネオンを出している実は韓国料理店があって、ここで麻婆豆腐と汁なしの韓国冷麺を頼んだ。本物のそら豆の豆板醤をたっぷり使っていて、いい味の麻婆豆腐だった。冷麺もうまいが、鶴橋ほどではなかった。
飛行機が大幅に遅れて、乗り継ぎに苦労したが、なんとか間に合って、0時過ぎに自宅に着いた。
峨眉山の研修は続いていて、この日は午前中五禽戯の続き、午後は質疑交流。
26日は武漢の石愛橋教授の「健身気功練習効果の研究」のあと、午後からベルキー、ポルトガル、日本、ドイツ、カナダ、フランスの各国の状況報告。ここで話してくれと言われたのが帰りの切符をとったあとだったので、断った。日本代表が誰になってどんな話をしたのか知らない。
27日もメキシコ、シンガポール、スペインの報告。昼には卒業式。午後は楽山大仏の観光で、帰国は28日になっている。
すでに述べてきたところと重複する点もあるが、以下のいくつかについて検討すべきだと思う。
- 懸案の教科書刊行をどうしていくか。とくに『大舞』について五月に間に合うようなものを作れるか。
- 八月九華山についてと十一月の東京については総会後に相談したい。
- 国際健身気功連合会の活動と会員が乖離しないように、情報を密に流していきたい。
- 国際健身気功連合会の役職を担当する人員を決めていきたい。
- 来年の中国訪問について検討したい。
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気功とは何か?
2014年3月11日
気功とは何か? 私の『気功の入門領域』でたくさんの定義のしかたを並べているうちの、代表的なものを引用して、コメントしよう。
劉貴珍『気功療法実践』1985年版から
[劉は北戴河気功療養院の初代院長で現代に気功を始めた人である]
気功はわがくにでは悠久の歴史があり、歴代の医書に記載されている。そこで書かれている「吐納」「導引」「定功」「内功」「調息」「静坐」党は皆気功の範囲に属している。名前は違っていても、姿勢と呼吸と精神的鍛錬によって元気を培育するという点は同じである。
◆最初の版(1956)では気功は呼吸法だという間違った一面的な定義を出して、海外にもbriefingと誤って訳され、それが大きな問題となっていたので、新版でさまざまな内容を含むものと訂正した。
◆その共通項を、三調によって、元気を培育するものとした。
馬済人『中国気功学』の定義
[馬は上海市気功研究所の理論的中心の人...だった。日本語訳あり]
気功は古代の人々が生活や労働の中で、疾病や老衰と闘いながら次第に認識し創造するに至った一種の自己心身鍛錬の方法および理論であると思われる。それは姿勢調節、呼吸鍛錬、心身のリラックス、意念の集中と運用、リズミカルな動作などの鍛錬方法を行うことを通して、人体の各部分の諸機能を調節、増強させ、啓発することを目的とする。
◆生活や労働の中で生まれたので、宗教的儀式や医療行為から生まれたのではないというのが第一の点である。
◆自己心身鍛錬が最大のキーワードとなっている。
◆三調の内容に「心身のリラックス」(調身と調心)、「リズミカルな動作」(調身。背骨ゆらしやスワイショウなど)を加えているのが特徴的。
◆人体の諸機能の調整・増強・啓発を「目的とする」と言っている。啓発がわかりにくいが「からだに自覚させる」意味合いと取れる。
焦国瑞『気功養生学概要』の定義
[国立の北京中医学院の鍼灸科主任医師で内丹派の気功を継承した]
気功は人の精神、身体と呼吸を機能的に結び付けて、人体の真気を鍛錬し、病気を予防治療し、健康を保ち体を強くし、早く衰えることを防ぎ寿命を延ばすことに役立てるものである。
気は人体の真気(内気、丹田気)で、それは人体の生命活動の動力である。功は練功の功夫(経験と積み上げ)である。気功は自己鍛錬、自己建設、自己調整である。
◆三調を結びつけることと、予防・治療・保健・抗老・延命につなげているのは前のと同じである。
◆真気鍛錬が特徴的である。劉貴珍の考えていた肺の呼吸の気の鍛錬に対して、丹田の気を鍛錬するのが気功であるとした(胡耀貞を継承している)
◆自己鍛錬の協調も特徴的である。
宋天彬『健身気功培訓教程』の定義
[元北京中医薬大学教授、気功研究所長の宋天彬の定義]
気功は中華の伝統文化の人体生命整体観(人体と生命系をひとつにとらえるホリスティックな考え)に基づき、調心・調息・調身の鍛錬を通じて自身の健康状況を改善し、人体の潜在能力を開発し、心身の高度の調和をはかる技術である。
◆人体生命整体観がひとつの特徴。中国整体という時の「体を調整する」という意味ではない。
◆心身の高度の調和という言葉にある種の理想主義が隠されている。
劉天君『中医気功学』第二版の定義
[北京中医薬大学の宋先生の教え子で継承者。北京中医薬大学の教授で『中医気功学』の主編]
古典哲学思想の指導の下に、調身、調息、調心を一体に融合した操作を内容とし、人体の潜在能力の開発を目的とした、心身鍛錬の技能である。
◆中国古典哲学が気の概念を生んだのだから、それと切り離しては論議できないというのが第一点。
◆三調は「一体」で、それぞれに調えるのはほかのスポーツなどでもあるが、三調一体融合は新しい概念。師匠の宋先生は「始めは誰でも一体にならない。時間をかけて修練してこそ三調一体は実現する」と同意しなかった。
◆潜在能力開発を目的とした。
◆「技術」でなく「技能」、心身に即したものとした。
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2014年3月11日
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