?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> 2015年9月総まとめ
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Facebookより

2015年9月


フィンランドに行った



道草を食う

2015年9月5日 22:46

 

 

 

これも81年春に公明新聞に12回連載したものの冒頭である。
七十年代後半から八十年代にかけて公明新聞や第三文明とは
けっこうつきあいがあった。まだ公明党が意気軒昂な野党だった頃である。

津村喬のおいしい話

 道草を食うというのは、「学校の帰りに道草食ってちゃだめよ」というふうに使われるわけだが、もともとは馬などが道端の草を食って動かぬことへの、馬を引いてあるく立場からの苛立ちを表明したものだろう。しかし馬の立場で考えてみれば、道に生える草がみんなご馳走だとすれば、お菓子の家に迷い込んだような物で、うらやましい限りだ。道路中食べ放題ということであれば、それこそ歩行者天国で、道を急いで地獄に行くこともない。
ところが冗談抜きに、道端の草は人間学って食えるのである。オオバコ、ヨモギ、ヨメナ、ハハコグサといったものはアスファルトの切れ目にさえ生えるし、わずかな空き地や垣根沿いにもタンポポやノビルが生える。ほとんど食えるといっても、むろんうまいまずいはあり、今おもいつくままに挙げたのは、うまい部類に属する。われわれは食物と言えば店で売っている物を思うように慣らされているから、うまいものが道に生えていて、その大部分は誰にもふりかえられずに朽ちて行くというようなことはにわかには信じがたい。だが商品しか食べなくなったのは都会でも最近のことであって、万葉の昔の七種がみな野の雑草であるところまで立ち返らずとも、野の草花を日常の食に生かすのは当たり前のことであった。ヨモギもちなどは今でもおなじみだろう。
今ではガソリンなどの汚染もあろうし、垣根や田の畦がどんな農薬を使っているかもわからぬから、よく洗って水にさらすことはともかくも必要だ。食べ方はおおむね二系統で、天ぷらにするか浸しものにするかで、高温の油や湯でアクを抜く。油ならばアクを抜きつつ味を保存するが、ゆですぎては味のない繊維だけをたべることになれかねない。慣れてきたら、このアクの強さをこそ味わいたい。

野菜というのも、もとは野草である。それが何代にもわたって飼いならされ、アクを抜かれた。高等教育を受けた人間のような物で、使う立場からは使いやすいが、野性の魅力はない。タンポポなどありふれているが道端の王者で、若い根はそのままサラダになり、お浸しにもよく、根はきんぴらにしたり炒って「たんぽぽコーヒー」をとったりする。
野草のアクは大量にとると毒だが、少量なら薬効がある。体内を浄化し、異物を排除し、新陳代謝を高める。馬ならぬネコがよく道草を食うが、これは悪い物を食べたり虫が沸いたりした時に道草を薬として吐き、体内浄化をしているのである。冬の間はからだに保存型栄養をためこんでくるが、春にはそれを排泄して初夏に向かう新しい生命を体内に取り込む用意をする。そのからだの欲求に応えるように、春の野菜の端境期においしい道草が出てくるのである。山に入って山菜をあさるのも楽しいが、玄関の草を見逃して山の珍味を探すのも粋でない。
どうも工業社会の歩みは速すぎて、食生活の成熟にテンポが合わない。少し道草を食ってみたいのである。 HOMEに返る


 



青物

2015年9月5日


野菜を総称して「青物」ということがある。緑色野菜の大切さが経験的にわかっていたから、色とりどりの野菜を青に代表させたのだろうか。
ところがスーパーやデパートに行ってみると食品売り場の面積の中で「青物」の占める面積はおよそ少ない。0.5%にも満たないのではないかという感じを受ける。その汾お菓子や加工食品が氾濫している。この比率で病んだ食生活が送られているということなのだろうか。
この四月の日本薬学会で麦の青汁に含まれるある種の酵素が、壊れた遺伝子の修復作用を促進するという発表があって注目された。生殖細胞の遺伝子が壊れたままコピーされると「奇形児」が生まれやすい。またガンも、このDNAの毀損ということによるのではないかと考えられ始めているので、「青汁に制ガン効果と大きく報道されもした。
宇宙線など自然な放射線によってさえ遺伝子が壊れることがあるが、人間のからだはその修復機構を持っている。ところが年々何十億トンという石油の萌かすが大気中に出され、原子炉から食品添加物まで、負担になるものが増え続けると、修復作用が追いつかなくなってくる。それがガンや奇形児の増大につながっているというのだ。
萩原義秀は串の『麦緑素』(祥伝社)はこの状況を憂い、緑をとらねば人類は死滅だとよびかけている。生き延びるためには「緑葉」でなければならないと。
[萩原博士の作った大麦若葉粉末はグリーンマグマの名前で販売され今も愛用しています。ほかのテレビで宣伝している物は類似品かグリーマグマを買って何かを付け加えたものばかりです] HOMEに返る


 



おっぱい料理

2015年9月6日

 

 お産で妻の実家の方に来ていたのだが、予定日一週間早く生まれ、それから今日まで「おっぱい料理」を作り続けた。
病院を避けて小さな助産院で生んだので、そこの家族の一員になったようで、温かい手料理が出されたのだが、それに加えて、何かと作って重箱に詰めて持って行ったのだ。おばあちゃんがついお菓子だ、お刺身だ、お寿司だというのを傷つけぬように止めて、「栄養は足りているからお乳のための薬になるものだけにしましょう」と説得した。
なんといっても海藻である。昔は産んでから57日間わかめを食べさせるという考え方があって、そんなに簡単に手に入るわけもないから、妊娠がわかると生ワカメを集め始めたものだという。お乳というよりこれは産婦の体内浄化のためで、体内の毒を出して血をアルカリかするためのものだから、昔もお嫁さんの方をそんなに大事にする習慣があったのだとすれば嬉しい。
朝鮮でも40日くらいわかめスープを飲ませると聞いた。その母の恩を思い出させるために誕生日には必ずわかめスープがつきものなのだそうだ。

牛テール、豚足、鶏手羽先、ヴスラと各種野菜を使って濃厚なスープを作り、生姜の聞いたスープに下。あとワカメとショウガの酢の物。自分で減塩?油とレモンをかければいい形にして持って行った。
ひじき蓮根、アラメと椎茸の炒め煮、納豆昆布、とろろ昆布や青のりの吸い物と海藻ぜめ。いずれも塩分を控えて。根昆布を浸した昆布水は毎朝。血液浄化と便通によい。
カルシウムの補給には田作りとちりめんじゃこ。田作りはから煎りだけでアメをからめない。砂糖はカルシウムを壊してしまう。じゃこは酢の物でも炒め物でも汁でも気が向いたら振りかけてしまう。
鉄分はなんといっても金針菜。鉄分の多い代表みたいにいわれるほうれん草の20倍ある。戻してからカツオだしで煮てもいいし、二杯酢でもいいし、純正ごま油できんぴらふうにしてもいい。白ごまや松の実など質のいい植物性脂肪を補う。
植物性蛋白は豆ともやし。炒り大豆や芋と小豆のいとこ煮などは常備しておき、豆乳は毎日一合飲ませる。
昔からお乳にいいというのは鯉。日本では鯉こくにし、中国ではナツメ、小豆、椎茸とスープにする。鹿児島ではなかなか手に入らないので、60センチくらいのナイロンの鯉のぼりで我慢してもらう(男の子なのデス)。

動物はスープで採らせる。その方が太らないし栄養吸収の効率もいい。テールや足、手羽先というのはゼラチン質が多く、コクのあるダシがが取れる部分。半ば冗談に、新鮮な豚の小袋があったので買ってきてスープにした。「中国じゃ、類ヲ以テ類ヲ補ウ、といってね、子宮を使ったんだから子宮食べてね」というわけだ。こちらは焼き鳥屋で慣れているが妻の方はこればかりは気味悪がって箸をつけない。 HOMEに返る


 



豆の文化

2015年9月6日

 

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81年頃こっていたのは豆です。

 豆料理に凝っている。
日本では、豆というと、まず甘く煮てしまう。ウズラ豆とかお多福豆とか、子供や甘いもの好きの女性ならいざ知らず、あまりいいイメージはない。正月の黒豆も、甘みをおさえてしっとりふっくらと煮るとうまいが、それとて量を食べられない。せいぜい枝豆や空豆を塩ゆでにするくらいが酒飲みにとっての豆の食い方になる。若い空豆を袋から出して梅肉のペーストで会えるとか、枝豆をすり潰して葛と合わせて煉り、枝豆豆腐としゃれてみるとか、あるいはそんな気取らずとも大豆と昆布を焚き合わせてみるとか、日本料理では考えてもその程度だ。

ところが二年ほど前にブラジル人の友人からフェイジオアーダというのを食べさせられて、度肝を抜かれた。豚の脂身、臓物と豆をトマトとニンニクの味で長時間煮込んだシチューだ。というといかにもまずそうだが、こってりしてなんともうまい。もとはフェイジョンという黒い豆を使う。日本の黒豆を使うと見かけは似るが、味を似せるには金時とうずらを半々にするといいと言って、その友人はそうしていた。最初に刻んだタマネギ、トマト、ニンニク、ピーマンをよく炒めて、そこに戻した豆と豚の肉でも内臓でも各種のソーセージでも入れて煮込む。インディオの料理だ。固めに焚いた塩味のピラフにこれをかけ、レタスやキャベツなど葉っぱ物やオレンジの輪切りを添えて食べる。タピオカの粉を香りよく煎ったファローファがあればもっといい。なければパン粉をバターとベーコンの味で炒めて、粉チーズのようにかけてもいい。

メキシコのチレ・コン・カルネにしても北米のポーク・アンド・ビーンズにしても、これらは白インゲンだが、同じ発想だ。豆と豚や牛はよく合うし、トマト味がまたいい。
ヨーロッパに行ってみると、豆のシチューやサラダやスープに、またいやというほどお目にかかった.白いんげんで言うと、フランスのカッスーレが古典的なシチューだ。グリーンピースをただゆでてバターをのをアングレーズつまり英国風という。フランスでは単純すぎる料理にみんなイギリス風と名付ける。苔にされたイギリス人の方は「オランダ風」か「ウェールズ風」といいたがる。グリンピースのパリッ子煮というのは玉葱が加わっただけ、フランセーズとなると小玉葱と拍子木にしたベーコンが入る。この組み合わせで丸がどろっとつぶれるまで似るとドイツの典型的亜陰トップ(一皿料理)で、寒い午後、ケルン駅のレストランで食べた濃厚な味が忘れられない。
折から小川忠彦の『ヨーロッパ豆料理』(中央公論暮らしの設計)が出て、これをまたいろいろ変形しつつ楽しんでいる。これから初夏にかけて楽しみだ。
それだけでなく、仮に日本の国内でたんぱく厳を確保しうるとしたら、肉を減らしてその分量を食い、肉は豆の添え物という食べ方をすればいいし、その方が体のためにもいいし、経済的でもある。世界に学んで豆の文化を見直したい。 HOMEに返る


 



かんぴょう

2015年9月7日

 

 ゆうがおという瓜を補足ヒモ状に削って乾燥させたものだ。発祥地は近江の水口といわれ、今でも20-30戸が細々と作る質のいいかんぴょうが滋賀県下の一部では買える。全国的に出回っているのは今日では茨城、栃木の関東もの。
モーターのついた玉むき機で薄く長く向いて行って、さおにかけて干し、四五時間でできるのだが、この剥き方にも随分技術があって、薄すぎたら煮溶けてしまうし、厚すぎたら堅くなる。
保存のため亜硫酸ガス薫蒸をするのが問題になっていて、これをやると蒸しもつかずカビも出ないが、人体に有害としていったん全面禁止となり、流通に不可欠との業者の陳情で基準をやや厳しくして復活したいわくつきのもの。これをやっていないかんぴょうは今では手に入らないのが残念だ。

[ 『かんぴょうは栃木県の代表的特産物であり,栽培面積は年々減少してきているものの現在でも約2,000haが作付けされ,その生産量は全国の約90%をしめている.かんぴょうはゆうがお果実を原料としてうすくひも状にむいて乾燥させたものであるが,保存上の問題として褐変現象,かびの発生,特有の甘い匂いが蛾を誘引し産卵するための虫害を生じる.これらの防止(漂白及び殺菌)のため,硫黄くん蒸法が慣行技術として1951年頃より行われてきた.硫黄くん蒸が利用されて以来かんぴょうの保存上での問題は解決したが,反面漂白の程度が等級を決定する上での重要な事項になってきている。そのためくん蒸法は帰って白さを求めるため基準量よりも過剰になりやすい傾向がある。硫黄燻蒸したかんぴょう中には当然ながら亜硫酸が含まれ、その食品添加物としての残留許容量は5g/kgという他の食品に比べて例のないほどの多量の許容量が認められているが、本県産のかんぴょうから許容量を越えるものがしばしば見受けられ、また消費者から過剰漂白に対する苦情が多く出されて問題となった」『かんぴょうの硫黄燻蒸における硫黄使用量の影響について』   (栃木県農業試験研究報告第38号)  
水分が少ない状態では亜硫酸がやや少なくて済み、また褐変はかんぴょうの品質とは関係ないので、過剰に白さを追求すべきでないと結論している。どうせ醤油色がつくのだから漂白は必要がないはずだ ー2015年の注 ] 

刻んでおすしの具にしたり、昆布巻きの帯にしたりするくらいしか普通は使われないが、使い方では上品な一品になる。
まず水で洗って塩で強くもみ、さらに水洗いし、しばらく水につけて乾燥くささ、ガスくささを抜く。これを適当に、たとえば10センチの長さに切りそろえて、一枚ずつていねいに広げて3-4センチの高さに重ねていき、一本の棒になるように二三カ所を竹皮か凧糸で縛る。これを何本か作って、たっぷりの出しで折り曲げぬよう大きめの鍋に入れてゆっくりと煮含め、そのままさます。白みそに卵黄と酒を加えて弱火にかけて木杓子で練り、ソースを作る。3?5センチにかんぴょうを切って、このソースをかける。かんぴょうへの認識が一変する一品である。
蒲焼きまたは白や気のうなぎを買ってきて、縦三つ四つに互い違いに組んで棒状にし、端からもどしたかんぴょうで螺旋状に卷いて行く。端まで行ったら戻りと三層になるように巻き、両端を糸で縛る。昆布だしでかんぴょうが柔らかくなるまで煮て、輪切りにして食べる。穴子でも大きめのたらこでも同様にできる。塩鮭や身欠きニシンでもいい。 HOMEに返る


 



干し大根

2015年9月7日

 

 大根を乾燥させたものには、丸干し大根、割り干し大根、切り干し大根、せん切り大根、花切り大根、はりはり大根、蒸し干し大根、ゆで干し大根、凍り大根などの種類があるが、一番扱いやすく、出回っているのが切り干し大根だろう。
宮崎県や愛知県を生産地とする切り干し大根は、例年11月中頃から青首大根を畑に組んだよしずに干すもので、日差しがよく北風が強いといい品になる。暖冬にはすが入り堅くなることがある。
最もありふれた、だからこそ懐かしい調理法は、洗って水で戻した切り干し大根をじゃこやかつおの出しで煮て、千切りまたは短冊に切った油揚げと焚き合わせ、醤油味をつけるというものだろう。
煮る前にごま油で炒めてみると、ぐんと味に張りが出る。油揚げだけでなく刻み高野豆腐、ちりめんじゃこなどもよく合う。好みもあるが、ぺたっとせずに歯ごたえの残る程度に煮るのがこつで、砂糖は用いない。
切り干し大根を炒め、納豆とえのき茸を加えて更に炒め、卵でとじる。納豆と切り干し大根の風味が競い、切り干し大根とエノキの歯ごたえが競い、全体が卵で渾然と融け合っている。

台湾料理屋で出す切り干しのオムレツ。もどした切り干し大根をごま油で炒め、醤油味をつけ、ちょっ水を加えて煮る。固めに煮てさまし、溶いた卵に適量まぜ、油を引いたフライパンにあけて円形に焼く。オムレツに卷いてもいいし、スパニッシュオムレツふうにピザ型でもいい。
さらだ。戻したままで加熱しなくてもおいしい。ちりめんじゃこ、ゆずの皮の微塵切りと三杯酢にする。中国の名前菜、辣白菜を塩漬け白菜の代わりに切り干しでもいいので、酢、砂糖、塩をかけ、しばらくおいてからフライパンにサラダ油、ごま油各大さじ3を熱し、実山椒と輪切りの鷹の爪を入れてさっと焦がし、その油をかけまわす。

1988年の「乾物への招待」の一説です。 HOMEに返る

 



黒豆

2015年9月8日

 

 大豆の一種だが黒く、独特の芳香と薬効がある。さまざまな品種があるが、関東、東北を代表するのが「がんくい豆」、関西を代表するのが「丹波黒大豆」といえる。しわのあるがんくい豆は、堅く歯ごたえの残るように煮るのが普通で、丹波黒はいわゆる「ぶどう豆」としてふっくら仕上げるのに適している。
がんくい豆は一晩水に漬け、中火でゆっくり煮て、指で押してつぶれるくらいになったら黄ざらめを入れ、溶けたら火を止めてさめるまでおく。もう一度弱火にかけて、黒砂糖と醤油を加えて三から四分で火を止め、そのままもう一晩置いておく。
ぶどう豆はやはり一晩水漬けしてから三時間ほど煮、豆を水から出して蒸し器で20分ほど蒸す。その間に好みの甘さの砂糖蜜を用意する。標準は水一リットルに500から700gの砂糖を入れて煮立て、蒸し上げた豆を厚い蜜に浸してそのままさまし、一晩置く。翌日砂糖を補って10分ほど煮立て、もう一晩さますと出来上がり。
豆を砂糖味で煮るときは砂糖を入れてから煮ると皮にしわがより、やぶれてどろどろになりやすい。ぶどう豆のようにふっくら作るときは冷やす過程で味を浸ませるのが原則である。 HOMEに返る


 



入江敦彦の『京都人だけが食べている』

2015年9月9日

 

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入江敦彦の『京都人だけが食べている』にはまっている。図書館から何冊か借りて、ほかの本は返すばかりになっているのだが、この本のおかげでだいぶ期日を過ぎている。京都在住わずか四五年の新参者からはめっぽう面白い。とにかく出てくる店を少しも知らない。天下一ラーメンとか、志津屋のカツサンドとか豆餅とかはさすがに知っているけれども、あと上がっている店は全く知らない。高級な店はともかく、庶民的な店は結構知っているつもりだったから、実に行動範囲が狭いのだと思い知らされた。安くて近い所から行ってみようと思った。ノートにそのリストを作って見ている所だ。上京区千本の「ときわ寿司」のちらし寿司、大徳寺前の「松屋藤兵衛」の福耳、中京区姉小路東洞院「八百三」のゆず味噌、北区上賀茂「なり田」のすぐき、北区小山元町「ジャニーズ・スゥイート」のナッツのタルト、北区紫竹も陸地加工食品の紫竹納豆、北区北野白梅町の七味ならぬ六味、北区平野神社の開運桜などは自転車ですぐ行ける所ばかり、今の懐具合でもなんとかなりそうなものばかりなので、ひまを見つけて行ってみよう。この種のガイドはたくさん出ているが、入江のは圧倒的に説得的である。思わずメモしたいことがいっぱいだ。
これを読んだ誰かが、鉛筆で誤植訂正をしている。「沢庵は味雷をクリアにして微妙な味を感じられるようにしてくれているので」という部分を「雷」をバツして「蕾」に直してある。沢庵は千枚漬けや柴漬けなんかに比べると「部が悪い」を「分が悪い」になおしてある。森口河口食品はワープロ誤植だろう。「加工食品」である。フルーツパフェの記事で「おこずかい」を「おこづかい」に直しているのを見ると学校の先生ではないかと思わせる。その校正者が一回だけ間違いでない所に線を引いている。西陣の鳥岩楼でお昼にだけ出している親子丼は私も自転車で食べに行ったが、入江は「デザートは、店のある五辻通りを西へ歩いて「かま八」で購入するのがいいだろう。銘菓「西陣どら焼き」の尋常ならざる生姜の風味はまさしく「過剰なるものを洗練させる」京都の味覚そのものである」食後の珈琲は静香がいい」のあたりに線を引いている。私もメモした部分である。いちどだけ校正者の感情を動かしたらしい。私はたくさんメモしてしまったが。そろそろ明日返しに行こう。 HOMEに返る


 



白いんげん

2015年9月9日

 

 

 白いんげんは英語でキドニーと言われるように、腎臓型をしている。逆に日本の臓物屋では腎臓は「まめ」である。日本では砂糖煮にするのが普通だがこれは長崎の卓袱料理に由来するもの。しかし日本以外では豆類を甘くして食べる習慣はほとんど見られない。今後ま日本でも豆を主役にして行くとしたら「煮豆」の固定観念を打ち破って、もっと自由な発想をして行く必要がある。

白いんげんを柔らかくゆでて、サラダ油、酢、塩、ひとたらしの醤油でサラダにしてみる。この魅力がわかれば、豆の世界は一変する。玉葱のみじんをまぜてもいいし、みじんのパセリやセロリをまぜてもいい。マヨネーズはあまり合わない気がするが、試して欲しい。小さなサイコロに切ったチーズ、プロセスチーズでもいいがチェダーなども合う。それといんげんを混ぜてオリーブ油と塩をかけ、オレガノを一振りする。地中海風。
少し手をかけてみたい時、アナトール・フランスが「20年かけてこしらえたような料理」と表現したカッスーレのまねをしてみる。本当はフォワグラと鴨一羽、ラムの肩肉、豚ロースに塩漬け豚にソーセージとぜいたくに入るのだが、それではあんまりだから、鶏もも肉一枚となるべく添加物が少なそうなソーセージに、屑ペーコンくらいでがまんしよう。鶏は手羽元と手羽先を使ってもよく、地鶏なら直いい味が出る。
ベーコンを炒め、鶏をきつね色に焼く。白いんげんを洗ってから煮立たせ、そのまま冷ましてふやかしたあと、水を捨て、チキンストックで豆を煮て行く。丸のままの玉葱、タイムの粉末少々、にんにくひとかけ、ローリエ、パセリの葉を入れて豆に香りをつける。ベーコンと鶏の脂の残ったフライパンで、みじんの玉葱とニンニクを炒め、塩、トマトピューレと赤ワインを入れてソースにする。

柔らかくなった豆をキャセロールに敷き、ベーコン、一口大に切った鶏とソーセージを散らし、ソースと豆の煮汁をかけて蓋をし、175度のオーブンで二時間焼く。もともと20年とは行かないが丸二日かかる料理の簡略版。南仏料理なのでニンニクが幅を利かせるが、鶏、ソーセージ、ベーコン合わせて600から800gくらいなら、みじんのニンニクはひとかけ半ほどでよい。豆と一緒に煮た丸のタマネギもにんにくとローリエ、パセリは捨てることになっているが再利用を考えてもよい。
もう少し庶民的なアメリカ・インディオのいんげん料理、チレ・コン・カルネ。コロンボの好きなあれである。豆を柔らかく煮ておき、玉葱のみじんと合い挽き肉を炒め、豆を混ぜ、トマトピューレも入れ、チリペッパーを好きなだけ振りかけて、塩と黒胡椒も入れてグツグツと煮る。
白いんげんと野菜のクリーム煮。長葱をぶつぶつと六七ミリに切って、蕪、ニンジンはさいの目に切り、バターで炒め煮にし、一旦ゆでた白いんげんを合わせて、とろみが出るまで煮る。牛乳を加え、仕上げに生クリームを加える。豆のとろ味でルーをいれたようになる。
この種のものはどれも、たくさん作っておいて少しずつ食べたり、だんだん味付けを変えて行ったり、冷えたものを衣をつけてコロッケにしてしまったりすることもできる。 HOMEに返る


 



酔っぱらいに学ぶ

2015年9月10日 22:15

 

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酔っぱらいに学ぶ
(ゼロックストリム新聞56/6/25からだ論3)

 酔っぱらいのまねをしてみよう。
なれないうちはなるべく何もない部屋か戸外で、できたら芝生の上か何かがいいのであるけれども、あっちへよろよろ、こっちへよろよろ、ヒザに来ているというあの感じでやってみるのである。泥酔すればいつもやっている人でも、意識してやろうとすれば、むずかしい。いや、意識するからむつかしいので、からだをこうコントロールしなければという管理体系が頭の中にあって、酔っぱらい歩きというのはその体系をはみだしてしまう。それもまた「ヨロイ問題」なのだ。
腰や肩に力が入っていると、崩壊が連続することでバランスが取れ安全が維持されているという、あの絶妙の間合いが取れない。これはヨロイの秩序と別の「もうひとつの秩序」なので、前回に触れたケイレンやカツ源の自動運動に通ずるもがある。
実際に、深く酔っているとなかなか怪我をしない。階段など落ちればむろん傷を負うけれでも、運悪く凶器になるものに当たったりしなければしらふで落ちるよりずっと軽いはずだ。恐怖やさまざまの配慮が働かず、その動きに「身を任せて」しまうので、格闘技の受け身に近い状態になるからだ。逆に修練を積んで酔っぱらいの境地に近づくのが格闘技の方なのかもしれない。
中国人の面白い所は「酔っぱらいに学ぶ」という着想があると、それにこだわって本当にそういう拳法を作ってしまうことだ。『水滸伝』に出てくる酒飲みの生儀差坊主がこれをやる。はたから見ていると酔ってのたうちまわっているとしか見えないのだが、どんどん的をやっつけてしまう。相手がついてくると当たらぬ先に後ろにどてっと倒れたり、その揚げた足が攻撃者のアゴを下から蹴り上げる。例えばそういう具合だ。

ジャッキー・チェンの『酔拳』ですっかり有名になった。彼の今までのシリーズの中ではどうも『酔拳』が一番面白い。並大抵の実力でない、と納得させる。
去年中国の武術団が来た時にも、酔拳、酔剣に特に人気が集まっていた.ボノ用に真っ直ぐのままどでんと倒れたり、「らんぽうくん」[当時の漫画の主人公]のようにひこひこアゴで歩いたり、楽しいのである。
アゴと腹で這って行くのもかなり重労働だが、この支えなしに後ろに真っ直ぐ倒れて行くというのは、かなり怖い。マットか芝生の上で石などないことを確かめてからやってみるといい。頭をかばいたくて、つい尻と手が出てしまう。尾骨を打ったり、背中を打って息が詰まったりする。落下に身を任せ切って力を抜くと、着地の瞬間ぐにゃっとなって痛くない。後ろがこわければ前に手でかばいながら倒れて、脱力の練習をしてみる。

今度は酔っぱらいジョギング。といってもこれはあっちへヨロヨロではなくて、一応前に向かってまっすぐ走るのである。ただランニングのフォームを作らず、腕を始め全身を脱力して、一歩跳ぶごとに全身が八方に飛び散るようにして、だらしなく走ってみる。この時は小股で、ゆっくりのほうがいい。前回のタテに揺すって行くあの感じをジョギングとしてやってみるのだ。
ジョギングの快感の主な要素は、この上下動に伴うゆさぶりである。それをランクングのフォームでやるのは目的に取って不徹底なので、もっとリラックスしてやったほうがいい。決してみっともいいものではなく、酔っぱらいの飛び跳ねダンスのようになる。大事なのは、このとき、口をきりっと結んでいるとからだがほぐれないことだ。大口空けてヨダレでも出しそうな感じで、しかもアゴをあげて空を見ながらやっていくと、首もよくほぐれる。ご近所から「そうとう狂ったらしい」といわれるようになればホンモノである。夜中にやったりしていると挙動不審で取り締まられるかも知れない。
挙動不審というのは興味深い言葉で、権力者に取って不審に思う身振りとそうでない身振りがあるということだ。酔っぱらいとか身体障害者とか気違いとか分類してレッテルを貼るとそれが不審でなくなる。身振りの秩序を求めるのだ。[二十歳過ぎくらいのとき深夜まで飲んでいて帰れなくなったとき、よく歌舞伎町の都電の線路の上で太極拳など一人で練習していた。住民に通報されてお巡りが来て、怖がることはしないでくださいと帰って行った。何度でも繰り返したので「またお前か」になった。当時空手の真似だったら誰も不審に思わないが、太極拳は奇妙がられた]

もうひとつ、酔っぱらいの歩きの変形の二人で組んだトレーニング。向かい合って一人が掌を上に両手を差し出し、もう一人が掌を下にして両手を重ねる。誘導する方は予告なしに前後左右に動き、上下にも動き、それに手を離さずについていくのだ。初めは静かな小さな動きでないとついていくのは難しい。運動神経というのは頭で考えて反応する前に掌でついて行く能力のことだ。脱力していないと全く対応できない。これもなれてゆくと四方八方に自在に動いて、軟体動物になり、酔っぱらいのけんかのようになってくる。中国拳法をやっている友人で、のたうち回りながらどういう態勢にもついてくるのがいるが、私はなかなかその境地まで行かない。 HOMEに返る


 



ネコのポーズ

2015年9月11日 9:11

 

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ネコのポーズ
(ゼロックストリム新聞56/8/25からだ論5)

 ネコになってみよう。
よつんばいになる。前脚は手で支え、後脚はヒザで支える。はじめはたいてい背筋に力が入っていて、背骨を真っ直ぐに保とうとしてしまう。当然のことで、直立している時にぐにゃぐにゃしていたら立つのにも歩くのにも不自由する。
だがもともと哺乳類の背骨というのは四本の柱の間に渡された梁のようなもので、それを直立した一本柱として使うには無理がある。これは西洋医学のよく使う言い回しだが、そこから背骨にいろいろ無理が来て、さまざまな内臓疾患や神経疾患につながる、というのは「ぶらさがり器」がはやってから常識になりつつある。
だがタテに重さをかけてぶら下がるのは背骨に取ってますますしんどい負担で、ちょっと乱暴すぎる。同じぶらさげるならよつんばいになって、自然にカーヴした姿にもどしてやるのがいい。
それがなかなか簡単でない。柱を梁に変えるには背中全体を柔らかくほぐしてやる必要がある。まだかたいなと思ったら、よつんばいのままゆっくりさゆうにゆすってやる。びっくりするほどお腹が下がってきて、背骨がそる。無理に胸を反らせているのではない。首の力もすっかり抜いて、だらんとうなだれてみると、胸を反らせるという感じでは全くなくなる。腰から背中にかけて、こわばったところがじんじんと心地良い刺激を受ける。

ここから背骨をゆっくりと波打たせて呼吸をして行くのが、私の一番好きなヨガのポーズである「ネコ」だ。
腰が上につまみあげられるようにまず上がってゆき、腰から背へ、下から上へ骨の間が順々に離れて行くような感じで「猫背」になっていく。息を吸いながら「ストレッチング」で背中が大きく盛り上がって行くのだ。それに連れて腰は自然に前に寄る。首は脱力したままでいいが、この時には全身が緊張し、ネコが犬にでも会って毛を逆立てている感じになる。
もう一度息を吐きながら腰が後ろに下がり、沈み、胴体全体が下に沈んではじめと同じように垂れ下がる。ただこの時はアゴが前に出て首を思い切りのけぞらせてみる。これもまた「伸びをする」動作だ。
これが「ネコのポーズ」の基本だが、ポーズにとらわれずにここからいろいろ変形してみると楽しい。

去年の秋、岩槻にいた頃、まだ六ヶ月くらいのまっしろな美少年ネコが迷い込んできた。今は神戸に転居して赤ん坊もいるので友人宅にあずけてあるのだが、少年時代から二十年ぶりにネコとしばらく暮らしてみて、実に面白かった。
まだ若いネコだから、そのしなやかさは驚くばかりで、はたきなど使って戯らしながら、空中を跳びながら身をよじって着地したりする芸を楽しませてもらった。時にはネコのする通りにいろんな動きをまねしようとしてみる。四つん這いのまま首をひねって尻尾の付け根をかむとか、足を大きく開いて股をなめるとかいうのは、もちろんできない。獲物をねらって「伏せ」になり、尻を振ってリズムを取り、パッと蹴ってとびかかる。あのイメージは少しは真似られる。もっと静的な、アクビのポーズなどは真似やすい。
さっきの基本姿勢から、前脚を前にずらしていって、手をいっぱいに伸ばし、アゴから胸が床に着くようにのびのびとさせていく。

胸が大きく反ってワァっとひろがっていく感じがある。後脚はヒザ、腿が垂直になるようにしておく。力を入れるのではなくて、腕や胸のこわばりをとっていって、上体の重みがすっかり床にあずけられているようにやる。なれないと「イテテ」になるが、うまく脱力できると深く休息できる状態になる。力が抜けると尾骨から首までがスキーのスロープのようになだらかな曲線になる。
この状態で尻を左右に軽く動かしてみるのもとても気持ちがいい。
脱力して背骨をゆるめられるようになれば、後は自由に変形して行けばいい。こういうことは本気でネコと戯れるか、子供と一緒にネコごっこをして遊んでみるのが一番いい。尻尾の長いネコはどんな風に歩くだろう。シャム猫だろうか三毛だろうか。きれいな姉ちゃんネコにあったらどうするだろうか。けがをしてびっこだったらどうだろう。
ネコ小説に神髄を発揮したポール・ギャリコの『ジェニイ』だとか『トマシーナ』でも読みながら、いろんなネコになってみる。家じゅうでギャリコに凝っていた時にとうらいしたので、うちのネコはオスにも関わらずジェニイとよばれていた。さすらいのジェニイはいまどんな恋をしているだろう。 HOMEに返る



 



小冊子

2015年9月18日 9:58


印刷所に行って、三冊のパンフレットのコピーを頼んだ。これは製本屋に出さねばならないから、いつものように持って入ってそこでやってもらうわけに行かない。いつも一週間はかかっている。今回も分量は多いがほぼ一週間と言ってくれた。
表紙の色見本から選んだ。
『気功的生活のすすめ』は80pで薄い緑色。
『からだ論余録』は98pで桜色。
『道教と仙学』は200pでレモン色というのか、黄色だ。
それぞれ100部ずつ頼んだ。大体半分くらい予約が入っている。
あとはゆっくり売って行く。カンパをくれるほどの思い入れはないが、あるいは余裕がないが、パンフレットの中身を知りたい人はまだまだいると思う。ほかのものと合わせて宣伝して行くつもりである。 HOMEに返る


 



HPに収まってから見てください

2015年9月20日 23:37


私のHPにはお世話になった中国のたくさんの老師たちの名前が挙げてある。久々にHPを見てその中で馬礼堂先生の写真敷しかないのがいかにも不自然だった。これは私は知らないので、小原さんがどこかから持ってきたものだろう。私は馬礼堂先生には短い時間三回習っただけなので、彼の顔写真だけがあるのはおかしい。ネットから拾えるものもあるだろうが、私の写真箱には行っているものの方が面白いので、今日は半日写真を点検して過ごした。
日本にも何度も来てもらったが、北戴河でお会いした時の張天戈先生の食道での談笑姿。王松齢、牛実為、李兆生ら中国気功界のトップが並んでいる北京のお寺の写真。趙光先生が二人の患者に気を送っている西苑医院での写真。王濾生先生と私がロシア民謡を歌っている写真。張宇先生の憂いに満ちた横顔。十八式を教える林厚省。古典資料を見せている焦国瑞。中国医学気功研究会のトップとして気功界の頂点にいた馮理達さん。初めて来日した張明亮。香功の田瑞生。站椿功の王郷斎。金芝河と並んで変な格好をさせられているところ。ソウルの王宮の庭でしたスワイショウ。アイヌから初めての国会議員になってアイヌ語で演説をした萱野茂さん。フィンランドの哲人タピオ・カイタハリュ。88年最初のフィンランド合宿のときフィンランド側参加者がアクション付きの幼稚園の歌を歌ってくれた場面。などなど。ここで紹介できればいいのだが、HPに収まってから見てください。 HOMEに返る


 



押入れの宝物

2015年9月21日 10:04


 

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押し入れをかき回し始めたら、信じがたいものが次々に出てきた。ひとつは独峰が作曲した新しい方の五行音楽6枚組が段ボール一箱出てきた。肝心脾肺腎のそれぞれに対応する瞑想音楽で、どれも深く入って行って、30分かけて浮上してくるように出来ている。独峰の作った五感セットも新品が4セット出てきた。これは肺なら肺に効果のあるお茶、色眼鏡、香りの出るローソク、お香、ツボ刺激、音楽がセットになっていて、実際にミュンヘンの空港ではこれを全身に浴びながら一時間なりすごすことができる。音楽だけならば一つ2000円くらいだが、五感セットになると15000円くらいで売っていた。もう独峰には支払って買い取ったものなのでどう扱ってもいいのだが、少し考えてみよう。
奥の部屋の仕入れからは李遠国の大判の符録が出てきた。無造作に紙袋に入っていた。ひとつひとつていねいに中国の伝統的な紙にくるまれている。35枚ある。たしか二万円で売っていた。今も二万円でとなれば70万円になる。
もうひとつ、李金遠の絵は私にもらったもの以外はほぼ返して、色紙数点と印刷物しか残っていないと思い込んでいたが、チベットの風光を描いた大きな(といってもあいまいだが、B4版の八倍から十倍のもの)が40枚近く出てきた。山にヤクが遊んでいる構図は本当に好きで、いくらも傑作がある。李金遠は中国画壇のトップの何人かの一人だから、本当は物凄く高い。色紙大のものでもていねいに描いたものは10万を下らない。しかし私の回りには貧乏人しかいないので、10万から20万程度の価格をつけた。それでもたくさん売れ残ったということなのだろう。20万とすれば800万である。李金遠が半分、気功文化研究所が半分ということに当時はなっていた。真面目に売れば家賃の心配はいらなくなる。
越してきた時に押し入れに積み上げたままにして、まだまだ財産はありそうだ。
これは写真に撮ってHPで紹介しよう。売り物だけのHPも作ったらいいかも知れない。チベットの宝石類もまだ多量に売れ残っている。要するに売るのが下手で、熱心にやれない。誰か売ってあげましょうという人はいないか。 HOMEに返る


 



中国語ー英語対照表

2015年9月23日 11:28

 

 

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辞典というか、中国語ー英語対照表の作業を続けている。
丹田はcinnaber field,the center of a person's abdominal regionという説明になってぴったりした言葉がないが、日本語で説明すると「内丹家が丹を結ぶ場所を言う。上中下三丹田を言う場合と五丹田の場合がある。内丹派では眼の奥の松果体、臍中、命門、命門と臍中の中間、会陰が丹田である。三丹田は額の奥、両乳の間の奥、臍の奥を指すが、特に下丹田を「五臓六腑の元」「十二経脈の根」とする。」となる。「丹田は一宮、一竅、玉房、本宮、明堂、祖府などさまざまな異名があり、道藏の中だけで七百七十余の名称が見られる。」というので大変である。
minmen 命門 gate of life
一般には腰椎三と四の間で丹田が気を貯める中心であるのに対して気を運用する中心である。中医学では①右腎。ふたつの腎臓の左を腎といい右を命門という。(『難経』)②督脈の穴位名。③晴明穴の異名(『霊枢』)。内丹術の用語としては①丹田の異名。黄庭の中の丹田のある所(『黄庭内景経』)②脾のこと(『黄庭内景経』)③臍のこと(『黄庭外景経』)④鼻(『黄庭外景経』)⑤臍下つまり丹田(『道枢外景篇』)⑥右腎(『道枢』)⑦陽関、泄精の中心(『金仙証論』)
neishi 内視 inner observation

体内を想像力で見て行くこと。一般の気功では七三で閉眼し、内部に集中すること。内丹気功では眼の奥に集中し、松果体に視線を集め、さらに中丹田に落としてから体内を動かして行く。『仙籍旨訣』に「内視とは心を一つに注ぎ神を集中し神光が生き生きと五臓にまつわる」とある。
xu 虚 emptiness
普通の辞書では虚しい、空の、空虚な、空にする、空けておく、虚心な、謙虚な、むだな、無にする、おびえる、などの意味だが、内丹用語では①右腎のこと、②内丹修練の最高段階で物我両忘、返還先天。『啓真集』には「形を忘れて気を養えば気が根となり、気を忘れて神を養えば神は真を養い、神もまた忘れれば虚が養い、養と虚が合わさって道に入る」とある。

などどれも基本用語だが、いざ説明しろと言われるとむずかしい。よく使うのだが、暗号のようなものもある。
heche 河車 river chariot
煉功時に内気運行を主導する主観意念を指す。腎中の真気と心身が結合して生まれ、十二経脈と奇経八脈が結びついて内気循行が生ずる。『鐘呂伝導集』では小周天を小河車、大周天を大河車といっている。
リバーチャリオットと言われても、なんだか想像もつかない。
この短い辞書は『気功文化』の10月の号に載る。興味のある方は注文してください。500円+送料。 HOMEに返る


 



「たんちん」

2015年9月26日 5:10

「たんちん」と言っていたころがあった

 「たんちん」というと何のことだろうと思うだろう。「おたんちん」と関係があるのだろうか。これは気功と中国武術で使う「站とう」のことなのである。この「とう」とい宇は木偏に春のような字を書く。Windowsでもこともなげに出てくるヴァージョンもあるがマックのOSX10.9.5では「特殊文字」にも出て来ない。蠹濤嶝とかほとんど使う当てもない同じ読みの文字をたくさんかかえていても、肝心のものがない。
六十年代とかに松田隆智とか笠尾恭二とかの先覚者たちが台湾にかよって拳法を習った時に「站とう」がすべての基礎だ、これにじっくり時間をかけないと実力はつかないと言われた。だがこの「椿」の中が「日」ではなくて「臼」の文字は何と読むのか、わからぬままに「椿」の一種だと考えて「たんちん」と読んだのである。笠尾さんは七十年代の末にお会いした時に「いやあ、あれは当時文字を知らなかったものだから、みんなで”たんちん”と言ってたんだよ」と言っておられた。
70年代に柏樹社から出た『中国体育療法』では「杭たて功」と訳していた。中日大辞典を見ると「站」zhanは「立つ、立ち上がる」「…の側に立つ」「…の肩をもつ」「よりどころとする」「ステーション、センター」という意味がある。「とう」zhuangのほうは「杭」「肩を張った形の」「事件」といったことである。杭のように立つ、あるいは杭を立てるように立つ、というのはそんなに的外れとは言えない。

中国ではやはり椿の中を臼に書くのは苦痛に感ずる人がいるらしくて、木偏に庄屋の庄を書くようになった。この字も日本にはない。手書きするには楽だからこちらを使う場合も多い。この木偏も省略して「庄」を使っているのが鶴翔庄の場合である。ほかにも木のように立つ「木庄功」とか、鶴翔庄のもとになったと言っていい「形神庄」とか「梅花庄」「混元庄」とかあるが、実はこれらはすべて木偏がついている。鶴翔庄は何かこだわりがあるのかずっとこの字を変えない。ただどうも「站庄功」とは書きたくないというか、美的でない。
それで、結局「站椿功」を使っているのである。過去に中が臼の字で出る器械があって、それには日本語の別バージョンが入っていたと思われるが、その器械も潰れていて移してくることができない。「站椿功」と書いて「たんちんこう」じゃなくて「たんとうこう」と読んでくださいね、という甘えの上に無理矢理こうしている。「春」の真ん中を覗き込む時にちらと目眩を起こしてくれたらありがたい。
武術の各流派の秘伝とされてきた站椿を公開したのは王郷斎である。この郷も草冠がつく。草冠がついた字は「香」と同じでにおう、香ばしい、あとはこの字で表す地方劇がある。これも前のコンピュータでは使っていた。ネットで引用した文字を保存すれば使えるが、していない。王郷斎は武術のプロを育てるためだけでなく、病人・半病人にも出来るやさしい站椿功を教えた。中医研究院の焦国瑞は国の命令でこれを習い、67種類の站椿功を『気功養生学概要』に収めている。それらの伝統から無極椿・太極椿・五行椿等を整理したのは津村の仕事である。たんちん功といっていたころはやたらに低い站椿功が流行っていたが、これは武術鍛錬としてもあまりよくない。いまでは膝をわずかにゆるめる立ち方が普通のようだ。


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